10・・・リオの過去
帰り際、リオは優弥を家に誘った。前にも二度ほど来たことがあったが、いつも散らかっていたのでリオの部屋には通さずリビングですごしていた。常に整頓された優弥の部屋を目の当たりにすると、リオは自分の部屋を見せるわけにはいかないと思った。だが今日こそはと思い、めずらしく掃除機をかけておいたのだ。
「おお!、初リオの部屋潜入っ。」
優弥は、少し興奮気味に言った。
リオの部屋は六畳のスペースの洋間だ。扉に沿って備え付けのクローゼットが横にあり、その正面には窓。左の壁際にはシングルベッド、向かい合わせの壁には本棚つきの勉強机があり、その横に小さめの引き出し付きの棚がある。家具は全てリオのママの趣味で白に統一されている。
棚の横にはアコースティックギターも合わせて三本のギターとアンプなどの楽器関係の機材が置いてある。カーテンは無地の濃い青色で、ベットカバーは白がベースの青を基本とした茶色などの混じった大きなドット柄だ。ジュータンはムラのある茶色で、その上にはやはり濃い青色のラグが敷いてある。電気は蛍光灯でなく電球なのでそのせいで少し部屋は暑い。でもリオはこの部屋が結構気に入っている。
「いいじゃん。一応、女の部屋って感じする。もっと真っ黒かと思ってた。カーテン、豹柄じゃないのな。」
優弥は興味深げに部屋の中を見回してそう言った。
「一応、ね。ベットカバーとかはママが勝手に選んだし、家具も小さいころから使ってたやつをそのまま持ってきたから・・。」
リオの両親は、リオが中学三年のときに離婚している。
リオは、高校入学と同時にこのマンションに母親と共に越してきた。リオの両親の仲があやしくなってきたのは、リオがロックを聴き出すようになった中学二年のころからだ。それまで共働きの両親の一人娘として普通に平穏な生活を送っていた。両親は、仕事で忙しいながらもそれなりにリオを可愛がって育ててきた。
そんなある夜リオが目を覚ますと、別室で争い合う父と母の怒声が聞こえた。その会話の中からリオは、父が自分を本当の娘なのかどうか疑っているという事実を知った。父は、「ずっと昔から疑問に思っていた」と言った。
そんな父の態度を目の当たりにしたリオは、今まで自分の中にあった父の愛情という名の砦が、ガラガラと音をたてて崩れ落ちていくように感じた。
さらに父の指摘から、母に恋人がいることもそのときに発覚した。
リオは父ばかりでなく母までもが、自分を邪魔に思っているように感じた。
自分は必要とされていない・・・。自分を守ってくれるものは何も無い・・・。
無意識にそう自覚するようになっていった。
ちょうどそのころリオは中学三年に進級し、クラスの友人の顔ぶれも新しくなった。
学校に行っても、リオの頭から家庭でのつらい思いが消え去る事はなかった。元々内向的だったリオは、人と交わる自信も気力も輪をかけて無くしてしまっていた。さらに、それに追い討ちをかけるかのように不良少女たちからのいじめ。色素の薄いリオは髪も瞳も茶色く、その容姿は昔から一際目立つものがあった。リオは不良たちに頻繁に呼び出されては、「目つきが悪い」などと因縁をつけられ校舎の裏で殴る蹴るのいじめを受けた。髪の毛を一掴み切られたこともあった。
確かに、リオは目つきが悪かったのかもしれない。その時のリオにとって味方は誰も無く、世界中でただ独り、先の見えない真っ暗な森の中をさ迷うように生きていたのだから。
全てが憎かった。全てが敵だと思った。
その思いが頂点に達したとき、リオは突然張り裂けんばかりの叫び声を上げて傍にあった机を持ち上げ、不良たちに向かって投げ飛ばした。学校での休み時間のことだった。一体どこにそんな力があったのか、涙を流し吼え狂うリオは、教室にあった机や椅子を片っ端から頭上に掲げては、自分をいじめた生徒たちに向かって投げ続けたのだった。そんなリオを、クラスの友達は黙って肩を寄せ合い、三歩下がって遠巻きに見物していた。
しばらくしてリオは、駆けつけた教師たちに取り押さえられた。不良たちの中にはリオの投げた机に当たって怪我をした者もいた。両親が呼び出され、ようやく娘の異変に気付く。そのとき、久々に両親の感心がリオに向けられたのだった。
その事件以来、不良たちからのリオへのいじめはなくなった。それどころか、かえってリオを一目置くようになり仲間にならないかと誘ってきた。でもリオはその中には交わらなかった。集団で人を傷つけるような最低な奴らの仲間にはならない、リオはそう思った。
それ以来リオは吹っ切れた。不良たちの前で爆発できたのが、リオにある種の自信と開き直りを与えのかもしれない。周囲がリオを奇異の目で見れば見るほど、リオは怖いものが無くなってしまった。
(あたしは独り特別な存在なんだ。)
そう思えるようになると強くなれた。リオは一人で我が道を歩むことにしたのだ。
両親は、その後しばらくリオの様子を気遣って争いも起さずにいたが、結局離婚した。
父親は家を出て行くときリオにこう言った。
「離婚してもパパはリオのお父さんには変わりはないから、何かあったらいつでも連絡してくるんだよ。」
リオは、「父親に捨てられた」という思いを自分の中から消し去ることができなかったが、父の言ってくれたことは嬉しかった。父親は細かい大人同士の事情は何一つ言わなかった。
リオの母は仕事を持ち、親権者として養育費も受け取らずリオを養っている。毎週決まった曜日に外泊をする。朝は起きてこないこともあるが、朝と夜リオと顔を合わせ食事をする。余裕のあるときは食事のしたくもしてくれる。高校生にもなったリオにはそれで十分だ。
でも、心の片隅にいつも隠れている小さな不安。自分がいると邪魔なのかもしれない、そしていつか母に捨てられる日が来るのかもしれない、というあり得ない不安。だからリオは、母の厳しい言いつけを守る。勉強もきちんと最低限する。門限も守る。問題を起こして迷惑をかけるようなこともしない。母に捨てられたくないから・・。せめて唯一の肉親である母とは繋がっていたい。ほんの少しでも自分を必要としてほしい。リオの心には、いつもその願いと不安がある。
結局リオは、やはり父の本当の娘ではなかったようだ。しかし、そのことについて細かい詮索はしなかった。そのときのリオはそこまで考える余裕は無かった。
リオは辛い思いもしたが、死のうとまでしなかったのは大好きな音楽があったからだ。両親のことで傷ついても学校でいじめにあっても、ギターをがむしゃらにかき鳴らすことで、その怒りを、悲しみを、激しい爆音とともに体外に放出することができた。リオにとってロックはエネルギーであり、また唯一の救いでもあった。
その後、母親は周りの目を気にしてリオに一つ隣のエリアの高校を受験するように薦めた。高校に何のこだわりも無かったリオは、引越しすることもあって新居に近い高校を母に言われるままに受験した。リオの引越し先と同じ市にある日の出台南高校は、リオを知っている生徒はものの見事にいなかった。新しい生活の始まりだった。
そして高校一年の新学期、優弥と出会い友達になった。バンドを始めた事をきっかけに、他にも友達がたくさんできた。リオの人生において、窮地を救ったのも音楽、新しい生活に光を与えたのも音楽だった。
リオは優弥に、今の家庭環境や自分の過去について一通り簡単に説明した。両親が離婚して、それからは母と二人きりで暮らしていること。父親が本当は違う人かもしれないということ。中学のとき不良たちに目を付けられいじめられたこと、そのとき爆発して反撃してしまったこと。それらのことを、リオは何気ない口調で要点だけを掻い摘んで淡々と説明した。
所詮、自分に起きたことは自分にしか分からない。人の気持ちなんて分かるわけが無い。中途半端な同情などいらないとリオは思った。
リオの話を、優弥はずっと押し黙ったまま下を向いて聞いていた。だから、優弥が泣いていることに気付いたのは、リオが最後まで話し終えたあとだった。優弥は膝を抱えてうな垂れ、長い前髪の間から涙を流して僅かに震えていた。
予想外の優弥の反応にリオは狼狽した。
「優弥・・・・・?」
俯いている優弥の顔を恐る恐る覗き込むと、ふいに優弥の手が伸びてきて、次の瞬間、リオは優弥の硬くて広い胸の中にすっぽりと収まっていた。
優弥は自分の腕で涙を拭いながら、リオの耳元で静かに言った。
「今はもう、リオは独りじゃねぇーよ。俺がいるから。」
優弥の腕の中で、リオがうっすらと目を開けた。
「これからは、リオに喧嘩売るヤツがいたら俺がボコってやる・・・・・。」
優弥は悔しげに、少し呻くようにそう言うと、今度はリオの頬に手を添えて、じっとその顔を見つめながら真顔で言った。
「俺がついてるって事、忘れんなよ・・・・・。寂しいときも、辛いときも・・・・・。」
そう言ってから、優弥はもう一度リオをきつく抱きしめた。その胸に、吸い込まれてしまいそうだった。
(・・・あったかーい・・・。)
リオは、優弥の体から発するいつもと違う柔らかな温もりを感じ取った。と同時に、何だか自分の中の、張り詰めていた糸がぷつんと切れてしまったような気がした。
「うん・・・・・。」
(もう、泣く時は独りじゃなくてもいいのかな。)
自分のために泣いてくれる人がいる。そんなこと、今まで考えたことがあっただろうか・・・・・。
いつも独りだと思っていた。それがあたりまえだと思っていた。でも、今は守ってくれる人がいる。勇気をくれる人がいる。抱きしめてくれる人がいる・・・・・。
「ふえぇぇぇ・・・・・・ん・・・・・。」
優弥の腕に抱かれながら、予定外にリオは声を出して泣き始めた。流れ落ちたのは、リオの心の奥の知らないところでひっそりと眠っていた秘密の涙だ。今、優弥に導かれて、それはせきを切ったように一気に流れ出した。独りでは決して流す事ができなかった。
「リオ、いっぱい泣けよ。枯れるまで泣いて、全部吐き出しちゃえ・・・・・。」
リオの体を強く抱きしめながら、優弥は優しく言葉を添える。
リオの傷ついた心が、優弥の力で温かく癒されていく。
リオは泣き止んだ後も、優弥の胸にしっかりと張り付いて、なかなか離れようとしなかった。このままずっと、優弥と一体になっていたいと思うリオだった。
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