その2 猫被り皇子の野望
「……で、いったい何を企んでるんですか? 猫被っても無駄ですからね」
グラウンドの中央、ちょうどピッチャーマウンドのあたりに『小結界』を張ってもらった後、俺はあたかもヤンキーキャラのように斜め下からガンをつけた。
皇子は両手を持ち上げ、ぷるぷると首を横に振ってみせる。
「猫被りだなんて心外だなぁ。気分転換しに来たっていうのは嘘じゃないよ。あの事件のせいで僕も大変なんだ。優秀な“影”が三人も居なくなったし、兄上は本当に病んでしまったし、陛下は一気に老け込んで『今すぐ皇位を譲る』と言い張るし……ついでに、一刻も早く“花嫁”を連れて来いとうるさいしね」
心底疲れたといった感じのため息を吐かれ、俺もちょっと同情してしまう。
事件の後「全ての責任は王家にある」と言い、陣頭指揮を取ったのは皇子だった。
学部長たちと協力し、学校の閉鎖と怪我人の収容、そして政府や関係者へのフォローに走り回った。封じていた『魔力』もオープンにし、強力な治癒魔法をフル稼働。たった一日で怪我人たちを全快させてしまった。
しかし、身体の傷は癒えても心の傷はすぐには癒えない。
重症だったロドルフは退学。その他兵士たちも記憶障害を起こし、大多数が離職したという。
そして諸悪の根源である、あの人物は……。
「第一皇子はどうされてるんですか? 王宮内に幽閉されてるってことは、新聞で読んだんですけど」
「ああ、兄上はよっぽど女神に厭われたらしいね。どんな名医に診せても、未だに背中の爪痕が治らないんだよ。あと夜も眠れず食事ものどを通らず、恐ろしい勢いであの贅肉が消えつつある……まあ結論を言うと“すっかり別人”って感じかな」
「そうですか……」
まさしく因果応報ってヤツですね、とは口に出さなかった。
しかし皇子には、俺の考えなどお見通しだったようで。
「まさしく因果応報ってヤツだよ。この事件を機に兄上の私室を調べてみたら、怪しい禁書やら魔道具やらが出てくる出てくる……中身が空っぽになった“三種の神器”の御箱が出てきたときは、最後まで庇おうとしていた正妃まで、『あれは我が子ではない』なんて言い出したからね。もし傷が癒えたとしても、一生あの塔の中で暮らすことになるだろう」
そう言って皇子は、結界の膜の向こうにぼんやりと映る、細長い灰色の塔を眺めた。伸びかけた前髪を乱暴にかき上げ、少し切なげに目を細めながら。
俺はそのひとときだけ、ヤツのために祈った。
本気で心を入れ替えて、別人になってくれたらいい……そうすればきっと女神も命までは奪わない。
「結局、今回のクーデターで亡くなったのは、一人だけってことですね」
ぽろりと零れた俺の本音に、皇子は何も言わなかった。
代わりに返事をしてくれたのは、俺の羽織った野球ユニホーム風シャツのポケットに潜んだ、一匹の聖獣。
『アルジサマ、キニシナイノデス』
『ん、分かってる。ありがとな』
『ソーデスヨネ、オジャマシマシタ……』
恥ずかしそうに呟いて、ネズミはポケットから音も無く消えてしまった。たぶん例の異次元空間へ逃げたんだろう。別に逃げなくてもいいのに。
ちょっと微妙な気分になりつつ腹のあたりを擦っていると、皇子がさらりと問いかけた。
「神殿側は、今回の件を公表するつもりはないようだね?」
「そうみたいですね。亡くなった方が、第一皇子と繋がってる決定的な証拠も見つかってませんし」
「それは調査する気が無いってことなのかな」
「まあ、そういう言い方もできるかもしれません。元々閉鎖的な組織ですしね。その上あの混乱状態じゃ、まともな調査ができるかどうか……」
俺が長い眠りから目覚めたときには、何もかもが終わっていた。
所長の葬儀は身内のみでひっそりと行われた。死因は研究中の事故ということで片づけられ、私物のたぐいは遺体と一緒に燃やされた。「徹底的に原因究明を」と呼びかけるビザール先生の声は、残念ながら“上”には届かなかった。
「だけど、今はそれどころじゃないって気持ちも分かるんです。とにかく向こうも、銀色狼と例の聖獣たちのことだけで手一杯ですから」
銀色狼も、新たに生まれた聖獣たちも、俺が眠りについてすぐに王都を旅立っていた。
しかし残された人間たちは、未だに聖獣フィーバーの真っただ中。
当事者である室長以下四名の研究員は、説明に走り回っている。「これ以上目立ちたくない」という俺の意向に沿って口裏を合わせたり、いろいろ画策してくれているようだ。
そしてビザール先生は、銀色狼と直接会話ができた希有な人物ということで、まさしく神状態。
『勇者ジロー殿、我は貴殿を護るべく女神に遣わされた“七賢人”が一人! さあ一緒に不浄の輩を倒すべく立ち上がりましょう!』
……とか、やたら中二っぽいことを言いまくる、超めんどくさいキャラになっていた。
なんでもこの世界には、銀色狼の声を聞くことができる人物が七人存在するらしい。千年前の勇者様は、その七人の仲間とともに『冒険』をしたのだとか……。
チラリ。
伸び放題な前髪の隙間から、俺は目の前の超絶イケメンを見やった。
なんとなく、皇子もパーティーメンバーの一人のような気がしないでもないけれど、そればかりは俺が考えても仕方ない。また銀色狼と再会したときに確認してみよう。『選ぶのは聖獣』だと皇子自身も言ってたし……。
っていうか、今日の本題はそこじゃない。
「……で、いったい何を企んでるんですか? 猫被っても無駄ですからね」
「猫被りだなんて心外だなぁ」
と、話が振り出しに戻ったところで、俺はズバリ言い放った。
「俺が寝込んでる間、ビザール先生に会いに行ったらしいですね。しかも正規のルートを通らずに――銀色狼の結界をすり抜けて」
「ええっと、それは……」
「地下研究所の場所も、亡くなった所長の研究内容についてもすでにご存じだったとか。あとは“七賢人”とやらのネタも知ってたらしいですね。ああそうだ、ビザール先生にはいくら口止めしたって無駄ですよ? あの人は興奮すると脳内ダダ漏れになりますからね」
動かぬ証拠を突きつけられ、皇子はようやく白旗を上げた。
参ったというように肩を竦め、いつも通りの微笑を浮かべたまましれっと告げる。
「言い訳がましいようだけど、別に僕はたいしたことはしてないよ。今まではほとんど身動き取れない状況だったし。なんせ僕の傍には三人もの優秀な間諜がぴったり張りついてたんだ、『うつけ』のフリをしてヤツらの目を欺くにも限界があった。いや、ヤツらの動きが妙だと思ったからその原因を調べて、真相らしきものが視えて……その後ちょっとした噂を流しただけ」
「噂、ですか?」
「うん。神官学校の敷地内で『魔獣を見かけた』って噂をね。そうすれば、誰かが動いてくれると思ったからさ」
「……なるほど、アレは皇子の仕業だったんですか」
「意外と大変だったよ。この顔は目立つから変装しなきゃいけなかったし、協力者を探すわけにもいかなかったしね。まあ僕には女神の加護があるから、最後はなんとかなるって思ってたけど、合成魔獣に襲われたときはキツかったかな。そうなると分かっていて避けられなかったわけだし。あと、今回の事件のこともね」
軽く苦笑した後、皇子は俺にそっと目配せした。そして強固な結界の中だというのに、わざわざ俺の耳元に顔を寄せてひそひそ声で囁く。
「実は、この事件に関わった三人の“影”は、北の隣国から入りこんだ刺客だったんだ」
「えッ」
「兄上もまんまと騙されたってわけだ。ヤツらはこの国に内乱を起こして――いや、愚王をまつり上げてから叩き潰そうって魂胆だったんだろう。つまりヤツらとの開戦は近い。それまでに国内のゴタゴタを解決しておきたいってのが僕の本音かな」
「……ずいぶんぶっちゃけましたね。平民の俺にそんなこと漏らしていいんですか?」
「何を言ってるんだ? あれだけのことをしでかしておいて、今さら平民のフリをしようってのは無理があるぞ? 君のことはすでに欠かせない“戦力”として数えさせてもらっている」
「うう……まあ、善処はしますけど……」
さっきまでの強気な態度はどこへやら。俺は俯いて、もにょもにょ言うばかり。
でも戦力なんて言われたら、怖気づいてしまうのも当然だろう。まだまだ俺の力は不安定だし。
そもそも、ペルルとキスしなきゃ魔力が戻せないって設定もなんとかしたいし。
アレができたのは、たぶんペルルが死にかけってシチュエーションのせいだと思う。溺れてる人にマウストゥマウスの感覚で。
せめてペルルが眠っててくれたら、小動物にするみたいでいいんだけど……起きてるときのペルルとアレをするとか、考えただけで頭が沸騰するっていうか考えたくねぇぇぇぇ――!
「ああそうだ。千年前の勇者は、東の宝物殿――彼の別宅で、死の間際にこんな言葉を遺したらしいよ。『愛する女性との口付けは、神聖な儀式である』と」
「ちょ! 人の心読まないでくださいッ!」
「その言葉に涙した彼の妻たちは、正妃から順に一人ずつ口付けを交わした。そして最後の妻――百人目の妻である僅か十六歳の少女との口付けを終えたとき、彼は安らかに息を引き取ったそうだ」
「……何なんですか、そのツッコミどころ満載の武勇伝は」
「感動的な話じゃないか。いかに彼が人々から愛される人物だったかが良く分かる」
ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべた皇子から、俺はサッと目を逸らした。
今回の事件を経て、皆それぞれに変わった。
でも一番変わったのは、やはり俺自身だろう。
聖獣使い、魔獣使い、時の魔法騎士……おかしな二つ名がいっぱいつけられたけれど、最終的に落ちついたのは、学部長が連呼していた例の呼称で。
「そうやって鈍感なフリをしても無駄だよ。“勇者”である君には、陛下も宰相も貴族たちも、全員が期待しているんだ。陛下など、君が立ち上がるなら皇位を譲ってもいいとさえ言っている。銀色狼を従える黒髪黒目の勇者になら、神殿も迷わず膝をつくだろう。現に神官学校は、君とクレールを速やかに編入させようと、宰相に強い圧力をかけているようだ……と、アンジュからすでに聞かされているだろう?」
「うう……ッ」
どーしてこうなった……。
ほんの一ヶ月前まで、俺は平民で、ただの無能者で、どっちかというとツッコミポジションだったはずなのに。
もしやこれは、ペルルの立てた『フラグ』のせいなのか?
アイツが俺のことを「王様になれ」ってしつこく言ったから、女神様が面白がってこんな展開に……?
「それに勇者なら、嫁は何人いても構わないんだ。現状でも第四夫人までは決まっているらしいけれど、それこそ百人でも千人でも」
「――すんません、もう勘弁してください!」
追い詰められた俺が本気の泣きを入れたタイミングで、常識人の筆頭であるアンドレが声をかけてきた。
「おーい、ジローどこ行ったー? 準備終わったぞー」
「おおッ、今行く!」
狭く息苦しい結界から、ピンポンダッシュの勢いで逃げだした俺は、助け船を出してくれたアンドレに半泣き状態でしがみつく。
「うう……アンドレ……ッ」
「どうした、ジロー。アレクに何か言われたのか? アイツの言うことは話半分くらいで聞き流した方がいいぞ。下手すると胃に穴が開くからな」
アンジュと同じキラキラした金髪がさらりと風になびき、エメラルドの瞳が優しげに細められる。
魔力と慈愛に満ちた大きな手でポンと肩を叩かれた瞬間、俺は思った。
もしかしたらコイツも、女神様に選ばれた七人のうちの一人なのかもしれない。
主に、傷ついた勇者のフォロー担当として。
※次回でエピローグ最終話となります。
※一部単語を修正しました。