35・・・視聴覚室で、その3
放課後がやって来た。リオはカレンたちに、「優弥と話するから先に帰って」と言い、待ち合わせ場所の視聴覚室に向かった。
胃を締め付けられるような感覚に囚われながら、視聴覚室の扉を開いた。中には誰もいなかった。リオは、一番前の窓際の席に腰掛けて優弥の到着を待った。
窓の外を見ると、下校しようとする大勢の生徒たちが校門を出て行く姿が見えた。二、三分それを眺めていたら、扉が開く音とともに優弥が姿を現した。
「優弥・・・・・・・・・・。」
思わず立ち上がった。優弥は前髪を振り上げながら、肩で風を切るように歩いてくる。
優弥のリオに向ける眼差しは、二人の間に見えない壁があるのをしっかりと物語っていた。リオはたまらなくなり、突如走り寄って優弥の首にぶら下がった。いつもならすぐに腰に手を回してくれるのに、今日の優弥は棒立ちのままだ。
構わず唇を重ねる。そんなリオに、優弥はお義理程度に僅かに唇を動かしただけだった。
ふいに高まったリオの熱は、いとも簡単に冷却された。力なく優弥から身を剥がした。向き合ってしばし沈黙する。窓の外から何やら大勢の生徒たちが一斉にざわめくような盛り上がった声が聞こえた。それが落ち着いて静かになってから、リオは重たい口を開いた。
「リオ、Bloody Dolls、やめたくない。」
そう言うと、リオを見る優弥の片目の目じりが微かに動いた気がした。
「優弥とも・・・別れたくないよ。」
優弥はリオの目を見つめている。リオが続ける。
「ルイはもうあんなことしないよ。怜がよく言ってくれたから。それに、優弥にあんなことされて懲りたと思うし、もう絶対心配ないよ・・・・・。」
「だめだ。」
リオの言葉を切るように、優弥が言った。
「あのバンドはやめろ。言っただろ。やめねぇと別れるって。」
リオの顔が強張った。
「・・・・・やだ。」
それを聞いた優弥の目が、煙に包まれたときのように険しく細まった。
「そんなのひどいよ。リオ、あのバンド続けたいよ。ギター弾きたいよ。」
リオは目を見開き、語気を強めて優弥に訴える。すると優弥は、声のトーンを下げてゆっくりとリオに顔を近づけながら言った。
「お前・・・、俺の言うこと、聞けないの・・・・・?」
優弥の尋常でない様子を感じて、リオは後ずさった。とたんに、優弥の目が大きく見開き、急に火が付いたように口から怒声が発せられた。
「聞けないのかよっ!!」
そう叫ぶと、優弥の平手がまたしてもリオの頬を張り飛ばした。
よろめくリオを、優弥はそのまま体ごと床に押し潰す。と同時に、リオの制服を両手で無理矢理引き裂く様にして胸を開かせた。ブチブチっという音がして、ジャケットに続いてブラウスのボタンがいくつか弾け飛んだ。
「やめてっ・・・・・。」
あまりの勢いに、恐怖に脅えながらリオが手で抗うと、優弥の手が再びリオの顔を打ちつけた。すぐさま下着を上にずらされ、露わになった胸を優弥の手が引っつかむようにして揉みしだく。
「痛いっ。」
優弥の唇がリオの柔肌に押し当てられ、噛み付いてくる。
「やめてぇっ・・・・・。」
また叩かれる事を覚悟しながら、リオは必死で腕に力を入れて抵抗した。それでも結局どうにもならなくて、ぎゅっと絞ったリオの目尻にくやし涙が滲む。
いつもそうだ。どうして自分は女なのだろう。どうして力の強い男ではないのだろう。こんなの、余りにも理不尽だ。でも、そんなことよりも、今、とてつもなく悲しい・・・・・。心がえぐられたように痛い・・・・・。
リオは、剥ぎ取られそうになるショーツをがむしゃらに掴んだまま、叫んだ。
「こんな事したって、意味無いよっ!」
優弥の動きが止まった。動物の様な光を帯びてリオを見る。
「こんな事したってリオは何も変わらないよっ!」
リオはヤケクソになって叫んだ。すると、優弥は冷たく笑って、擦れた声で言った。
「どうして・・・・・?」
優弥の目の奥が一層野性味を帯びて、怪しく光る。
「いつだって俺が欲しいくせに・・・・・。」
体から手を離されて、リオは仰向けのまま肘を使って後ずさった。逃げなくてはいけない気がした。
「俺が一番大事だって言ったじゃねぇかよっ!」
そう叫ぶと、優弥は腕を高く振り上げ、丸めた拳をリオの頬目がけて飛ばした。その反動で、リオは弾けるようにうつ伏せに転がった。今までとは明らかに衝撃の度合いが違う。リオの体が恐怖で震撼する。
「何でだよっ!」
言いながら優弥は、リオの髪を掴んで自分に向けさせると、もう一度同じ場所にパンチを加えた。リオの頬骨に優弥の指の関節が食い込む。
「やめてぇっ・・・・・・・・・・。」
リオの脳が錯乱状態に陥る。優弥の攻撃を受けとめることだけで精一杯だ。無意識に顔を両腕で守る。すると、今度は腹部に鈍痛が走った。いつ立ち上がったのか、優弥の足が上履きごと勢い良くリオの臍の辺りに入った。痛みのあまり腹を押さえて猫のように丸まる。
(どうして?リオは優弥のことが大好きなんだよ・・・・・。
なのにどうして殴るの・・・・・?
どうして蹴るの・・・・・?
リオ、痛いよ・・・・・痛いのはキライ・・・・・。
いつもみたいに優しくキスしてよ・・・・・、
優弥・・・・・。)
リオが目の前で体を丸めて震えている。口から血を流して泣いている。蹴り込まれた腹を押さえて痛がっている。
(お前が俺の言うこと聞かないからだろ・・・・・?)
再び優弥は、リオが手で覆っていない下っ腹を蹴り込んだ。「うぅっ」とリオが苦痛に満ちた声を漏らす。リオは這って優弥の足元に震える手を伸ばす。そして、優弥の制服のチェック柄のパンツの裾を掴んで、ほとんど息だけで声を発した。
「やめて・・・、お願い・・・。優弥・・・・・。」
ふと、優弥の目に映るリオの姿がぼやけて消えた。代わりに映し出されたのは、幼い少年の姿だ。膝丈のパンツを穿いた小学生の優弥。マッシュルームカットの小さな優弥は泣きながら哀願する。
「やめて、お願い。お父さん・・・・・。」
頭を両手で抱え込みながらグランドピアノの足元に突っ伏する。
「殴らないで・・・・・。」
とたんに、優弥の体中をざわざわと何かが這い回るような感覚が襲った。と同時に、数え切れないほどの過去の記憶が映像となって蘇り、光を帯びながら走馬灯のように高速で駆け抜けていった。
自分に向かって飛んで来る父の拳。険悪な眼差し。怒声を発する大きく開いた口・・・・・。
とてつもないほどの吐き気が優弥を襲う。
おびただしい数のあらゆる感情が複雑に絡み合って交差する。それらは優弥の中で、次第にミミズのような長細い生き物の群れへと変容していった。それらはぐちゃぐちゃと忙しない動きを繰り返しながら、何かに集るように一つにまとまって行く。そして、表面が小さく波打つ赤黒い肉の塊を形成すると、次の瞬間、ブチっとあっけなく一変に弾け飛んだ。無数の蠢く肉片が、優弥目がけて飛んで来る。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
突然、視聴覚室が割れるような優弥のシャウトが轟いた。それは、嫌悪、恐怖、悲愴といったものが複雑に混じり合った、狂気の雄叫びだった。
尋常でない響きを聞きつけて、視聴覚室の扉が開き、早坂の姿が現れた。
「・・・・・優弥?」
早坂が優弥の姿を見つけると、優弥は立ったまま頭を抱え、身を屈めている。ふと、その足元を見ると、リオが死んだようにうつ伏せに倒れていた。
「リオっ!?」
後から入ってきたカレンが狂ったように叫びながらリオの元に駆け寄る。その後ろから松本と美羽が同時になだれ込んできた。
「リオ、どうしたの?何があったの?」
カレンがリオを抱き起こすと、ぐったりと目を閉じたリオの口元に血が滲んでいた。瞼にも少し切れた後がある。
「リオっ。」
カレンはリオを抱き起こすと、はだけた胸元を隠すようにして強く抱きしめた。そして、優弥を顧り見て、噛み付くように叫んだ。
「優弥っ、リオに何したんだよっ。ケガしてんじゃんっ。血ぃ出てるじゃんっ。お前それでもリオの彼氏かよっ!!」
そう言い終えると、カレンは堪えきれずに顔を歪め、声を押し殺して泣き出した。その光景を、早坂と松本が険しい表情で見下ろしている。美羽は両手を口に当てて固まっていたが、すぐに膝を付き、転がったリオの制服のボタンを泣きながら拾い集めた。
優弥は頭を抱えたまま独り震えていた。長い髪で隠れた優弥の頬から、幾度も幾度も熱い水滴が伝い落ちては床を濡らした。
「ひどいよっ。ひどいよぉ・・・・・。」
リオは朦朧とする意識の中、カレンの泣き声を子守唄のように遠くに聞いていた。視聴覚室に泣き音と少しの呟きだけが鳴っていた。
しばらくして、ゆらりと身を起した優弥は、早坂と松本の痛い視線を浴びながら、独り背を丸め頼りない足取りで視聴覚室から出て行った。
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