#20 目が覚めたら
「(む……うう…… ……?)」
彼は意識を取り戻す。
視界に入るのは薄暗い空間。
ぼんやりとしていた意識がハッキリするにつれて、俄かに無理な体勢をとっていた全身を痛みが襲う。
「ぐっ……こ、ここは……」
呻き、狭い空間でなんとか体勢を立て直そうとすると、目の前の壁に押し当てられるような独特の圧力が襲ってきた。
くぐもった悲鳴をあげつつも、今の圧力で彼の意識がハッキリとする。
彼がさきほど感じたのは慣性……騎操士ならば馴染みの感覚だ。
ただし今のは彼の記憶にあるそれよりも随分と強烈だったが。
ならば、ここは幻晶騎士の操縦席と言う事になる。
そこまで考えて彼――ディートリヒは記憶にある最後の光景を思い出す。
そう、小柄な新入生が目の前に現れて、そして――。
彼は慌てて無理矢理に体勢を立て直し、座席の後ろから首を持ち上げるが、その時に彼の目に入ったものは幻像投影機を埋め尽くさんばかりに迫り来る陸皇亀の姿だった。
「んもッぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
突如として座席の後部から響く絶叫に、さすがのエルも驚いて操縦を誤る。
「ま ずいっ! とっ!」
崩れかけた体勢を無理矢理立て直し、あわやという所で突進してきたベヘモスの左側に滑り込むように飛び退いた。
距離を開け、再びベヘモスが振り向くまで落ち着きながら、エルはチラリと後ろを見やった。
「えー、おはよう御座います先輩。只今死地です。できればお静かに願いますね」
穏やかな口調とは裏腹の内容に、ディートリヒは開いた口が塞がらない。
言われた内容もそうだが、彼の思考は逃げ出したはずの自分が再びこの場所にいることへの疑問で埋め尽くされていた。
「お、お前! なんて事を! 正気なのか!? いや、そもそも何故戦っている!?」
彼はその後も矢継ぎ早に質問をしようとするが、再び走り出したところで口を閉じざるを得なくなった。
ホロモニターに映るベヘモスの凶相。
逃げる前よりも確実に凶悪な気配を撒き散らし、邪魔物を払う等というものではない本物の殺意を滾らせながら巨獣が暴れていた。
本来の騎操士である彼も体験した事のない速度でグゥエールが走り、間一髪の間合いで襲い来る魔獣の攻撃を避けてゆく。
普通なら幾たび死んだかもわからないその光景に、彼はいっそ恥も外聞も捨てて泣き出したかった。
しかし彼は必死に声を押し殺して歯を食いしばり、今にも白目を剥きそうな壮絶な表情で耐えていた。
なぜなら彼が余計な事をして、エルが操縦を誤ればすぐさま本当に死にかねないからだ。
「(これは……なんだ!? 私一人逃げた罰なのか?)」
今この場所にいるのはグゥエールだけだ。皮肉にも彼が逃げ出した状況とはほぼ真逆である。
そして機体を操るエルが戦い続ける以上、再び逃げることはかなわない。
「(逃れられない定め……私を連れて、一体どうするつもりなんだ?
この戦いを、最後まで見届けろと言うのか!? 仲間を見捨てた、この私に!!)」
捨てるに困ったから、などと言う真実は流石に彼の想像の埒外だった。
彼の心情になどまるで頓着せず、巨人と巨獣の戦闘は続く。
ベヘモスの強靭な膂力による一撃は大地を砕き、破壊的な竜巻の吐息は木々を薙ぎ倒し、吹き飛ばす。
その全てが致命の威力を持つというのに、グゥエールは……そして今それを動かしているであろう小柄な少年は、楽しげにすらしながら攻撃を掻い潜り、巨獣の四肢を狙い反撃まで行っている。
ディートリヒは目が覚めた当初こそ恐怖心に冷静さを全く失っていたが、その状況が続けばいずれ違う心境に至る。
信じがたいことに、この少年が操るグゥエールは防戦が主体だが巨獣に抗して見せている。
グゥエールの騎操士だった彼だからこそわかる。
この機体はそれほど性能の高い機体ではない。ライヒアラの実習機は元々どれも2線級の代物なのだ。
他の高等部の幻晶騎士がどれも敵し得なかったことからもそれは明白である。
何か違いがあるとすれば――当然、この騎操士が原因だろう。
彼も見知ってはいる、時たま騎操士学科で見かける小柄な新入生。
こんな幼い少年がこれだけの操縦技術を持っているなど、普段であれば到底信じられないだろう。
しかし現実に巨獣を相手に一歩も引かない奮戦を見せている。
「(私が……生き残るには、このままこいつに戦ってもらうしかない……!!)」
一時は絶望に沈みかけたディートリヒだが、現状に一縷の希望を見出していた。
ディートリヒの目には危なげなく戦っているように見えるグゥエールとエルだが、実を言うとそこまで余裕があるわけではない。
2つの大きな問題が徐々に状況を圧迫し始めていた。
1つは、グゥエールの魔力貯蓄量の問題だ。
通常、幻晶騎士が全力で戦闘し続けられるのは長くて1時間程度である。
それ以上は魔力の消費量に供給量が追いつかず、十分な能力を発揮できなくなってゆく。
グゥエールが戦闘を開始してから、既に2時間が経つ。
通常の倍にも及ぶ時間を、しかも高速機動を駆使しながら未だに戦い続けているのだ。
それは偏にシステムを掌握したエルの緻密な制御の賜物だった。
魔法術式の最適化による必要魔力の軽減、動作に必要ない結晶筋肉を限定して駆動することによる消費の節減。
さらに彼は常にグゥエールを動かせているわけではなく、動きの中に細かく“息継ぎ”を入れていた。
ベヘモスの視界からそれている間、更にはほんの僅かな滞空時間まで利用して魔力貯蓄量を回復させている。
彼は持久戦を決意してからは、一見激しく動きながらも裏ではリソースを極限まで節約した戦闘を行っていた。
しかしそれも完全と言うわけではなく、魔力貯蓄量は最大時の半分を割り込みつつある。
このペースが続けば、戦闘可能な時間は多く見積もっても後2時間は無いだろう。
2つ目の問題が、武器の損耗だ。
2時間に渡りベヘモスへ攻撃を加えた結果、グゥエールの剣は刃こぼれでガタガタになり、只でさえ通じにくかった攻撃は最早ほぼ通じなくなってきていた。
武器であればまだ魔導兵装があるが、グゥエールが装備する風の刃は一点集中の攻撃には向いていないため、この状況では有効とは言えなかった。
一度はエル自身が戦術級魔法を構成しての使用も考えたが、さすがの彼も幻晶騎士1機を制御しながら魔法術式……しかも戦術級のそれを構成するのは負担が大きく、断念していた。
彼の戦意は全く衰えていない。しかし、攻撃手段の不足ばかりは如何ともし難かった。
「(んなことになるなら、ハリネズミみたいに剣持っといて欲しかったな)」
苦々しく思いながらも、グゥエールは回避を中心にせざるを得ない。
反撃の頻度が減っている事に、ディートリヒも気付いていた。
単純に生存を重視するなら回避を中心にするのは悪いことではないが、それでは持久力の差で負ける。
いずれこの場を離脱することを考えれば、脚を攻撃し巨獣の機動力を殺いでおく事が必要になる。
しかも、エルの操縦ならば反撃も十分に可能なのだ。
にも関わらず、先ほどから何度か十分なチャンスがあったが攻撃していない。
「(何故だ、何故反撃しない! このまま逃げてばかりでは追い詰められる一方だぞ!)」
開き直ったディートリヒは、自身のことは棚に上げて憤っていた。
焦れた彼はついに十分に回避した隙を見計らい、エルへと質問を始める。
「おい、君、何故反撃していないのかね!?」
それまで静かだったディートリヒの突然の質問に少し驚きながらもエルは現状を説明する。
「ベヘモスが硬過ぎて、剣がボロボロなのですよ。既に攻撃が通りません」
ホロモニターの隅に映る剣は確かに刃毀れが激しく、完全に鈍らと化していた。
「た、確か予備の剣があるはずだ! そちらを……」
「最初に一本折れまして。これが予備の剣ですよ」
ぐぬぅ、とディートリヒが唸る。
「(なんとか、なんとか武器を探さねば……! ここまできてやられるなど、冗談ではない!!)」
彼はホロモニターに映る光景を必死に探し始めた。
エルも周囲を調べてはいるが、ベヘモスの攻撃を回避しなければならないため優先順位は下がる。
それゆえにディートリヒの方が先にそれに気がついた。
それを発見した瞬間、状況も忘れて彼は叫ぶ。
「そこに倒れている、幻晶騎士! あれの武器を拾うんだ!!」
エルが一瞬だけ指差された方向へ視線を送れば、そこには先に倒れた高等部の幻晶騎士があった。
即座にディートリヒの意図を把握したエルは、ベヘモスの攻撃をかわしざまグゥエールを加速させる。
地面を擦るかのように姿勢を低くし、最高速での疾走。
そのまま削り取るように地に倒れた機体から剣を抜く。
高等部の騎操士達は主に魔導兵装で攻撃を行っていたため、剣は殆ど消耗していない。
「ありがとうございます先輩。こればかりは、困っていましたからね」
「れ、礼などいい! さっさと奴の脚をしとめるんだ!」
エルはすぐさまベヘモスへ向き直り、改めてその状態を観察する。
幾度も数え切れないほど斬り付けられたベヘモスの脚は、何箇所かは血を流しそのダメージが決して軽くないことを示していた。
「(魔力の残量は50%を割ってる。脚の一本でも潰してからやないと逃げるにしてもきつそうやな)」
新たな剣を構え、グゥエールの反撃が再開される。
巨躯を誇るベヘモスはどうしても細かな動きを苦手としている。
速度と精密さを武器とする今のグゥエールとは、そもそもの相性が最悪だ。
無限とも思えるスタミナに支えられ、ひたすらに攻撃を繰り返すがそのどれもが当たらない。
逆にグゥエールが攻撃を繰り返すうち、ベヘモスの脚の傷は無視できないレベルになりつつある。
塵も積もれば山となる。
片目と四肢から血を流し、さしものベヘモスもその動きが鈍り始めていた。
そして。
再び、それに先に気付いたのはディートリヒだった。
後ろから聞こえた驚愕の叫びを聞き、エルも素早く周囲を見回す。
そこにいたのは幻晶騎士。
チラリと見ただけでも見間違えようのない、それはフレメヴィーラ王国における幻晶騎士の代名詞、“カルダトア”。
それがグゥエールとベヘモスを包囲するように展開していたのだ。
彼らはその機種と、それらの間にはためく旗を確認し、即座にその正体を悟る。
「カルダトアだと!? あ、ああ……あの旗は! ヤントゥネン守護騎士団!!
よかった! 助けだ、ついに助けがきたぁぁぁ!!!!!!」
「(ここで現れるんか……予想よりも早い、先になんか情報得てたんか?)」
エルは素早くこの後の行動を思考する。
グゥエールは確かにまだ戦えるが、魔力貯蓄量は3割を割り込み、余裕に乏しいのも事実だ。
騎士団が到着したのならば時間稼ぎにも意味はないし、ここは素直に騎士団に任せて下がるべきだ。
グゥエール一機では不足していた火力も、これだけの戦力が有るなら十分な物があるだろう。
未だ執拗に迫るベヘモスをいなし、わざと騎士団に背を向けるように誘導する。
そして、目の潰れた左側をすり抜けるようにしてグゥエールは騎士団の陣へと駆け出した。
グゥエールが近寄ってくるのを見て取ったのか、騎士団が一斉に魔導兵装を構え始める。
魔獣にはいまだ憎き紅いヒトガタしか見えず。
ついに決戦の舞台へと誘い込まれるのであった。