2章-55 逃走経路
高さで言うと、3階の途中あたりだ。落ち方が悪ければ無事では済まない。
「や、やだ!」
リーザが怖がって、シーグにしがみつく。それがとどめとなって、もう一度鈍い音が鳴る。今度は吸い込まれるように下に落ちていった。
「キ――」
リーザは悲鳴さえも出せないほど怯えきっている。シーグは首筋に爪を立てられて痛みに顔をしかめた。しかしその一方、危機に見まわれたときの常で感覚が鋭く研ぎ澄まされてゆく。考えるよりも早く、シーグは開いた手でナイフを抜いた。そして、横に広がるカーテン目掛けて突きたてたのである。
ビィー、と布を裂く音と共に落下の速度が遅くなる。シーグはナイフの角度を調整し、斜めにカーテンを裂いて落ちる速さを調節する。裂けたカーテンの向こうにもカーテンがあった。どうやら、何重にも張り巡らされているらしい。
足に床がついても、リーザは眼を固く結んだままだった。頭上から滑車が落ちてくるのを、シーグは三歩ほど下がってよけた。滑車は砕け散り、火花を散らしながら騒がしい音を放つ。
「一階に到着したぞ」
声をかけるとリーザは眼をぱちりと開く。そして、周囲をきょろきょろと見回した。
「え、なんで?」
「代わりに、カーテンをダメにしてしまったけどな」
「それは別にいいけど……」
カーテンが裂けただけで、どうして無事なのか。リーザはいまいち状況が飲み込めていないようだ。
「ずいぶんと音を立ててしまったな。早く逃げた方がいいと思うが?」
「う、うん」
シーグの提案にリーザはうなずく。そして、帽子のリボンに引っ付いた光の玉を指ですくいあげる。周囲を照らしながら、壁を調べた後にレンガの1つを箇所を力一杯押し始めた。「うーん」とうなりながら、何度も押すが何も起こらない。
「ここを押せばいいのか?」
「うん、お願い。私の力じゃ無理みたい」
シーグも足を踏ん張って全力で押したが、ビクともしない。もしやと思って、一個ずつずらしてレンガを順番に押していくと、ガコンと音を立ててレンガが奥に引っ込んだ。
「…………」
「あは!」
リーザは笑ってごまかした後、再び壁を押す。すると、隠し扉が開いて光が入ってきた。荷馬車が通れるほどの広い通りだが、そこには誰もいない。建物越しに表通りから賑やかな物音が聞こえてくる。「矢で俺を狙った」だの「汚ねぇ袋をぶつけやがって」だのと、お互いに叫びあい、罵り合う声。それに混じって何かがぶつかり合う音が響き渡る。
物音だけでも、空飛ぶ絨毯を追いかけているのではなく、大規模な乱闘状態になっているのは簡単に想像できた。そして、通りに伏せてあった人間も自分達の親衛隊に味方するために離れてしまったのだろう。
そこでは3組の親衛隊が、職人達に武器を提供されながら騒ぎを拡大させていっているのだろうか? シーグがそんな事を考えていると、リーザは鼻歌交じりにスキップをしながら先を行く。
「今度こそ、ゆっくりお茶にしましょう。フィーちゃんも誘って、お茶菓子も用意して。そうだ、学園地区だから見晴らしのいい湖岸がいいわね」
リーザは途中でくるりを振り返って後ろ向きに歩き出した。そして、楽しそうにお茶会の計画を立てている。
「フィーちゃんはミルクと蜂蜜入りの紅茶ね。シー坊は何か希望がある?」
「いや、俺は特に……」
大騒ぎになっている通りを1つだけ隔てた無人の通り。そこをシーグとリーザは散歩でもするように悠々と歩いて行った。
「だったら、季節のハープを使ってみましょう。私はミントを少し入れて。途中で市場に寄るけどいいかしら」
「ああ」
シーグの生返事に、リーザは大げさにうなずいた。
「じゃあ、決定。目指すは『ウィングス通り』よ」
かくして、2人はホワイトホース区画を後にしたのである。背後に巻き起こる狂騒は止む事を知らない。
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