2章-64 ケダモノー!
*
「おい、到着したぞ」
岸辺に到着した頃には、完全にリーザは眠り込んでいた。肩を揺らそうが、額をつつこうが目を覚まさない。こういう時には、サフィリアと一緒によくいたずらをしたものだ。耳の穴に草を入れたり、まぶたを無理やり開いたり、口に指を突っ込んで変な顔をさせたり。他にも色々なことをしていた。
今から思い出すと、結構恐ろしいことさえした。幼い子どもというのは無邪気だが、残酷というのか加減を知らない。子どもは天使のようだとたとえられる。しかし、いたずらを楽しんでいるときの自分やサフィリアを思い出すと悪魔の使いとしか思えないのだった。その時に、何があっても笑っていたリーザは、間違いなく忍耐の天使である。
いつまでたっても船を出せないので船頭は困っていた。仕方がないので、シーグは荷物を岸にあげ、リーザを抱き上げて船から下りる。ひとまず、リーザを寝かせられる場所に届けてから荷物を取りに戻ろう。
サフィリアの学校は、湖の岸辺に建っていた。林の広がる湖畔に宿屋のような木作りの建物。天空の水盤にあるサフィリアの家を連想させる。違いといえば、広場のあちこちに手作りの遊具があることだ。木馬やトビ台、荒縄で作られたハンモックなどは見慣れたものである。
しかし、理解不能なものもある。たとえば、3階の高さの木に渡された板には小さな泥の足跡がついていた。下から見上げて分かったのだから、当然板の裏側である。そして、焦げ付いた地面の上に、融解した鉄板がひん曲がって転がっていた。
どうやって作ったのか、一抱えほどの幅の穴が刃物で切られたようにまっすぐ垂直へ、底が見えなくなるまで続いていた。その横には、乾いた泥が山盛りになっている。この泥が穴から掘り出されたものなら、軽く見積もっても10階よりも深くまで続いているだろう。
魔術師の子どもたちが本格的ないたずらに及んだときに、果たしてどうなってしまうのだろうか。広場に残った痕跡から、嫌なことを想像してシーグは回れ右をしたくなった。その時、扉がガラリと開けられる音がした。
「シーグさん」
元気な呼び声と共に、シンシアが建物から駆け出した。髪を跳ね上げ、千切れるように腕を振り回して懸命に走っている。
「無事だったんですね。よかった!」
息を切らせながら、頬を高潮させている。目端に涙を浮かべ、真っ直ぐと見つめてきた。何処までも一生懸命な様子にシーグは苦笑した。だが、視線がリーザに降りていくと、シンシアは目をまん丸に見開いた。その後、口があわあわと動き、見る見るうちに顔中が赤く染まっていく。
リーザの奇抜な格好を見て、恥ずかしくなったのだろうか?
その後、三角になった目でシーグをキッと睨みつけた。そして、今度は歯を食いしばりながら今度は高熱でも出たかのように顔が沸騰しはじめた。
「どうしたんだ?」
「何をしていらしたんですか!」
わなわなと肩を震わせ、唇をかみ締めながらシンシアは切りつけるような視線でシーグを睨む。何で怒っているのか、シーグにはさっぱりわけが分からなかった。
シンシアはいそいそと自分の灰色のガウンを脱ぐと、リーザの体の上に掛けた。それで分かったのだが、リーザの足が太ももまで丸見えになっていたのだ。抱えて歩いている間に、マントがめくりあがっていたのである。よく見れば肩の部分も相当着崩れていて、マントを身に付けていないも同然だった。とりあえず、座るにも、人に抱きかかえられるにも向かない衣装であったのは分かった。
「いやな。何って、まあ色々とあったんだが……」
「色々って……」
弁明しようとしたシーグをシンシアは恐怖の眼差しで見上げる。
「スケベ!」
いきなりの糾弾の声にシーグはひるんだ。
「気絶したリー姉様に何をしたのよ!」
「な、何ってなんだよ!」
逆に聞き返すと、シンシアは耳まで真っ赤になった。全身の血が顔に集まったかのようだ。
「変態! 変質者!」
「な、ななな」
突然とてつもない事をまくし立てられて、シーグは舌がもつれた。
「色魔! 淫猥! 女ったらし!」
「ちょっと待て!」
一歩踏み出すと、シンシアは顔中をゆがめて、シーグから飛び下がって逃げた。その拍子にしりもちをつく。
「下品だわ、不潔よ。近寄らないで、ケダモノー!」
息が続く限り、けたたましい声を上げながらシンシアは叫び続ける。シーグは何がなにやらさっぱり分からず、混乱するばかりだった。
「あー、シーグー!」
シンシアの出てきた扉から、今度はアイフェが飛び出してきた。その後に、サフィリアの生徒たちが一斉に飛び出してくる。と、足元からせりあがってくるような炭火のような気配。シンシアは涙目になりながら、首に下げたペンダントを手に巻きつけた。プラチナの鎖が不吉に揺れる。
「来たれ、天よりの災厄!」
聞き覚えのある呪文にシーグは背筋があわ立つ。パチリと火花が飛び散った。間違いない、雷撃の魔術だ。
「お、おい!」
同時にシーグはもう一つの気配を感じた。反射的にリーザの足を下ろしてシャープネスに手を伸ばす。抜くのをためらったのは、背中の古傷が痛まなかったからだ。危機が迫っているわけではない?
そう思った瞬間。一人の老人が突然空中に現れ、シーグとシンシアの間に割り込んだ。そして、杖でシンシアのペンダントを突く。すると、次の瞬間に老人の手にシンシアのペンダントがぶら下がっていたのだった。
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