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39・・・ルイと・・・その2
「怜、どうしちゃったの?」
 ミカがわずかに苛立った声を上げた。
 そのころ、怜の住むアパートの一室にはベッドの上で裸で重なり合う怜とミカの姿があった。
「わりぃ・・・・・。なんか・・・、調子出ない・・・・・。」
 どういうわけか今夜怜の下半身の勢いは今ひとつで、途中で仕事を中断せざるを得なかった。
「疲れたのかな・・・・・。」
 そう言うと怜は、仕方無しに他の方法で何とかしてミカの欲求を満たそうとした。
「・・・もう、いいよ。」
 ミカは小さく溜息を付くと、自分の足の間にあった怜の頭を押しやった。そして一人で後始末をすると、起き上がって下着を付け始めた。
「・・・・・帰んの?」
「うん。」
 怜も起き上がって下着を穿いた。上着を着ながらミカに言う。
「送るよ。」
「別にいい。」
 ミカは片足をベッドの上に乗せて手際よくストッキングを細い足に滑らせていく。
「終電もうすぐだぜ。」
「いいの。何とかなるから。」
 ミカは怜の視線を一切無視して答える。さっさと支度を終えたミカは、ブーツを履きながら怜に背を向けたまま言った。
「今日の怜、変だよ。」
 とっさに怜は、オレもそう思う、と言いそうになった。
「おかしいよっ。変すぎっ!」
 ミカは強い口調でそう言い捨てると、バタンと音を立ててドアを閉め瞬く間に怜の前から消え失せた。こつこつというミカの靴底の音だけが虚しい音を立てて遠ざかって行く。

 後に残された怜は独りベッドに仰向けになって煙草をくゆらせた。
 大して集中はできなかったものの、一度目はとりあえずうまくいったのだ。でも、いつも通りの回数をこなさないとミカは不満らしかった。怜にしてみても、今夜のベッドの中のミカからはいつもと違う激しさが感じられた。
 怜はふと思い出した様に起き上がって、枕元に置いた携帯電話を見て確認する。家に着いたらメールをするようにリオに言っておいたはずなのに、未だに着信履歴には何も無い。酔っていたのでそのまま寝てしまったのだろうか。心配なら電話をしてみればいい。なのに、なぜか今日の怜にはそれが出来なかった。

 怜もリオの兄役を受け持っているとはいえ、あまりにプライベートな事にまで口出しをする権利も無い。お互いに特定の相手がいる訳だし、何よりも二人は本当の兄妹という訳でも無い。いわば、ごっこ遊びのようなものだ。だが、今夜の状況はどうしても怜の不安を掻き立てられずにはいられなかった。
 怜の頭にある不安要因はこれだ。顔に痣ができる程優弥に殴られて、そして今日リオはまるで優弥が浮気でもしたかのような言葉を吐き、ルイの胸で泣いていた。その後大酒を飲んで酔っ払い、そのまま、一度リオに手を付けようとしたルイと二人きりで帰ってしまった。しかも深夜を迎えた今になっても帰宅したという連絡も無し・・・・・。

 怜は深い溜息をキャメルの煙に混ぜ込んで大きく吐き出した。何度打ち消しても脳裏に浮かんでくるのは、ベッドの上でルイに組み敷かれたリオの姿だ。パターン1はルイに無理矢理押さえ付けられて泣きながら犯されているリオ。そしてパターン2は、リオがルイに腕を回し、苦悶の表情の中にも悦楽に浸りきった艶のある顔をしているリオ。
 未だ見た事も無いリオを、怜は勝手に想像の世界で作り出す。そんなリオの姿が、怜の意に反して頭の中でひっきり無しに映像化されて行く。

 そのうち怜は、体中の血が下流の川の流れの様に絶え間無く下半身に向かって行くのを感じた。怜は下着の中を覗き込むと、今更準備万端に整った自分の下半身に向かって言った。
「おっせぇよ。」
 仕方なく怜は、十分に血液の溜まった体の一部を握り締めると、目を瞑ってゆっくりと動かし始めた。
 瞼の裏に浮かぶのは、大きな目に涙を溜めて自分を見つめるリオの顔。思い出すのは、自分の胸に収まった時感じたリオの肉の感触、柔らかな髪・・・。そして今しがた自分の作り上げた秘蔵映像からルイの姿だけを削除して再生する。
「リオ・・・・・。」
 ほどなくして怜のひそかな営みは結果に至った。小さく息を整えながらほの暗い闇の向こうの天井を虚ろな目で仰ぐ。ふと、部屋の中が苦い臭気で満ちているのを感じて辺りを見回すと、いつ落としたのか、ジュータンに短くなった煙草が焦げを作ってくすぶっていた。
「げっ。」
 怜は慌てて起き上がって煙草を揉み消し、焦げ付いたジュータンにペットボトルの水をかけた。火が完全に消えるのを確認すると、小さく窓を開け空気を入れ替えた。
 全てが片付くと、フゥと小さく息を吐いて怜はベッドに倒れこんだ。再び天井を仰いで感慨にふける。

「何、やってんだっ・・・・・、オレ。」

 怜は自嘲気味にそう言うと、再び携帯を掴んで目をやった。すると、いつ入ったのかミカからメールが届いていた。すぐに開けて確認する。
『 くたばれ シスコン 』
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
 怜は時が止まった様にそのメールに見とれてしまった。そして、「ハッ・・・」と一瞬笑い声を漏らすと、すぐに携帯をどこかに放り投げて布団を頭から被った。


 深夜一時を過ぎた頃、ルイとリオの二人は海沿いに建つ、「HOTEL WHITE DOLPHIN」と書かれたネオンの光る建物に車ごと入って行った。
「階段、足元、気を付けて・・・・・。」
 靴を脱ぐと、そう言ってルイは再びリオの肩を抱いた。
「大丈夫だよ。リオ、フツーっ。」
 リオは小さなバッグを前後に振りながら楽しそうに階段を上がる。そんなリオを見ながらルイは苦笑した。

 青と白に統一された室内は薄明かりの電球色で足元から照らされていた。ベッドカバーは青い海でイルカがたくさん泳いでいる。枕元を見ると、無数に連なるスイッチの後ろに、たくさんのイルカの人形がガラスウィンドウの中に飾られていた。
「かわいいーっ。」
 素っ頓狂な声を上げてリオがイルカのベッドの上にダイブした。そのままごろごろと左右に転がる。ルイは身を屈めて冷蔵庫を開け中身を確認していた。しばらく室内を物色してから二人は順番にバスルームを使った。

 ライブの時かいた汗と海岸を舞う塩でごわごわになった髪の毛を、リオは甘酸っぱい匂いのするシャンプーで丁寧に洗った。全身がすっきりすると、リオはバスタブに湯をはり液体入浴剤を入れて水面にたっぷりと泡を立てた。泡の中に身を沈め、しばし泡で遊ぶ。ふと二週間ほど前に優弥と一緒に入ったラブホテルですごした時間を思い出した。あの時も細長いバスタブの中に二人で向き合い、泡を飛ばし合って無邪気に遊んだ。そして泡にまみれながらそこでもう一度交じり合ったのだった。
 気が付くと、頭から流れ落ちた湯に混じって目の下にもぬるい水がこぼれていた。リオは全てを打ち消すように突然頭を左右に激しく揺さぶると、泡の中に頭から突っ込んだ。

「リオー、大丈夫ー?起きてるー?」
 ガラスの扉の外からルイのくぐもった声がした。バスタブの横にあるデジタルの時計を見ると、かれこれ三十分は経過していた。
「大丈夫。今出るよー。」
 りおは浴槽から出ると再び全身にシャワーを浴びて泡を落とした。

 それから十分ほどして支度を終えたリオが部屋に戻ると、ルイがベッドに寝そべって缶ビールをあおりながら携帯をいじっていた。先にシャワーを浴びたルイはリオと同じ色違いのバスローブを着ている。
 程よく酒が入ったルイの体は、いつにも増して妖艶な空気に包まれていた。戻ってきたリオがすぐ傍で立ち尽くしているのに気付くと、ルイはベッドの自分の体の位置をずらして、「来いよ」とリオに顎でしゃくった。リオはバスローブの重ねた襟元を片手で掴みながら恐る恐る近づくと、静かにベッドに滑り込んだ。

「すっげー待った。」

 ビールの缶を枕元に置きながら、ルイはゆっくりとリオを見下ろすように身を寄せて来た。
 視線を絡めたまま、ルイの顔がリオの顔に近付いてくる。急いでリオが言う。

「あのね、ルイ。リオ、一緒に寝てくれればいいの。」

 ふいにそう言われて、リオの頬にかけようとした手の動きが止まった。
「・・・・・・・・・・。」
「リオに添い寝してくれればそれでいいの。」

 ルイは心持ち目を見開き、じっとリオを見たまま言葉に詰まっていたが、すぐに口を開いた。
「お前・・・・・、ここまで来てそんな冗談が通じるとでも思ってんの?」
「うん。だってルイは今日、怜の代行でしょ?」
「・・・・・・・・・・。」
「お兄ちゃんでしょ?」
「・・・・・・・・・・。」
「リオ、ルイが優しい人だって知ってるよ・・・?だから今日はリオに添い寝して・・・?」
 リオはそう言ってルイに悪戯な笑みを向けた。やっとの事でルイが言う。
「お前・・・・・、チョ〜悪魔なやつだな・・・・・。」
「そーお?」
「そーお、じゃねぇよっ。」
 リオは布団で顔半分を隠し、目だけを出してルイを見てくすくすと笑った。
「しょうがねぇーなー・・・・・。」
 ルイは観念したようにリオの横に寝そべったまま、布団でリオを包むようにして上から腕で抱え込んだ。
「これでいい?」
「うん。」

 リオはわずかに笑みを含んだ口のまま静かに目を閉じた。ルイはリオに寄り添ったまま、片肘を付いてリオの頬にある大きな痣を見下ろしていた。
 少ししてから、リオの口が小さく動いた。

「ありがとう・・・・・。ルイ・・・、優しいね・・・・・。」

 そう言い終わると同時にリオの長いまつ毛の間から水がき出し、閉じた目尻から下に一本の線になって流れ落ちて行った。その水の流れは、ルイの胸をどうしようもないくらいに切なく貫いた。ルイの中で、熱いかたまりのような物が下の方からグッとせり上がって来る。苦しさにこらえ切れずルイは言った。

「リオ、ちょっとだけ、キス・・・・・、させて・・・・・。」

 リオは一度うっすらと瞼を開けてルイを見ると、再び静かに目を閉じた。ルイは壊れ物でも扱うようにリオの顔に左手を添えると柔らかく唇を合わせ、そしてかすれる程度に一度口先を動かした。目を開き、間近でリオと目が合うと、すぐにルイは顔を離してベッドに仰向けになった。

(・・・・・何やってんだ、・・・・・オレ。)

 ルイは我が身のあまりの滑稽さに、思わず声を出して笑いたくなった。だがその反面、心の片隅でひそかに安堵している自分もいる。ルイは、今夜リオを抱く事に対してなぜかどうしても抵抗があったのだった。

 ふぅ、と短く息を吐いてから、ルイは長い前髪をかき上げるようにして片手で額の上を押さえた。何となく見上げた空間に何か光るものを見つけて目を凝らすと、イルカの形をした透明のたくさんのプレートが、釣り糸のような物で天井からぶら下がっているのが分かった。青や黄緑のイルカたちはきらきらと光り、エアコンの風に煽られてくるくると回転している。
(白いイルカ、じゃねぇのかよ。)
 気が付くと、布団にくるまったリオが小さな寝息を立てていた。ルイは、群れをなして泳ぐイルカたちをぼんやり眺めながら、いつしか自分も深い眠りに落ちていった。