二、こどもたち
真っ赤な死体を見つめる青年に躊躇いながらも聞いた。
「こういう事件には、前にも遭ったのかい?」
と。
青年は顔色を変えず答える。
「いいえ」
こともなにげにそう言った。
はあー、と重いため息をつきながら高木は助手席の窓の外を見た。
車から見える夜の町は大雨で歪んで見える。
今日は一日中雨だった。
「何よ、高木君。そんなため息ついちゃって。事件はすぐ解決できたんだし、
もっと元気出さなきゃ。事情聴取もさっさと終わらせて早くあなたは休まないと」
隣でハンドルを握る佐藤はこの天気の様な負のオーラを出す高木に苦笑する。
ここ一週間仕事が重なってろくに寝ていない彼に、彼女が
現場から警視庁に戻る自分の車に乗るよう誘ったのだった。
この状態で彼が運転すればいつ電柱にぶつかるかわかってものではない。
「いや疲れてるのはもう慣れてるんでいいんですけど・・・そうじゃなくて
今回の事件はちょっとなあ、と」
「ああ・・・そっちのことね。大丈夫なの?ちゃんとそれで休める?」
心配そうに横目でちらりとこちらを伺う。
その目に込められた感情は後輩に対するものだったのか、恋人に対するものだったのか。
どちらにしても、彼女が彼をとても大切に思っていることには違いない。
「僕は大丈夫ですよ。ただちょっと彼のことが気になって」
人の良い顔で高木は彼女に向かって笑いかけた後、
複雑な顔つきになって前に向き直る。
そんな表情にさせた原因の「彼」とは偶然事件現場に居合わせてしまった
顔なじみの青年のこと。
今年で彼は大学生になっていた。
しかしただの大学生ではない。
「工藤君がどうかしたの?」
「今日の現場、普通に見てたんですよね。彼」
学生でもあり、全国にその名を轟かせる若き探偵は目の前に起こった殺人事件を
鮮やかに解決して見せた。
そう、いつものように。
「犯人はあなたです」と男に向かって指差して。
指の先にいた犯人はにやりと右の口角を上げて嫌な笑みを浮かべていた。
「ああいう死体は初めてだったそうですよ」
「…嘘でしょ。だってあんなに普通に…」
「だから気になってるんです」
”ああいう死体”
今日起こった殺人事件はホテルの一室で行われていた。
被害者は20代後半の女性。
と、もう一人。そう言ってもおかしくはない。
女性は臨月の妊婦だった。
ナイフと思われる凶器で腹を裂かれ本来出てくるはずのなかった所から
赤子が引きずり出されていた。
部屋は「2人」の血で真っ赤に染め上げられ、白い壁や天井がその色を奪われていた。
その惨劇に、第一発見者のホテルマンは半ば正気を失っていたようだ。
PTSDの疑いもあった。
そのホテルマンもまた被害者と呼べるかもしれない。
「初めてあのような・・なんていうか、人間としての何かを無くしてしまった死体を
間近に見て、彼は本当になんとも思わなかったのかなあ・・・と」
ホテルの一階のレストランで昼食をガールフレンドと取っていた彼は
事件の騒ぎを聞きつけ、警察が来るよりも早く事件現場を見たのである。
そして混乱している従業員に的確に指示を出し、現場を荒らさぬよう手配をしたのだった。
警察が到着した時彼はいつものような態度、仕草で死体を検分していた。
「お待ちしておりました、目暮警部」
高木刑事と佐藤刑事もお久しぶりです。
そう笑顔すら浮かべて会釈して見せた。
その笑顔は惨劇の場にはそぐわなかった。
「もう随分前のことになっちゃうけど、私が今回みたいな猟奇的殺人を初めて見たときは
もうどうにもならなくなっちゃったわね。落ち着こうと思っても、体や心が言う事を
聞かなくて目暮警部には散々叱咤された記憶があるわ」
こっそりトイレで吐いたこともあった。
食事なんか一ヶ月くらいまともに食べられなかった。
「それは僕もですよ。佐藤さんも覚えてると思いますけど・・・」
佐藤と同じく高木も食事が喉を通らなかった。
心配して彼女がくれたカロリーメイトすらあまり食べられなかった。
「そういえばそうだったわねえ。でもいつのまにか慣れてしまったのよね、私達」
どれだけ吐こうが苦しもうが死体を見る回数を重ねるごとに何かが麻痺して
しまっているのだろう。
今回の事件も驚いたし哀れに思ったが、下からこみ上げるような気持ち悪さはなかった。
淡々と仕事をこなしていくのみ。
早期解決と最小の被害に留めることが自分達に与えられた仕事。
隣に居るこの誰よりも優しい彼でさえ、もう、死体を見てもうろたえないのだ。
両親を見ることなくその命を奪われた赤子を見ても
手帳にその様子を書き写すだけ。
何か妙な寂しさと悲しさを佐藤は覚えた。
「でも工藤君は最初から取り乱すこともなかった。その上事件まですぐ解決させた。
・・・私達が手をこまねいている内にね。高木君はその辺が引っかかるのかしら?」
「・・・はい。だって、彼はまだ子供なんです。多分僕が彼より勝っているのは
死体を見る回数だけだと思います。頭の良さとかそいうものは人間の心に比例しません。
だから・・・どれだけ工藤君が天才でも死体に抱く感情が僕達以上に麻痺してるとは
思えないんです」
自分達があの天才的な頭脳を誇る探偵に勝るのは死体検分の数。
つまりそれは人間としての何かが麻痺している度合の差。
その差を年齢が10ほど離れている工藤新一と無いわけがない。
「僕達以上なら・・・それはもう人ではなくなってしまっている」
「・・・そうね」
恐らく彼は工藤新一にもっとこどもであってほしいのだろう。
事件現場で一緒に考えることを歓迎しながら、同時にそれではいけないと思っている。
工藤はなぜか捜査一課の中では最も高木を信頼しているらしく、
親しげに自ら話しかけることもよくあった。
そして佐藤と高木の仲をさりげなく応援もしてくれていた。
大阪から上京してきた彼の友人であり探偵でもある青年は
それをいつも面白そうに見ているのだ。
その大阪の青年曰く、
「あの刑事さんにはものごっつ恩を感じてとんねん、アイツ」
これは内緒やで、と佐藤はこっそり教えてもらったことがある。
よくわからなかったが工藤が高木をだいぶ気に入っていることは確かだ。
だからこそ、こどもにあるべき姿を望んでいるのかもしれない。
「でも私達だって死体見てショック受けた時、みんなの前でうろたえないように
努力したでしょ?だから工藤君ももしかしたら人知れず何かを感じているかも
しれないじゃない。彼、元々本心を見せたがらない子だし」
高木には本心を見せてたようにも思えるが。
しかし工藤本人にその自覚はないだろう。
「それに・・・きっと彼は大丈夫よ。あなたがいる限り彼はこどもでいられるわ」
「え?」
隣の男と接している時、現場で「探偵」の顔をしている彼の顔が一瞬素に戻る。
あの表情こそが工藤新一の本当の心。
それだけははっきりと言える真実。
「あなたは優しいもの。だから彼は大丈夫よ」
話の真意が読めず、高木は戸惑った表情をこちらに向けた。
警視庁でも、現場でも、いつも見せている困ったような顔だ。
佐藤が一番大好きな表情の一つでもある。
「なんか・・・よくわからないですけど、佐藤さんが言うのなら大丈夫ですよね。うん」
佐藤さんが、という言葉にちょっと照れながらふっと笑い
「それでよろしい」と少し声を引き締めて言った。
どれだけ感覚が麻痺しようが彼の優しさやある一種の純粋さは消えることが無い。
工藤のみならず、それが佐藤の心も癒している。
彼女は赤信号を目の前にしてブレーキを踏んだ。
そしてゆっくりと動くウィンカー越しに垣間見える通行者の横断を眺める。
高木の問いに「いいえ」と答えた若き探偵。
彼も自分達と同様どこかで今日の死体を思い出しているだろうか。
何も感じないとは彼女自身も思いたくなかった。
シグナルが碧に変わる。
佐藤はアクセルを踏みこんだ。
2人はそのまま着くまで無言だった。
ある機会に聞いたことがある。
彼の相棒でもある大阪の青年は高校生の時猟奇殺人に巻き込まれたと。
工藤新一よりも一足先に”ああいう死体”を見た彼はその時どう思っただろう。
やはり工藤と同じくいつもどおり事件を解決したのは想像できた。
それでも、工藤もその相棒もまだ「こどもたち」なのだ。
高木同様彼女もそう願いたかった。
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