2章-24 水晶の魔女
(ガイス一人を殺したぐらいでは納まらないわ。私が置かれている状況はそれくらいひどいって事よ)
昨日戦いの最中、サフィリアがそう言っていた。他にも、七家の人間を殺せば七家が黙っていない、魔術師の戦いは首の絞めあいで逃げ場はない、とも。
言葉の意味を考えていくと、メティスにおいてサフィリアの立場がよくないのは分かる。離れて歩いて改めて分かったことだが、道行く人々がサフィリアに向ける視線は好意的ではない。サフィリアが通りすぎると睨みつけるもの、一塊になってこそこそと何かを話し始める者が必ずいる。
見者であるサフィリアやシージペリラス(命取りの座)の自分に対してだけなら分かる。だが、シンシアにもアイフェにも様々な思惑のこもった視線が向けられている。
アイフェはサフィリアと一緒に住んでいて、シンシアは弟子になるかもしれないという。更にシンシアは一族の代表者であるかのような発言までしていた。その一方で、サフィリアはフェルナンディとは切り離されているようだ。つまり、シンシアを弟子にするという事は、シンシアも一族から離反させるという意味になる。そう考えれば、サフィリアが外聞を恐れて慌てたのも納得がいく。
だいたい、ガイスやベクターが天空の水盤に攻めてきた理由もはっきりと分からない。それに、アイフェは一体何者なのだろうか? 何が原因で暗殺者の中で育ち、サフィリアに引き取られることになったのか。
サフィリアは何でもかんでも丁寧に説明してくれるというのに、この4年間にあった事を何も話してくれない。例外はベクターのことだけだ。
いらつく思いにとらわれていると、突然アイフェが振り返ってシーグに笑いかけた。いつもの無邪気な笑顔とは違う。唇を片方だけ歪める妖艶な微笑。そして、青色の目がゆっくりと細められ、唇がゆっくりと開く。
「知りたい事は、私が教えて差し上げますよ」
突然耳元で囁く声。背中の古傷に冷たいものが押し当てられた。シーグは考えるより先に手刀を背後に叩きつける。しかし、手ごたえはなかった。しかし、5歩ほど離れた場所で細身の少女が妖しく微笑んでいる。
「え?」
シーグは思わず驚きの声をもらした。少女があまりにもアイフェにそっくりだったからだ。サフィリアとシンシアがハッと表情を引き締め、アイフェを隠すように立ちふさがった。
背筋の古傷に氷の刃をつきたてられたように痛みだす。マードックに刺されたときの記憶がよみがえり、体が熱くなる。シーグの敵意むき出し視線を、少女はそよ風のように受け流していた。
銀色の髪も白い肌も青色の瞳も、アイフェと違って透き通るような印象があった。付け加えるならば存在感さえも。やけに赤い唇が、雪の上の血の様に映える。純白のローブ。胸には水滴を意匠化した紋章が銀糸で縫いこまれている。メティスの中で重要な地位にある人間のようだ。
「キャァアー」
周囲に巻き起こる悲鳴、続いて人々が駆け寄ってくる。
「アイシャ様!」
「この曲者を取り押さえろ」
色とりどりのローブをまとった男女が、シーグに殺到してきた。このままはサフィリアたちを巻き込んでしまう。シーグは、両手を挙げて無抵抗の意志を見せた。だが、そんな事はお構いなしに怒涛の波のように迫ってくる人々は増える一方だ。
「アイシャ様、下がってください!」
十歩まで近づいて来た者は、杖や指輪をはめた手をシーグに向けた。
「静まりなさい」
少女の声は決して大きくなかった。しかし、水晶を打ち鳴らしたように、群集の中でもよく響く。30歩以上離れている人々も、ピタリと動きを止めた。
「ですが、アイシャ様」
「この不埒者は――」
「黙りなさい」
鈴を鳴らしたような澄んだ声に、人々は一瞬で押し黙る。完全に周囲を取り囲まれながら、物音一つしない異様な状況。誰かが唾を飲み込む物音がやけに大きく聞こえた。だが、アイシャは重苦しい沈黙など全く気にすることなくシーグに歩み寄ってきた。
「私はアイシャ・ディスペリア。イリュージョン(幻覚)を司る一族の長です」
姓がサムハインではない。七家の長にしては若すぎる。メティオスマッシャーの一人にも彼女とよく似た少年がいた。様々な疑問がシーグの脳裏に沸き起こる。横目で後ろを見ると、サフィリアもシンシアも一様に緊張した表情を浮かべていた。
シーグは油断なくアイシャを観察した。相変わらず全く物音を立てずに歩く。まぶたを閉じれば、目の前に誰かがいるなど思わないだろう。まるで、彼女自身が幻覚のようだ。
「俺は――」
「シーグ。レイザークのシージペリラスですね」
こちらの言葉を先取りして、アイシャは小首をかしげて微笑んだ。頬に触れるだけのささやかな風なのに、アイシャの髪が大きくなびく。周囲の敵意は爆発しそうなほどに膨れ上がる一方だ。とにかく、この場を収拾すべきだとシーグは思った。
「ご無礼――」
片足を引いて頭を垂れた瞬間に、肩に手が乗せられた。
「そんなに、かしこまらないでください」
背筋を流れる冷や汗に、体中の熱が奪われてゆくのを感じた。いつ間合いを詰められたのか、まるで分からなかったからだ。
「私はあなたに直接会いたいと思っていたのです」
アイシャは、シーグの手を取って立ち上がらせる。サファイアを思わせる深い青色の瞳から、シーグは目を離せなくなった。
「ずっと……ずっと、思っていたのですよ」
耳に心地の良い、詠うような声。首筋に触れる手は絹のような感触で、雪解け水のように冷たい。春の花畑を思わせるようないい香りがする。全身の力が抜けていくような感触に背筋の痛みも溶けるように消えていった。
そして、アイシャの手が背中に回される。頭がぼんやりとしていたシーグは、彼女の意図に気づくのが遅れた。アイシャは目を閉じて、スッと唇を寄せてきたのだ。
唇の端に触れる柔らかい感触と、周囲の空気が凍りついたように緊張するのをシーグは同時に感じた。
この話で、更にシーグのヘタレっぷりが加速したでしょうか?
だけど、男の人生は過去の汚名を返上するためにあると、作者は思っています。これからのシーグ君の活躍と、ヘタレ返上をご期待ください(笑)。
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