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50・・・待ち人
(えっ・・・・・・・・・・?)

 この時リオは、自分の身に何が起こっているのか分からなかった。
 ただ、怜が自分の体を拘束している。その両腕で後ろからしっかりと自分を抱きとめている。自分の顔のすぐ上に怜の顔がある。
 怜の放つ香水の匂いがリオの鼻をつんと刺激した。
 「な、何・・・・・?」
 ようやくリオが、口を開いた。そこで怜の方も閉じていた目をうっすらと開けた。
「怜・・・・・、何してんの・・・・・?」
 恐る恐る問い正すリオに、怜は無言のまま捕らえていたその腕を無造作にほどいた。
「あ・・・・・・・・・・。」
 何を言ったらいいのかと、怜は霧のかかった頭で必死に言葉を探す。今、自分のとっている行動が、よく分からない。
 恐る恐る振り返るリオと目が合う。
「どしたの・・・・・?何・・・・・?」
 少々恥じらいを含めて、かつ警戒心を隠し切れずにリオが怜を見上げて言った。そんなリオの目に磁石で引き寄せられたかのように、怜は目を離す事が出来ない。そして、何とか口だけ作り笑いをしながら、とっさに考え付いたセリフを読み上げた。
「身体・・・・・測定した・・・・・。」
「・・・・・はぁぁ・・・・・?」
「いや、だから・・・・・、どれくらい痩せたか、と思って・・・・・。」
 いま一つ主旨の理解出来無い回答をよこす怜を、解せない顔で見上げてリオが言う。
「もうっ、まるで痴漢みたいじゃん。変な事しないでよ。・・・・・ルイじゃあるまいし。」
『ルイじゃあるまいし』・・・・・。
 その最後の一言で、怜の胃に何かずんっと重いものが入り込んだ気がした。
 では、ルイはいつもリオにこんな事をしているという事だろうか・・・・・。

 怜がまた変に動かなくなったので、リオは再び背を向けて靴を履き始めた。
「体重は1、2キロ減っただけだよ。それで分かるでしょ・・・?」
 少し不満げな響きを持って言うリオに、怜は小さく呟く。
「ごめん・・・・・。」

 何をしおらしく真面目に謝っているのか。これでは返って自分のした行為が重く取られてしまう。普段なら「いいじゃん」と言ってごまかせそうな事柄なのに・・・・・。怜は秘かに冷や汗を垂らす。

「じゃあね、バイバイ。」
 リオが気を取り直したように明るく言う。
「・・・途中まで送ってく・・・。」
「いいの。リオ、ダイエットのために走りたいしっ。」
 違う。ダイエットではなくて、太ろうとしていたはずだ。だが、それを言った本人も言われた怜の方も、互いにその間違いに気付く余裕は無かった。
 リオはさっさとドアを開き、手を振りながら逃げるようにその場から立ち去った。

 怜にとっては全く無意識の行動だった。一体、自分は何をしたかったのか・・・・・。自覚しているのは、ただ、リオを帰したくないと思った事だけだ。それがどうしてなのかと怜は悩む。そんなに自分は人恋しかったのか・・・・・?
 そして、散々考え込んだ挙句、「そうか」と安直な結論に達した。俯いた状態から頭を上げる。

まってんだ、オレ。)

 大体いつも、自分の部屋に女を招き入れてそのまま何もしないで帰したという前例が無い。いくら相手がリオでも一応女だ。それにリオは、少年のようなその無邪気な立ち振る舞いとは裏腹に、体付きばかりが成熟した女を感じさせるものを持っている。こちらが変な気を起こしてしまっても、それは男として自然の道理というものだ。実際、自分は以前リオを押し倒した経験もあるわけなのだし・・・・・。怜は独りで頷きながら納得する。
 だが、これでリオが変に構えてしまい、自分との距離を置くようになったらどうすればいいのか。せっかく元通りの関係に戻れたばかりだというのに・・・・・。

(あぁ・・・。何やってんだ、オレ・・・・・、マヌケすぎ。)

 怜はうな垂れながら力無く玄関のドアを閉めた。

 怜と別れてから、リオは独り街頭に薄く照らされた夜道を早足で歩いていた。
 さっきの怜の行動が頭から中々離れない。今まで怜に抱きしめられた事はあった。だが、それは自分が泣いて落ち込んでいる時に、慰める目的で軽く抱き寄せられただけだ。さっきのように理由も分からずきつく抱擁されたのは、一年生の時に視聴覚室で怜に押し倒された時以来だった。
 リオと怜の間で、もう、あのような事はタブーだというのが暗黙の了解だった。だが、さっきの怜は何かが違った。いつになく妙に切迫したものがあった。そして、何よりも増してリオを動揺させたのは、背中に感じた怜の異常なほどに上昇した体温だった。
(へんなの・・・・・。)
 リオはぼんやりと頭を悩ませながら、重い荷物を両手に抱えながら家路を急いだ。

 自宅マンションの前まで来ると、見慣れた赤いスポーツカーが停まっているのが見えた。
「あれ・・・・・?」
 リオが目を凝らすと、ルイが車に寄りかかって煙草を吹かしている姿が見えた。ルイはすぐにリオに気付いて軽く手を上げた。目を丸くしたリオが小走りでルイに駆け寄る。
「ルイ・・・・・?どしたの?・・・・・メールくれた?」
 ルイは口元だけに微笑を浮かべ、なぜかほっとしたようにリオを見る。
「いや、別に・・・・・?ただ、リオに会いたくなっただけ・・・・・。何となく。」
 そう言うとルイはゆらりと近づき、倒れるようにリオに抱き付いてきた。
「い・・・・・、あ・・・・・、ルイ・・・・・?ちょっと・・・・・。」
 確かにルイはよくリオの体に触ってはくるが、これほどまともに抱き付かれると、リオの方も少々動揺してしまう。ライブの直後だとか、酒に酔った時といったタイミングでないとインパクトが強すぎる。
「いつから待ってたの・・・・・?」
 ルイの胸の中でリオがぼそぼそと聞く。
「さあ・・・・・、分かんねぇ・・・・・。」
 ルイは目を閉じて、疲れを癒すかのようにリオを抱きしめている。すぐに、リオはルイの胸を手で押して離れてから言った。
「すごい体冷えてる・・・・・。車の中で待ってれば良かったのに。」
 見ると、足元に煙草の吸殻が五、六本は落ちていた。一時間以上はこうしていたのではないだろうか。
「いーの。ぼーっとしてたかったから。それよかリオ、腹減ってねぇ?」
 そういえば、少し空腹感があった。
「サンドイッチ、一切れ食べただけなんだ。」
「そうか、じゃ、どっか飯食いに行こうぜ。ドライブがてら。」
「・・・・・うん。」
 リオは嬉しそうに頷いた。ルイはリオの荷物を受け取り、手早く車に積み込んだ。

「・・・・・怜んとこ行ってたんだろ?」
 運転をしながらルイが言った。
「そう。マルチがあったから音いじって遊んでたの。」
「・・・・・ああ、あれね。お前らそういうおもちゃがあると止まんねぇーよな・・・・・ところで、何食いたい?」
「うん・・・?太るもの。リオ、何か疲れちゃったから車の中で食べたいな。こんな時間に制服だし・・・・・。」
「制服、新鮮。リオの足は制服じゃないとめったに見らんないし。・・・・・足、寒くない?」
「うん。大丈夫・・・・・。」
 
 ルイの赤い車はリオを乗せて、そのまま目的地も決めずに何となく走り続けた。途中、ファストフード店で油の多そうな食べ物を買い、大規模な市営の総合公園の駐車場に辿り着いた。そこは、遊具は勿論、グランド、庭園、マラソンコースなど一通り揃っていて、池や小高い丘などの人工の自然が溢れている。中をゆっくり一周するだけでも一時間はかかりそうだ。
 リオとルイの二人は、車を降りて樹木の茂る広々とした道を並んでぶらぶらとあてもなく歩き始めた。途中、滑り台などの遊具が充実した子供向けの広場を見つけ、そこのブランコに腰掛けて買って来たものを食べる事にした。夜なので、もう子供はおろか人の姿すら見当たらない。

「これ、おいしいよ。ルイも食べる?」
 そう言ってリオは、照り焼きチキンと生野菜を包んだタコスを両手でルイの口の方に持っていった。ルイは無造作に口を開け、リオの顔をじっと見ながらそれを口にした。そんなルイの目を近くで見ると、リオは少しだけ心臓の鼓動を早めてしまう。
「・・・・・うん。なかなかいけるじゃん。」
「でしょ?」
 リオは太るために、買って来たものをノルマのように強引に口に運んだ。元々リオは、食欲が落ちる前から痩せすぎを気にしていた。それがさらに細くなってしまったのだから、本気で何とかしなければいけない。

「あれで、遊ぼうぜ。」
 食事が終わると、ルイは目の前の長い滑り台を顎でさして言った。
 二十メートルはあるだろうか。その滑り台は小高い山に沿うように設置されており、山を下るような向きで滑走路が蛇行している。
「ぎゃあぁ・・・・・。」
 リオはルイに抱えられるようにして、その金属で囲まれた狭い坂道を二人して奇声を上げながら滑った。滑走路にローラーが付いているので自然とスピードが出る。
「もう一回っ。」
 二人は味を占めて何度かそれを繰り返し、それに飽きると今度は他のアスレチック風の遊具を次から次へと制覇していった。
「たまには面白いね、こういうのも。」
 リオが息を切らしながら言った。
「ああ。何か子供の頃に戻ったみたい。・・・・・次、あそこな。」
 ルイが指さしたのは木で出来た犬小屋のような小さな家。赤い屋根に窓まで付いている。大人四人も入れば窮屈になるようなスペースだ。中に備え付けられた椅子に座った状態でも天井がすぐ頭の上にある。
「ここでおままごととかすると楽しそうだね。」
「ああ、リオの大好きなおままごとね。」
 意味ありげに馬鹿にした言い方をするルイを、リオは軽く睨む真似をしながら抗議する。
「・・・違うっ、リオがやるんじゃないよっ。ちいちゃい子がやったらいいだろうなって意味っ。」
 ルイは鼻で笑いながら、隣に座っていたリオの体の方にさりげなく倒れ込んだ。そして、自分の頭をリオの膝の上に置いた。
「ちょ、ちょっとルイっ。こら、何やってんのっ。」
 リオが少々取り乱しながら、目を閉じて自分の膝でくつろいでいるルイに向けて言った。
「・・・・・いいじゃん。リオ、オレのママなんだろ?ママ、ぼく疲れた。ママの膝でちょっと休ませてー・・・・・。」
 ルイはいつものふざけた口調で言ったが、本当に疲れているように見えた。ルイがあまりに心地良さそうに目を閉じたので、リオは黙ってその頭にそっと手を添えた。そのまま優しく撫でてみる。初めて触ったルイの髪の毛は思っていたよりもさらさらと柔らかだった。ルイの髪の毛は顎の辺りまで無造作にストレートに伸びていて、その下の二十センチくらいは段を入れて毛先をぎざぎざにすいている。金髪だったカラーは先日、ベージュと薄茶のしましまメッシュに更新された。ルイは大体三ヶ月周期で髪の色を変えている。

「・・・・・リオの膝、あったかくて気持ちいいな・・・・・。」
 ルイが、目を瞑ったまま寝言のように呟いた。リオはルイを見下ろしながら、その頭に向かって穏やかに言葉を落とす。
「寝てもいいよ。今日はリオが寝かし付けてあげる。」
 そう言うと、ルイからほんの少しフフっと笑う声がした。
 秘かにリオは、目を閉じたルイの顔を間近で遠慮無く観察する事を楽しんだ。ルイの鼻は細い筋が通っていて高くとがっている。唇はどちらかと言うと薄めだ。大きめな尻上がりの目は、濃いまつ毛に細かく縁取られている。

 リオは、そんなルイの中性的ともいえる整った顔に思わず見とれた。そして、無意識に手を伸ばすと、ルイのその形の良い唇に指先でそっと触れてみた。すると、ほんの少しだけルイの体がぴくんと反応した。それでリオはふいに我に返った。
 慌ててリオが手を引っ込めようとすると、素早くその手をルイに捕らえられた。リオが僅かに狼狽する。
 ルイはゆっくりと目を開けると、掴んだリオの手を再び自分の唇に持っていき、軽く突き出した唇をその手に押し当てた。そして、リオの手を握ったまま再び静かに目を閉じた。


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