#107 歓迎されてみよう
小鬼族の王一行に先導されるまま、巨人族カエルレウス氏族は森を進む。
やがてその歩みの先に、木々とは異なる景色が見え始めていた。
「あれは……壁か」
「ほう。小鬼族の住みかという話であったが」
一眼位の従者が、そのひとつしかない瞳を大きく見開く。三眼位の勇者も腕を組み、感嘆の唸りをあげた。
彼らの目前に現れたもの、それは巨石を積み上げて作られた城壁であった。
巨人族でも運ぶのに苦心するであろう巨石を土台に、上に行くほど細かな岩が組み上げられた堅牢なものだ。
それはフレメヴィーラ王国の諸都市にひけをとるものではなく、森の魔獣に対しても十分な防衛能力を期待させるものであった。
特に森の中でそのまま暮らしていた巨人族にとって、小鬼族――人間の都市というものは非常に珍しいものである。
そのうえ彼らが知る小鬼族の住みかと言うのは、先日半壊した村だけなのだ。
「巨人族が暮らしてもよさそうな大きさであるな」
そんな台詞と共に頷いたのも無理からぬことであった。それを聞きつけたオベロンが、一目散に向かってくる。
「冗談ではないね! ここは巨人族不可侵の地だ。お前たちを入れるわけにはいかないよ!」
勇者と従者が顔を見合わせる。
「壁は立派であろうとも、中にあるのはあの村にあったような建物なのだろう。それでは我らには日除けにもならぬ」
「然り。あの村とおなじこと。森で過ごせばよかろう」
小魔導師が、宙に浮くカササギのもとへとやってくる。
「師匠よ、我らは外で待つ。あの小鬼族もそう望むようであるしな」
「そうですね……ところで小魔導師。ここで待つのならば、あなたにお願いしたいことがあります」
操縦席を開いて外に出てきたエルネスティの目の前で、小魔導師は小首をかしげた。
小鬼族の都。それは下村に住まう者たちからは上街と呼ばれている。
実際には城塞都市と呼ぶべき規模を持ち、壁の内側には安全があった。先日までいた下村が魔獣の脅威を拭いされていなかったことに比べれば、両者の間には決定的な差がある。
ここは、この地における貴族――騎士たちが住まう場所なのだ。
幻獣騎士たちが先行し、巨大な城門を開く。一行はそれに続き、城壁の内側へと入っていった。
「城壁を見ると、少しフレメヴィーラを思い出すかな」
「都市の姿を見るのも久しぶりですし。しかしこれはなかなか、フレメヴィーラとは違った雰囲気ですね」
アデルトルートも興味津々の様子で周囲をきょろきょろと見回している。
ここには人の営み、文明がある。しかし街の様子は、彼女たちの故郷とは大きく違っていた。
城壁の中にも、多くの木々が残っているのだ。それは単に街路樹が多いといったものではない。
街はなかば木々に侵食されており、建物までも木々と一体化している。ここにあった森を、そのまま都市に作り替えたかのようだ。
エルはその街の様子にわずかな既視感を抱いて首をかしげる。
すぐに彼は、それを気にしないことにした。森伐遠征軍がボキューズ大森海に消えてから、はや数百年の月日が過ぎ去っている。
それは、この地に根付いた小鬼族が独自の文化を築くのに、十分な時間であった。
様々な感想を抱きながら、彼らは街の中心へと向けて進んでいった。
街の中央に向かうほどに建物は巨大になっていく。時折、幻獣騎士が歩哨のように立っていることもあった。
騎士の中でももっとも位の高い存在、このあたりは騎操士が住まう場所なのだろう。
そんな中にぽつぽつと、ゆっくりと煙をたなびかせている巨大な建物が混じっている。似た雰囲気のものは、フレメヴィーラ王国にも多くあった。
エルはすぐに、その正体に思い至る。
「あれは、工房かな。さすがいっぱいありますねぇ」
「そこだけ目ざとい……」
見逃すものか。エルはすでに、街の中における工房の配置を頭に叩きこんでいた。工房だけしっかり覚えているあたり、どこまでもエルである。
やがて一行は街の中心へと辿りつく。そこには街の中でも飛びぬけて巨大な建造物、城があった。およそ権力者の考えることはどこでも変わらないものらしい。
そうして城を目前にしたところで、オベロンが振り返った。
「ようこそ客人、私の街、私の城へ! あらためて歓迎しよう!」
城へとつき、一息をつくほどの間もなく、二人はオベロンに呼び出されていた。
なにごとかと向かってみれば、そこには実に豪勢な宴の準備と、にやにやと笑うオベロンの姿があった。
彼はなかなかに律儀な性格であると見え、約束したとおりに盛大な歓迎を用意したのである。
その宴は、エルたちが想像していたよりもずっと盛大であった。
広めの部屋を使い、所狭しと料理が用意されている。単に多いだけではなく、一見してどれも手の込んだものだった。
部屋の一角では楽士と思しき者たちが、柔らかな曲を演奏している。
確かに約束したことではあるが、ただの旅人に対する歓待としては少々過剰だ。さすがに宴の参加者は彼らだけではない。
エルたちが部屋に入ったとき、そこにはすでに大勢の姿があった。
「ほう……西からの来客であると」
「幻獣騎士を操る、騎操士だと聞き及んでいたが。子供ではないか?」
「わからんぞ。ただの子供をこれほど仰々しく招くとも思えん」
「だが、あの王であるからなぁ……」
全員の視線が、エルとアディに集中する。ここに集められたのは、この地の貴族階級の者たちであった。
彼らもまだ詳しい話を把握していないとみえて、さかんに噂話を囁き合っている。
落ち着かない空気の中、王だけがやたらと満足げであった。
「あのような村では味わえぬものばかりだぞ。好きなだけ食すといい! さぁさ、皆も存分に味わうといいぞ!」
許しがおりるや、エルとアディは猛然と料理に向かっていった。
森を逞しく生き抜いてきた彼らではあるが、食事は野性味あふれるものになりがちである。手の込んだ“料理”を味わうのは久しぶりだ。
それこそ遠慮というものをすっ飛ばす勢いで食事にかぶりついていた。
「ははは、どうかな客人。この地の料理は」
「フレメヴィーラとは雰囲気違うけど、これはこれで!」
「ええ、大変美味しくいただいています。肉が柔らかいですね、魔獣ではないのでしょうか」
そんな彼らに、貴族たちの注目が集まる。お世辞にも居心地のいい状態とは言えないが、しかし周囲の視線も思惑もどこ吹く風。
何しろ銀鳳騎士団の中心人物である二人のこと、彼らの辞書からは緊張という言葉がすっぽりと抜け落ちているのであった。
「うむ、ここには家畜もいるからな! 巨人のようにわざわざ魔獣に挑まずともよいのさ。しかし……よい食べっぷりだな。うん」
逆に、貴族たちのほうが呆れを浮かべて手を止めている有様である。
森を越えてやってきた旅人たち、その人物像をはかりかねていた。どこかぎくしゃくとしつつも、宴は表向き和やかに過ぎてゆく。
「いやぁ、身に余る歓待を用意していただき、ありがとうございます」
「なぁに気にすることはない! 長い時を経た、同胞との再会なのだからね!」
腹を満たしたエルたちと、王がのんびりと話し合う。
貴族たちは迂闊な動きを見せず、そのため先陣きって王がやってきたわけである。
「森に残され、巨人に囲まれた暮らしではあるが。それほど悪くはないものだよ」
「はい。こうして都市を築かれているほどですし」
「私たちの父母は……巨人の手を借り、この地を生きたわけだけどね。それでも、こうして巨人の足元にいる意味は小さくはない」
「そのためには、幻獣騎士が必要だったわけですね」
オベロンが手を上げれば、貴族たちが胸を張って頷いて見せた。彼らにとって、この地を護る存在であるというのは大きな誇りなのだろう。
そうしてようやく、彼らも話に加わる。
「その通りだ。我らあってこそ、巨人族のもとでも生きてゆける」
「西からのお客人。見かけによらず、あなたも騎操士であると聞いているが」
「ほう……それでは、お力のほどを見せていただきたいものですな」
貴族たちの視線が、鋭さを増す。見定めるは、異邦人がどれほどの力を有するか。
「はい。故郷では騎士団を率いておりました」
貴族たちは一瞬訝しげに眉を傾けたが、やがて小さな笑いを起こした。エルの答えを冗談であると受け取ったのだ。
対するエルの笑みが深まりつつあることに、彼らは気付かない。
「まぁ、待つのだ。いきなりそのようなことを言われても、客人とて困るだろう」
そこに王が割ってはいる。彼は大げさに顎を撫でさすって考えていたが、やがて良いことを思いついたとばかりに手を叩く。
「おおそうだ。君が力を見せる良い手段がある。どうだい客人、“君の幻晶騎士”を、皆に見せるというのは」
「せっかくですが、難しいですね。あれは預けてしまいましたから」
そこで王は、いかにも今気づいたとばかりに表情を渋くした。
「客人よ、大事な幻晶騎士を巨人などに預けてしまうとはね……。仲が良くて結構なことだが、あれらをそんなに信用できるものかな?」
「ええ、勇者さんに小魔導師も。約束を違えるようなことはしませんよ」
抑えたざわめきが、貴族たちの間を走る。エルとカエルレウス氏族の関係は、彼らには広まっていない。
巨人の支配下にある小鬼族と、ある種対等な位置にいるエルたち。その立場から見えるものは全く違っているのだ。
そこで、今度はエルが思いついて手を打った。
「では、こうしましょう。こちらの幻獣騎士を、お貸しいただくというのはいかがでしょうか。実力を見るのに、不足ないと思いますが」
「エル君が始めちゃった……」
「はっはっは。ううむ、そうくるかぁ」
エルと王は二人してニコニコとほほ笑みあっていた。和やかに、少し困った風に。
周囲の貴族たちが息苦しさを感じるほど朗らかに、笑いあっている。
「客人のためだ。ここは貸し出してあげたいところだが……幻獣騎士は騎操士のもの。あまり気軽に貸し出すわけにもいかなくてね!」
「おおや、それは残念です。では、ここで貴族の方々にお願いするというのはいかがでしょう」
エルの首が巡り、貴族たちは視線を合わさないよういっせいに目をそらした。
エルと王の間にある、奇妙な緊張の中に飛び込みたい者など一人としていない。
「お客人、あまり彼らを困らせてくれるな。ふむ、しかし。君は私たちの幻獣騎士に興味があるのだね」
「ええ、気になりますね。この地を護る騎士のこうぞ……もとい力に」
「エル君、漏れてる漏れてる」
オベロンは、はたと手を打つ。
「いくら私が王といっても、彼らに無理を言うのは憚られる。ではこういうのはどうだろう、君の幻晶騎士について詳しくを教えてくれ。そうすれば、我らがそれを再現して見せよう」
「ほうほう。ですが残念ながら、あれを再現するのは、本国に戻らねば不可能です」
ぴたりと、空気が張り詰めて震えた。次の瞬間、エルと王は互いに小さく声を上げて笑いあう。
貴族たちは固唾をのんで状況を見守っていた。
「本国ねぇ……君も己の国に帰りたいはずだ。だとすれば“あの船”のような、ものが必要なのだろう? だが、その辺の村人にたのんだところでうまくはいくまい」
「さすがに荷が重いでしょうね」
「しかし私たちならば。いずれ船を生み出すことも不可能ではないだろう。君が力を貸してくれれば、なおさらね」
そこで王は表情をひきしめた。真剣なまなざしで、エルを捉える。
「そうすれば、巨人を……ルーベル氏族を倒したあとを考えることができる。巨人の庇護をなくして、私たちはここに留まる理由がない」
貴族たちの雰囲気も変化した。彼らは王とともにあり、その意思に沿っている。
無言の圧迫感が押し寄せてくるなか、エルは小首をかしげて問うた。
「その船に乗ることができる者に、あの下村の方々も含まれていますか?」
「…………もちろんだとも。ただ、数が多いからね。相応に時間は見てもらわねばならないよ」
王の返答に、一拍の間があった。エルにはそれで充分である。
とびきりの笑顔でもって、答えを返した。
「少し、考えさせていただきます」
「ふむ。まぁいいだろう。あえて時間を無駄にすることもないとは思うけどね」
やがて宴は終わり、めいめい引き揚げていくのであった。
エルとアディは、城の一角に部屋を与えられていた。
ちなみにアディがどうしてもと言い張ったため二人で一部屋である。
もちろん、フレメヴィーラ王国のそれとは様々な違いがあるものの、おおむね設備の整った部屋だといっていいだろう。
アディはあちこちを歩き回り、中身を確認してまわる。
「ほう、しっかりとしたベッドがある! 二人で寝ても大丈夫そうね!」
「やはりかなり歓迎してくれているようですね。まぁ、部屋の前には見張りがいるわけですけど」
受け入れてくれているとはいえ、やはり彼らは異邦人である。二人の行動には、様々な注意が払われていた。
「そんなのどーでもいいし! エル君、今日はゆっくりと寝ましょう!」
「それもいいですね。でも、その前に」
エルは視線を、窓に向けている。それもやはり簡単には出られないように、鉄格子がはめられたものだ。
「アディ、すこし夜のデートにいきませんか?」
彼は、腰にさげた銃杖をかちゃりと鳴らしたのだった。