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52・・・お花見
「これじゃ、どうしようもないじゃない・・・・・。」
 春休みに入る前の終業式があった日、リオは硬い空気に包まれながら通知表を挟んで理沙と向き合っていた。
「こんな成績じゃ、どこも入れてくれないわよ。リオ、バンドなんかやってる場合じゃないでしょ?」
「・・・・・ダイジョブだもん。リオ、怜に・・・、沢村先輩に勉強教えてもらうんだもん。」
 リオは焦りつつも口をとがらせながら言う。
「・・・・・前、うちに来た大学生の子?」
「そうそう。」
「あら・・・・・そうなの。親切なのね。じゃあ、塾とか行かなくてもいいかしら・・・・・。」
「ぜんっぜん平気だよっ。」
 それ以前に、なぜか理沙はリオが大学に入るのが当然の事として設定している。理沙も大学を出ているからなのだとリオは思うが、リオは理沙のように会社勤めをする意志は全く無い。かといって、他に何かこころざしがあるのかといえばそれも無い。ただ単に全く何も考えていないだけだ。

「怜は何で大学に入ったの・・・・・?」
 英文をノートに書き写しながら、リオが斜め前に座っている怜に向かって聞いた。リオはまた怜のアパートに来ていた。
「うん・・・・・?・・・ああ、何でかな。つぅか、痛いとこ突くね。」
「・・・・・なんで?」
 怜は少々苦笑しながら髪をかき上げる。リオは手を止めて、目をぱちくりさせながら怜を見た。
「・・・・・そんな、大した理由なんて無い。色んな要素が集まって結果的にこれが一番無難かなって・・・・・。」
「そうなの?一番無難なの?」
「・・・ああ。オレ的には。一番長く親のスネかじる事ができる。大学生っていう世間的にも真っ当な立場を持ちつつ。で、もって日本の大学ってのはさ、受験さえ通れば後はラクチンで大抵は卒業できるから。アメリカなんかと違って入ったもん勝ち。まあ、すっげえ勉強したいやつは別だけどね。オレみたいに単位さえ取れればいいってヤツなら時間はいっぱいできるよな。時間があれば、その分自分の好きな事ができる。」
「・・・・・ふーん。」
 怜の通う創啓大学は、怜の実家から程近いところに位置する。なのに、あえて怜は独り暮らしをしている。怜に言わせれば、実家で兄夫婦と同居するのが面倒だというのが理由らしい。

「リオは・・・?進学・・・?」
「・・・・・どうしよう。」
「・・・・・お前さ、英語ヤバくねぇ?特にグラマー、全然頭に入ってねーだろ。こーゆーのは積み重ねだぞ。」
「う・・・・・。英語の歌詞ならすぐ覚えられるんだけど。」
「・・・・・前途多難だな・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
 それなら怜にもっとたくさん勉強を見てもらおう、とリオは思う。怜の言う事ならなんでも素直に耳に入りそうだ。
 リオの通う日の出台南高校の四年制大学への進学率は全体の半分以下だ。その中でも、特に勉学に励む生徒の少ない軽音楽部の中から受験に成功した怜は、それが三流大学とはいえひそかに周囲を驚かせた。怜は何でも要領良く事を運ぶ人だ、というのはいつもリオが感じているところだった。

 春休みに入り、初日からリオは怜に勉強を見てもらう事になった。
 リオが思っていたよりも、怜はいつでも時間の余裕があった。もうすぐ終わってしまうが、怜のほうも春休みで、その期間は二ヶ月近くあるという事だった。確かに大学生というのは一般的に、時間と暇はもて余しているようだった。怜はその間、レンタルスタジオのバイトと他のバイトを掛け持ちして過ごしていた。

 先週リオに抱き付いてしまった怜は、『勉強教えて。いつならいーの?』というリオからのメールが届いた時、思わずほっと胸を撫で下ろした。怜が気にするほど、リオは何も考えていないように見えた。
 かくして、二人の関係はまた元に戻る事になった。今日は妙な行動は慎もう、と怜は気を引き締める。

「このあと何か用事あるの?」
 怜がミルクティーをリオに出しながら聞いた。
「う?あのね、怜のマルチでまた遊ぶの。」
 勉強の目的で来たのに、リオはしっかりギターを持って来ていた。
「・・・・・勝手に決まってんのか。別にいいけど。でもさ、お前があれ使いこなしたってさ、結局自分で買わなきゃ意味ないだろ?」
「・・・・・うーん・・・・・。じゃあ、お花見。」
「・・・・・え?」
「リオ、お弁当作って来た。桜の木がある公園で食べたいな。」
「え?・・・え?・・・。」
「・・・・・やだ?」
「いや、別にいいけど・・・・・。」
 リオは満面の笑顔を見せた。

「お花見お花見〜。」
 リオは弁当の入ったバッグを片手に、上機嫌で足取りも軽かった。幸い、自転車で十五分ほどのところに桜のある公園を見つける事ができた。怜は自分の自転車の後ろにリオを乗せて移動した。平日だったのと、大して規模が大きくない公園だったせいか、桜があっても人の出は大した事はなかった。リオと怜の二人は、五分ごぶ咲きの桜が縁取っている池の前に丁度良いベンチを見つけ、そこに二人で並んで腰掛けた。頭上には大きな枝垂桜しだれざくらが、大振りな傘のように二人の座るベンチを上から覆っている。

「はい、アイスコーヒー。」
「サンキュ。」
 怜が籠のバスケットを除くと、中には小さくカットされた数種類のサンドイッチが、水色のドット柄のペーパーの上に並んでいた。それも甘いものか、油の多そうなコロッケやカツなどの具のものばかりだ。すぐ横にオレンジが添えてある。
「・・・なんかすっげーボリュームだな・・・・・。」
「太れるかなーと思って。でも、怜も嫌いじゃないでしょ?」
「ああ、生クリーム以外は。・・・・・これ、何?」
「納豆チーズサンド。おいしいよ。食べる?」
「いや、いい・・・・・。」
 よく確認してから食べないと危険だ、と肝に銘じながら怜は三角のサンドイッチに手を伸ばした。ひらひらと遠慮がちに落ちてくる花びらを浴びながら、二人はささやかな花見を始めた。
「ここは、滑り台無いんだね。」
 リオが生クリームと苺のサンドを頬張りながら言った。頭にピンクの花びらが三枚乗っている。
「池が主役の公園だからな。・・・何、滑り台で遊びたいの?」
 怜がかじっているのは、カツサンドだ。
「えっ、・・・うん。この前ルイと二人で遊んだら楽しかったから。」
「・・・・・・・・・・いつ?」
「金曜の夜。大っきい公園の大っきい滑り台っ。楽しかったよ。」
「・・・・・。」
 自分の家に来たあの日、あのあと夜遅くルイと会っていたのか。門限が無い金曜日に・・・・・。
 動いていた怜の口が作業を中止してしまった。

「何か、デートみたいだねー。」
 リオが楽しげに言う。
「お前とルイ?」
 怜は池を眺めながら作り笑いをして言った。すぐに、リオが怜のほうを向いて言う。
「違うよー。怜とリオだよ。今の事っ。公園でお弁当食べて、何だかデートみたいでしょ?」
「・・・・・・・・・・。」
 デート・・・。そんな気恥ずかしい事をなぜ簡単に言ってしまうのか。屈託の無い笑顔を向けるリオを見ながら、思わず怜は閉口してしまう。
「あっ。そんな事言ったら、ミカさんに怒られちゃうか。」
 笑いながら快活に言われ、怜は重たい口を開いた。
「ミカとは別れた。」
「・・・・・えっ?」
「もう一ヶ月前から会ってない。」
「・・・・・そうなの?」
「そうなの。」 
「・・・・・・・・・・。」
 突然、リオは神妙な顔つきになったかと思うと、次の瞬間には喜色満面になって陽気な声を出した。
「やったーっ。これでリオは、また兄を独占できちゃうんだなっ。」
 思わず怜は目を丸くしてリオを見た。そんなに露骨に喜ばれると、さほど悪い気もしない。その自己中心とも取れる無神経な反応も、リオが自分を必要としているあかしのように取れてしまう。幸いミカが去って行ったという事実は、怜にとって大した痛手でもなかったのだ。
「まあ、しょうがない。独占されてやっか。」
 兄の威厳を保ちつつ怜は言う。兄でいればリオの傍にいられる。少し差し出がましい態度も取れる。そして、同じバンドのメンバーでいれば二人一緒の時間も自然に作れる。

「お前、クリーム付いてる。」
 怜はリオの口元に人指し指を当ててそのクリームを拭った。そして、無意識にその指を自分の口に入れた。
 本当は直に舐め取ってしまいたい。そのままキスしたい。その唇はどんな味がするのか。
 勘違いだと思っていた。ただの欲望のみだと思っていた。いや、恐らくそう思いたかったのだ。だが、もう怜は自分の本当の気持ちを認めざるを得なかった。

(オレ、リオが好きなんだ・・・・・。)

 淡いピンク色をバックに、リオが少しはにかみながら怜に微笑む。その笑顔に怜の胸は秘かに収縮する。
 その甘えたような眼差しを自分だけに向けて欲しい。そして、リオをルイの気まぐれな女遊びの餌食にされたくない。自分以外の誰にも独占されたくない・・・。

 今日のリオは気分が高揚し、いつになくはしゃいでいるように見えた。それは、心地よい気候と桜がそうさせているのだと怜は思う。だが、実はそれがルイの影響によるものだという事実は、幸か不幸か怜の想像のいきを超えるものだった。



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