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37・・・ライブで
 午後七時。前座のバンドの演奏が終わり、Bloody Dollsの出番がやってきた。リオがBloody Dolls に入って三ヶ月。今日のライブで演奏する曲の半分はリオが書いたものだった。今日はキャパ100パーセントの客の入り。客電が落ち、Bloody Dollsのメンバーがステージに現れると、女の子の黄色い声が口々にメンバーの名を呼んだ。そんな声援にルイが二本の指を立てて投げキッスでこたえると、女の子たちから「キャ〜!!」という狂ったような雄叫おたけびが上がった。
 SEが鳴り終わり、怜が一曲目の出だしのリフを刻み始めると、客席から新たな歓声が沸き起こった。そして楽器隊の音が一緒になったところで、オーディエンスは一斉に拳を振り上げヘッドバンキングを始めた。
「飛ばしていくぜ〜っ!!」
 ルイのMCが入り、オーディエンスはさらに熱を増す。リオは会場の熱気を全身で浴びながら、激しく頭を振りギターをかき鳴らす。足の裏を震わせる轟音が体中を駆け巡り、リオの血を沸沸ふつふつたぎらせて行く。オーディエンスの興奮が渦を巻き、吹き上がってはリオの頭上に打ち突ける。

(気持ちいい〜っ・・・・・。)

 間奏に入り、怜とリオのツインギターはリズム隊をバックにユニゾンでリフを刻み始めた。ルイが後ろに下がったところでリオは怜の横に歩み寄り、目の前に向き直って怜の顔を覗いた。怜もそれに気付き、すぐに目が合った。二人は不敵な笑みを浮かべ、しばし見つめ合ったままリフを刻む。
 リオは先日怜に言われた言葉を再び思い返した。

『オレとお前がタッグを組めば、最強だろ?』

(そうだよね、怜・・・・・。)

 ユニゾンの部分が終わると、リオと怜は別れて立ち位置を変えた。怜がギターソロを弾き、その次はリオにバトンが渡される。リオはステージ前方に進み出るとモニタースピーカーに片足を乗せ、頭を小さく揺らしながらソロを奏でる。そして、最後のアーミングで首をらすと、そのまま何かにかれたように目を閉じた。
 ほんの数秒間、リオは独り自分だけの世界にひたる・・・・・。

 今、自分はここにいる・・・。この音の中でリオはギターを弾く・・・。弾き続ける・・・。
 リオはそう自分の胸に刻み付ける。

(リオ、忘れないよ。今のこの瞬間を忘れないよ。そのために、強くなるよ。独りでも大丈夫になるんだ・・・・・。だってリオはBloody Dollsのギターだもんっ・・・・・。)

 振り上げられた拳の群れに紛れて汗のしぶきが飛び散る。たくさんの頭が揺れる・・・、飛び上がる・・・。オーディエンスの熱は冷める事なく、ラストの曲まで歓声は途絶えなかった。

「お疲れーっ。」「お疲れ様ー・・・。」
 ライブが終わってバンドのメンバーが楽屋になだれ込んで来た。ライブ直後は皆テンションがなかなか下がらず、特にルイはいつもまでも奇声を発しながら、メンバーに抱きついて絡んでいる。今日のライブはトータルで、メンバー全員が満足のいく出来だった。
 怜がリオを引き寄せて首に腕を絡めながら言った。
「妹っ、お前今日もいい音出してたっ。」
「うん。怜もね。」
 リオは怜の顔を間近に見ながら笑顔で言った。
「お疲れ様・・・。」
 その声の主は、リオと怜の空気を割るようにして二人の目の前に突然現れた。怜の「彼女」と呼ばれる女子大生のミカ。二人にとっては突然の登場に見えても、ミカの方はさっきからずっとリオと怜の姿を目で追っていた。ミカの口元は微笑んではいたが、目には少し違う表情があった。それを察してリオは、さりげなく怜の腕を自分の首から解く。怜は多少バツが悪そうに笑いながら、「サンキュ」とミカの差し出したタオルを受け取った。

 リオは一人トイレにこもり汗を拭いて着替えを済ますと、メイクを落として個室の外にある洗面所で顔を洗った。目の前の鏡をじっと覗き込むと、化粧をとって顕わになった頬の痣が痛々しい。いつもはライブの帰りは素顔で帰るのだが、今日は来る時同様ファンデーションをしないといけないようだ。リオがそんな事を考えていると、鏡の中の自分の横に別の顔が映った。
「何だよ、それ。ひっでー顔ー。」
 ルイは険しい面持ちでそう言うと、リオの顎を掴んで自分に向かせた。
「・・・・・ついでにここも。」
 リオは、ふざけたようにそう言うと、長袖シャツの裾を捲って腹部にある痣も見せてやった。十センチ四方ほどの面積がやはり青くなっている。その下も同じような状態だがジーパンで隠れて見えない。
「・・・・・何だよこれ・・・・・。」
 ルイは顔をしかめてリオの腹部を指で滑らせる。「くすぐったいよ」とリオが笑いながら身をよじった。
「オレのせいか・・・・・?」
 ルイは眉根を寄せた顔をリオに向けながら言う。
「別に。そんなことないよ。・・・・・てゆーかどうでもいい・・・・・。」
 とたんに無表情になったリオはルイの胸を軽く手で押し退けると、脱兎のごとくその場を後にした。背後からルイの「リオっ」と呼ぶ声が聞こえた。

 スタッフ用の出入り口の扉を開け、狭い通路を駆け抜けて小ぶりな階段を上る。金属性の重い扉を両手で押すとリオは夜の冷たい空気に触れた。今日二度目の逃走だった。
 ふいに小さな歓声がリオの耳に届いた。少し離れたところに、ライブに来ていた客らしき数人の女の子がリオの姿に目を凝らしていた。その中の一人が、髪型と背格好で判断したのか、「なーんだギターの子か」という言葉を漏らしてつまらなそうにリオから後ずさった。視線から開放されると、リオは一息付いてから何気なく僅かに歩を進めた。

「・・・リオちゃん?」
 そう呼ばれて、すぐ傍に誰もいないと思い込んでいたリオはハッとして声のする方を向いた。
「はい・・・・・。」
 リオの目に映ったのは真っ白なハーフコートに身を包んだ真っ白な女の子。コートの襟周りには毛足の長い滑らかそうなファーがふわふわと惜しみなく付いていた。女の子の体は小学生の様に小さく、大きな瞳と小さな丸い口が愛らしい。イメージは白うさぎだ。誰だろう。同級生ではないはずだ。でも、いつも会っているような印象もある。リオは目をしばたかせながらうさぎをじっと見た。すると、うさぎは自ら素性を語り始めた。
「私、星野麻里江。聖エレナ女学院高等部二年。優弥君のピアノの先生の子供だよ。・・・優弥君から聞いてる?」
 リオは二回ほどゆっくりまばたきをすると首を横に振った。一気に説明されてリオはかなり苦労して頭を働かせた。だが、ほとんどそれは脳に反応をさせずにあいまいな記憶としてリオの中にとどまった。

「じゃあ、優弥君が私とした事は?」

「・・・・・・・・・・えっ?」
 
 その時、リオが出てきた扉が小さく開いた。再び外から小さなどよめきが起きる。それを聞いたルイは、顔を出さずに狭く開いた扉の隙間からざっと外の景色を見渡した。すると、すぐ目の前にリオが白い服の女の子と対面しているのが見えた。友達が来てたのか。そう思いルイは少し安堵して元来た場所に戻ろうと扉を閉めかけた。その時、リオじゃない方の声がルイの耳に入ってきた。

「私、優弥君とエッチしたよ。」

 ルイはドアノブに向けていた視線を再び外にやった。その声は続く。

「聞いてないんでしょ、やっぱりね。そんな事だろうと思った。」
 
 凍りつくリオの反応を見て麻里江は勝手にそう判断する。

「この前の大雪の日にね、優弥君うちに泊まったの。その時にね、優弥君お酒飲んで酔っ払って私に襲い掛かってきたの。びっくりしたけどしてあげちゃった・・・・・。優弥君とは昔から仲良しだし、好きだったから・・・・・。」

 そう言うと麻里江は優雅に微笑んだ。リオの顔を見ているだけでこんなにも楽しい。いつも視界に入るだけでうんざりしていたこの顔が、今は麻里江にこの上ない快感を与える。

「うそ・・・・・。」
 やっとの事でリオはそう口に出した。
「うそじゃないよ。優弥君言ってた。リオちゃんと付き合ってると、いつも不安でいっぱいになるんだって。」
「・・・・・・・・・・。」
 その時、リオの顔に生じた変化を確認して、麻里江は突然胸を針で刺されるような感覚を覚えた。すぐに下を向き、
「・・・・・それだけ・・・・・。」
 そう言い捨てると麻里江はくるりと背を向けて、黒いエナメルのバッグを片手に逃げるようにリオの前から消えた。

 ルイはドアノブに手をかけたまま、一人になったリオの背中を斜め後ろからじっと見守っていた。直立不動のまま、両手を左右にだらしなく垂らしたリオの姿はいつもより小さく見えた。リオが動く気配は一向に感じられない。しびれを切らしたルイは大股に二、三歩進み出ると、リオの腕を掴んで強引に扉の中へ引っ張り入れた。突然の事にリオは驚く風でもなく、転びそうになりながらもルイに促がされるままに屋内に収まった。どよめく外の喧騒に蓋をするように扉を閉め、ルイはリオに向き直ってリオの顔を正面から正視した。リオは生気を失った様に白い顔で、ただ涙だけがリオの見開いたままの目から別の生き物のように勝手に流れていた。

「リオ・・・・・、しっかりしろ・・・・・。」
 ルイはリオの頬を両手で包むと、すぐに手の甲で塩辛い水を拭ってやった。でもそれはきりが無くリオの頬を濡らし続ける。
「ごめんな・・・・・。」
 ルイはそう擦れた声で言ってからリオを抱きしめた。目を閉じてリオの髪の毛に頬を擦り付ける。
「オレが悪かったんだな・・・・・。」
 するとリオは、ルイに真っ直ぐ抱かれたまま無感動な響きで声を発した。
「ルイ・・・・・。」
「うん?」

「あたし・・・・・、優弥にはあたしだけなんだと思ってた・・・・・。」

 リオは顔を上げ、ルイの脇の辺りを両手で掴んでルイの顔を見上げた。涙が果てしなく流れ落ちる。

「あたししか見えてないんだと思ってたっ。」

「・・・・・リオ・・・・・。」

 ルイはもう一度リオの体を締め付けるように強く抱いた。するとリオは、息を吹き返したかのように突然「ふえぇぇぇ・・・・・」と声を上げ、顔を崩して泣き出した。ルイはリオを抱きながら、小さな頭を何度も撫でてやる。リオはルイの胸に顔を押し付けたまま幼子おさなごのように大きな声を張り上げて泣きじゃくった。

 ふと、ライターのふたの閉まるカチンという音が聞こえて、ルイはリオを抱いたまま音のする方に視線を落とした。すると、階段の下の暗がりで煙草をくわえて自分を見上げる怜と目が合った。怜は無言で目を細めて下を向くと、ふぅーと一回煙を吐き出してから、ルイとリオの二人に背を向けて、元来た通路をゆるやかな歩調で戻って行った。
*念ための用語解説*
ユニゾン→同じ音名の音を複数で奏でる。この場合、同じことをやっているよという意味です。


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