#39 訪れる戦いのとき
商人達の威勢のいい掛け声が、通りのあちこちを飛び交っている。
行き交う人々が通りに並んだ店を覗きこみ、商品を買い、あるいは丁々発止と値段交渉を行っている。
がやがやと喧騒と活気に満ちたその場所は、ライヒアラ学園街に存在する市場通りだ。
ライヒアラ学園街を貫く中央通りを途中で曲がったところにある、広場から始まるこの通りは、主に食料品を扱う店が集中する場所である。
それは店舗であり出店であり、様々な形態を取りながら雑然とした様相を呈していた。
学生のみならず多種多様な人間が暮らすライヒアラ学園街は、相応に多くの人口を抱え、それを支える市場もかなりの規模がある。
太陽も折り返し地点を越えた昼下がり、夕食のための食材を買いに回る街の住人達で市場はごったがえしていた。
通りに溢れる人ごみを縫うようにして、一人の女性が歩いている。
ゆったりとした生地のワンピースを腰のところで帯布で締めて上着を羽織る、ごく一般的な服装。しゃきっと背筋を伸ばして歩くたびに、背中で纏められた赤みの強い髪が小さくはねる。
薄く皺の目立ち始めた目元を細め、鋭い視線で店の商品を品定めする様子は、主婦と言うよりは何かしらの職についていることを思わせる。
女性としては長身の部類に入るだろうか、ややきつめの顔立ちと相まっていかにも気の強そうな印象を受ける人物だった。
通りを端まで流す頃には、彼女が片手に抱える籠には十分な量の食材が入っていた。
お眼鏡に適う品物を買えたのだろう、彼女は満足げに頷くと上機嫌でその場を後にする。
街の一角にある住宅街、そこにある家へと辿り着くまでは、彼女はそんな、ごく普通の空気を纏っていた。
しかし中へ入ろうと扉に手をかけた途端、その雰囲気が一変する。
どこにでもいる街の住人そのものと言ったものから、研ぎ澄まされた刃のように鋭いものへ。
顔からは表情が抜け落ち、その挙動も隙のない、最小限のものとなってゆく。
素早く周囲に人影がないことを確認した後、彼女は慎重に鍵と扉を開けるが、どのようにしたものかそれは全く音を立てなかった。
少し空けた扉の隙間から滑るように中へと入ってゆく。
無人であるはずの家の中は、当然のように沈黙に満ちている。
しかし彼女の鋭敏な感覚は、家の中にいる異物の存在を嗅ぎ分けていた。
足音を殺し、気配も断ち切ったまま彼女は家の奥へと進む。
奥の部屋へと進んだ彼女が見たのは、入り口に背を向け、窓に向かって立つ大柄な男性の背中だった。
秋へと差し掛かったくらいのこの季節に大仰な外套を羽織ったその姿は、190cmを数える身長とあわせて不自然な存在感を周囲にばら撒き続けている。
「これはこれは“監察官”様かい。ずいぶんと突然のお出ましね、びっくりするじゃないのさ」
大男をみた途端、女性の雰囲気が緩み、顔に表情が戻ってくる。
皺を深くしながら口元を皮肉げな笑みの形にゆがめ、それでも威嚇するように目を細めたものへ。
買い物かごを机に投げ出した彼女は、どっかと椅子に腰掛けた。
「“ケルヒルト・ヒエタカンナス”……貴女と貴女の“銅牙騎士団”に、陛下より命が下りました」
「おやまぁ陛下はお優しいことだねぇ、私らのことをまだ“騎士団”なんて呼んでくださるだなんてねぇ」
大男はケルヒルトの言葉に頓着せず、振り返りながら一方的に用件を切り出していた。
彼は単に身長が高いだけではない。鍛え上げられた筋肉が内側から外套を張り裂かんばかりに押し上げており、その身体は巌のごとき迫力をかもし出している。
その風体にあわせたかのように、唸りの如き低い声で彼は厳かに続きを告げる。
「貴女がたが寄越した“玩具”の情報に、陛下は殊のほか興味をお持ちです。
是が非でも実物を手に入れろとの仰せを賜りました。
アレは“魔獣番”風情には過ぎた代物、“我が国”のために使ってこそ価値があるというものでしょう。
手段は問いません、必ずアレを入手し、陛下の元へとお届けするのです」
なかば予想通りの監査官の言葉に、ケルヒルトはやれやれと言いいたそうに肩をすくめた。
「地味な任務ばかりで飽いてたところだよ、歓迎する……と言いたいところだけどね。
その“玩具”は仮にも砦と呼ばれるところにあるんだよ。しかも巨大だ、ちょっと行って盗んでこれるようなものでもないさね。わかるだろう?」
「存じておりますが、手段は問わないと申し上げたはず。
陛下もご承知の上です……“ありとあらゆる”ものを使用して構わない、と」
ケルヒルトの顔に初めて本当に面白そうな笑みが浮かぶ。
ただし、それは獲物を前にした肉食獣のような、という形容詞がつくものだったが。
「へぇ……なんでも、ねぇ。虎の子の“ヴェンドバダーラ”でもかい?」
「勿論、“呪餌”でも、です」
予想を上回る返答に、一瞬呆けたように目を見開いたケルヒルトは、次の瞬間にはたまらないとばかりにケラケラと笑い始めた。
「はは! そいつは傑作じゃないかい!
これはこれは、ケチな陛下にしては随分な大盤振る舞い、随分と入れ込んでるようだねぇ」
監察官は糸のように細めた目の奥から粘つくような視線を送っているが、ケルヒルトがそれに頓着した様子はない。
彼との付き合いの長い彼女は、彼の心情をほぼ正確に推測していたが、さりとて気を使うと言った行動とは無縁だった。
「まぁ勅命とあらば是非もないさ……すでに、人は集めてるよ。“敬愛なる”陛下に、御所望のものは必ず届けると、伝えておきな」
「……いいでしょう。今ならば魔獣番どもも浮かれ、油断しているはず。速やかな行動をお願いしますよ」
監察官は満足したかのように頷くと、そのまま踵を返す。
「ああ、そうだ」
何かを思いついたように、ケルヒルトは机の上に投げ出しっぱなしだった籠を指差した。
「これから夕食を作るけど、監察官様もどうだい? 腕によりをかけて準備しようじゃないか」
「遠慮しましょう。“何が入っているか”わかりませんからね」
「つれないねぇ……まぁいいさ」
やはり予想通りの言葉で応える監察官に、ケルヒルトは再び肩をすくめると、台所へと向かう。
それは、ダリエ村で魔獣襲来の狼煙が上がる、およそ一週間前の出来事だった。
ライヒアラ騎操士学園の敷地内にある騎操士学科の工房では、今日も今日とて鍛冶師達が槌を振るっている。
忙しなく行き交う彼らの頭上では滑車がたてる騒音が響き、ガリガリと大きな音を立てるそれに負けないよう、生徒が怒鳴り声で最終確認の完了を告げた。
工房内に設置された、巨大な椅子のような形状の幻晶騎士用の整備台に今、1機の機体が座っている。
その胸の装甲は上下に開き、機体の操縦席へと自由に乗り降りが可能な状態になっていた。
直前までその機体を整備していた鍛冶師達がばらばらと離れる中、その流れに逆らうように一人の生徒が機体へと向かう。
騎操士――幻晶騎士を操縦する技能を持つ、騎士の一人であり騎操士学科の生徒である。
彼は機体に乗り込み、シートに腰掛けると足元のレバーのロックを外して勢いよく引き上げる。
歯車が噛み合う騒々しい音と空気の圧縮される間の抜けた音が重なり、機体の胸の装甲が閉じられていった。
「ううむ、久しぶりの感触だ。テレスターレも悪くないが、やはりこちらのほうが落ち着くね」
ディートリヒ・クーニッツはようやく修理の終わった愛機である“グゥエール”の操縦席で、シートに深く腰掛けてその感触を確かめていた。
機体の9割の部位が破壊されると言う前代未聞の全壊ぶりを誇ったグゥエールは、鍛冶師達の奮闘により完全を越え新たなる姿を得るに至った。
操縦席内部もほぼ新調されており、真新しいシートから立ち上る、革の香りがディートリヒの鼻腔をくすぐる。
「……折角お前が新たな姿になったというのに、いきなり渡すことになるとは。うぬぅ……」
“黙っていればそれなりに見目良い”顔に渋い表情を乗せながらも、彼は操縦桿を軽く動かしてその具合を確認していた。
新しいづくめの操縦席の中、操縦桿だけは昔のそれを流用している。
動かした分だけ少し磨り減った、手に馴染んだ感触にディートリヒは小さな迷いを感じる。
親方や双子の思惑を別にしても、完成した新型機は公爵の管理下に置かれる、そういう決まりだ。
彼は苦笑を浮かべながら首を振って迷いを追い払うと、拡声器のスイッチを入れた。
「グゥエール、立つぞ。周りから離れてくれ」
ディートリヒが操縦桿と鐙を押し込み、新たな筐体を得たグゥエールが以前と同じように主の指示に忠実に従う。
休眠状態だった魔力転換炉が目を覚まし、ゆるやかだった吸気音が急速に甲高いものになってゆく。
炉は取り込まれたエーテルから魔力を生成し、全身へと供給を始める。
流れる魔力には魔導演算機によって魔法術式が乗せられ、結晶筋肉へと蓄えられてゆく。
魔法術式により目覚めを命じられた結晶筋肉がわずかに伸縮し、金属の鎧に覆われたグゥエールの全身がぶるりと小さく震えた。
特殊な魔法現象により収縮する結晶筋肉は、張り詰めた音を立てて鋼の鎧に身を包む巨人の騎士を動かす。
数ヶ月ぶりに“紅の騎士”グゥエールは、重々しい足音と共に大地に立ち上がった。
工房の奥から、テレスターレと同様の新型機として新生したグゥエールが歩みでる。
かつてばらばらに吹き飛んだ装甲は今は歪み一つなく揃えられ、太陽の光の下に眩い紅の輝きを反射していた。
内面的には別物と言っていいほどに変わっているが、外見上はさほどの変化はない。
ただ、その背中には魔導兵装・風の刃が背面武装として装備され、以前の反省から腰には予備を含め4本の剣が挿された重装備になっていた。
グゥエールはその構成上、最初から盾を持たない。本来は常に二刀流を基本とし、攻めに重きを置いた機体なのだ。
その代わりに、肩から腕にかけての装甲が幅が広くやや厚めに作られており、防御的な用法にも使えるようになっていた。
そのためシンプルなアールカンバーの横に並ぶと、その姿はややいかつい印象を受ける。
「さて、準備はできたかい?」
問いかけるディートリヒに、工房の前にいたアールカンバーが片手を上げて応える。
そこにはアールカンバーのほかに、2台の馬車とお馴染みの面子が揃っていた。
「ダーヴィド君、この幻晶騎士はあくまで学園の備品なんじゃがの? あんまり勝手に渡されても困るんじゃが」
「ちょっとくらいいいじゃねぇか。
どうせ向こうに渡した分は、公爵様から同じだけのカルダトアもらうって話なんだからよ。学園の機体が減るこたぁないぜ」
「そういう問題でもないが……まぁいいわい。今年の騎操士学科は異例尽くめだし、今更かのう……」
最近すっかり諦めるのが早くなった学園長ラウリ・エチェバルリアが適当に手を振る横で、キッドとアディが馬車のうち一つ、荷馬車の中を見て唸っている。
「うーん、ちょっと乱暴だったか? でもこうしないと入らねぇしなぁ」
荷馬車の上には、キッドとアディが使う機体の他に、モートルビートも含めた3機の幻晶甲冑がずらりと並べられ、ロープで荷台に固定されている。
幻晶騎士にくらべれば小なりとは言え、それなりに嵩張る鎧を詰め込んだ荷馬車にはもはや余分な空間などないに等しく、それだけで丸々占拠している状況だった。
「モートルビートも持ってくの?」
「エルのことだから、俺らのだけ持って行ったら拗ねそうな気がする……」
キッドとアディが大きく頷きあう間にもう一台の馬車へと荷物を積み終えた親方が、二人を呼んだ。
「よし、それじゃあいっちょうカザドシュまで出発だ!」
親方と数名の整備班、そして双子が乗る馬車が先行し、それに紅と白の幻晶騎士が随伴する。
後に残ったラウリは彼らを見送ると、さっくりと気分を切り替えて振り返った。
「さて、それじゃカルダトア受け入れ後の改修作業について打ち合わせを始めるぞ。
場合によってはお前らの後輩に受け渡すことになるから、それも踏まえて進めるように」
まばらな返答を返し、残った鍛冶師達が踵を返す。
大きく形を変えつつあるが、彼らはいつもどおりの日常へと戻っていくのだった。
ディクスゴード公爵領の南部はアキュアールの森と呼ばれる森林地帯が広がっている。
西フレメヴィーラ街道から分岐した街道がそれを北へと貫いており、領内の街道沿いにカザドシュ砦とダリエ村が存在している。
鬱蒼と木々の並ぶアキュアールの森の中は、まだ日の高い時間だというのに薄暗く、静かで重い空気が漂っている。
森のなかで唯一開けた場所である、街道から差し込んだ光が周囲にいくらかの明るさを与える中、光の範囲から外れた暗く淀んだ茂みに蠢く者がいた。
それらは茂みの中、さらに目立たない暗い色合いの鎧を身に付け、じっと身を伏せ時を待っている。
周囲には時折野鳥のさえずりが聞こえてくる以外、動くものすらない。
どれほど時が経っただろうか、茂みの中をひとつの影がするりと這い回る。
それは伏せる兵士と同じく、暗い色合いの鎧を身に付けていた。
「隊長、“廻り鹿”が報告を入れてきやした。“狩人は獲物を置いた”と」
押し殺した声で告げる部下に対し、銅牙騎士団の団長であるケルヒルト・ヒエタカンナスは同じく小声で指示を返す。
「野郎ども、準備はできてるね? “ヴェンドバダーラ”を起動させな」
彼女の部下はそれに頷くと、そのままほとんど音を立てずに茂みの奥に消えていった。
彼女達は銅牙騎士団という名前で呼ばれる存在だが、普通の“騎士”にそのような芸当は不可能だ。
気配を殺し、暗闇に潜み、計略を持って事に当る。
“騎士団”とはどのような皮肉だろうか、彼女達は本来は“間者”と呼ばれる存在なのだ。
その彼らがこうして総力をもってことに当たるからには、その目的は生半なものではないことがわかる。
ざわり、と木々に止まる野鳥がざわめき、慌しげな羽音を残して飛び去ってゆく。
野鳥が飛び去ったあたり、彼女達の背後では森と同化する色合いの覆いを被せられていた巨大な何かが、のそりとした動きで立ち上がっていた。
平均的な人間の5倍以上の大きさを持つそれは、鉄と結晶でできた人造の巨人、幻晶騎士だ。
ケルヒルトが“ヴェンドバダーラ”と呼んだその機体は多くの奇妙な特徴を持っていた。
つるりと滑らかな外装、装甲はまばらでしかなく、ところどころ魔獣の革を使った覆いが露出している。
丸い卵形をした頭部には、視界を確保するためと思しき穴だけが開いており、眼球水晶のうつろな視線が奥で揺らめく。
それは過剰なまでに外見上の特徴を削られており、むしろ一周して不気味な存在感を備えるに至っていた。
また不思議なことに、ヴェンドバダーラからは幻晶騎士に特有の騒々しい駆動音がしない。吸気機構が立てていると思しき音はくぐもり低く抑えられ、森のざわめきの中にまぎれている。
弦楽器の調べのような、甲高い音を立てるはずの結晶筋肉もどのようにしてかほとんど音を出さず、鈍く重い歩行音すら、他の機体に比べれば無いに等しいものだった。
気配すら希薄な無貌の巨人――それは薄暗い森の中にあって、まるで亡霊のように存在が不確かだ。
ケルヒルトは、暗闇の中に霞むヴェンドバダーラを見上げると、にたり、と笑みを深くする。
「苦労して運び込んだ虎の子だ、今回はうんと働いてもらうよ。
さて、ここからは私らの戦争だ。機会は一度きり、成功以外の結果はあっちゃならないよ。お前ら、気合いれな」
大きく手を振った彼女の指示に従い、3機のヴェンドバダーラがそろり、そろりと前進する。
蠢く亡霊の群れは、森に開けた街道を歩く傷ついた2機のカルダトアをその視界に捕らえていた。
暗闇からにじみ出るように、亡霊は騎士の背後に忍び寄る。
カルダトアの騎操士は決して油断していたわけではない。
彼らは気楽な調子で歩いているように見えて、途中で魔獣に襲われることを警戒して周囲の様子に注意を払っている。
しかし、彼らが最も重視しているのは音だ。幻晶騎士にとって脅威となるほどの魔獣は、どうしても動けば大きな音を発するため、彼らは不自然な音を聞き逃さないような訓練を積んでいる。
それゆえに自身の駆動音に紛れて背後から忍び寄る亡霊の存在に、彼らは気付けなかった。
完全にカルダトアの背後に回ったヴェンドバダーラは決して大きな音をたてず、しかし素早く最後の距離をつめる。
その手には刺突剣と呼ばれる、四角錐の形をした鋭い刃が握られていた。
極端に静粛性と隠密性を追求したヴェンドバダーラは、その代償として単体の戦闘能力が低い。
出力は並以下で装甲も申し訳程度、持久力も極めて低い。正面きっての戦闘ならばカルダトアとの戦力比は1:3で辛うじて、と言ったレベルである。
格闘性能に劣るヴェンドバダーラは、斬り結ぶことなど考えない。彼らにしか出来ない方法で、一撃で急所をつくのだ。
その狙いは、機体の“脇腹”の部分である。
幻晶騎士はその構造上、可動部である腕の付け根の装甲が薄い。あってもチェーンメイルであり、多くは魔獣の皮革を用いた覆いがあるのみだ。
そして腹部に収められた魔力転換炉の上部に位置するそこは、大抵の場合炉へと外気を取り入れる吸排気口が存在する。
さらには胸の内部には幻晶騎士で最も脆い部品――騎操士が、存在する。まさに幻晶騎士の急所中の急所なのだ。
カルダトアの背後から、ぶつかるようにして抱きついたヴェンドバダーラが、その勢いのまま脇腹へと刃を刺し込んだ。
突き刺し、貫くことに特化した刃は薄い装甲をあっさりと抜け、その内部にいる騎操士へと襲い掛かる。
カルダトアの騎操士は状況を認識できただろうか、巨人が振るう刃は人間の命などいとも容易く奪ってしまう。
何の反応も見せず、操り人形の糸が切れたかのようにカルダトアの動きが止まる。操るものが居なくなった幻晶騎士は、生物のように暴れることはない。
カルダトアが2機とも動きをとめるのを見たケルヒルトは、頭にかぶった覆いの下で低い笑いを漏らしていた。
「ようし、上手く行ったようだね。さて、次へと駒を進めようじゃないか、準備を急ぎな!」
ヴェンドバダーラがゆっくりとカルダトアの身を横たえると、森の中にいた兵士達がばらばらと現れる。
刺突剣による攻撃は、特定の条件化で一撃で幻晶騎士を仕留めうるという他に、とある利点が存在する。
破壊されたのは僅かな装甲と吸排気口、そして騎操士のみであり、幻晶騎士の動作機構への影響が少ない。つまり、操る人間さえいれば、カルダトアはまだ自力行動が可能なのだ。
彼らはカルダトアの騎操士を手早く“片付ける”と、破壊の跡も生々しい操縦席へと躊躇なく乗り込んだ。
本物の亡霊となったカルダトアが、ゆっくりと立ち上がる。
操縦の簡易さを追及したカルダトアは、皮肉にも襲撃者にもその恩恵を与えていた。奪われたカルダトアは、何も問題なかったかのようにしっかりとした足取りで歩みを再開し、ヴェンドバダーラは再び森の中の暗がりへと姿を消す。
亡霊たちは一歩、また一歩と確実にカザドシュ砦へと、その歩みを進めてゆくのだった。
うららかな陽気を与えていた太陽がオービニエの山間に沈み、景色が闇に包まれると共に、秋の気配が涼しさとなって訪れる。
カザドシュ砦の城門を守る騎士団員は、忍び寄る夜の気配と吹く風にひとつ大きく身震いする。
城門の上に設置された見張り部屋に、同僚の騎士団員が帰ってくる。彼は日が落ちる前に灯りとなる篝火をつけて回っていた。
「やれやれ、これからの季節、門番がどんどん辛くなるなぁ」
「まったくだな、さっさとあがって休みたいぜ……」
そうやって軽口を交わしていた彼らだが、遠くから何か巨大な存在の足音らしき重い音が接近するのを聞きつけて、さっと緊張の色が走る。
彼らは城門の上から街道の様子をうかがう。完全に夜の闇に沈む前の僅かな明かりの中に、鉄色の鎧をまとう巨大な騎士の姿が視認できた。
「お、カルダトアか。ダリエに向かった中隊か?」
「待て、今確認する……ああ、あの紋章はうちだな。と言う事はダリエは助かったのか?」
近づいて来るカルダトアの肩には、確かに朱兎騎士団の紋章が見える。
それと共に彼らの耳に、普段は聞こえない騒々しい音が伝わってきた。損傷により部品が引っかかっているのであろう、カルダトアが動くたびに全身からぎりぎりと耳障りな駆動音を立てている。
かなりのダメージを負っていると思しきその姿に、門番達は一度敬礼し、問いかけた。
「ご苦労さん、ダリエのほうは無事だったのか?」
「ああ、被害は酷いもんだが、魔獣は片付けたよ」
ついでカルダトアに乗る騎操士は、ダリエ村へと派遣された中隊のうち損傷の大きい本機を戻すと共に戦闘の勝利を伝えに来た、と言った。
なるほど、と状況を飲み込んだ門番達は、門を開くべく報告を告げに走った。
重い木々がこすれる低い音を伴ってカザドシュ砦の門が開く。
門を守る戦力を兼ねるカルダトアが、城門の開閉機構を操作する。
帰ってきた2機のカルダトアと、それに続く馬車がゆっくりと城門をくぐった。
傷ついたカルダトアへと、城門の守備隊から労いと賞賛が浴びせられる。
勝利を持ち帰れば、機体の損傷も勲章の一種となる。彼らが浮かれるのも仕方のないことだった。
「まったく手酷くやられてるな、報告を上げる前に、先に工房へ機体だけ置いていけよ」
「ああ……そのつもりさ」
門を開けたカルダトアにぎこちない敬礼を返し、壊れた2機のカルダトアがゆっくりと工房へと向かう。
その後ろには馬車が続いていたが、物資の補給にでも来たのだろうと、城門の守備隊の誰もが気にも止めなかった。
工房へと入ってきた傷ついたカルダトアを見て、砦に残った機体を整備していた鍛冶師達は、慌しく活動を始めた。
出撃したのは一個中隊のみとは言え、状況によっては増援が必要かもしれないし、別の場所で何かが発生するかもしれない。
そのため残る機体もいつでも動かせるよう、入念に整備がされていたのである。
騎士団にも待機命令が下っており、工房に併設された詰め所では朱兎騎士団の騎操士達が待機している。
鍛冶師の班長は、異音をたて、歪な動きを見せるカルダトアの様子を見て、即座に周囲へ指示を飛ばした。
整備班が慌しく部品を運んでくる。2機のカルダトアはゆっくりとした動きで、他にも機体が並ぶ整備台へと向かった。
それだけなら、その鍛冶師も疑問に思うことはなかっただろう。
しかしカルダトアの後ろから馬車が工房に入ってくるのを見た彼は、束の間疑問に首を捻った。
騎操士ならば詰め所にいるし、中隊に随伴した鍛冶師だろうか? しかし彼らは現地の部隊の支援についていったのである、簡単に人数を減らす真似をするとは思えない。
そう思い、鍛冶師が馬車に向かって誰何しようとした瞬間、馬車から何かが飛び出した。
抑えられた風切り音を残して飛翔した数本の“矢”が、狙い過たず鍛冶師の胸に突き立つ。
鍛冶師が血を吐いて倒れるのと、馬車から武装した集団が飛び出てくるのは、ほぼ同時だった。
さらに時を同じくして、整備台へと向かっていたカルダトアもその本性を露にする。
それまでの歪な動きが嘘のように素早く剣を抜いたカルダトアが、工房へと続く入り口へと剣を振り下ろす。
巨人の一撃を受けた通路が破壊され、瓦礫に埋まり通行が困難になる。
そうやって増援を絶った侵入者達は、クロスボウを撃ち剣を振るい、工房に残った鍛冶師達を排除していた。
「あんたらは正面を守りな! 鍛冶師ごときにいつまで手間取ってるんだい! さっさと目的のものをいただくよ!」
瞬く間に工房を占拠した侵入者たちは彼らのカルダトアに幻晶騎士用の出入り口を守らせながら、工房内部を探して回る。
やがて侵入者の一人が声を張り上げ、ケルヒルトは数名を引き連れてそちらへと向かった。
そこにはカルダトアとは別の、無骨な色合いをした機体がある。いかにも試作であると主張する、垢抜けない機体を前にしてケルヒルトは作戦の大半が成ったことを確信した。
「ほう、こいつだね……聞いたとおりだ。さてお前達、仕上げに取り掛かるよ……!」
彼ら銅牙騎士団は、元をたどれば間者であり、個人の戦闘技能はともかく騎操士としての技術に優れるものは多くない。
とは言え今回の襲撃は目的が目的であるため、この場には特にその数少ない例外である騎操士の技能を持つものが集められている。
ケルヒルトと数名の部下が目的のものを起動している間、残る部下はその場にあったカルダトアへと乗り込んでいた。
それでも起動できたカルダトアは僅か3機。残る大半は動かすことが叶わなかった。
「“余った”分は破壊しな。さて、そろそろ守備隊が立て直す頃だね、一気に突破するよ!」
彼女が告げると、奪われたカルダトアが整備台に座ったままの同型機を片端から斬り倒し始める。
騎操士の乗っていないカルダトアはいとも呆気なく破壊され、次々に残骸と成り果てていった。
それだけの異常事態に、砦に残る朱兎騎士団も何もしないままではない。
城門や砦内部の警備のために起動していた朱兎騎士団のカルダトアが騒ぎを聞きつけ工房へと集まってくる。
彼らは工房の入り口に立ちふさがる同型機と、戸惑いのままに交戦状態に突入していた。
「くそっ、こいつらは一体なんだ!? 何故カルダトアをッ!!」
朱兎騎士団のカルダトアには、状況が全く把握できていない。
ただ、彼らの使うカルダトアの一部が侵入者に奪われ、工房内部は制圧されたと言う事だけが認識できるのみだ。
彼らは怒りに燃えていた。
当然だ、敵は彼らのカルダトアを奪った挙句、彼らの基地たるカザドシュ砦で我が物顔で暴れて回っているのだ。これに怒りを覚えずしてなんとしたことか。
状況はわからずとも、それだけで朱兎騎士団は激しい攻勢に出ていた。
しかし、当初は勢い込んでいた朱兎騎士団の騎士も、奪われたカルダトアの後ろで動く見慣れぬ機体の存在を確認するにあたり、動揺を隠すことができなかった。
「あ、アレは……まさか……!!」
一部の部品が剥き出しになった、いかにも急造な見た目。その背に屹立する、他の機体にはない背面武装が威圧的な雰囲気を放つ。
そして工房の床を踏み砕きかねないほどの力を発揮しながら、新型幻晶騎士・テレスターレが歩みを進める。
ライヒアラ騎操士学園より持ち込まれた5機全てが、侵入者の手へと落ちていた。
「なんだい、この出力……聞いていた以上じゃないのさ、まるで暴れ馬じゃないか!」
そのうち1機に乗ったケルヒルトは、操縦桿へと返る異様な手ごたえに、悪態をつかずにはいられなかった。
事前の情報により、彼女達はテレスターレの操縦特性についての知識も持っていたが、実際に動かしたそれは彼女達が想像していた以上に扱いづらいものだった。
それなりに幻晶騎士に乗ってきた、彼女の経験を以ってしてもクセの強さに慣れるには時間が掛かりそうだ。
「所詮は学生の作った2流品かい? まったく、手間をかけてくれるね……おっと、背面武装ってのはこれかい?」
“事前に教わったとおり”、彼女は操縦席に設置された見慣れぬレバーを操作する。
テレスターレはただ騎操士の指示するままに忠実に動作する。その背中で補助腕が動作を始め、魔導兵装が両肩の上に展開された。
操縦席へ伝わってくる微かな振動を確認していた彼女は、展開が終わったところで操縦桿のトリガーを引き絞る。
照準機能などロクに理解しないままの一撃だったが、状況が状況だけに法弾は真正面へと撃ち放たれ、朱兎騎士団の構える只中へと突き刺さった。
戦術級魔法による爆発が、混乱に更なる拍車をかける。
それは朱兎騎士団にとっては、最悪の事態が訪れたことを告げる狼煙そのものだった。