2章-56 冥王カラナウス
*
シェンナ・グラドリガはメティスの13代目の王である。シェンナ王が即位した時、彼こそはメティスを滅ぼす破滅の王と噂された。
13代という数字が不吉なある故に。また、彼が即位する際に起きた政争が国中を揺るがせた故に。15歳の若さで即位したが故に。暗いアンバー色の髪と、同じ色の瞳が濁った血の色を連想させるが故に。
即位後にまずは政敵を滅ぼし、次に国の混乱に乗じて一斉に侵略を開始した4方の敵をまたたく間に滅ぼした。その頃には冥王カラナウス(血まみれ)と呼ばれるようなる。戦争での行為があまりにも残虐で、敵に対して容赦が無かったからだ。
例えば、倒した敵兵の首をはねてから、杭に刺して国境地帯に壁のように並べる。仲間達の変わり果てた姿、満ち満ちる腐臭。空を多い尽くすカラスとハエの群れ。冥府の道行きもかくやという、恐ろしい結界を乗り越えられる軍勢などありはしない。更にその年、国境地帯に集中して疫病が流行し戦うより前に敵が総崩れともなった。メティスの魔術師が、呪いを放ってためだと誰もが信じた。
シェンナ・グラドリガの軍勢の行くところは勝利と、死と破滅しかなかった。シェンナの所業には吟遊詩人でさえ舌を凍りつかせ、宮廷詩人でさえ記録に残す事をはばかるほどであったという。
国境紛争はわずか1年、事実上は春のベルテヌ(花祭り)から冬のサムハイン(死神の日)までの半年間で終結する。
次の年、メティスは攻勢に出るのだと大陸中の国々が震え上がった。しかし、インボルグ(収穫祈願の祭り)の後にメティスが挙兵する事は無かったのである。
シェンナは戦争ではなく魔術師の育成に資金を投下し、騎士団の強化にも力を入れた。先の戦争で功績の高かった魔術師の一族。七家を重用して国の要職につけ、メティスの政治体制を一新した。また、区画を整備して殖産工業を発達させる。
王国がどんどんと豊かになる一方で、王の残虐さは彼の敵と罪人にしか向けられる事は無かった。その事実が国中に浸透した現在は、彼を賢王と称える声が高くなっている。
だが、王城に勤めるものは知っている。シェンナ王は神々のように気まぐれで、闘争と敵を常に求めている。中でも決闘の見物を何よりも好み、『ヴァンガード』が繰り広げられるときには、政務を放棄してでも見物に行くのが常であった。
*
赤色の道は玉座が終端となる。
アクリアエ・スリスの広場から城門をくぐるまでは赤レンガの道。王城フォルナージュの中では緋色の絨毯が続く。メティス建国以来、かえられた事のない様式だ。しかし、諸外国の大使達は玉座の間へ向かう度に、シェンナ王が冥王カラナウスの二つ名で呼ばれることを思い返させられるという。
ベクターはシェンナ王に謁見するために緋色の絨毯を進んでいた。予想していた通りに、王城の中はごった返している。忙しく動き回る文官武官、王に謁見を拒否されしぶしぶ引き返していく各国の大使。アクリアエ・スリスへと物を運び出す人足達。
ヴァンガードが行われる朝は、王は必ず政務を完全に放棄する。その上で国の中枢を治める者達を好んで集めてサロン(談話会)を開くのだ。そのため、王国の政務はほとんどその機能を失う。王城に勤めるものにとって、決闘の朝は悪夢の続き以外に何者でもない。ましてや、今回のヴァンガードは朝に決定し、正午に決行される。あらゆる予定が台無しになり、混乱している真っ最中なのである。
「ベクター卿、お早いですな!」
キィキィと響く甲高い声に、ベクターは歩みを緩めた。けたたましく足を動かして駆け寄ってくるのは異相の男である。10才の子どもほどの背丈しかないが、頭だけが異様に大きい。丸い頭はすっかりと禿げ上がっており、眉毛も無い。髭だけが足元に届くまで生えている。きょろきょろと動く大きな眼は、トカゲを思い起こさせる。どちらにせよ、一度見れば忘れられない容姿の持ち主だ。
「ゲイル卿、お久しぶりです」
ベクターは礼儀正しく騎士の返礼を返す。
「礼は不用ですよ。そもそも、私のような者に礼節を尽くしても奇妙にしか見えませんからな!」
ゲイル・グラキエスは甲高い声でカラカラと笑った。すれ違うもの達が好意的ではない表情でゲイルを見てゆく。その後、そそくさと姿を消していくのだった。
彼ほど宮廷には似つかわしくない人間はいない。異相ともいえる容姿、奇抜な発言や言葉遣い。元々は王族に対する反逆の言質を取られ、家なしの罪人となり幽閉されていた。
それがシェンナ王には痛快であったらしい。ゲイルを幽閉した王族を粛清した後、王国の政務の中心に抜擢したのだ。『グラキエス』とは、ゲイルを幽閉した王族の姓である。
文官武官の全員が彼に好意的ではないが、ゲイルなしではメティスの政務が回らない事は疑いはない。特にメティスの殖産興業の発達は、彼なくしては実現はなかったのだ。メティスの今日の繁栄は、彼の手によるものと、ベクターは考えている。 |