1章-3 無邪気な暗殺者
*
逃げるのは簡単だった。
見通しの悪い湖畔は隠れる場所が多い。ガイスは移動が遅い上に、「まだ見つからんのか!」といちいち大声をあげて場所を知らせる。
これだけ条件がそろっていれば、何度見つかっても逃げ切れるだろう。
「だけど、追いかけっこをするために、天空の水盤に来たわけじゃないんだぞ」
シーグは腹立たしく独り言をこぼして、持っていた皮鎧を茂みに放り投げた。
「こんな森の中をまともに捜索すれば、何日がかりになるか見当もつかない。封土への侵入者を見つければ、見者のほうから会いに来ると期待していたのに。だけど、自分より前に侵入者がいるときている」
シーグはつぶやくのをやめて、髪の毛をグシャグシャとかき回した。
「見者は何処にいるんだ? せめて方向だけでもわかればなぁ」
「知っているよ」
独り言に返事があったので、シーグは飛び上がらんばかりに驚いた。銀髪に青い瞳という神秘的な暗殺者が木の陰から現れる。
「……どうやってここまで来たんだ?」
「全力で走れって言ったじゃない。だから、追いかけたの。それにまだ、ナイフを返してもらってないもん。人の物を勝手に持っていくのは泥棒って言うんだよ」
アイフェは生真面目な表情で流暢に言った。
「俺の全力疾走についてきたのか」
「ううん。全然追いつけなかった。茂みを突っ切る猪だってあそこまで速くは無いわ。まるで草原を走る馬みたいだったもの」
「じゃあ、どうして」
「走る時はもっと静かにしなきゃ。草が折れているし、葉っぱが散らばっている。その上に声も出すし。これじゃあ、誰でも簡単に見つけられるわ」
「嘘だろ……」
シーグは唖然としてつぶやいた。たとえ100人からの追っ手に三日三晩追いかけられても、痕跡も見つけさせずに逃げ切ったことがあるからだ。
「ねえ、その荷物をどけて。茂みの枝が傷んでしまうでしょ」
アイフェは強い口調になった。始めて見せる厳しい表情に、シーグは考えるよりも前に剣と鎧を両手に抱えた。アイフェはシーグの前でかがみ込む。そこには小さくて白い花が咲いていた。
「うん、大丈夫ね。折れてない。もうすぐ実がなり始めるころなんだよ」
何から何まで驚かされるが、花を愛おしそうになでる様子を見ていると年相応の普通の女の子に見える。とびきりの美少女なのは違いないが。
「花の名前はなんていうんだ」
「知らないわ。でもね、実を煎じるとね、痺れ薬になるの」
「…………」
「飲ませれば一晩は身動きできなくなるし、刃物につけたら心臓の近くをかすめるだけで眠るようにコロリと死ぬの」
妖精のような少女は夢見るような表情で、恐ろしいことを言った。
「ところで、見者の居場所を知っているのか?」
「うん、サフィリアとは一緒に住んでいるの」
正直、何処に連れて行かれるか恐ろしかったがシーグは決意した。
「……そこへ案内してくれないか」
アイフェは顔をしかめて、考え込んでいる。
「俺はサフィリアに用事があってきたんだ」
「殺しにきたの?」
「違う」
「じゃあ、誘拐」
「それも違う」
「だったら、他にどんな用事があるっていうの?」
不思議そうに首をかしげる少女に、シーグはどう説明したものか悩んだ。
「ええと。じゃあ、なんで俺を殺そうとしたんだ?」
「魔術士の封土に勝手に侵入する奴は敵だってサフィリアが言っていたから」
「だったら、ガイスと青マントの男たちはサフィリアの味方なのか?」
「違うよ。特にガイスは殺したい位に腹が立つって言ってたわ。じゃあ、私が殺してこようか。って聞くと、サフィリアが慌てて、あの人たちは絶対に殺しちゃいけないって言ったの。だから、何もしていないわ。でも、代わりにシーグを見つけたの」
「俺は代わりだったのか?」
シーグは嫌味をこめて言ったが、アイフェは元気にうなずいただけだ。
「うん。あなたは強そうだったから。あの人たちから上手に逃げたでしょ」
「強そうで、逃げ足が速いと殺すのか」
「習ったことを試すのはいいことだってサフィリアは言っていたわ。毎日毎日続けることも大切なのよ。シーグを殺しちゃいけないって言われていないし、あなたは封土への侵入者だもの。私は何か間違っているかしら?」
どうにも話がかみ合わないが、幸いなことに理性的ではあるようだ。シーグはしばらく考えてから口を開いた。
「俺はガイスの敵だ。俺はあいつを倒したいと思っている。あいつも俺を殺そうとしているんだ。だけど、一人じゃ勝てない。サフィリアもそうじゃないのか?」
「うん、そうだよ」
「だから、俺とサフィリアとアイフェは味方になれると思う。どうかな?」
アイフェはしばらく空を睨んで考え込んでいたが、笑顔でうなずいた。
「きっとそうだね。分かった、案内するね」
話が通じてシーグは安堵のため息を漏らした。
「いけない、忘れるところだった。案内が終わったら、さっきの続きをちゃんとしてね」
「わかった、俺は何をすればいいんだ」
気疲れをしたシーグは適当に答えた。
「女の人を押し倒したら、男の人がやることって決まっているんでしょ?」
「な!」
「よく分からないけど、みんなそう言うの。それに、決めたことをキチンとやらないのはいけない事だってサフィリアが言っていたわ」
シーグが絶句すると、アイフェは人差し指を立てて生真面目に眉をしかめた。
「それにね。死にそこねるのは、殺しそこねるよりもずっと悪いことなの。みんなそう言っていたわ。だから……」
「そんなことはない!」
言葉をさえぎって怒鳴りつけると、アイフェは目を丸くした。
「違うの?」
「絶対に違う」
再び否定すると、青色の瞳からボロボロと涙があふれだす。
「どうしてなの?」
突然泣きだした少女を見て、シーグは戸惑った。
「アイフェ自身はどうなんだ。殺されたくは無いだろう?」
「……分からない」
「嘘だろ……」
予想外の答えに、シーグは言葉を詰まらせた。すると、アイフェは聞いているこっちの胸が痛くなるような声で泣き出した。
シーグは髪の毛をかき回した。意を決すると屈みこんでアイフェの目を正面から見つめる。
「俺は死にそこねたこともがある。人を殺したことも、殺されそうになった事も。だけど、こうして生きている。そして、何があろうとも死にたくない。これからもずっとそうだ」
アイフェはしゃくり上げながらも、涙を止めてシーグをじっと見ている。
「俺はアイフェに生きていてほしい。サフィリアも絶対にそう思っている」
「……本当?」
「絶対にそうだ。疑うのなら、確かめてみればいい」
「シーグも一緒に来てくれる?」
「もちろんだ」
「うん。じゃあ、こっちに来て」
アイフェは泣きじゃくりながら、森の中を歩いて行く。
死神の名を持つ少女は速やかに殺す方法と迷い無く死ぬ事だけを教えられてきたのだ。殺すことも死ぬことも淡々と話すが、生きていて良いのだといわれると途方にくれる。そんな風にアイフェを育てた奴に対して、シーグは言葉にならない怒りを感じていた。
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