2章-74 死行の成果
「ロディウス老師のところで、イリュージョン(幻覚)を使った訓練はしたかね?」
「はい、刃物と怪物と火山を」
それを聞いて、ジェイナスの表情が強烈に引きつる。その後、ふらふらと後ずさって椅子に腰を落とした。
「信じられない。まさか、本当にやるなんて」
ジェイナスは呆然としたままつぶやく。そして、全身を震わせながら両手で顔を覆ってしまった。サフィリアとシンシアは口を横一文字に引き結んでいる。
「何かまずいことでも?」
不安になって聞くと、ジェイナスは何度も顔をこすってから口を開いた。
「刃物の修行だが、飛んでくるイリュージョン(幻覚)の刃を受けるやつだね」
「ええ、怖がって目を閉じたら大怪我をするから、当たっても目をつぶるなって。そうすれば、軽傷ですむから、と」
「怪物は実戦と同じように戦うやつだよね?」
「はい。いろいろな状況下で、戦いの訓練をしました」
「そして、最後は火山に突き落とされるわけだ」
「だけど、イリュージョン(幻覚)なんですよ。実物じゃないんですから」
「……まぁ、君が心からそう信じ込んでいたから無事だったんだ。『無知の純心』ってやつだね。イリュージョン(幻覚)に対するには最強の心構えといってもいい。だけど、そんな事はたわけた理想論だと思っていた」
「あの……そんなに大変なことなんですか?」
あまりの言い方にシーグは不安になってきた。
「君は人間の心や精神がどれだけ脆いのか。そして、イリュージョン(幻覚)の系統が人間にどれだけ恐ろしいことができるのか。まるで分かっていないんだね。自分が攻撃を受けた、倒されたと思うだけで現実にそれ以上のダメージを受けてしまうんだよ」
「はあ」
シーグの間の抜けた答えに、ジェイナスは心底あきれた様子で肩を落とした。
「あのね、シーグ君。それは、実戦よりも危険な事なんだ。人を狂気に追いやる修行、いや苦行なんだよ」
「だけど、これは幻だから。実物ではないから死ぬわけがない。そう聞かされていました」
「いいや、死ぬよ。だって、隠語では『死行』などとあだ名されていた位だから」
どんどんと壮絶になっていく呼び名に、シーグは少しずつ事の深刻さが飲み込めてきた。
「いや、でも有効なやり方なんでしょう?」
「確かにね。その修行はね、精神を鍛える最高の方法を求めて大成された。千尋の谷に突き落として、火の雨を降らせて、昇ってきたものを死ぬまで蹴り落とす。何処まで人間を痛めつけても、立ち直らせることができるかっていう挑戦」
沈んだジェイナスの声に、部屋中に重苦しい空気が立ちこめた。誰もが固唾を呑んで言葉の続きを待つ。
「実施されたのはずいぶんと昔だが、結果的に死者の割合は実戦が子どもだましに見えるほどでね。あんまり残酷なのでメティスでは禁術に指定され、正確な記録さえ抹消されたんだよ。この呪われた理論を大成した魔術師は、自責のあまり自ら命を絶つことを選んだ」
ジェイナスは口元を覆ったままで、シーグを見る。表情は見えないが、瞳には恐怖の色が浮かんでいた。
「高すぎる理想は人を殺す。それは事実なんだよ。少なくとも我々、教育や育成に関わる者が絶対に踏み入れてはならない領域なんだ。ロディウス老師も恐ろしいことをする」
何か嫌なものでも振り払うように、ジェイナスは頭を横に振った。そして、自分が振りまいた重苦しい空気に気づいて、ばつの悪い表情を浮かべた。
「悪かったね。君が乗り越えてきた鍛錬を悪く言ってしまって」
「まぁ、あの爺さんならためらわないでしょう。決まりは破るためにあると信じています。そして。生かさず殺さずの達人、生殺しの専門家ですから。たぶん、絶妙のさじ加減で痛めつけてくれたんでしょう。驚くより納得しましたよ」
あっけらかんと言うシーグ。ジェイナスはようやく厳しい表情を緩めた。
「とにかく、君が大変な試練を乗り越えたことは事実だね。ワイバーンやベクター卿、セブンパワーインテグレーション(七力統合陣)を相手に立ち回れる理由が分かったよ」
ジェイナスは何時も通りの飄々とした声に戻った。
「それに、早速今回の決闘でも役に立つ。クリティカル・ウーンズに対する方策もとりやすくなったね」
「どうことなんですか」
「うむ。シンシア、どういうことなのかな?」
ジェイナスに問われて、ぼんやりとしていたシンシアは我に返った。
「ウーンズは、直接的な打撃ではありません。対象者に負傷をしたと勘違いさせて、傷を作り出します。だから、ブラスト(噴出)の系統だけではなくて、イリュージョン(幻覚)の系統に深く関わりがあります」
「その通り、よくできたね。教科書に載っている事そのままだよ」
ジェイナスはシンシアにうなずきかけた。そして、何かを言いかけたが口を閉じてアイフェを見る。
「アイフェ、もう一度お茶を入れてきてくれるかな」
「うん。いいよ」
飛び上がるようにソファーから立ち上がると、テーブルの上にのったカップを積み重ねている。
「先に、リーザ姉さんに会いに言ってくれるかな。そして、作業は中断してここに来るようにね。なんでも、お勧めのハーブを買ってきてくれたみたいだ。楽しみだね」
「分かったよ!」
元気に返事をするアイフェを見て、サフィリアが表情を厳しくする。
「アイフェ。『分かりました』、でしょ」
「わっかりやしたぁー!」
アイフェはふざけた調子で答えると、サフィリアが口を開くよりも早く教員室から走って出て行った。
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