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その4 強者との遭遇

 風の魔法で加速することはできずとも、日々鍛えあげてきた身体は軽い。雨でぬかるむ道をものともせず、南へと一直線に駆け抜ける。

 村の柵にかけられた『結界』を越えると、その先は魔獣たちのフィールドだ。じっとりと肌に纏わりつく雨に混じる、奴らの体臭と息づかい。

 普通の人間ならこれだけで震え上がり、諦めて引き返している。

 でも『無能者』の俺に、魔力を使った威嚇など通じない。

 しかも俺の探し物は、俺の魔力を受け継ぐペルルだ。獣臭くらいで掻き消すことはできない。目をつむっていても辿り着ける。

「ペルル……頼む、無茶しないでくれよ」

 濃厚な獣臭に、人間の血の臭いが混じり始めた。最悪の想像を振り払い、俺はひたすら無心に走り続ける。

 そうして辿り着いた、南の森の入り口。

 普段は狩りをする村の男や、木の実を採りにくる子どもたちで賑わうその場所は……今や地獄と化していた。

 身体から大量の血を流し、地面に転がった三人の男。死力を尽くして戦ったのだろう、彼らの内包する魔力は俺と大差ない程に薄かった。

 そして、両足で立っている人物はただ一人。

「――ペルルッ!」

 俺の声に、彼女はゆっくりと振り返った。

 薄闇の中にあっても輝きを失わない銀の髪。眩しげに細められたブルーの瞳。滑らかな白い肌と、雨に濡れて身体に張り付く純白のワンピース……。

 その胸の下に、赤い花が咲いていた。

 毒々しいまでの真紅の花が、雨に滲んで広がっていく。

「……来ない、で。ジロー」

 その呟きを耳にしたとき、心の芯が震えた。

 ペルルが、死ぬかもしれない。

 俺の半身ともいえる存在が。

「っざけんなァァァ――ッ!」

 ペルルの制止を無視して駆け寄り、華奢な身体を胸にかき抱く。

 コンマ一秒後、ペルルが立っていた場所を光の矢が貫いていた。翻った俺のローブの裾がジリッという嫌な音を立て、直径二センチほどの円い穴が開く。

 このローブはペルルの着ている綿のワンピースとは違う、最高級の対魔法加工が施されたマジックアイテムだ。

 それをあっさりと貫いた光の矢。

 その残骸である煌めきを見つめ、俺は「嘘だろ」と呟いた。

 魔獣たちの戦い方は、主に肉弾戦だ。豊富な魔力は己の肉体の強化にのみ振り分けられる。

 こんな風に武器を生み出す魔獣がいるなんて、俺は知らなかった。

 だからこそ、本気の怖気が走る。

 森の奥に目を凝らすも、視界は霞み敵の姿は見つけられない。その間にもペルルの流す血の量は増えていく。

 ペルルの腹から背中へと貫通した“穴”を塞ぐすべを探し、俺は周囲を見やった。それこそ女神に縋るような思いで。

 血を流し倒れ伏す男たちの向こうに、怯えて震える馬と、幌のついた馬車が一台。

 ……あの馬車に皆を乗せて村へ運べないか?

 村にはペルル以外にも、治癒魔法を使える人間が何人かいる。今すぐ戻れば命だけは繋ぎとめられる。その後すぐに隣町の医者を連れてくれば……。

 微かに残された希望の光は――次の瞬間、絶望という名の暗闇に呑み込まれた。

「グギャルルルルルゥ……」

 地を這うような低い唸り声と、一歩ごとに地響きを立てる重たげな足音。あまりの威圧感に思考が強制停止させられる。

 森の木々さえも怯えさざめくような存在が、その姿を現した。

「……銀色、狼……?」

 それは、幼い子どもが必ず目にする童話の主人公だ。

 女神の使役する聖獣として生まれたはずが、悪魔に心を狂わされて魔獣へと成り下がり、勇者により退治される哀れな生き物。

 実際、彼らはおとぎ話の中の存在だった。『魔獣の王』と呼ばれる銀色狼は、既に絶滅したと思われていた。

 ――その姿は山のごとく雄大。銀の毛並みは針となりいかなる剣をも弾き返し、鋭い牙と爪はいかなる盾をも突き通す。

 そんな伝説の魔獣が、俺の目の前にいる。

「に、げて……」

 腕の中のペルルが囁いた。

 今にも消え入りそうなその声が、俺の理性をかろうじて繋ぎ止める。

「バカだな……お前、こんなヤツ相手にしようとしたのかよ」

 俺の放った皮肉に、返事はなかった。

 ぐったりともたれかかるペルルの身体は、冷たい雨に打たれて熱を増してきている。周囲に倒れている男たちに意識はなく、命が尽きる寸前。

 そして、迫りくる強大な敵。

 ルビーのような紅い瞳が片方潰れているのは、たぶんペルルの放った氷の刃による傷だろう。その傷をつけられるだけで、ペルルは充分『合格』……いや、すぐさま王を護る魔法騎士団にも入れるほどのレベルだ。

 対する俺は、腰に差した短剣を引き抜くことすらできない無力なガキで。

『銀色狼が……神話に出てくるほどの存在が、どうして人を襲ったんだ……?』

 心の中で問いかけたのは、歯の根が震えてリアルな声が出せなかったからだ。

 しかし、そのテレパシーに相手が応じた。

『この者らが、先に我が子を襲ったからだ』

 胸にずしんと響く低い声だった。

 俺は羽織ったローブの袖で目元を拭った。雨なのか涙なのか分からない水滴を追いやり、あらためて目の前の敵を見据える。

 銀色狼は、俺を軽く一呑みにできる巨大な口を歪め、大地に四肢をめり込ませながらゆっくりと歩み寄ってくる。その瞳は軽く細められ、うっすらと笑っているように見えた。

 俺との距離はすでに五メートルを切った。今すぐにでも、前脚の一振りで俺を屠れるというのに、それをする気配はない。

 もしかしたらコイツは、人と会話をすることに興味を覚えているのかもしれない。銀色狼が言葉を操るなんて、書物には一切書かれていなかったけれど、そうとうな知性の高さを感じる。

 ――ならば、言葉による交渉も可能。

 フリーズしていた脳みそがようやく動き出す。俺は相手から目を逸らさず、心の中で語りかけた。

『彼らだって身の程はわきまえてる。いくら子どもだろうと、銀色狼を襲うなんて有り得ない』

『……この者らは、我が子を“灰色狼”と見紛ったのであろう。しかしいくら間違いとて、付けられた傷の代償は払われねばならぬ』

『――待ってくれ!』

 ぶわりと膨れ上がった殺気を掻き消すべく俺は叫んだ。

『身勝手な言い分なのは分かってるけど、アンタも“女神”に生み出された存在なら、俺たちを見逃してくれないか? 無力な人間を殺したところで、アンタだって面白くも何ともないだろッ』

『弱き者を許せば、女神の祝福が与えられるとでも? 我ら魔獣はとうに女神の庇護から外れておる』

『だったら俺が恩を返す! この借りは必ず返すから……頼む!』

『笑止。そのような戯れ言をきくと思うか。借りを返すというならば、今すぐだ』

 冷たく言い放ち、銀色狼は半身を翻した。そして近くの木陰に鼻面を突っ込み、何かを咥えて再び俺の前へ。

 地面にそっと下ろされたのは、面立ちにあどけなさを残した小さな子狼。といってもその大きさは俺の胸のあたりまでありそうだ。

 しっとり濡れた灰色の毛並みは、もし明るい太陽の下で見れば、キラキラと銀色に輝いて映ることだろう。

 うずくまる銀色狼の子どもの脚には、一本の矢が刺さっていた。

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