その2 ジロー先生
「ジロー先生、こんにちは!」
「ジロー先生に借りた本、面白かったです!」
「もぅ、ペルルお姉ちゃん邪魔ー」
教室代わりの応接間へ入ると、少女たちがわらわらと集まってきた。
さほど愛想が良いわけでもないはずの“ジロー先生”は、幼い女の子に大人気だ。同じ時間、隣室では他の講師による授業も行われているというのに、女生徒は俺がほぼ独占している。
考えられる理由は一つ。
――俺が『無能者』だから。
言いかえれば、万が一にも襲われるような危険性が無いから。
地球で例えるなら、『おねぇキャラ』が女子にウケるのに似ているかもしれない。魔力と腕力がものをいうこの世界で、暴力的じゃない紳士な男というのは珍しいのだ。
「ジローせんせい、あのね、きいてもいいですか?」
ツンッとローブを引っ張ったのは、このクラスで最年少、わずか五歳の女の子だ。ツインテールの栗毛を揺らして小首を傾げる仕草が可愛らしい。
どこの世界にも教育熱心な親というものはいるようで、彼女の両親はこの寺子屋の評判を聞きつけ、わざわざ隣町から馬車を飛ばしてやってくる。
俺は腰をかがめ、彼女としっかり目線を合わせながら答えた。
「はい、どうぞ?」
「むのうしゃってなんですか?」
ビシッ。
空気が一瞬凍りついた。
たぶんシモンが屋根の上で喚いているのを聞いたんだろう。もしくは両親の会話を小耳に挟んだのか。
まあ、陰でコソコソされるより、こうして堂々と訊かれた方が気分はいい。
「無能者というのは、『無能力者』を縮めた言い方で、先生みたいに生まれつき魔力を持たない人間のことですよ」
「えっ、じゃあせんせいは、のどがかわいたらどうするんですか?」
「残念ながら、自分で水をつくることはできません。だからあらかじめ水筒に井戸水を汲んでおくんです。ほら、こんな風に」
俺がローブの中から水筒を取り出してみせると、おませな少女は瞳をキラリと輝かせた。
「せんせい、のどかわいたらゆって! アタシがお水だしてあげる! あと火もだせるから!」
「ちょっと待ちなさい、その役割は生まれたときから私のものよ」
ズイッと首を突っ込んできたのは、当然ペルルだ。
十歳も年下の子に張り合うなんて大人気ない……と思いきや、他の子たちも「わたしもわたしも!」と手を上げる。苦笑しつつ俺は告げた。
「ありがとう。もしこの先、俺みたいな無能者に出会ったら助けてやってくれよな」
そう言って皆の頭を撫でてやると、騒がしかった彼女たちは不思議と黙り込んでしまった。なぜかペルルまでもが赤い顔をして。既に着席している男子生徒は大きなため息を吐いている。
きっと彼はこう思っているに違いない。
『無能者はズルイ。何もせずとも親切にされ、チヤホヤされる』
でもそればっかりは俺に言われても仕方がない。
……魔力に満ち溢れるこの世界において、無能者の数は驚くほど少ない。
ただし、表立って差別を受けるようなことはない。なぜなら母なる女神は人々にこんな教えを残したからだ。
『お腹を減らした隣人に、パンを一つ分け与えたなら、あなたは二つのパンを手にすることでしょう』
つまり、困っている人に優しくすれば、倍の幸せが得られるということだ。これは皆にとって大事な建前。
本音としては――『無能者は意外と使える』。
無能者として生を受けた“可哀想な”人間に、女神は特別な力を授けていた。
それは、誰もが心酔するような美貌と叡智。
ある意味『魔法』にも匹敵するほどの優れた力だ。万が一にも悪用されないよう、国は常に目を光らせている。
無能者とジャッジされた子どもは、国の管理下に置かれることになる。彼らは成人になるまで学業に勤しみ、男は神官に、女は巫女になる。その間に王族や貴族に見初められる者も少なくないらしい。
ただし俺のような――見た目も中身もそこそこレベルという無能者は、その例に当てはまらない。誰かに庇護されるにしても子どものうちだけ。
しかも俺は、天涯孤独な身の上だ。
母親はふらりとこの村を訪れた旅人で、俺を産み落としてそのまま亡くなった。当然、父親は不明。
神父様やペルルや、優しい村人たちに助けられながら普通に暮らしているものの、やはり肩身は狭い。
俺がこの村に恩返しをするなら、しっかり勉強して安定した仕事につくしかない……。
「あとね、せんせい。もう一つきいてもいいですか?」
「どうぞ」
「せんせい……もうすぐいなくなっちゃうって、ほんと?」
グッ、と喉が詰まった。
教卓の周りではしゃいでいた女子たちはもちろん、着席している男子までもが泣きそうな顔で俺を見つめている。俺はなるべく柔らかな口調で答えた。
「はい、来年の春にはこの村を出ます」
「えッ……どこに行っちゃうの?」
「王都の神官学校に通うんです。そろそろ試験勉強に入るんで、今月でこのクラスはおしまいになります」
「やだ……せんせい行かないで!」
俺の腰にギュッとしがみついてくる少女。いつも邪魔に入るペルルも、このときばかりは何も言わなかった。
神官学校のレベルは恐ろしく高い。学力だけなら、世界でも五本の指に入る難関校と噂されている。
しかも俺が狙うのは、学費のかからない特待生だ。
幸い俺には前世の知識があったし、その知識に溺れることなくこの世界のことも学んできたから、半年ほど根を詰めて勉強すれば成績トップも夢じゃない。
それに、俺がこうして必死になるのは彼女たちのためでもあった。
「大丈夫、また戻って来ますから」
「いつ?」
「三年間王都でしっかり勉強して、その後就職して十年くらい働いて……そうですね、君が大人になる頃には必ず」
「アタシがおとなって、十三年も……?」
「はい、良く計算できました」
何かをごまかすように、俺はサラリとした少女の髪を撫でた。
――この村にちゃんとした小学校を建てたい。そしてできるなら、俺自身が教師として戻ってきたい。
俺の夢は村人全員が知っていて、我が子を応援するように温かく見守ってくれている。あのクソ生意気なシモンですら、俺に嫌味は言っても本気で邪魔をしたりはしない。
本気で邪魔してくるのは、ペルルだけだ。
例えば俺の出した入学願書が、なぜか配達途中で鳥や獣に奪われてしまう、とか……。
ただ最近になって、ペルルも俺の決意が固いと分かったらしい。今度は俺を追って王都へ行こうと、神官学校に隣接する『魔法学校』へ願書を出したようだ。
ペルルの魔力は桁外れに強いし、実技が中心の入学試験など軽々とクリアできるだろう。
『地図にも載らないような辺境の村に、王都の学校へ特待生として通えるほどの神童が二人もいる』
そんな噂は、平和な田舎の人々にとって良い酒のつまみになった。
この地を訪れた商人や旅人の口を介して、噂はどこまでも遠くへ流れていく……。
※無能者の説明を一部修正しました。