#61 国を再興してみよう
開戦当初より破竹の進撃を続けていたジャロウデク軍は、ジェデオン都市要塞攻略戦での敗退により、一時の頓挫を余儀なくされた。
その報せは早馬に乗って旧クシェペルカ王国全土を駆け巡る。連敗続きで落ち込んでいたクシェペルカ軍の兵士たちは、それにより大きく気勢を盛り返していた。
さらに以前より幻晶甲冑による破壊工作を受けていたこともあり、ジャロウデク軍の受けた損害は思いのほか大きなものになっていた。彼らの計画は狂い、予定は何度も書き換わってゆく。
騒乱のただなかにあった旧クシェペルカ王国に、つかのまの静けさが戻っていた。
この嵐の前のわずかな時間を使い、東方領の領都“フォンタニエ”では反撃の準備が着々と推し進められてゆく。
領都フォンタニエにある中央工房。
以前ならば制式量産機である“レスヴァント”が並べられていた工房の内部では、今はまったく異なる機体が作り上げられていた。
整備台に載せられているのは巨大な骨格――金属内格だ。そのうち、人間でいえば肋骨にあたる部分は操縦席を収めるために大きく切り開かれており、腹部には機体の心臓部である魔力転換炉と魔導演算機が取り付けられている。
むき出しになったそれら心臓部からは無数の銀の金属線――銀線神経が延びており、白灰色の繊維――結晶筋肉へとつながっていた。
それら製造途中の機体のなかには、すでに完成間近と思われるものもある。どことなくレスヴァントの面影を残しながら、一回りがっしりとした体型が力強さを表している。明らかに近接格闘を重視した構成からは、重装備の黒騎士と戦うためにこの機体に求められているものが容易に見て取れた。
組み上げ途中の巨人の周囲では、幻晶甲冑に乗った鍛冶師たちが慌ただしく動き回っている。彼らは人間よりも強い力を持つ幻晶甲冑を利用して、重量のある部品をものともせずに凄まじい速さで作業をこなしてゆく。
銀鳳商騎士団より支援を受け、旧クシェペルカ王国の量産機を新たなものとする。この計画はいくらか突貫作業となる向きがあったものの、全体をみれば順調に進んでいるといえた。
完全新型の構築といえば途方もない作業に聞こえるが、“カルディトーレ”という完成品を参考にしているがゆえに設計自体は極めて短期間のうちに完了していた。
どちらかといえば、作業にあたって最大の障害となったのはクシェペルカ王国の鍛冶師たちの慣れのほうであった。既存の機体と根本から構造の異なるフレメヴィーラ発祥の新型機と、幻晶甲冑という道具に慣れるために時間を要したのだ。
とはいえこれらはひとたび馴染んでしまえば、それ以降は特に問題もなく進んでいる。
作業に勤しむ鍛冶師たちの間を縫うようにして、銀鳳商騎士団団長であるエルネスティ・エチェバルリアが歩み進んでゆく。
彼は周囲の作業の様子を確認しつつ、そのまま新型機を製造する区画を抜けて、奥で作業している親方を訪ねていた。四本腕の重厚な幻晶甲冑“重機動工房”を器用に操りながら金属部品の取り付けをおこなっている彼へ、エルが声をかける。
「こんにちは、親方。“地対空装備”作成の進みはどうですか」
「おう、銀色坊主か。問題ねぇぜ、元々ちいとばかりでかいだけで大して難しい仕組みじゃねぇからな。後はちょっと動かして具合を確かめりゃあ、仕上がりってとこよ」
親方が重機動工房で指し示した先には、複数の軌条を並べた奇妙な形状の装備があった。幻晶騎士で使用すると考えてもかなりの大きさがあり、手に持っては扱えなさそうなほどだ。
エルは完成間近の装備を眺める。確かにそれはこれまでの技術の延長線上にあるものだが、それでも短期間のうちに仕上げてくるあたり、親方の技術の冴えが見て取れた。
「わかりました。僕たちのほうで動作確認は済ましておきます。……でもこうして地対空装備ができあがりつつあるのですから、どこかで試しに空飛ぶ船と一戦交えてみたいものですね。ちょうどよく一隻くらい飛んでこないでしょうか」
「……ここいらには銀鳳騎士団の身内しかいねぇからいいけどよ、んな台詞をここの人間が聞いたら目ぇ剥くぞ」
重機動工房を降りた親方は肩を回しながら器用に呆れてみせた。この国が飛空船から受けた被害を思えば、確かに笑えない話である。ここだけの話です、とエルは唇に人差し指をあてていたずらっ子のような笑みを浮かべている。
そうして彼らが装備についての打ち合わせを進めていると、その場に一人の兵士が現れる。実直そうな雰囲気を持った彼は、小柄なエルに対しても姿勢をただして敬礼をした。
「エルネスティ団長。フェルナンド様より執務室へ来ていただけますよう、伝言を承っております」
そうして遣いの兵士に頷くと、エルは親方と別れてフェルナンドの待つ執務室へと向かったのだった。
エルが執務室を訪れるとそこにはすでにエムリスがいた。それ以外にも、以前に集まったときには見かけなかった顔ぶれもある。見かけない彼らは、東方領以外の領地からやってきた旧クシェペルカ上級貴族たちである。この場には旧クシェペルカ残党の多くが集まっていることになる。
彼らと話し合っていたフェルナンドはエルの姿をみると話を切り上げ、彼らへエルを紹介した。
「よく来てくれた、エルネスティ君。諸君、彼が先ほど話していた銀鳳商騎士団の団長であり、新型機開発の中心人物だ。ちょうどいい、君の口から新型機の作業状況について説明をお願いできないかな」
部屋が小さな驚きに包まれる。小柄で幼く見えるエルの姿と、それに反するかのように大仰な肩書きの組み合わせは、やはりどこへ行っても奇異に映るものだ。
そんな反応にも慣れているエルは、ざっと室内を見回して周囲の注目が自分へと集まっていることを確認すると、これを幸いとして話し始めていた。
「では、手短に申し上げます。まず既存のレスヴァントの強化につきまして。“ヴィード”と名づけた新装備による強化型はジャロウデク王国に対する有効な戦力として機能しています。ここで彼らの足が鈍っている機会を利用しまして、現在は完全新型機の製造について推し進めています」
驚きは、抑えたざわめきへと変化した。
「その完全新型機についても設計の段階は既に過ぎておりまして、現在は先行量産機の建造中です。まだいくらか調整が必要になると思いますが、そうですね……これから半月ほどの間には実働可能な段階で量産に取り掛かれるものと」
この場にいる上級貴族たちは、すでにフェルナンドより今後の計画についての説明を受けていた。それでもにわかには信じがたいほどの話だ。
彼らの視線の先にいる小柄な少年は、ほとんど一人で戦況をひっくり返しかねないほどの革新的な案を矢継ぎ早に繰り出していることになるからだ。
「聞いての通りだ。彼の話は誇張でもなんでもない。南北ともにジャロウデク軍を押しとどめてくれたおかげで得たわずかな猶予、私たちはこの間に態勢を調えなければならない。いずれ戦力の目処が付いたところで、一息に攻勢に転じるんだ」
集まった貴族たちは緊張の面持ちで息を呑んだ。追い詰められ、最期を迎える前の自暴自棄な反撃ではない。この国を取り戻すための、正しく力強い戦いの準備が整おうとしているのだ。そのことが、どうしようもなく彼らの心を逸りたてた。
そんな周囲の反応に満足しつつ、しかしフェルナンドは表情を曇らせ始めた。
「その前に……私たちには一つ、解決しなければならない大きな問題が残っている。これからの反抗作戦の旗頭となり、新たなるクシェペルカ王国の道しるべとなるべき御方についてだ」
フェルナンドのみならず、周囲の貴族たちもいっせいに顔色を変えた。それまでが希望に輝いていただけに、その変化は傍からも明確に見てとれるものだった。
「それはつまり、国王をどうするかってことか?」
腕を組みながら口を挟んだエムリスに、その場にいる者たちは渋い表情を見せた。フェルナンドは深く呼吸して息を整えると、意を決したように強く話し始める。
「そうだ。現状、この国は正しき意味で“国”とは呼べない。領地があれど“国王”がいないからだ。私は……陛下が遺された、ただ一人の王女であるエレオノーラ殿下に、“女王”となっていただきたいと考えている」
今度はエムリスが顔色を変える番だった。
「エレオノーラに? そりゃあ血筋からいえばそれが正しいかも知れんが、今は非常時だぜ叔父貴。言っちゃあ悪いが、あの子に国王の大役が務まるとはとても思えない。むしろここは叔父貴が臣籍から戻って、王を継ぐべきなんじゃないのか。まずはこの国をささえねーと、話にならない」
エムリスの言葉に、クシェペルカ貴族たちの間からも、控えめながら賛同の声が聞こえてきた。
そもそもの話、フェルナンドが臣籍に下ったのは王位継承に支障をきたさないための処置だった。平時ならば賢明なる行動も、今は戦乱の時である。この国は強力な指導者を、王を欲している。
クシェペルカ最後の砦ともいえる東方領の領主であり、仮にも王弟たる彼はその条件を満たして余りあった。となれば、彼が復帰を宣言すれば王位継承権を取り戻すことは容易である。
「……わかっているよ。わかっているんだ。でも、このような場合だからこそ私たちは正しき道を通さねばならないんだ、リース」
エレオノーラは前王アウクスティの直系であり、すでに成人(十五歳)している。ゆえにこの時代の通例によれば王位継承権の第一位に定義されており、正当性という一点においては断然、彼女が上になるのは確かなことであった。
「それにしたって肝心の、エリーはどうしてるんだ」
「……陛下を失ったことが思いのほか大きく響いているのだろう……塞ぎこみ、部屋から出てこない。最近ではマルティナとイサドラ以外は会うことも難しくなった」
フェルナンドの言葉にエムリスはさらに表情をゆがめると、さらに調子を強くして叔父へと詰め寄る。
「チッ。叔父貴、俺は気乗りしないぜ。いくら正しくてもよ、親をなくして臥せってる娘に矢面に立てなんて言うたぁ、とても真っ当な振る舞いとはおもえないね!」
「どうあろうと、それが王族というものだよ。この血を持って生まれた者の義務だ。己の感情なぞねじ伏せて、国のために立たねばならないときがある。エレオノーラには、それを理解してもらわねばならない」
エムリスがさらに口を開こうとしたのを、フェルナンドは身振りで制する。彼の顔に深い苦悩が表れているのを見てとり、エムリスは次の言葉を飲み込んだ。
そんないまだに納得しかねる様子のエムリスに、フェルナンドは意を決して告げる。
「リース。女王という地位が殿下にとって負担が大きいことは、私もわかっている。しかし、この混乱の中で民を導いてこそ……皆の前に立ってこそ、戦に勝利した暁には殿下こそが正当な王位継承者であると認めさせることができる。これしかないのだ、あの子を“王”とするには……」
それは亡き兄王に対して、彼が負う最後の義務といってもよかった。あるいは、餞であろうか。そこには“国”と“王”の関係における、複雑な血の力学が垣間見える。
「叔父貴……そうはいってもエリーには少し、いやものすっげぇ荷が重いぜ。本当にそう、うまくいくのか?」
「もちろん、殿下だけに全てを背負わせる気なんてない。実務においては私たちが補佐につき、力を貸す」
執務室に沈黙が満ちた。やがて、エムリスが頭を掻きながら話し始めた。他国の者とはいえ、一応王族に名を連ねる彼にも理解できない話ではない。いまだ納得からは遠かれど、認めることにしたのだ。
「本気なんだな。……わかったよ、色々言って悪かった。でも、どうするんだ。エリーは先頭に立つどころか部屋から出てこないんだろ」
「そうだ、私たちも八方手を尽くして説得しているのだが、正直に言って状況は芳しくはない。デルヴァンクールの陥落が大きな傷になっているようだ」
方針が決まったことで、緊迫していた場の空気が一気に弛緩してゆく。そこで、フェルナンドは視線をエルの方へ向けた。
「既に様々な力を借りている上でまったく申し訳ないが、君たちにも協力をお願いしたい。王女殿下に何か明るい話題を伝えてはもらえないだろうか。年齢の近しい君たちからならば、話をすることもかなうかもしれない」
それまで静かに話を聞いていたエルは、顔を上げると少し首をかしげたあと、フェルナンドの言葉に頷いた。
「そういうことでしたら承知いたしました。僕たちのほうで何か良い話題はないか、考えておきます」
「なるほど明るい話題か。よし任せろ大丈夫だ、ここは一つ金獅子に乗せてやれば気分も一発で爽快になるに決まって……!」
「はいはい、落ち着いてくださいね若旦那。ひとまず皆で話し合いましょうそうしましょう、それからでも遅くはありませんきっとずっと」
いつもの調子を取り戻したエムリスを引っ張りつつ、エルは執務室から出てゆく。
歩み去る彼らの後姿を眺めつつ、フェルナンドとクシェペルカの貴族たちは顔を見合わせた。
「……私たちは、少し彼らに頼りすぎているな。この苦境を乗り越えたあとに、借りたものを返せるのだろうか……。いや、それだけのことができるよう、勤めねばならないな」
彼らは自身の大きな変化を自覚しているのだろうか。滅亡におびえるのではなく、先のことを心配するだけの余裕が生まれていることに。
この変化は、後に大西域戦争における大きな転換点へとつながってゆくのである。しかし今は、彼らは山積する問題を解決してゆくべく、再び会議へと戻ってゆくのであった。
フェルナンドより依頼を受けたエルとエムリスの行動は迅速であった。すぐさまフォンタニエに残った銀鳳商会の全員を集めると、事情を説明し協力を仰いだのである。
エムリスは周囲へとよく通る大声をあげ、一同を見回す。
「……そんなわけで、お前たちの力を貸してもらいたい! エリーを勇気付けてやりたいんだ。俺たちがいるからには、心配など要らないとな!」
彼らにおこなわれたのは大分端折られた説明であり、主に王女の説得という大役を請け負ったことが伝えられた。全員が戸惑いをあらわにするものの、そこは驚くことが日常茶飯事の銀鳳商会である。すぐに気を取り直すと、活発な議論を始めていた。
「だったら、俺たちがどれくらい強いかを説明すれば……」
「いやいや、ここは新型の性能を語って聞かせればいいんじゃ……」
「相手はお姫様だろ? そういうのって、伝わるものかねー?」
ざわざわと飛び交う言葉の間からは色々な案が生まれたものの、これといっためぼしいものは出てこない。
いまひとつ、どれも具体性や手ごたえに欠けているのだ。そこで、しばらくは聞き役に徹していたエルが割ってはいる。
「もちろん、僕たちが有利となる材料については説明をおこないます……が、それくらいのことは今まで何度も話しているでしょう。それでも殿下は部屋から出てこられないわけですし、他にも話題を持っていったほうがいいかもしれませんね。でしたら情報を集めるべきです。若旦那は以前、この国に留学されていたのですよね? こう、殿下の好まれる話題とかに、思い当たりはありませんか?」
それを聞いたエムリスは、眉根を寄せて腕を組んだ。
「好む話題、か……難しいな。実を言うと俺は叔母上のところにいたからな、エリーとはあまり話したことがない。そうだな……おうそうだ、イサドラなら剣術の相手をすれば一発で機嫌が良くなるんだ。よし、一度試してみるか!」
「はい、却下です。ええ、若旦那に聞くべきことではなかったですね。ここは考え方を変えましょう。こういうときは歳の近い同性にきくべき。というわけでアディ、何か思いつきませんか?」
「お姫さまを元気付ければいいのね、任せなさい! うふふふふ、お姫さまとっても綺麗で可愛かったよねー。エル君みたくちっこいし、一緒にお話してできれば抱きしめてみた」
「却下。なんだかすごく駄目そうな気がします」
さすがのエルも、それは自分が元気になることだろう、というツッコミは控えていた。不満げなアディを横に、次はキッドが問いかける。
「そういうエルには、何かいい案はないのかよ」
「…………幻晶騎士や幻晶甲冑ならば、音を聞けばだいたいの問題点と解決法がわかるのですが」
「駄目だこいつら、そろいもそろってまったく役にたたねぇ……」
まったく収穫を得られない状況を前にして、キッドは思わず天を仰ぐ。その彼の肩を、エルが叩いた。
「というわけであなたが最後の希望になりました、キッド」
「………………え? えぇ? いや待てよ、お、俺? おいおい冗談だろ、そ、そうだぜ、親方が残って……」
「坊主に同じく。つうかよう、ドワーフの鍛冶屋にお嬢さんの機嫌なんぞとらせんじゃねぇよ」
親方に一刀両断にされ、キッドの顔色が急速に青くなってゆく。
周囲をぐるりと見回すものの、誰も良い案を持たず、むしろキッドへと生暖かい励ましの視線を送るばかりだ。そこに味方はいなかった。
こうして主に消去法によってクシェペルカ王国の命運はキッドの双肩にかかることになったのであった。
領都フォンタニエの中央に位置する領城。直接他国と接する場所ではないためか、そのつくりは開放的であまり防衛を意識したものではない。
その一角、屋外に面した廊下を二人の人物が歩いていた。うち一人は領主フェルナンドの娘、イサドラだ。この廊下は王女エレオノーラがいる部屋へと続いている。少しでも彼女の心を和らげるため、イサドラが足しげく通う場所だ。
「考えろ、考えるんだっ……エルだったら工房に放り込んでおけば機嫌が直る、アディならエルがいれば機嫌が直る……ああクソ参考にすらならねぇ……!」
彼女の背後には二人目の人物が、憔悴しきった様子でブツブツとうわごとのように何かを呟き続けていた。
それはもちろん貧乏籤――もとい大役を受けたアーキッド・オルターである。彼は勤勉にも、移動の寸暇すら惜しんで案を練り上げているのだ。少しばかり悲痛な空気が漂っているのは、この際些細な問題である。
そんな熱心というか悲壮な姿にイサドラは多少、いやかなりの不安を覚えていたものの、なにしろ彼は銀鳳商騎士団からの推薦で王女の説得にきてもらったのである。
彼女も手を尽くしてきたものの、王女は頑なに拒否の姿勢を崩さず、説得は行き詰まりを見せていた。彼の力に少なからず期待を抱いているのも確かであった。
悩むイサドラと、別の意味で悩み続けるキッドは、ややあって王女の居室へたどり着く。
ここ最近は毎日の行事と化しているイサドラの登場に、居室に控える侍女たちがてきぱきとした動きで対応する。この場所は中で大きく二部屋に分かれていた。手前には侍女たちが詰めており、王女がいるのは奥の部屋だ。
侍女たちといつもどおりのやり取りを交わしながら、イサドラは傍らを振り返った。
「ついたわ、これからエレオノーラと会う。準備はいい?」
「…………だいたい親方の機嫌がいい時ってなんだよ。いつもへの字口じゃねーか……えっ? おあ、はいガンバリマス」
イサドラはさすがに半信半疑の表情を隠せないまま、それでもままよとばかりに奥の部屋の扉をノックした。
王女エレオノーラは、扉から響いてきたノックの音を聞き、俯いていた顔を上げた。
かつてクシェペルカに咲く大輪の花と例えられた美貌は、今では大きな翳りをみせている。王都を脱出しこの城にたどり着いたとき、かなり消耗していた彼女だが、ある意味でそれよりも悪い状態にある。
決してここでの扱いが悪いわけではない。生活は王城と同じ待遇であり、戦時中ということでいくらかの制限はあるものの、閉じ込められているなどということもない。
彼女がこうも落ち込んでいる理由は、彼女自身の精神的なものに由来する。戦争という状況、父親を失ったこと、自分の立場。彼女は自ら動く力を失い、部屋にこもり続けている。
そうするうちに、周囲の扱いはいつしか腫れ物を触るようなものになってしまっていたのも事実だ。結果として彼女はさらに動かなくなる、悪循環が生まれている。
彼女の生活のうちでわずかでも変化と呼べるものが、このイサドラとの語らいの時間である。
エレオノーラはイサドラを部屋に招きいれながら、楽しみな気持ちと半ばで、憂鬱な気分を隠せないでいた。彼女にとってイサドラは同性で歳も近いこともあり、いま最も心を許せる身内である。最愛の父親を失ったばかりの彼女にとって、叔父であるフェルナンドと面と向かうのは辛い思いを伴う。ましてや、身内以外と会うことはさらに厳しい。
であるが、最近のイサドラは父親の意向を受けてエレオノーラを女王にすべく説得を続けている。おかげでこの時間まであまり心休まらないものになりつつあるのも、彼女にとっては事実であった。
「いらっしゃい、イサドラ。今日も…………え、あ、あの。そ、その方は、どなたですか……!?」
言いかけて、エレオノーラが固まる。イサドラに続いて見知らぬ少年が入ってきたからだ。
顔つきから、年の頃は彼女たちと似たようなものだと思われた。背は高く、無駄なく均整の取れた体型に革製の軽鎧を身に着けている。典型的な騎操士の装いだ。余裕のないエレオノーラは気付かなかったが、彼は何故か彼女以上に追い詰められた雰囲気を漂わせている。
キッドは、部屋に入るなり最大限の警戒をあらわにするエレオノーラを見て、引きつりそうになる顔面を気合で笑みへとかえようと努力していたのだ。
そんな硬直した部屋の空気の中で動くことができたのは、イサドラだけであった。
「あなたも知っているでしょう、銀鳳商騎士団。彼はその騎士。今日は気分を変えて、私たちの状況について説明してもらうために招いた」
「エー、銀鳳商騎士団デ団長補佐ヲツトメマス、あーきっど・おるたートモウシマス。ドウゾオミシリオキヲ」
ギクシャクとした動きで、それでもきっちり礼儀に則った姿勢で一礼するキッドから目をそらしつつ、エレオノーラはイサドラへと咎めるような視線を送る。
「イサドラ……せっかくですが、この方には下がってもらってください」
「デスヨネー、じゃあ俺はこの辺で失礼し……」
「エレオノーラ、ダメ。このまま部屋で塞ぎこんでいることなんて、できない。貴女はアウクスティ陛下の娘、この国の現状を知る義務がある。話を聞いて欲しいの」
イサドラはそのまま強引に席に着き、キッドにも従うよう目配せをする。彼は覚悟を決めると、故障した幻晶騎士のようにぎこちない動きで席へ向かった。
いつになく強硬な彼女の姿勢に、自然とエレオノーラの声音に非難めいた響きが増してゆく。
「どうして、イサドラ……何度も話してきたことです。私が聞いたとしても、何の役にもたちはしません」
「そんなことはない。私たちはジャロウデクに、侵略者に反撃をしようとしている。あなたにはそのことについて、知っておいて欲しい」
「ソウデストモ、まぁ落ち着いて、まずは順番に状況とかデスね……」
エレオノーラは身に付いた教養から取り乱しはしなかったが、はっきりと感情的な表情を見せた。イサドラにも譲る気配はなく、場には息苦しい空気が漂う。
そんな二人に対し、キッドの視線はだんだんと遠くを向いてゆく。
「そんな、簡単に反撃なんて……また、戦いになる。勝てるのですか? まさかあなたは、もうデルヴァンクールの惨劇を忘れてしまったのですか……!」
「でも最近はそうでもない感じで、一つ説明しますとデスね……」
「そんなこと、あるわけがない。でもエレオノーラ、私たちだってあの時のままじゃない、新たな力がそろいつつある。今だって勝利を収めた戦場もある、負けてばかりじゃない」
イサドラの必死の言葉にも、エレオノーラは首を横に振る。
「あの時、王都には多くの騎士がいました! なのにお父様も、騎士たちもみんな……! 本当に勝てると考えているのですか。いえ、どうあれ戦となればまた多くの犠牲が出る、血が流れるのです! 叔父さまや、イサドラや、リースさんだって無事に済むかどうか……」
「だから最初から諦めて、こうして閉じこもったままでいるのか?」
それまでは所在なさげだったキッドからいきなり飛び出した強烈な言葉に、二人は驚きを浮かべていた。
「犠牲なんてないほうがいいってのには心から賛同するぜ。でも戦わずに、抗わずにいて解決する問題なんてない」
はっきりと顔を上げて、キッドはエレオノーラをひたと見つめている。そこには先ほどまでの困惑気味の様子は残っていない。
少し素が出すぎて明らかに口調が乱雑になっているものの、勢いに飲まれてかそれを指摘するものはいなかった。
「剣をもって向かってきたなら剣をもって返すべきだ。意志をもって、戦い立ち向かう。結果が出るのはその次だ」
「だから……犠牲がでることも覚悟しろと、いうのですか……?」
およそエレオノーラのこれまでの人生において、これほど直接的に意見をぶつけられた経験はない。感情があふれすぎ、彼女は涙をためた瞳で見上げる。
「だから、私に、心配はないと約束した父様は! そのままっ……!! 」
それから先は言葉にならなかった。彼女は手で顔を覆い、イサドラは静かに成り行きを見守っている。
キッドは頭を掻いて困り果てた。
「あー、そこか。負けたのと約束が守られなかったのと、混ざってるのかよ……厄介だな」
彼に限らず、フレメヴィーラ王国の騎士は戦うことに躊躇がない。何事にも素早く、明快な判断をよしとする。それは生まれ育った環境からくるものであり、かの国の民がさっぱりとした気風を持っていると言われる所以である。
それは他国の、それも箱入りで育った王女に馴染む考え方ではない。されども怪我の功名というべきか、まったく馴染みがないがゆえに、それは王女の抱える最も大きな不安を引き出すことに成功したのである。
キッドは気持ちを落ち着けてから、ようやくじっくりと言葉を探した。
「誰かを失うのがつらいのなら、なおさら立ち止まっているわけにはいかねー。侵略者は奪いにきてる、そのまま手をこまねいていたら下手をすれば全滅する。だから、陛下は戦った。この国と、何よりも王女殿下を守るためにさ。その犠牲が無駄なわけがねー。だって王女殿下、あなたが生きてるんだからさ。生きているから、この国はまだ立ち直ることができる」
「……私が、生きているから。お父様が……守ってくれたから」
エレオノーラの態度からは、戸惑いがありありと見て取れた。彼女は信じたいのだ、父親との約束を、その行動の意味を。
だがそれにはまだ欠けた要素がある。
「そうは言ってもさ。王女殿下はまだ知らないから、こういう約束とか信じられないんだと思う。だから、持ってくるよ」
「何を……ですか?」
いつの間にか、エレオノーラはキッドの言葉を素直に受け入れていた。キッドは、そんな彼女の前へと移動すると静かに片膝をつく。騎士の拝謁の礼をとりながら、彼は王女に誓いを立てる。
「王女殿下に、勝利を。俺だけじゃなくて、この国の再興を信じて戦う全ての人間が、勝利を持ってくる。それを……見ていて欲しい」
場に沈黙が下りる。誰もが理解していた、次に言葉を発するのが誰であるべきなのか。
やがて彼女に動きが生まれる。少し震えの混ざった、しかしそれまでの彼女を思えば信じられないほど決意に満ちた言葉が、つむぎ出された。
部屋を出て扉を閉めたところで、キッドは膝から崩れ落ちそうになっていた。先ほどまでの言葉は、ほとんどがその場の勢いで飛び出たものだ。思えば王族相手になんという言葉をぶっ放したものか。思わず頭を抱えそうになる。
そして顔を上げたところで、彼はそこの壁にべったりとはりついて聞き耳を立てる妹と幼馴染の姿を発見した。
「…………………………」
ばっちりと目が合い、キッドは唖然とした顔で、二人は凄まじくにやけた顔で動きを止めている。
「おんどぅるぁここでなぁにさらしとんじゃい」
「キッド、聞いたこともない言葉遣いになってるわよ!? まぁまぁ、落ち着いて。なるほどなるほどうんうん、わかるわキッド。王女殿下かっわいいものね! そりゃあ力になりたくもなるわよね!!」
「うわなんかその言い方むかつく、むかつくぞアディ! そういう意味じゃねってか、なんかお前と趣味があってることに釈然としない! ああいや違うそうじゃなくてえーと、ああくそっ!」
言い訳の追いつかないキッドを脇において、アディは一人勝手に得心していた。エルは満面の笑みで様子を見ている。
「大丈夫よ、もちろん私も協力するわ! 約束したものね、“勝利をささげる”って! ふふふ、うん、やる気がもりもり湧いてきた!!」
「うっぬあぁ確かに心強い……けどなんでよりによって……あーちくしょう……」
格好のネタを見つけた彼女は大いに盛り上がっている。キッド本人よりもテンションが高いくらいだ。彼は完璧に諦めて天を仰いだ。
彼に続いて部屋より出てきたイサドラは、そんな双子の漫才に首を傾げつつ、その奥にいる人物へと声をかけた。
「リース兄まで。盗み聞きなんて趣味が悪い」
無駄に堂々と仁王立ちでたたずんでいるのは、エムリスだ。
「ん? まさか盗んでなどいない、俺は堂々と聞いていたぞ! ただ会話の邪魔をしないために、隣の部屋にいただけだ!」
「……そんな理屈が通じるのは、リース兄だけ……」
もはや呆れて言葉もないと、イサドラは首を振る。
にわかににぎやかになった彼女たちの後ろから、ゆっくりとエレオノーラが現れる。その顔にはやつれの跡がみえるが、先刻までの気落ちした雰囲気は抜け落ちていた。そこにほんのわずかに覗く、意思の光。
彼女はその場にいる五人を見回して、小さくもはっきりした声で、告げた。
「フェルナンド叔父様と、話したいことがあります。私は……父様のあとを継ぎ……“女王”となることを受け入れます。私には何の力もないけど、皆の戦いを……信じようと、思います」
クシェペルカ王国は息を吹き返す。西方の地に、大きなうねりが生まれようとしていた。