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水娘伝(すいこでん)  作者: 文太
第四話 騒乱編
56/110

その十一 秦明、説得に失敗するのこと

「まずい知らせと、とってもまずい知らせと、とってもとってもまずい知らせの三つがあるんだけど、どれから聞きたい?」


その日、帰宅した秦明(しんめい)宋江(そうこう)を前に憂鬱な表情で開口一番、そう言った。


「じゃあ、マシな方から順にお願いできますか?」


「政庁に行ったけど誰もまともに私の話、聞いてくれなかった」


宋江の求めに対して秦明は端的に言い放った。


「それはなんとも……」


「色んな人にお祝いの言葉、言われてその度に否定していったんだけど、みんなそんな照れ隠ししなくていいですよーって言って会話を終わらせちゃうの」


(ひょっとしてこの人、いじられキャラ?)


そんなことを宋江が思っている横で秦明はどんよりした雰囲気のままで机に突っ伏している。


「誰に言ってもにこにこ笑顔を浮かべてるだけで、まさかぶち切れるわけにもいかないし、おまけに話を広めているらしい黄信(こうしん)は見つからないし」


秦明の言葉は報告というより愚痴に近いものになっていく。


「と、とにかくまあ、お疲れ様でした」


宋江がそうねぎらいの言葉をかけるとあぁ、うぅ、と意味のあるのかないのかわからない声が秦明の口から発せられた。


 これは後でわかった話だが、秦明の結婚相手がどういうわけか中々決まらないというのは青州(せいしゅう)の政庁内では結構有名な話であったらしい。そこにこんな話(噂では宋江はいつのまにか大商人の御曹司で文武両道の男という大分実像から離れた話になっている)が持ち上がったことで、ようやくか、とばかりに一気に広まってしまったらしい。


「それでその次のとっても悪い知らせって何よ」


秦明以上に不機嫌極まりないといった顔で宋江の隣に座る魯智深が続きを促す。この横には楊志(ようし)林冲(りんちゅう)もいた。最初は宋江と秦明だけしかいなかったはずだが、誰が呼んだわけでもないのに、いつの間にか全員がこの場に集まっていた。


「この話を聞いた私の上司が相手の男を連れて来いって言い出した」


話す気力程度はなんとか復活したのか、秦明がうめくようにそう言った。


「秦明さんの上司って、この州の知州(ちしゅう)よね。どうして?」


不思議そうに楊志が首をかしげながら尋ねた。


「わからない。多分、今まで私の結婚相手についても色々口出してきた人だから、今回も面接みたいなのやりたいんじゃないの?」


投げやりに秦明はそういう。


「ここの知州は確か女性だという話だったな」


「そうよ。元達(げんたつ)さんていう人。女性なのに知州までになっちゃったすごい人で、実際有能だし、民からの評判も悪くない人ではあるんだけどね」


「はっ! まさか、秦明から宋江を奪い取ろうとしてるとか?」


「まさか。元達さんはもう四十を超えて子供も居る人なのよ」


魯智深の思いつきに秦明は苦笑して首を振る。


「余計なお世話です! とはいえないのか?」


「今まで散々お世話になった人だからちょっと言いにくいわね。それに……さっきも言ったけど欠点が無いわけではないけど、基本的に悪い人ではないのよ。同じ女性同士ってことで私のこともよくしてくれてるし」


「既にこの時点で相当めんどくさそう話だが、さらにまずい知らせというのは何なのだ?」


眉根を寄せた林冲が秦明に尋ねると、彼女は一息ついた。


「そのつれて来いって言われた日が明日だってこと」


「えらく急な話ですね」


宋江が素直にそう疑問を提示すると、秦明は同意を示すように静かにうなずいた。


「それで……どうするつもりなんですか?」


そう尋ねた楊志に対し、秦明は少し沈黙した後、返答した。


「私は……宋江くんは行くべきじゃないと思うわ」


「大丈夫なんですか、私的なこととはいえ上司の意向を無視してしまって?」


宋江が気遣うように秦明に声をかける。


「大丈夫よ。さすがにこの程度で左遷や懲罰をするような人ではないもの」


「でも、僕が行ったところで何か問題あります? 二人で違いますよ、結婚なんかしませんよって言えばそれで終わりじゃないですか?」


「わからない。さっき悪い人ではないと行ったけど、それは油断ならない人ではない、という意味ではないのよ。今となってはあの人の心情的には私はさっさと結婚してもらった方がいいはずだからね。正直、呼び出された場所に連れて行ったら式の準備が万端整えられてても、私はおどろかないわ」


「なにそれ。そんな強引なことする奴なの?」


魯智深が呆れたように呟くと秦明は自分の頭をとんとんと叩きながら口を開いた。


「まあ、それはさすがに言い過ぎかもしれないけど、伊達に女で知州なんかやってないってことなのよ。だから私は安全策として、そもそも行かないのが一番いいと思ってる」


「まあ、そんな風になりそうなら確かに宋江を行かせるわけにはいかないかもね」


魯智深がまず最初に同調した。


「私は逆に行くべきだと思うが」


しかし、そこに反対意見を出したのは林冲だった。


「ちょっと林冲。話を聞いてたの」


「無論だ。その上で行くべきだと言っている」


「ちょっとちょっと林冲。あなた、私と宋江が結婚しちゃうかもしれないのよ。そうしたら困るでしょ」


「まあ、困ることが無いとは言わないが……」


林冲はちらりと一瞬だけ楊志に視線を走らせると言葉を続けた。


「それによって得られるものもあるだろう」


「得られるものって何よ」


「宋江の身の安全だ」


挑むように尋ねた魯智深に林冲は即答する。


「考えても見ろ。宋江は今まで半月以上、我々お尋ねものと一緒にいたのだぞ。それがばれたら妙な言いがかりをつけられるかもしれない。だが秦明の家はこの町きっての名家のひとつだからな。軍にも知己が居ることだし、秦明の夫という立場になればそう軽々と官憲も手出しできまい」


「林冲さん、それはいくらなんでもちょっと……大体そんな気持ちで結婚申し込まれても秦明さんにとっては迷惑以外の何物でも無いでしょう」


宋江はさすがにしかめっつらをして林冲に問いただしたが、彼女は表情を崩さなかった。


「無論、君も夫としての義務は果たさなくてはいけないと思うがな。しかし我ながらいい案だと思っているぞ。正直、私の思いつく限り、ここより安全な場所は柴進(さいしん)殿の屋敷くらいしかないし、秦明の結婚相手が見つからないという悩みも解消できるじゃないか」


「一意見ということで聞いてはおきましょうか」


秦明はそう言って林冲の言葉を無理やり打ち切った。


「ああ、それでかまわん。私も自分の意見が全面的に正しいとは思わないからな」


秦明は少し責める様な目で林冲を見たがすぐにその視線をその横、楊志へと飛ばして語りかけた。


「楊志さん。あなたはどう思うの? さっきから黙ってるけど」


「私は……」


楊志の唇が震えるように動く。


「私は宋江の好きにするのがいいと思う」


それを聞いて残りの三人の視線がピンポンだまのように楊志から宋江へと動く。


「宋江はどう考えているのだ?」


「僕ですか?」


林冲の質問に宋江は自分のことを指差しながら無邪気に応答する。


「そうですね……」


ほんの少しだけ考えるそぶりを見せた後に宋江は言い切った


「僕は行くべきだと思いますよ」


「なに? あなた実はひそかに秦明の事、狙ってたの?」


「いや、そういうことではなくてって、魯智深さん、顔が近いんですけど」


宋江がそう言うと魯智深は面白く無さそうに、ふんと鼻を鳴らすと、卓の上に乗り出していた身を椅子の背もたれへ戻した。


「その方が楊志さんのためにはいいでしょう、と思っているんですが」


その宋江の言葉に一瞬、沈黙が降りる。


「すまん。宋江。正直、君が何を考えているのか、よくわからないのだが」


「いえ、ですからひょっとしたら僕は楊志さんの行動をこの町で証言するかもしれないのでしょう? そうしたらこの町の権力者に覚えてもらっておいたほうが、証言も何かと信じられやすくていいんじゃないですか?」


「そういや、あたしたち、そのためにこの町に寄ったんだっけ。すっかり忘れてたわ」


魯智深があんまりな台詞を吐く。


「わ、私のため?」


「今、僕が一番優先させなきゃいけないことは楊志さんのことだと思いますから」


呆けたように呟く楊志に宋江は少し恥ずかしがりながらもそう答える。


「何があるかわからないけど本当にいいの?」


「まさか取って食われるわけでもないでしょう? 大丈夫ですよ」


脅すようにいう魯智深にも宋江は動じた様子も無い。


「というわけで秦明さん申し訳ないんですけど、少し付き合ってもらっていいですか?」


「私はそりゃ上司の顔を潰さないで済むならもちろん助かるからし、かまわないんだけど……」


「では、そういうことで行きましょうか」








「宋江」


五人での話し合いが終わった後、宋江が自室に戻る途中で彼は後ろから呼び止められた。


「楊志さん?」


自分を呼び止めた人物を見て宋江はわずかに緊張する。


「どうしました」


「あ……うん……えっと……」


楊志は次の一言を探してしばらく宙に視線を惑わせた後、


「た、立ち話もなんだから私の部屋で話さない?」


そう言った。


 楊志の部屋の構造や家具は宋江の部屋とそう変らない。それでも数日使えば、使用者の雰囲気が部屋に伝染するのか、自分が使っている部屋とは微妙に異なる印象をうける。宋江はその落ち着かないデジャビュを少し楽しみながら楊志に言われたとおり、部屋の椅子に腰を下ろした。


「ねえ、宋江。さっきの話なんだけど」


「ええ」


「その、宋江は秦明さんと結婚したいの?」


「……はい?」


それは宋江には少々意外な質問で少しばかり面食らった。


「と、というかね、するべきだと思うのよ。ほら、さっきも林冲が言ってたじゃない。秦明と結婚すれば宋江は安全だって、それに秦明さんお金持ちだし、優しいし、きれいだし、それに………」


「まあまあ楊志さん、少し落ち着いてください」


矢継ぎ早に理由を並べ立てる楊志に対し、宋江は彼女の両肩をぽんぽんと叩く。


「お忘れですか? 仮に秦明さんが僕との結婚を承諾したところで、最終的な決定権を持つのは秦明の叔父さんなんですよ。秦明さん曰く、ある程度、財産が無いと認めてくれないようですから、僕ではどの道、秦明さんとの結婚は無理ですよ」


「あ、あ、そうか、ご、ごめんね、なんか変な早とちりして」


「いえ、いいんです。楊志さんが僕の事を心配して言ってくれるのはわかりますから」


「う、うん」


宋江に両肩を抑えられた楊志は宋江を見上げて少し間の抜けた声を出す。


「でも、まあ、それ以前に僕も秦明さんと結婚する気は無いのですが……」


「そ、そうなの?」


「ええ、というより、秦明さんだけでなく、他の誰であっても、というべきでしょうか」


「誰であっても?」


「はい」


宋江は深くゆっくりと頷く。


「それは、その、結婚にはまだ早いから、とかそういう?」


「それも無いとは言いませんけど、一番の理由ではないですね」


楊志の質問に宋江はほとんど間をおかずに答える。


「楊志さん、実は僕もあなたに少し聞いて欲しいなと思うことがあったんです」


「え? 私に?」


宋江は今度は無言でこくりと頷く。


「きちんと順序良く話せるかどうかわからないし、少し長くなるかもしれませんが、聞いて頂けますか」


宋江にそういわれて楊志が拒否できるわけも無い。彼女はおずおずと頷いた。


 それを見て宋江は一旦虚空を見上げ、次に視線を床に落として話し始める。


「楊志さん。僕はこの国の人間ではありません。宋江という名も偽名です」


「え?」


宋江のその突然の告白に楊志の表情は驚愕に彩られた。


「多分、ですけど、もっと言うなら、僕はこの世界の人間ですらないのです」


宋江の長い話はそんな風に始まった。

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