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38・・・ルイと・・・
「何、泣かしてんだよ。ルイっ。」
 ルイが階段の下を見ると、打ち上げ会場に向かおうとした明人が、リオを抱くルイを見上げて半分冷やかすように言った。その後ろにはクニや怜、他に対バンのバンドのメンバーも揃っていた。皆支度を終えて機材も抱えていた。

「また何か悪さしたかぁー?」
 クニも面白そうに言ったが、あまりにもリオの泣き声がうるさかったので、少し戸惑いを隠せずにいた。
「・・・うっせーよ。」
 ルイは鬱陶しそうに言ってから再びリオの様子を窺った。人が集まってきたので、リオは強引に泣くのを止めた。まだ無理があるのか、涙で濡れた顔をひどく歪めてしゃくり上げていた。

「・・・どうする、リオ。打ち上げ行くか?」
 ルイがリオの顔を覗き込んで、子供をあやす様に優しく訊ねる。
「・・・うぅっ、いっ、行くぅ・・・・・。」
「行くか?よし。じゃあ・・・、行こうっ。」
 リオの意外な返答に、ルイは気合を入れるようにリオの背中をぽんぽんと叩いた。そして他のメンバーに「支度するから先に行ってて」と言い、リオの手を引いて階段を降りた。その後姿を怜はさりげなく目で追いながら見送った。

「このままで行くわけにはいかねぇだろ?」
 そう言いながら、ルイは洗い立てのリオの顔に薄くメイクを施し始めた。打ち上げに行くとは言ったものの、リオは全く体を動かそうとせず、思考が止まっている様子だった。
「ちょっとガマンしろよ。」
 ルイの手が恐る恐るリオの頬の痛々しい痣の上にリキッドのファンデーションを伸ばす。リオがちょっと嫌な顔をする。
「痛いか?」
「・・・ダイジョブ。」
 ルイは丁寧にリオの痣を隠し終えると、次に黒のアイラインも細く入れた。そして、マスカラを付けようとして思い直したように手を止めた。リップを塗り終え、リオに尋ねる。
「どお?」
「・・・・・はたちのお姉さんに見えるかも・・・・・。」

 鏡に映った変身した自分を見て、リオは赤い目を少し輝かしてそう言った。ルイはリオよりも断然メイクがうまかった。ルイの話では、付き合っていた彼女が同じ専門学校のヘアメイクコースだったので、メイクはその子に教えてもらったという事だ。
 そして、改めて自分の仕事の出来栄えを見て、
「・・・もうちょっと目が腫れてなかったらもっと良かったのにな。ま、いっか。飲みに行くだけだし。」
 そう言うとルイは、リオの目をじっと見据えながら静かに顔を近付けていった。リオは全く動かず力なくルイに視線を向けている。今にも唇が触れそうになったところでルイは静止した。
「・・・行こうか。」
「うん。」

 二人が打ち上げ会場の居酒屋に着くと、怜が立ち上がってリオを出迎えた。
「リオ、無事に来たかっ。」
「・・・何だよ、それ。オレが拉致るとでも?」
 ルイが不満げな声を上げて口を尖らすと、「当然じゃん」とその場にいたクニと明人を中心に笑いが起こった。その場には他に怜の彼女のミカと、クニの彼女の加奈、それに対バンのメンバー四人と数人の女の子が座っていた。

 リオはルイと並んで座り、一人黙々とフライドポテトを食べながらグレープフルーツサワーをひたすら飲み続けた。途中で対バンの誰かがリオに話しかけてきたが、ルイが強引に話に割り込んでリオに代わって勝手にしゃべっていた。
「あれ、お前、珍しくあんま飲んでねぇじゃん。」
 ビール一杯しか頼んでいないルイに向かって明人が言った。ルイは食べるだけで、周りと適当に会話しつつもリオに付きっきりで世話ばかり焼いていた。

「怜、怜っ、聞いてるっ?」
 隣にいるミカに呼ばれて怜はハッとしてミカの方を向いた。
「あたしの話聞いてる?それに、何であたしに背中ばっか向けてんの?」
 そう言ってミカが怜の向けた視線の先を見ると、呆けた顔でグラスを口にするリオと、それを頬杖を付いて見守るルイの姿があった。ミカはビールを片手に言う。
「大丈夫だよ。何で泣いてたのかは知らないけど、リオちゃんの事はルイ君に任せておけばいいじゃん。」
「えっ・・・・・。」
 ミカの鋭い指摘に怜は少し冷や汗をかいた。自分自身もさほど自覚していなかった今の心境を、ミカはいとも簡単に的確に言葉に変えた。女は怖い・・・。怜がそんな事を思いながらテーブルにあったキャメルを一本咥えると、すぐにミカの手が伸びてきてライターで火を点けた。怜はミカの顔を避けて斜め上を向いて煙を吐き出す。白く濁った空気を眺めながら、怜はさっきライブハウスの階段の下で聞いてしまったリオの言葉を思い出した。

『優弥には自分しか見えてないと思ってたっ』
 どう考えてもリオに対する優弥の裏切りを意味する言葉だ。
(アイツが浮気って事?信じらんねぇ・・・。)
 怜から見ても、優弥がそんな事をするようには思えなかった。リオの言う通り、優弥はリオの事でいつも頭が一杯という印象だった。所詮優弥も自制の効かないオスでしかなかったのか。それとも、たまたま魔が差してしまったのだろうか。
 結局どちらの理由も大差は無いようだが。

「リオ、ごきげんで〜しゅっ!」
 店を出るとき、ルイはかなり酔いが回っているリオを支えながら歩いた。リオの声はいつもより1オクターブは高かった。
「オレ、こいつ送ってくから。」
 それを聞いて怜の顔が引きつるのを見て、ルイが勝ち誇った様に言った。
「お前はミカちゃんと一緒だろ?兄の役は今日はオレが代わってやるよ。オレはろくに飲んでねぇから安心しろ。」
 そう言ってルイはよたよたしているリオの肩を抱き寄せた。怜の横ではミカがそうだと言わんばかりに怜の腕に両手を絡めた。確かに今夜のルイは、今いる人間の中で一番まともな状態だ。どうすることも出来ない怜は黙るしかなかった。だが、別れ際、ミカがトイレに行くと言って自分から離れた隙に、怜はルイに素早く近寄ると声を殺して言った。

「お前・・・、リオに何かしたら許さねぇぞ・・・。」
「しねーよっ。こいつが嫌がる事は。」
 ルイはいたって明るくそう言う。怜はルイの言った最後の「こいつが嫌がる事」が引っかかってしょうがない。優弥が浮気したかのような事を言って泣いた後、こんなに酔った状態で無茶な考えを起こしはしないだろうか・・・。怜はぐでんぐでんに酔ってだらしなくルイに体を預けるリオを不安げに見下ろした。

「さあ、どこに行く?姫。」
 怜から解放されたルイはリオの肩を抱きながら軽快に訊ねる。リオも悪酔いしているというよりは、本人の言う通り返って機嫌がいいように見えた。
「海ぃ〜っ!」
「海?・・・オーケー。今日は金曜だし、族もいねぇかな。」
 ルイはリオを連れて電車に乗ると、まずは自分のマンションまで車を取りに行った。マンションまでの道を歩きながらリオがルイに話しかけた。
「専門学校でルイは何を勉強してるの?」
「オレ?オレはファッション。服をデザインして作るの。」
「へぇ・・・・・すご〜い。もしかしてルイのかっこいい衣装はみんな手作り?」
「まぁね、だいたい。・・・今度リオのも作ってやるよ。」
「ホント?」
「あぁ、だから今度体のサイズはかんねぇとな。」
「・・・・・・・・・・。」
 動きの鈍い頭でじっと考えこんでいるリオを見ながら、くすりとルイは笑った。

 助手席にリオを座らせて数十分走らせると、赤いスポーツカーは暗い海岸に難なく辿り着いた。
「着いたぜ〜。」
「わーいっ。」
 リオはすぐに車を降りると、砂浜に続く階段を一人でさっさと上って行った。足取りが頼りない。ルイは慌ててドアをロックしてリオを追いかける。とたんに、
「さ、さみい・・・・・。」

 ほとんどアルコールを口にしていないルイに真冬の海の寒さはこたえた。風がびゅうびゅうと音を立てて吹いている。極寒の二月の真夜中に真っ暗な海岸にやってくるような馬鹿は、リオとルイの二人しかいなかった。リオはルイの手を引っ張り、歌を歌いながら砂浜を千鳥足で歩いた。途中、波で足元をすくわれそうになるとルイにしがみつき、声を上げてはしゃいだ。
 リオの長い髪が風にあおられてさらさらと舞う。乱れる髪を押さえながら口を大きく開けて無邪気に笑うリオを見て、ルイは胸を締め付けられるような感覚を覚えた。楽しそうにしてはいるが、今、リオの心中などんなものか。それを考えると、ルイは素直に笑い返すことが出来なかった。

 突然、転びそうになったリオを、ルイはとっさに腕を伸ばして抱きとめた。回した手が捕らえた腰のあまりの頼りなさに、ルイは密かに溜息を漏らした。
 腰を抱かれたまま、リオはルイの首に両手を絡め、その胸に頬を寄せた。再び顔を上げると、酒に酔った潤んだ目でじっとルイを見つめた。思わずルイが息を呑む。そしてリオは、ねだるような甘えた声で囁いた。

「ルイ・・・・・、今日は朝までリオと一緒にいて・・・?」

 風に煽られて、金色の長い髪がルイの目をすっかり覆った。前髪の隙間からうかがえるルイの目は、リオを映しながらも遠くを見るように無感動に光っていた。

「・・・・・あぁ。」

 ルイの声は、まるで台本を読むような調子だった。そして、艶やかなリオの頬に右手を添えると、静かに目を閉じ目の前の唇に柔らかく口付けた。