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2部-27 スペルエンハンス
「あ、よっこらしょ」
 ジェイナスは合いの手を打って気楽につぶやいた。すると、カカトに固い感触が触れる。脱力しきっていたシーグは尻餅をついてしまった。
「うん、中々の出来だ。硬く、平坦で、透き通っておる。安定した形状と色は、魔術の安定を示すものだ。床として傑作と言ってもよい」
 足元には相当広範囲に薄い黄色の床が広がっている。
「…………」
「うーむ、最もシーグ君にはこの傑作にさえ、色のひずみが見えてしまうのだろうな。生涯最高の作品だと言うのに、残念なことだ」
「あの……」
「異なる感覚や感性による、多方面からの分析。それこそが短所を取り除き、長所を生かして発展するための方法だ。統一された見解を持つ相違のない集団では停滞が起こるのみだよ。シーグ君はどう思う?」
「魔術が使えないんじゃないですか」
「魔術を使えないものを魔術師とは呼ばんよ?」
 批判のために口を開きかけたシーグを、ジェイナスは杖を目前に掲げることで制した。
「剣で思い切り打ち合った後に手がしびれるだろう、あれと同じさ。ただし、痺れるのはこっちだがね」
 ジェイナスは自分の頭を指先で突いた。
「手の痺れと同じく、一呼吸ごとに加速度に回復してゆくのだよ」
「…………」
「とはいうものの、老人ゆえに無茶はできんて、ゴッホゴホ」
 無言のままのシーグから目をそらし、ジェイナスは哀れっぽく咳き込んでいる。
「頭じゃなかったんですか?」
 問いには答えずに、わざとらしく咳払いを繰り返すジェイナス。シーグが無視していると、急に耳元を押さえて真剣な表情になった。
「ああ。そうだね、上から見ているからよく分かるよ。タイミングはこっちが指示するから待っていなさい」
 ジェイナスは咳をするのを止めて、サ・フィールの運河に停泊する船をじっと見ている。また、自分をからかうつもりかと思ったが、目線は視線とジェイナスを追ってしまう。
 すると船の甲板を覆っていた布が取り払われ、巨大な紋様が姿を現した。五ぼう星と十字を組み合わせた紋様はアビシャルホルドの塔で見たものと同じである。
「召還の魔方陣!」
「大正解」
 ジェイナスは杖で空中に二重丸を書いた。その周囲に、花びらを思わせる曲線を注意深く描いている。
「ラスティーの使っていたものと同じです。闇狼を呼び出すのでは?」
 シーグの問いに、ジェイナスは空中に三角を描いた。
「それにしては大きいし、構造が平面すぎる。いいかいシーグ君、魔法陣にも特性がある。立体の魔方陣は異界に属する怪物。平面の陣形は常世に属する肉体を持った怪物を召還するに向くんだ。私が思うに、一体の巨大な怪物を呼び出すものだ」
「呼びだされる前に、倒すべきです」
 ジェイナスは空中に三重の丸を描いた後、『よくできました』とルーン文字で描いた。杖の先から光がほとばしり、きらきらと輝く文字が空中に長い間残っていた。魔術を使うのに不自由がないのは確かだ。
 そうしている間にも、魔方陣は明るい光を帯び始めた。召還が始まる前触れだ。
「ジェイナス導師!」
「あー、あー。ペンダントの機能を検査中。おー、レティシアだね。聞いてくれよ、最近の若い者は、どうも気が短くていけないねえ」
 シーグの完全に背中を向けて、ジェイナスは殊更に声を張り上げて話す。
「言っておくけど、君のことを言っているのはないよ。君はいつでも落ち着いていて、聡明で美人ときている。私があと40歳は若ければ、絶対に放っておかなかったよ。そこは笑うところじゃあない。酷いな、私はいつだって女性に関しては真剣なんだよ?」
 ジェイナスは真剣そのものの口調で話している。魔方陣の放つ光強くなり、次第に四本の足と巨大な翼をもつ怪物へと変化してゆく。ワシの頭と翼とカギ爪、ライオンの胴をもった怪物に、シーグは見覚えがあった。
 グリフォンである。
「ジェイナス導師!」
 シーグが急かすと、ジェイナスは体全体でため息をついた。
「まだ早い。合図するまでじっとしていなさい」
 いかにもやる気のなさそうな声でシーグに手を振る。そうこうしているうちに、船の魔方陣は、更に輝き始め今度は一抱えほどの小さな光をいくつも生み出してゆく。グリフォンは翼を羽ばたかせゆっくりと上昇してゆくのだ。
 再び抗議しようとしたシーグは思わず言葉を飲み込んだ。ジェイナスがロディウスそっくりの薄笑いを浮かべていたからである。
「クロスボウ隊、一斉掃射」
 ジェイナスの掛け声と共に、川沿いに並ぶ宿屋や通りからクロスボウの台車を押した護民官が飛び出した。上空にまで響き渡るグラークの掛け声と共に、グリフォンに向かって一斉に矢の雨を降り注がせた。20を超える矢が雨のごとく降り注ぎ、グリフォンは猛禽類の甲高い悲鳴を上げた。湖上で戦った時よりも更に二回りは巨大なクロスボウから放たれる矢は、むしろ槍と呼んだほうが相応しい威力がある。グリフォンは、大きく体制を崩して船に落下する。その衝撃で、船そのものが大きく傾き転覆してしまった。
 しかし、すでに魔方陣から飛び出した光は空中に飛びながら、像を結んでゆく。そして、一抱えもある真っ黒なカラスへと姿を変えたのだ。耳障りな泣き声を上げたカラスたちは漆黒の瀑布となってクロスボウを構えた人々にむかって一斉に突撃したのだ。
 弓と違って、クロスボウは次の矢を装てんするのに時間がかかる。ましてや、槍のごとき巨大な矢は小さな標的の場合にはあだになる。成す術もなく襲撃を受けるかと思ったがクロスボウの台車を放棄して、整然と退却する。建物にも速やかに木戸が閉じられていった。事前の命令が行き届いてたのは疑いない。
「さぁ、仕上げだ」
 ジェイナスが穏やかに言うと、耳を劈く轟音と共に金色の光が空をなぎ払って行った。空に巨大な弧を描く黄金の軌跡に焼き尽くされ、あるいは衝撃に吹き飛ばされて、カラスたちは残らず運河に落ちていった。
 魔術師の雷撃には違いないが、天空の水盤の戦いでサフィリアが使ったものよりも壮絶な威力。湖上のロング・レンジ・ギムレットさえも凌ぐ射程を持っている。
「これが、アクアランスですか?」
「いんや、違うよ。チェイン・ライトニングとスペル・エンハンサーが協力したのさ」
「シンシアと、セーラ・クラウディア?」
「おや、珍しい。一度で人の名前を覚えるなんて。あーゆー儚いタイプが好みなのかな」
 ジェイナスはカラカラと笑いながら、シーグのほうを見ようともせずに勝手に決め付けている。
 グラークを先頭にして護民官たちが転覆した船に乗り込んでいった。しかし、それはむしろ戦闘と言うよりは救助活動を言うほうが正しかった。
「さて、戻るとしようか」
 ジェイナスは突然シーグの胸に杖を押し当てた。完全な不意打ちであったために、シーグはまともにうけて完全によろめいた。咳き込みそうになったとたん、視界が暗転する。ジェイナスがテレポートを使ったのだ。
神速果断のシャープネス 〜外伝〜 へのリンク
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