神子が来たりて歌を歌う
「生物兵器って響きがちょっと格好良くね? とかそれなんて厨二病」の魔王視点です。
一応「生物~」を未読の状態であっても問題なく読めると思います。
遊森謡子様企画 春のファンタジー短編祭(武器っちょ企画)参加作品
詳細は
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その人間は異界から召喚されたらしい――そんな話を耳にしたのは、神子と呼ばれる女が現れてから三月ほど経ってからのことだった。
姿を見せぬ「あいつ」のやることらしい、全く以て卑怯な奴だと不快になった俺は、その時鼻に皺を寄せたかもしれない。
あいつ――姿はおろか名前すらも明らかにせず、常に人間の背後に潜みその中から特に愚昧な人間を操ってこの世界を変えていくあいつ。人間にとって都合の良い生物以外は、あいつの振るう力とその「恩恵」によって見る間に数を減らしていった。特に魔物に対しての虐殺は目を覆いたくなるようなもので、ほんの小さな、力も殆ど無いような幼い魔物の生命ですらも徹底的に刈り取られた。
今回もあいつは自らの手を汚さず、そればかりかこの世界の人間の命すら惜しんだのか、異世界の人間を招きよせた。勿論本人の同意があったわけではないだろう、誰が好き好んで使い捨ての駒になるというのだ。とにかくその人間の男女は不幸にもこの地へとやって来たわけだ。
異界から来た人間は界渡りのせいか「あいつ」から何某かの「恩恵」を付与されたからなのか判らぬが、特殊な能力を持っていたらしい。特に女の能力は凄まじかった。降臨してから我々が事態を把握するまでに時間がかかったのもそのせいだ。
女の赴くところ、全ての魔物が死に絶えた。僅かでも生き延びてくれていればもっと早くに発覚したであろう。だがこちらに知らせる術もなく、こちらが呼びかけても沈黙が返ってくるばかりで何が起きているのか全く掴む事が出来なかった。
さすがに様子がおかしいと偵察に向かわせた魔物はそのまま消息を絶った。空を飛ぶ鳥型の魔物も帰ってくることはなかった。挙句の果てに遠見の術を使って探らせようとしたものの、それも失敗した。どのように魔物を殺戮しているのか、その現場を押さえることで解明させようとしたのだが、遠見に使っている部屋から一向に出てこない術者を呼びに向かわせると、その部屋に居た全ての魔物が死んでいた。遠見の術越し、しかもこちらの気配すら察知することはなくとも振るわれる殺傷能力に慄然とした。
城中、いや全ての魔物が恐慌状態に陥った。どうすればいいのか、対策はあるのかと連日会議が開かれたが有効な手立てが浮かばなかった。元凶の「あいつ」を倒せばどうにかなるのではないかという案も出たが、ほんの僅かな気配すら絶っている「あいつ」をどうにか出来ていたなら、今この現状――魔物にとって長く続いてきた苦境――には至っていない。おまけにあの能力が「界渡り」によるものであるならば、「あいつ」をどうにかしたところで変わりはしないだろう。部屋の空間に誰かの落とした呻くような溜息が広がった。
その間にも神子と呼ばれた女の進軍は続く。
夜は休息をとっているらしいという情報が伝えられた。では寝込みを襲いますかと進言され、気は進まなかったが了承した。しかし、結果は芳しくなかった。女ばかりに気を取られていたが、男のほうも中々に厄介であった。女を守るため男は夜の間ずっと不寝番をしているらしく、隙を突いて襲撃したが上手くいかなかった。
暗視に長けた魔物を向かわせたところ、男の放つ光で目潰しを食らい、一瞬の間に女を守っている人間どもによってなぶり殺しにされた。
姿と気配を消すことの出来る魔物もいたが、女の周囲の「勇者」と呼ばれる男によって作られる小さな稲妻の檻を越えることが出来なかった。
男は直接こちらの魔物にダメージを与えることは出来なかったが、共に行動している人間と連携することによってそのハンデを克服していた。勇者が魔物に突き刺した剣に雷撃を与えると魔物は内側から焼け死ぬ。人間はその剣を抜いて別の魔物に突き刺し、勇者はそこに雷撃を与えるといったことを繰り返していた。何人もの人間が素早い動きでその動作を繰り返しているところを正確に雷撃を与えることが出来るあたり、流石勇者と呼ばれるだけのことはあった。
ともあれ夜間の襲撃も今ひとつ功を奏しないことがわかり、早々に諦めることにした。
皆には悪いが、少しほっとした。「あいつ」の卑怯なやり口を糾弾しているはずの俺が、奴と同じレベルに落ちたようで心苦しかったのだ。
神子の進軍は続き、魔物はますます数を減らしていく。
魔物としての種を維持できないほど生息数が減ったころ、俺は城にいる全員を家族や恋人の元に向かわせた。せめて最後くらいは思いのまま生を謳歌し、穏やかな幸福を味わってもらいたかった。
皆を集め何も成せぬまま仕舞いだった俺の不甲斐無さを詫びると、皆は涙を流して俺と共に在れて良かったと、後悔はないと言ってくれた。皆の気持ちに胸が熱くなり、俺は歯を食いしばって涙を堪えた。
一人になった城で、身の回りのことは全て自分で賄う日々。何も持たなかった遠い昔を思い出した。あの頃には希望が胸にあったが、今この胸にあるのは挫折による苦い痛み。決して絶望という言葉は使いたくなかった。例え明るい展望が何一つないとしても、「あいつ」のせいで味わう絶望だけは己の自尊心が許さなかった。
死の調べが遠くかすかに響いている。徐々に近づくにつれ、砂の城が水に溶け崩れていくように力が、生命力がこの体から抜け落ちていき、脳がかき回される不快感が襲ってきた。これが神子の能力なのか。気づくと全身が金縛り状態だった。
神子が目の前まで来たときには、漸う立っているといったような有様だったが、表情には決して出さないように努めた。
神子が口を開く。目には憤怒の色が浮かんでいるのに、口元が釣りあがっているのが不気味だった。
「あなたのために、心を込めて歌います!」
それはじっくり丁寧に嬲り殺してやるという宣言か。俺たちが何をしたというのだ。神子からそんなにも憎まれるよう覚えは何一つなかったが、俺たちの存在が召喚の理由だというなら、それは召喚した「あいつ」を怨むべきだろう。
膝をつかないようにするだけで全力を費やした。攻撃する余力はまるでなかったが、魔王と呼ばれた者としての矜持にかけても、死の直前までは立ち上がった状態でいたかった。
神子の表情が段々と柔らかいものに変わる。目が生き生きと輝き、顔中、いや全身で喜びを表現しながら歌う。俺の苦しむ姿がそんなにも愉快だというのか。悦びを持って弱者をいたぶる神子に心底恐怖し、嫌悪した。
段々と視界が暗くなり、ついに足から力が抜けて膝が折れた。歌が一段落したらしい神子が気合を入れなおすのが聞こえる。
興が乗ってきたらしい神子は不思議な踊りも加えて歌いだした。その動作のせいか、俺の終焉に向かうスピードが加速する。ついに腕をついて支えることも出来なくなり、横倒しに倒れた。
目がかすむと思う間も無く視界が暗くなり、何も見えなくなった。もう神子の歌も聞こえない。正確に言うと、聞こえてるかどうかもわからない。
温かな滴が落ちてきた。哀れみなどいらぬと言いたかったが口は動かない。そのまま俺の…意識も暗黒に……閉ざされ…