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1章-5 □×○△
     *

「見者の家はまだなのか?」
「もう目の前だよ」
 アイフェは言うが、湖畔の風景が広がるばかりだ。森の木々が突然途切れ、縦横50歩ほどの草地の広場になっている。湖から真っ直ぐな水路が続く小さな円形の池があるだけだ。何処にも家らしきものは見えない。
「頼む。からかうのはやめてくれ」
「本当だもん」
「だったら、水の中にすんでいるのか?」
 そう言ってから、魔術師なら別に不思議ではないな、とシーグは思った。
 アイフェはプー、と頬を膨らませるとジタバタと暴れて、シーグの手から逃れた。アイフェが駆け出した方向には、池と水路だけしかない。しかし、シーグは違和感を感じた。
 円い池に直線の水路。それは決して自然なものではない。と、アイフェの姿がフッと消えた。シーグが驚いていると、今度は首だけのアイフェが空中に現れてケラケラと笑っている。
 シーグが駆け寄って手を差し伸べると、再びアイフェの顔が消えた。そして、シーグの手首の先も切り落としたように見えなくなった。
「早くこっちに来てよ」
 アイフェの声につられて前に進むと、水面に顔をひたしたような感触がして、突然目の前にかやぶきの家が現れた。三角屋根、四角の窓とドア。赤レンガの煙突。小さなごく普通の家だった。顔をゆっくりと後ろに引くと、冷たい感触と共に家とアイフェだけが見えなくなった。
「シーグが半分になった」
 再び前進すると家が現れた。アイフェが腹を抱えて、若草の生えた地面を転げまわっている。
「あ、サフィリアが来たよ」
 アイフェの声の後にかやぶきの家の扉が開いて、薄い水色のローブを着た女性が姿を現した。年齢は15,6、真っ白で槍のように細い杖を持っている。ほっそりとした体つき、背中まで伸びる淡い金色の髪。大きな碧色の瞳がアイフェを見つけると優しげに細められた。
 サフィリアは駆け寄ってくるアイフェを隠すように背中に庇った。
「あんたが、見者。サフィリア・フェルナンディ、だな?」
「近寄らないで下さい」
 シーグが聞くと、サフィリアは杖を構えて目つきを険しくした。
「ちょっと待て、何か誤解していないか?」
「していません。あなたが、アイフェをどんな風にここまで連れてきたか、私は水盤を見て知っていますから」
 身動き取れないようにアイフェを抱いてきたので、無理やり押さえつけているように見えたかもしれない。シーグは舌打ちをした。見者の封土の中で軽率な行動だったと悔やむ。
「これ以上近寄れば、私も相応の手段をとらせていただきます」
「わかった」
 慇懃で形式ばった態度が見えない壁を作っている。無理に近づけば、相手を刺激するだけだ。そう考えてシーグがおとなしく後ろに下がる。サフィリアはようやく表情を和らげた。
「アイフェ、何があったの? ビショ濡れじゃない」
 サフィリアは、背中にへばりついているアイフェに聞いた。そうしていると、仲のいい姉妹のようだ。
「うんとね。湖でね。シーグにね。裸のまま押し倒されて、胸を押さえつけられたの」
「ちょっとま……」
「あなたは黙ってて」
 シーグの言葉をさえぎって、眉間を険しくするサフィリア。アイフェは目を丸くして驚いている。
「それからどうしたの。本当のことを教えて」
「う、うん」
 サフィリアに押し殺した低い声で問われて、アイフェは泣きそうな顔でごくりと唾を飲み込んだ。
「それでね男が女を押し倒したときにすることは決まっているんだけどええと俺はサフィリアと三人一緒がいいってシーグが言ったの」
 アイフェは緊張したためか、深刻な表情で早口で息もつかずに言った。ものすごく違うことを。
「………このぉ」
 押し殺した声、肩が小刻みに震えている。それは間違いなく、サフィリアの怒りの深さを表している。
「□×○△!」
 シーグは突然のひどい言葉に驚き、いきなり変わった口調にも驚き、次に魔術師の方から距離をつめてきたことに更に驚いた。
「誤解だ」
 シーグは池を背に、後ろ飛び下がりながら叫んだ。
「小さな女の子の服を脱がして、胸を押さえていまさら何よ!」
「違う裸だったのは俺の方だ」
 サフィリアの表情が更に険悪になってから、全く言い訳になっていないことに気づいた。
「この変態!」
 サフィリアはシーグの頭に向かって、槍のように杖を突き出してきた。シーグがしゃがんでかわすと、頭の上に突風が吹き抜け、遥か遠くの木の枝が切断されて宙を舞う。その威力の前には皮鎧など何の役にもたたないだろう。
 杖に注意を向けていると、視線の端で金色の髪が急に吸い込まれる様に下に向かう。それで、サフィリアの体が沈んだと気づく事ができた。絶妙なタイミングの蹴りがシーグのわき腹を狙う。シーグは横倒しになってよけると、側転の要領で立ち上がり、距離をとった。遅れてシーグの半歩隣をサフィリアがなぎ払った杖が通り過ぎて、地面を深くえぐり土を空に巻き上げる。
「チョコマカと動かないで!」
 無茶なことを言いながら、サフィリアはすでに杖を構えなおしていた。
 シーグは覚悟を決めて剣を抜いた。錆ひとつない白銀の刃は細く、切っ先が鋭利にとがっている。
 武器を見ると、サフィリアは大きく後ろに飛び下がって、杖を地面に突き立てた。そして、口の中で何かをつぶやいている。そして、シーグに向かって殺到する殺意。
「これで終わりよ、変質者!」
 更に心に突き刺さるような掛け声があれば、攻撃のタイミングを見誤るはずがない。シーグは後ろも見ずに真っ直ぐに駆け出した。背後から大量の水が落ちてきてシーグを引き倒そうとする。だが、走り出していたためにわずかに足を取られただけですんだ。そして、低い体勢のまま勢いを殺さず前進する。
 サフィリアは杖を突き出すが、シーグは前転してかわす。背後の土が砕ける音。跳ね上がるように杖の反対側が目前に迫る。立て続けの連撃をシーグは剣の峰で受け止めた。そして、弾かずに前転の勢いを殺さないまま杖に倒れこむように体重をかける。
「あっ」
 小さく叫んでサフィリアが姿勢を崩した。その瞬間を逃さず、シーグは真上に剣を跳ね上げた。杖が激しく回転して宙高く飛ぶ。シーグは返す刀でサフィリアの目前に切っ先を突きつけた。一瞬後、水がなくなった池の中に杖が落ちて乾いた音を立てる。
 後ろは一面水浸しだった。後一歩踏み出すのが遅れていたら、シーグは大量の水に押しつぶされていただろう。
「戦ってから言うのも妙だが、俺は敵じゃない」
「どうせ、ガイスの変態仲間なんでしょ」
「絶対に違う!」
 大体、それはどんな集団なんだ? と心の中でシーグは叫んだ。
 背後では、水路を伝って湖からすごい勢いで水が流れ込んで、杖を流してゆく。
「じゃあ、どうやって来たのよ。ここには私が招いた人間しか入れないわ」
「魔術を使うならね。だけど、歩いて来る分には関係ないだろ」
 サフィリアは一瞬とぼけた表情になったが、次第に顔つきを厳しくしていった。
「うそ……人間が歩いて超えられる山脈じゃないわ」
「裾野を行けばなんとかなる。最短の道でも三日かかったけどな」
「あなた、一体何者?」
 サフィリアは険しい表情を改めた。とにかく、話を聞いてくれる状態になったようだ。
「とにかく、俺はあんたの味方だ」
「勝手に封土に進入した人を信じろっていうの?」
「ガイスたちもいるじゃないか」
「ええ、好き勝手に我が物顔で歩いているわ。いつでも、天空の水盤を破壊できる手段を持ったままね。それがどんなに悔しいことか、わかる?」
 サフィリアは、瞳を刃のように細めてシーグを睨みつけた。魔術師にとって封土への進入は、よほどの侮辱となるらしい。
「悪い、知らなかったんだ。ここに無断で立ち入ったことも、さっきの言葉もすまなかった」
 シーグは謝罪すると、剣を鞘に収めて後ろに下がった。
「……とにかく、敵じゃないって事は分かったわ。アイフェから詳しく聞いてみます」
 アイフェはシュンとなってサフィリアをチラチラと見ている。怒ったサフィリアが本当に怖いのだろう。
「キチンと説明しなさい」
「え、シーグから聞いてよ」
 下を向きながら、もじもじとしているのは年相応の子どもの仕草だ。だが、シーグとサフィリアにじっと見つめられて、アイフェはようやく顔を上げた。
「……シーグは味方だよ」
 小声でぼそぼそと言った後に、再びうつむいて黙り込んでしまった。
「それじゃ分からないでしょ。キチンと説明しなさい」
「誤解されることを言ったんだから、自分で言い直せ」
「分かったよ……」
 シーグとサフィリアに言われて、アイフェは唇を尖らせている。
「ねえ、何処から話せばいいの」
「任せるよ」
「じゃあ、私を押し倒したところからだね」
「……いや、アイフェが俺の背後に忍び寄ったところからにしてくれ」
「うん、わかった。シーグがね、裸になって湖に入っていたの。それを私が覗いていたんだよ」
「ちなみに俺はズボンをはいていたからな」
 シーグが付け加えると、サフィリアはプイと顔を背けた。その後もアイフェの微妙に気なる言葉を聞きながら、シーグは池の端に流れ着いた杖を拾い上げてサフィリアに差し出した。
「勘違いしてごめんなさい」
 と、サフィリアはうつむいたまま小声で言った。とにかく誤解は解けたようだと安心し、シーグは座り込んだ。
「それでね、シーグの抱き方ってすごいんだよ。いくら暴れても押さえつけられて、私はされるがままだったんだ」
 サフィリアは困った表情を浮かべているが、シーグはなんだかどうでも良くなってきて訂正するのをやめた。
 安心すると、疲労感が体中を支配する。ガイスにアイフェ、それにサフィリア。考えてみれば命がけの戦いが立て続けだった。とにかく、今は休んでおくことにしよう。四度目の戦いは避けられないだろうから。
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