「ねえねえ、これ、どうやって作るの?」
「はあ?」
ブーツを履こうともがいていた足を止め、振り返る。チャックのついていないブーツは履きづらくてイライラする。加えてこののん気な声。イライラが増す。
「これ! お母さん、こんなの作れない」
差し出してきた手には、ケータイ。画面にはイラストタッチのかわいいイノシシの絵。丸っこいイノシシの周りで、『あけましておめでとう』の字が赤と黄色に点滅している。いわゆるデコメールってやつだ。
どうやら少し気の早い人からの年賀メールらしい。大晦日の夜7時。だからなのか、『来年もよろしくね」という字が並んでいた。
「……知らないよ、そんなん。あたし、初詣行ってくるから」
「ええ〜。知らないってあんた、高校生のくせに知らないの?」
「どうせ教えたって出来ないでしょ。写メの送り方だって、この前教えたのに出来なかったじゃん」
ぶうたれる母親を尻目にもう一度ブーツに足を突っ込む。今度はすんなりと足が入った。
「何時くらいに帰ってくるの?」
「……さあ」
着替えの入ったバッグを抱える。いつも使うバッグより大きいサイズのバッグだ。お母さんは、あたしが今日は帰ってこない気でいることに気付いただろう。眉を寄せ、何か言いたげな顔をしているけれど、あたしはそれに気付かないふりをする。
「行ってきます」
「早く帰ってきなさいよ」
無視。ほんとにイライラする。昼間のケンカを覚えていないのだろうか? なんでああも何事も無かったかのように振舞えるのか。
大晦日の昼間。大掃除に励む母は、寝ていたあたしにケンカを売った。いや、そう思っているのはあたしだけだ。母からしてみれば、ただの小言だろう。
「いつまで寝てるの。掃除しなさい」「夜まで遊んでるから、朝起きられないのよ」「彼氏と遊んでる暇があったら、勉強したら」「受験は大丈夫なの」「汚い部屋だわ。女の子なんだから、もう少しきれいにしなさい」
小言はどんどん羅列されてゆく。どこからそんなに文句が出てくるのだろう。一度脳みその中を覗いてやりたい。
イライラはピークに達する。だからあたしはプチ家出。……プチ家出ってもう死語なのかな。
「あのさ、悪いけど、そろそろ帰れよ」
「ええ?!」
「もう夜中の2時過ぎてんだぞ? 3時になるし。いくらうちの親が甘いからって、まずいって」
初詣に行った後、彼氏の家で寛いでいたのだが、さすがにタイムリミットらしい。最近はどこも高校生に厳しい。深夜過ごす場所さえ確保できない。だから彼氏の家に来たのに。こんな時間に高校生の女の子が彼氏の家にいるなんて、彼の親も黙ってないか……。
「家まで送るからさ。それとも、誰か友達の家にでも行くか? どこでも送ってやるからさ」
優しい彼の声にすがりつきたくなる。もう少しここにいたい。そう言いかけて、止めた。
わがままは通ることと、通らないことがある。
「わかった。家まで送ってくれる?」
深夜4時。闇夜に染まった世界。初詣の人ごみもなくなって、今、あたしはひとり。 彼に家まで送ってもらったけれど、家の灯りがついていたから、家には入らなかった。玄関の前でニコニコと彼に手を振り、彼の姿が見えなくなったら、そっと移動。
どこに行こう。行くところなんてない。
誰か友達のところへ、そう思ったけれど、なんだか連絡を取る気になれなかった。ひとりでいたい時だってある。
蒸気機関車の煙のような白い息を舞い上げて、あたしはひたすら歩く。じっとしていると寒い。じっとしていなくても寒いけど。
赤いボンボンのついた手袋をこすりながら、口元を隠す。温かくなるもので覆えない顔を、自らの吐息で温める。
寒い。体も。心も。
なんでもないことでイライラして。意味も無くケンカして。体の芯に、凍りついて尖ったものが刺さってるみたい。ささくれだった心ってのはまさに今のあたしの心だ。
ストレスってやつなのかな。
気付くと、空は白み始めていた。時計に目をやると、6時近くになっていた。もしかしたら、初日の出が見えるかも。
この時間なら警官とかに呼び止められることもないだろう。あたしはゆっくりと国道ぞいを歩く。
冬の朝は、清清しい。清少納言も詠ってた。春はあけぼの。夏は夜。秋は夕暮れ。冬はつとめて。
冬の澄んだ空気は、どの季節よりも世界を白く見せる。太陽の白い光線が、ひっそりと息づく命たちを照らしている気がする。朝はそれがいっそうに引き立つのだ。
オルゴールのような旋律が、浸りきっていたあたしを現実に呼び戻した。ケータイの着メロだ。友達からの年賀メールか? 手袋をはずして、ケータイを開く。
『1月1日 お母さん 無題』
ケータイの液晶画面に張り付く文字を見て、うんざりした気持ちになる。正直、なぜここまで母親をうざいと思うのか、自分でもわからない。理屈抜きで、うざいもんはうざい、そうとしか言えない。
ボタンを押して、メールを開く。何も文字は入っていない。数秒遅れて、画像がパッと開いた。
「……ばかにしてんのかな」
ほくほくと湯気をあげる、お雑煮の画像。半透明の汁の上に餅がひょっこりと顔を出し、三つ葉がその上を泳いでる。紅葉の形に切ったにんじんと渦巻き模様のナルトが、餅に張り付いていた。
あたしはにんじんで走る馬? 海老に釣られる鯛? 例えが間違っている気がしないでもないけど、これであたしが帰ってくるとでも思ってるのかな?
『ふざけんな』
返信メールをそう打って、送信ボタンに指を当てようとしたその時、あたしの腹はぐうぐうと主張を始めた。人間の三大欲求ってのは、本当に正直だ。
「あ、あれ」
あたしの脇を通り過ぎたカップルの女の人が声をあげる。あたしはその声に導かれるように、顔を上げた。
まだ開いていないガソリンスタンド。その上に、それは顔を出していた。
「初日の出だ」
白や赤、オレンジ。光線が、世界に朝を伝える。夜の闇を払拭し、朝焼けで染まる赤い空。太陽の色に染まる生命の息吹を、あたしは感じる。まぶしすぎる白い光線を避けて、あたしは片目をつぶった。
ケータイをかざし、それをばっちりと撮る。建物と走る車は灰色。太陽の光は放射状にのび、空は見事にグラデーションになっていた。なかなかうまく撮れてる。
……そういえば。
お母さん、写メール送れなかったはずだ。
夜中4時についていた灯りが、あたしの脳裏をかすめる。
あんな時間まで起きていたんだ。早寝のあの母が。
あたしの指はクリアキーを押していた。
『ふざけんな』の文字が消え、真っ白な画面に変わる。
にんじんで走ってやろう。あたしは鯛だ。海老じゃなくって、雑煮で釣られる。
『おもちがトロトロになるまで煮込んでおいてよ』
初日の出の画像を添付して、送信ボタンを押す。ドラえもんの画像が『メール送信中』と笑っていた。
元旦、7時9分。あたしの新しい1年が始まる。
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