#34 雨の降る日に
ごうごうと、唸るような音を立てながら風が吹き荒れる。
横殴りの暴風に煽られ、叩きつける様に降り注ぐ激しい雨の中、何台もの馬車が西フラメヴィーラ街道の上をひた走っていた。
晴れていれば周囲に響くであろう、馬蹄が石畳を打つ硬い音も今は嵐の中にかき消されている。
月の初めより崩れ始めた空模様は見る間に大荒れとなり、ここしばらくの間はまるで地面を削ろうとしているかのような勢いで雨が降り続いていた。
いかに石畳で舗装された西フレメヴィーラ街道とは言え、既に排水能力の限界を越えており、あちこちにできた広い水溜りが道行くものの障害と化していた。
決して屋外を行動するのに向かない天候と悪路の中、馬車は一心不乱に前へと進む。
その進路上には国内最大の学園施設、ライヒアラ騎操士学園を有するライヒアラ学園街の姿がおぼろげに見え始めていた。
「まったく、よく降ることじゃのぅ」
ライヒアラ騎操士学園の学園長であるラウリ・エチェバルリアは窓の外を見ながら、途絶える気配のない雨に眉根を寄せ髭をなでさすっていた。
最近では珍しく長引く雨により一部の授業にも不都合が出始めている。晴天が続きすぎるのも問題だが、こうやって雨が続くのもそれはそれで問題になるものだ。
そうして物思いに沈んでいたラウリの意識を、唐突に聞こえて来たノックの音が拾い上げた。
「ふむ、どなたかの」
彼はぽつりと呟くと、学園長用の古めかしい作りの机へと戻り、椅子に腰掛けながら返答する。
扉の外からは学園の用務員を務める者がおずおずと来客の存在を告げた。
かすかに眉を寄せ、ラウリは来客の予定を思い出してみるが、本日何かしらの予定が入っていた記憶はない。
彼は学園の長ではあるが、それはつまり教育者のまとめ役に過ぎず、特段強大な権力を持っているわけではない。
それでも学園長まで直接案内する必要がある来客というのは珍しいものだった。
そういった客が突然やってくる事もないわけではないが、大抵そういった相手は地位のある人物であり多忙である。その場合は時間の無駄を省くため事前に予定を調整してから会うものだ。
とは言え、と思い直してラウリは窓の外へ視線を向ける。そこでは降り止む気配もない雨が窓を叩き、時折強風が窓枠をガタガタと揺らしている。
この悪天候では多少連絡に不手際があっても仕方ない、むしろこの状況で出向いてくるほどの火急の用件があるのだろうと考えて、ラウリは来客を学園長室まで通すよう返事をした。
来客はすぐ近くに待機していたと見え、返答からまもなく部屋の扉が開かれる。
がしゃがしゃと騒々しい音を立てて入ってきた来客の姿を見て、ラウリは目を細め顔の皺を深くした。
「その紋章……ディクスゴード公爵配下の騎士殿とお見受けしますが、斯様な悪天候の中、当学園にいかなる御用ですかな」
ラウリの前に案内されてきたのは3人の騎士だった。
しっかりと鎧に身を包み、その上からマントを羽織り兜を小脇に抱えたその格好は、他の何にも見間違いようがない。
ラウリは彼らのマントに織り込まれた紋章からその所属を見て取ったが、しかし彼らがここを訪れた理由に見当をつけるには至らずに皺を深くする結果に終わる。
部屋に入ってきた騎士達は、その風体から独特の威圧感と真面目さを放ちながら、まずはラウリに対して綺麗に礼の姿勢をとった。
「はい、我らはディクスゴード公爵閣下配下、朱兎騎士団に所属しております」
3名の中央に立った騎士が名乗りを上げる。
彼はこの中でも指揮官格にいるようで、話すのは主に彼だった。
「本日は公爵閣下の命によりここを訪れました。まずは閣下より文を預かっております、お改めください」
差し出された油紙の包みを受け取り、中より封書と思しきものを取り出す。
それにつけられたディクスゴード公爵家の紋章を象った封蝋がランプの灯りの中にはっきりと確認できた。
言うまでもなくこの紋章を使用することが出来るのは、ディクスゴード公爵家の人間をおいて他には居ない。
これが公爵家からの正式な文書であることを再確認したラウリの緊張が高まる。
ラウリは一言断ってから手紙の内容を確認する。そこに書かれた内容を読むにつれ、ラウリの目が驚愕に見開かれていった。
手紙を読み終えたラウリが何かを言おうと口を開きかけたその時、突如窓から飛び込んできた雷光が部屋を白く染めた。
しばし遅れて大音量の雷鳴が轟き、その場にいる全員の鼓膜を激しく震わせる。
それに続いた様々な感情を含んだ沈黙を、降り続く雨の音が飲み込んでいった。
教室の中には押し殺すような沈黙と、漏れ出した微かな呟きが漂っている。
先ほど轟いた雷鳴はここしばらくの中でも特に大きなものだった。悪天候のため昼だというのに薄暗く、ランプの灯りに照らされた室内では生徒達が自らの驚愕を隣の席と囁きあっている。
壇上に立つ教師も少し窓の外を伺うそぶりを見せたが、驚いたな、とぽつりと感想を漏らすと再び授業へと向き直った。
間もなく教室は雨の音に満たされる。
雨音にかき消されまいと教師がいつもより大きな声で授業を続けるが、飽くことない自然の力の前にいくらかの非力さは否めなかった。
そんな落ち着かない空気のせいか、それとも先ほどの雷鳴のせいか。
いまひとつ集中力に欠ける様子の生徒達がそれでもしっかりと板書だけはとっている。
むしろ説明が聞きづらい分、板書が授業の命綱になっている。彼らも必死である。
微妙なバランスをたもったまま午前の授業が終わり、騒々しい昼食の時間が訪れる。
基本的に寮生活であるライヒアラの生徒達は昼食になると学園付属の食堂を利用する。天候が落ち着いていれば周囲の店や自宅を利用するものもいるだろうが、この悪天候では何をかいわんや。
エルネスティ達3人もその例外ではなく、席を立ち食堂へと向かおうとしたが、その時意外な人物が慌しい様子で教室を訪れた。
訪れた人物――マティアス・エチェバルリア戦闘技能教官は黒板の片づけを行っていた教師に何事かを耳打ちする。彼らの間で何かしらの了解が交わされた後、マティアスはそのままエルの前までやってきた。
「とう……エチェバルリア教官、どうされたのですか?」
エルは小首を傾げながら、近寄ってくる自分の父親であるマティアスへと問いかける。
マティアスは主に高等部、騎操士学科にて指導をしている。初等部であるこの場に用事があるとすれば、それはエルに対するものだと考えたほうがいいだろう。
「理由は後で説明する、いますぐに一緒に来てくれ」
頷きながらも少し急かすような雰囲気のマティアスの常ならぬ様子に、エルは首の傾斜を深くしかけたが、すぐに思い直すと小さく後ろを振り返った。
「二人は?」
「ああ、すまないなキッド君、アディ君。しばらくエルは借りてゆくよ」
状況がよくわからずにとりあえず頷く双子に小さな会釈を残して、エチェバルリア親子は連れ立って教室より出て行く。
「マティアスのおっちゃんどうしたんだ? 珍しいよな……」
「なんだか、嫌な予感がするわね」
キッドとアディはしばらくの間彼らが出て行った扉をぼんやりと眺めていたが、ふと昼食時の食堂の混雑を思い出して慌てて移動を始めた。
何があったのか後で聞けば良い、そう思っていた二人だが、彼らがそれを確認するのはずっと後の事になる。
午後の授業が始まっても、教室にエルの姿はなかった。
エルネスティとマティアスが二人並んで、静かに廊下を歩いてゆく。
片や短めの金髪をなでつけ隆々たる体躯をもつ戦闘技能教官、片やセミロングの銀髪を流した小柄な体躯の少年。
年齢が違うことを考慮に入れても、二人の見た目は対照的とも言っていいほどに違う。
エルは全面的に母親似なので仕方のないことではあるが。
そうして何もかもが違うようでいて、しかし彼らが纏う雰囲気には驚くほど似た部分があり、やはり親子である事をどこかしらで感じさせていた。
彼らは昼休みの慌しい人の流れに逆らうように移動していた。
食堂とは逆の方向、学舎からも離れ、その足は実習向けの施設がある区域へと差しかかる。
歩きながらエルは目的地を推測し、この急な呼び出しの内容にもある程度の見当をつけていた。
「(こっちにあるんはアレか……と言う事はあの人から連絡がきたんかな?)」
エルは目的地についてから説明があるものと思い、特に質問をすることもなく静かに歩いていたが、マティアスには少し別の思惑がある。
周囲を憚ってか、教室のある学舎から離れて人気のない区域に差し掛かったところで、彼は歩みを緩めて口を開いた。
「先ほど、義父さんのところへディクスゴード公爵から遣いの者が来た」
エルがそれに反応を返すまで一拍の間があった。
「……セラーティ侯爵から、ではなくてですか?」
過日、エル達はキッドとアディの案を受け、セラーティ侯爵へと新型機の扱いについて協力を要請する連絡を入れていた。
そのため誰かが来るとすればまずセラーティ侯爵の関係者だと考えていただけに、エルにとってマティアスの言葉は予想外のものだった。
エルは些か腑に落ちない部分を感じていたが、ひとまず自身の疑問を脇において状況の確認を優先する。
「その遣いの方はどのような用件で来られたのでしょうか?」
「エル達が作った新型の幻晶騎士についてだそうだ。
詳しくはまだ私も聞いていない。まずは関係者を工房に集めて説明をするらしい」
その内容自体は予想が出来るものだったが、それゆえにエルは疑問に首を捻る。
「(セラーティ侯爵が連絡を入れたのは間違いないにせよ、なんでまた公爵にまで話が?
“侯爵位”では解決できんほどの難問があるんかな?)」
こちらからの要求が何かしらの困難を伴うのか、それとも新型機の扱いが難しいのか?
エルは思考の海に沈みかけたところで、今それを考えるのは無駄であることに気付いて小さく首を振った。
エルが顔を上げたところで、視線を下げたマティアスと目が合う。常は鋭さを放つ彼の目つきは今は優しさを湛え、下げられた眉がその印象を更に強めている。
「エルは本当に昔から幻晶騎士が大好きだな」
やや脈絡にかけた台詞を言いつつ、マティアスは自分の胸より下にある息子の頭をゆっくりと撫でる。
父親の態度に奇妙なものを感じたエルは少し首を傾げる。
「そうですね。父様もご存知のように僕はそのためにここにいるようなものですし。
こんなにも早く実物に触れる機会があるとは思いませんでしたけど」
「そうだな。そのためにエルが色々なことを学んでいるのも、ずっと頑張ってきたのも良く知っている」
だが、と言葉を続けながらマティアスは表情を引き締める。
その様子から、エルはこちらこそが父親の話したかったことだと気付いた。
「エルの作った新たな幻晶騎士は、これから大きな波紋を呼ぶことになるだろう」
それは予想の形を取ってはいるが、半ば以上の確信を持って語られた。
実際に、公爵位にある人物から遣いが来ていると言うこの状況だけでもそれを肯定するには十分だ。
「それは良いことばかりではなく、おそらくは困難も伴うことになる」
「……父様」
マティアスの危惧に察しがついたエルは、その愛らしい顔に少しの苦味を混ぜた。
エルは自分自身にその困難が降りかかる事は覚悟している。降りかかる先が騎操士学科の学生たちであっても、彼らは共に戦ってくれるだろう。
しかしそれが家族にも影響があるかもしれないことに、エルは一種の申し訳なさのような気持ちを持っていた。
エルの行動、ひいてはこの状況は純粋に彼自身のわがままに端を発している。
普通の子供のわがままであれば大したことは起こらない、精々が悪戯の範囲を出ることはないだろう。
しかしすでに事態はそれで済ませられる範囲を遥かに逸脱し始めている。
「エルなら、もしかしたらどんな困難も一人で解決してしまうかもしれない」
エルが内心大きく反省をしている間に、マティアスは前を向き再び歩き出していた。
呟きのような彼の言葉は、窓の外から響く雨音にも負けずにしっかりとエルの耳へと届く。
エルは小走りにその後を追いながらマティアスを見上げた。
角度的にマティアスがどのような表情を浮かべているのかはわからなかったが、彼は力強い声音で断言する。
「だができるかも知れないと言って、何もかも自分ひとりで全てをこなす必要はない」
振り向いたマティアスとエルの視線がぶつかる。
マティアスは、彼には珍しいことににやりと、まるで悪戯をしかける子供のような笑みを浮かべた。
「とことんまで思うとおりにやってみなさい、エル。私もティナも、エルを信じているし応援している。
勿論、義父さんだって応援してくれるさ」
「……はい、父様。もしかしたらお力を借りるかもしれませんけど、そのときはお願いしますね」
彼らの前に工房の入り口が見えてくる。
いつもは嬉しさや楽しさと共にそれをくぐるエルにも、今日ばかりはその扉がまるで戦場への入り口のように見えていた。
工房へと辿り着いた彼らが目にしたのは、いつものように壁沿いに並んだ整備台に乗せられた幻晶騎士であり、そしていつもとは違い作業の手を止めた鍛冶師達だった。
普段であれば慌しく行き来し、整備台に設置された幻晶騎士を整備すべく様々な作業を行っている彼らだが、今は突然の知らせに浮き足立った様子で何事かを話し合っている。
良く見れば鍛冶師だけではなく騎操士もおり、本当に関係者の大半がこの場に集められていることが見て取れた。
未だ内容が説明されていないことによる、期待と不安の入り混じった空気が工房の中を漂う。
エルネスティは例外中の例外であり、大半の生徒は公爵位にある人物との接点などもたない。
以前、陸皇亀討伐に貢献した一部の生徒が王都カンカネンで行われた叙勲式へと出席したが、それが精々と言ったところだ。
つまり伝えられたディクスゴード公爵の名は、彼らにとっては雲上人からの呼びかけに等しく、それが大きなプレッシャーとなっている。
様々な不安や期待を抱くのも無理なからぬことだった。
エルは小柄な体格を生かして生徒の間をすり抜け、見知った人物の元へと向かう。
「親方」
エルが声をかけると、エドガーと話し込んでいた親方が髭を揺らして振り向いた。
「おう、銀色坊主か。聞いてるか? 早速連絡が来たようだぜ。
なにやら記憶よりも相手が大物になってる気がするが」
「それだけ評価されたと考えるべきじゃないか?」
横殴りに襲い掛かる暴風雨を避けるため、締め切られた工房の中は想像以上に蒸し暑い。
手に持つ杖からゆるい風を起こしながら親方は器用に肩をすくめて見せ、エドガーは皮製防具の固定を緩めていた。
「思いのほか急展開でしたね」
「この雨ん中ご苦労さんとしか言いようがねぇがな」
「間違ってもそれを直接言わないでくれよ、親方」
三人がやる気のないやり取りを交わしている間に、周囲から抑えたざわめきが上がる。
何事かと振り返れば、今しも工房へと見慣れぬ集団が入ってくるところだった。
その集団が身につけているのは、明らかに作業をするのには向かない、全身をきっちりと覆う鎧に紋章の織り込まれたマント。
学生の騎操士は動き易さを重視して主に皮の鎧を身につけ、一部のみを金属鎧にしている者が多い。これほどの装備を身に纏うのは間違いなく正騎士の身分にあるものだ。
集団の人数は20名に上り、その全員が同様の装備を身につけている。小規模ではあるがそれは騎士団そのものだった。
一歩ごとに鎧を鳴らし、雨音に負けない騒々しさを立てながら入ってきた騎士団がその歩みを止める。
その威圧感に生徒達が思わず軽く後ずさった。
それに合わせたわけではないだろうが、騎士団の中から一人の騎士が前へと進み出る。
彼は騎士団を代表する人物のようだった。
「学園より連絡のあった新型幻晶騎士製作に関係する生徒は、これで全てか?」
騎士の質問に、その場にいる生徒達の視線が戸惑いと共に交錯する。相手は騎士団の代表らしき人物、では学生のうち果たして誰が応じるのか。
あちこちで玉突き衝突を起こした視線は、ほどなく彼らの一角へと向けて収束していった。
背中に突き刺さるような多数の視線を受けた親方とエドガーが、嘆息を滲ませつつも風を受けた帆船のごとく前へと進み出る。
それに巻き込まれるようにして、彼らと会話していたエルも共に前へ出た。
「全員じゃねぇな。正確にいやぁ、あと錬金術師も何人か関わってる。
直接作った鍛冶師と動かした騎操士、そして発案者ならここにそろってるがな」
後ろへと顎をしゃくりながらの親方の返答に、エドガーが思わず頭を抱え、エルがずっこけかける。
正騎士に対してすら持ち前のぶっきらぼうな態度を崩さない親方はある意味大物だった。
確認の言葉を聞いた騎士は一瞬表情の中に渋いものを含めたが、相手は基本的に大雑把な性格をしたドワーフであり何を言っても無駄だと判断して、そのまま話を進め始めた。
「よろしい、そこは十分だが……。
君たちは騎操士学科の生徒だとわかるが、この子供はなんだ?」
やはりというべきか、エルの存在を見咎めた騎士が不審げな視線を向ける。
親方とエドガーがエルの事を紹介しようとして、しかしその困難さに開けかけた口を途中で閉じた。
思わず横を見た二人へとエルが笑顔で応じる。
騎操士学科の生徒にとっては、もはやエルがここに居るのも見慣れた光景であるが、冷静に思い出すと彼は初等部の生徒である。
今更ながら、ごく普通に彼がこの場に居ることの違和感を思い出し、親方の顔が引きつった。
説明しあぐねて停止した二人を見やり、なんとなく彼らの困惑が予想できたエルは普通に自己紹介を始めていた。
「僕は新型幻晶騎士に使われている技術の発案者兼、初期設計を担当した者です」
「…………子供の冗談にしては随分だな」
「んお、いや、事実だな。何ならここに居るやつらにでも、学園長にでも聞いてみたらいい。
全員そろっておんなじ事をいうだろうな」
再起動した親方の肯定を聞いても尚、騎士の疑惑は晴れない。
周囲にいる生徒たちも心なしか同情めいた視線を騎士へと送っていた。
我がことながら無理もない、とエルすら騎士の困惑に同情に近いものを覚えるが、さりとてこのままでは埒が明かない。
「僕のことは後にでも確認していただければ。ひとまず、関係者に違いはありませんから」
「……まぁいい。さて学生諸君、私は朱兎騎士団所属の騎士だ。
ディクスゴード公爵閣下より命を受けこの場に居る」
学生の間に再びざわめきが走る。国王に次ぐ、国内でも最上位の爵位を持つ人物からの遣い。
事前に話は聞いていたが、それでも改めて直接名乗られると、その衝撃は軽いものではなかった。
「閣下は新型の幻晶騎士について興味を持っておられ、実際に動いているところを見たいとの仰せだ。
そこで君たちには速やかに新型機をカザドシュ砦まで輸送してもらいたい。
機体の整備のために必要十分な人数を同行して、だ」
その騎士の言葉に対しての返答は沈黙。さきほどまでの興奮は一気に引っ込み、学生達を困惑に近い空気がつつんでゆく。
そんな気まずい空気を拭えないでいる生徒の中から、おずおずと親方が挙手をした。
「あー。ひとつ質問、いいか?」
説明を行った騎士が目配せで許可を示すと、彼はそれに応じて豊かな顎鬚を撫でながら疑問を呈する。
「なるべく急いで新型機が見てぇ、って考えにゃ異存はねぇが何せこの天気だ。
どう見たって幻晶騎士を動かすのには向いちゃいねぇが、それでもか?」
「当然だ、これは公爵閣下より直々に下された命令である。
君らも騎操士課程まで上り詰めたものならば雨天行軍の修練も積んでいるだろう。
そんなことは手を止める理由にはならない、ただちに準備にかかって欲しい」
騎士の表情が徐々に険しさを帯びてゆく。
彼らがどのような意図を含んでいるのかはわからないが、彼の背後に従う騎士団はかなりの威圧感を伴っている。
そこにはまるで室内の空気が一気に粘り気を帯びたような、圧迫された雰囲気が漂い始めていた。
しかし親方は大仰に首と腕を振り、実に気軽に言葉を続ける。
「いや、勘違いしないで欲しいが。まぁ天候がキツイってのも否定はしねぇが、それよりも機体への負担が怖い。
いくら訓練してるからっても、雨天行軍は困難だ。ましてやこの嵐だ。
新型はまぁ、そんなにヤワじゃあねぇが、だからと言って無茶をするにはまだまだ粗削りよ。
こちらとしても見せるのならできる限り良好な状態で持って行きてぇ。
それにそのほうがお互いにとって有益だと、思うんだがよ?」
我が儘で嫌がっているわけではないと言う親方の言葉に、騎士隊長は小さく頷いたものの、あくまでも硬い態度を崩さずにいた。
「それも一理はあるな。だが閣下は可及的速やかにそれを持ってくるようにと仰せだ。
強行軍になるだろうし、問題が発生するかもしれないが、機体であれば持って行く先で修理すればいいだけの話。
君達にも一緒に来てもらうのはそのためだ」
そこまで言われれば、学生も否とは言えなかった。
明確に不可能な命令ならばともかく、この場合問題は困難であると言う事のみ。
もとより公爵位の人物からの言葉に学生の身分で抗うことは不可能だ。となれば後は全力を尽くすのみである。
了承するしかないものの、それを実行するための労力を思い、親方は髭を揺らすほどの重い溜息をつく。
「わかった、とっとと準備をしよう」
今度こそ深く頷く騎士に踵を返し、親方は後ろでうんざりとした表情を隠そうとして失敗気味の整備班へと指示を始めた。
人間と同じく二本の脚で歩行する幻晶騎士は当然ながら地面の状態から強く影響を受ける。
長雨が続き、地盤が緩んでいるこの状況で動かすためには騎操士の操縦技術以外にも相応の準備が必要だ。
足回りにいくらかの装備をつけ、水の浸入を抑えるべく関節部へ覆いが追加される。
さすがに、これまでも十分な訓練を受けた整備班だけあり、この作業そのものはさほど時間もかからないだろう。
整備班が作業にかかる間に、マティアスが騎士へと話しかける。
「同行する学生は整備班と騎操士だけか? 動かすのならばそれで十分だとは思うが」
マティアスは傍らのエルを気にしながら問い掛ける。
その意図に気づいた騎士の返答は明確だった。
「いいや、発案者にも来てもらう。これほど小さな子供とは驚いたが……事実なのだな?
……そうか、本当か。
ならば閣下が話を聞きたいといっているゆえ、必ず連れて来るようにと厳命されている。
たとえ初等部の生徒だとしても例外はない。一緒に来てもらおう」
発案者というからには新型機開発の中心人物のようなものだろうと予想していた騎士は、目前の少年を見て未だに半信半疑の心持ちで居る。
こんなことで学生や教師が嘘をつく理由は無いだろうが、こんな子供が、というのが彼の正直な感想だ。
エルは何の気負いもなさそうな様子で笑みを浮かべ、騎士の疑惑の視線を受け流す。
思ったよりもややこしいことになりつつある事態に、彼はすっきりとしない気分でいたが、小さく首を振ると気合を入れなおす。
「(さて、公爵閣下はどんな話を始めるんやろな……)」
誰にとっても幸いなことに、準備の間に雨脚が弱まり、出発するころには暴風雨はいくらかその勢いを減じていた。
相変わらず空は厚い雲につつまれ、勢いを弱めたとは言え雨は降り続いているが、それでも嵐の最中を行くことを思えば随分とましだろう。
ライヒアラ学園街から馬車の群れが出発した。
朱兎騎士団が乗ってきた馬車を先頭にして、学生たちを乗せた馬車がそれに続く。
彼らの馬車を挟むようにしてテレスターレ・シリーズが横を歩いてゆく。
全高10mにもなる金属の塊である幻晶騎士を輸送する手段は、それほど多くはない。
負傷機体を輸送するための特殊な馬車はあるが、それも機体を分解することで重量を分散して載せる形式のものだ。
自力歩行の可能な幻晶騎士は基本的に自走して移動する。いかに新型機が今回の目玉であるとはいえ、この場合も例外ではなかった。
テレスターレの前方、そして集団の最後尾には朱兎騎士団所属のカルダトアの姿がある。
この道中においても魔獣に襲撃される危険はある。
いざという場合に目的の新型機を戦わせるわけにもいかないため、これらは護衛戦力として随行している。
目的地であるカザドシュ砦はディクスゴード公爵領に存在する。
そこまでの道のりは、途中までは西フレメヴィーラ街道を行き、そこからディクスゴード公爵領へと向けて分岐した経路を進んでいく。
その大半が石畳により舗装された道のりであり、悪天候を考慮してもかなり移動しやすいものだった。
特に自重があり二足歩行で移動する幻晶騎士にとって、雨によりぬかるんだ地面での行動はかなりの困難を伴う。
勿論、騎操士の誰もが雨天下の行動訓練を積んではいるが、だからと言ってその状況を歓迎する者は皆無であろう。
馬車と併走する幻晶騎士へと降りかかった雨が、機体の運動で発生する熱により蒸発してゆく。
その全身のあちこちから薄く蒸気をたなびかせながら、鋼鉄の騎士は黙々と歩行を続けていた。
順調に思えた道のりに変化があったのは街道から外れ、砦へと向かう道へと入ってからしばらく後だった。
森の中を切り開かれた道を行く彼らの耳に、明らかに馬車や幻晶騎士が立てるそれとは違う異音が届く。
「この音は……ちっ、こんなところで魔獣か。総員、周囲を警戒! 防御陣形を組むぞ!」
断続的に響く地鳴りのような低く、重い音。
フレメヴィーラ国内においてこのような音を立てる存在は2種類しかいない。幻晶騎士か、さもなくば魔獣だ。
幻晶騎士であれば吸気機構の駆動音が聞こえてくるはずである。そうでなくともこんな場所で突然現れるのはたいてい魔獣であると相場が決まっているが。
異音の発生源は明らかに彼らに向けて近づいている。
その規模から言って最低でも決闘級(幻晶騎士が必要な規模)と予想され、さらにそれが複数存在するかもしれなかった。
戦闘訓練をつんだ騎士はともかく、馬車を牽く馬はただの馬であり、明らかな異常の接近にパニックを起こしかけていた。
無秩序に暴走しないように御者が必死に手綱を取るが、馬の足並みは乱れ、それが結果として行軍速度の低下を招く。
速度を落とした馬車の列を囲むように防御陣形を組む幻晶騎士が、走りながらも周囲の森を警戒する。
これだけの音を立てる規模の魔獣であれば近寄れば必ず森に異常があるはずだ、そう予想しての行動だったが、異音がどんどん接近してくるにも関わらず、森には目立った異常は見られない。
「……違う、これは周りじゃない……下からっ!? クソッ、まさか!?」
騎士の一人が地響きの響いてくる方向に気付いたのと、それが現れるのはほとんど同時だった。
幻晶騎士による防御陣形の内側で、突如として吹き上がるように地面が弾け、そこから細長い何物かが出現する。
それは飛び出した勢いのままに空中で放物線を描き、地面へと接触すると石畳を粉砕しながら再び地中へ消えた。
石畳を含む硬い地面に対しても全く抵抗を感じさせないその動きは、まるで水面から飛び出る魚を連想させるものだが、一瞬見えた姿は紐のように細長いものだった。
ただし直径は1mはあり全長は数十mほどの、という注釈が付くが。
1匹目を皮切りに次々と地面から魔獣が出現し、群れと化し地面を砕きながら馬車と併走を始める。
その数凡そ10匹。魔獣が移動した後には、石畳で舗装されていたはずの道が見るも無残に砕けていった。
「まずい、固まっていると下からやられるぞ!」
「幻晶騎士! 防御陣形を変更して…………」
予想外の方向からの襲撃に騎士団の対応が後手に回っている間に、魔獣が先手を取った。
馬車の左右に分かれるように現れた魔獣は、数が揃うと同時に馬車へと襲い掛かってくる。
現れたときと同じように、魔獣が放物線を描いて馬車へと踊りかかってゆく。
固い岩盤をも砕きながら進むことを可能とするその先端部は、馬車を作る木材や騎士の着る鎧など全く問題とせずに一緒くたに粉砕する。
魔獣の何匹かは馬車のど真ん中を貫き、何匹かは直接馬を襲い、一瞬でそれの姿を挽肉へと変えて地面へと消えた。
牽き手を失った馬車が蛇行し、壊れた馬車が倒れこみ、障害物となって後続の移動を阻む。
俄かに混乱の只中に放り込まれた隊列は、完全にその動きを止めていた。
「固まっていると一網打尽にされるぞ! 一旦馬車から出て…………」
混乱の中でも騎士団は対策をとろうとしていた。
だがそんな努力をあざ笑うように、更なる異変が訪れる。
カルダトアのうち1機が剣を引き抜きながら援護に駆け寄ろうとし、突如として足元で発生した異常により中断を余儀なくされる。
それまでとは比較にならない勢いでカルダトアの足元が盛り上がり、そしてその中から先ほどの魔獣よりはるかに巨大な何かが現れた。
「な、なんだ……あれっ……!」
その光景を見た者は自らも危険の只中に居ると言うのに、一瞬の自失を避け得なかった。
カルダトアの足元から魔獣とおぼしき何者かが現れた途端、周囲には硬質な物体同士が擦れあい、岩を粉砕する耳障りな音が撒き散らされる。
形状こそこれまでの魔獣と同じく細長い紐状だが、新たに出現した魔獣の直径たるやおよそ6m――幻晶騎士の全高の半分を超している。
その先端はびっしりと並んだ大量の甲殻によって覆われており、幾重にも重なって配置されたそれが、高速で互い違いに回転し続けている。
まるで地球におけるシールドマシンのように、回転し続ける甲殻が魔獣の進路上にあるものを粉砕し、挽き潰してその体内へと取り込んでいた。
それは地面であろうと、石畳であろうと、幻晶騎士であろうと一切例外ではなく。
現れた魔獣に“喰らい付かれた”カルダトアの脚部が、まるで濁流に飲まれたかのように一瞬にして粉砕される。
脚部を完全に失ったところで、残ったカルダトアの腰から上が宙を舞い、地面を盛大にバウンドして転がった。
その間にも巨大な魔獣は他の小さな魔獣と同じように、自身の勢いのまま放物線を描いて着地すると、泥を盛大に吹き上げ再び地中へと姿を消していた。
騎士も学生も、幻晶騎士の一体が大破したことに大きな衝撃を受けていたが、しかし彼らに悠長に固まっていられるほどの余裕は存在しない。
「馬車は放棄する! 動けぇ! 立ち止まっていると足元から食われるぞ!」
壊れた馬車から這い出し、負傷者を移送しようとする彼らの足元から、無情にも地響きが近づいてくる。
相手が地中にいては、いかに訓練をつんだ騎士であろうと有効な手段をとることができない。
彼らは思わず歯噛みするが、それは焦りを募らせるばかりで何の解決にもなっていなかった。
「畜生! このくそ魔獣め! やってくれやがったな!!」
当然、被害にあったのは騎士だけではない。学生が乗った馬車も襲われ、何名もの学生が巻き込まれている。
激昂する親方を引きずるようにして回りの生徒が馬車からはなれてゆく。
混乱の極みにある彼らをさらに追い込むように、魔獣による包囲網は刻一刻と狭まっていた。