1章-20 恐怖の向こう側
*
シーグは苛立っていた。
ワイバーンはシーグの頭上をぐるぐると飛び回り、突撃の後に空に離脱していく散発的な攻撃を繰り返している。カギ爪で襲い掛かってくる事はなく、高みから長い尾を鞭のように振り回してシーグを狙う。そのせいで、飛び上がっても剣を直接体に届かせる事ができないのだ。
しかも、尻尾はカギ爪よりも厄介だ。なぎ払う攻撃は、大きく動かないとかわせない。そのため傷口はひらき、背中を伝う血の量は増えるばかりだ。
シーグは苦し紛れにナイフを投げ付けたが、ワイバーンの硬い鱗に簡単にはじかれてしまった。
「時間稼ぎというわけか」
多すぎる出血のために、目がかすんでくる。指先がしびれてきた。
(何をてこずっておる)
ぼんやりしてきた頭に、聞きなれた師匠の声が響く。
「悪かったな、不肖の弟子で」
貧血で頭がどうにかしたらしい。そう思いながらも、シーグは返事をした。
(その上、無能でアホウときている。一撃必殺できる手段を持っていながら、見ているだけとはな。笑えない冗談はガリッポソな体格だけにしておけ)
「だけど、相手は空の死神って呼ばれているんだぞ」
(死角となる頭上から突如として襲い掛かるからな。しかし、それはワイバーンの強さでは無い。弱さに無関心でいられるお前の甘さだ。自分の弱点をほったらかしたまま戦うとは正気とは思えん。別に奴が死神というのではなく、お前が死体になるのに向いているだけじゃないのか?)
幻聴でも師匠はよくしゃべる。シーグは薄笑いを浮かべた。
「そうは言うけど、届く場所に下りてこないんだよ」
(やれやれ、追い詰められないと頭が回らんようだのぉ)
ホッホッホと嫌な笑い声をあげて、頭に響く声が消えた。
「……なんだと?」
もはや、返事はない。空を飛ぶワイバーンの目がギョロリと動き、シーグの背後を睨みつけた。視線を追いかけると、霧の向こうからとぼとぼと危なっかしい足取りで歩いてくる人影がある。
サフィリアだ。
「バカ、何で来た」
「え? こっちに来いって大声で言ったでしょ」
シーグは舌打ちをした。師匠の仕業だ。さっきの声は幻聴ではなかったのだ。ワイバーンは大回りに滑空しながら、ゆっくりと方向を変えている。ここで逃げればサフィリアが狙われる。
「ベクター、ワイバーンを戻せ。サフィリアがいる!」
シーグは力の限り叫ぶが、当然届くはずもない。そして、墨で真っ黒になった防護壁のせいで外の様子も見えていない。だから、ワイバーンが何をしようとしているか、分かっていないのだ。
もはや、剣に込められた魔術でワイバーンを倒すより他にない。あるいは防護壁を潰して、ベクター達に挑むか。その両方が敵の思惑通りだったとしても。シーグは唇をかみ締めた。ワイバーンは防護壁の向こう側20歩ほど先で、シーグとサフィリアの方に向き直る。それを見て、シーグは第三の方法が思いついた。
だが、それはあまりにも危険すぎる。もし、失敗すれば――。
一瞬恐怖が前進を貫いたが、師匠のふざけた笑い声とニヤケ面を思い出すと、シーグは迷いが怒りで吹き飛んだ。
「サフィリア、10歩前方にベクター達の防護壁がある。そこに水を大量に落とす魔術は命中させられるか?」
「当てるだけなら何とか。でも、杖がないから威力が落ちるわ。あなたにぶつけたくらいが限界よ」
「十分だ。準備していてくれ」
シーグは防護壁に向かって走り出した。ワイバーンの方でも、翼を羽ばたかせて滑空の体勢に入っている。無茶な突撃をしてくるシーグを見て、ワイバーンは標的を移した。尻尾を鞭のようにしならせながら、少し高度を上げた。
「一撃必殺、神速果断――」
シーグは呪文のようにつぶやきながら、地面を思い切り踏みしめて飛び上がった。ワイバーンに向かってではない。ベクターたちを守る防護壁に向かってだ。
半球形の壁を足がかりにして、三段跳びの要領で頂上まで駆け上がった。ワイバーンはシーグに向かって尻尾を振り下ろすが、シーグの四度目の跳躍の方が一瞬だけはやく、尻尾は防御壁に当たって乾いた音を立てただけだ。
空中でシーグとワイバーンの距離はもはや至近、剣が届く範囲となった。しかし、それは同時にワイバーンのカギ爪の攻撃範囲でもある。ギラリと嫌な光を放ち、鋭く突き出されるカギ爪。
しかしシーグはそれを見越した上で、切断した足のほうへ向かって跳んでいたのだ。ワイバーンが体をひねるような形で繰り出したカギ爪は、自然と勢いを失っている。シーグはそのカギ爪に足を乗せると、更に高く飛び上がった。
「勝機は――」
ワイバーンよりも空高く舞い上がり、シーグは剣を大上段に振りかぶった。怪物の真っ赤になった瞳が、混じりけなしの恐怖に細められる。
「恐怖の向こう側にある!」
気合の声と共に、シーグは袈裟切りに剣を振り下ろす。直撃の瞬間、ヴォンと鋭い音が鳴り刃から鋭い風が解き放たれた。風の刃は、ワイバーンの首を完全に切り飛ばし、片翼を切断した。それでも余波は残っており、真下にあった防護壁に直撃したのだった。
「今だサフィリア、アイフェ」
シーグは落下しながら叫ぶ。そして遅ればせながら、着地の事をまるで考えていなかった事に気づいた。
ワイバーンの体が先に防御壁に激突し、鈍い音を立てた。シーグも着地のために体勢を整えると、突如として足元がなくなった。
「げぼぉお!」
足元から人間離れした叫び声が上がる。シーグはガイスの腹の上に着地したのだ。
血まみれのワイバーンのむくろに、突如現れたシーグ。青マント達は何が起こったのか分からず戸惑っている。当然最初に立ち直ったのはベクターだ。杖を振りかざして飛び掛ってくる。
シーグは反動を付け、腹の弾力を利用して後ろに逃れる。ベクターもガイスの腹を踏み台にしてシーグを追跡してきた。
「ぐぇぇぇ……」
ガイスは口から泡を吹き、目をむいて気を失った。
「ベクター導師!」
他の魔術師たちも後に続こうとしたが、頭上から滝のように水が落ちてきて、巻き込まれてしまった。
「よし」
シーグが逃げながら賞賛の声を上げると、ベクターは屈み込んで大きく跳躍した。一跳びでシーグの頭上に到達し、大上段から杖を振り下ろす。シーグは何とか受け止めたが、あまりの威力に吹き飛ばされてしまった。顔を上げるとベクターはステップを踏んで、すでに真横に回りこんでいる。
今までとは比べ物にならない怪力、人間離れした敏捷性。まるで別人だ。
杖の攻撃に備えて剣をかざすと、ベクターは更に一歩踏み込んで蹴りを放つ。シーグは体を縮めて防御の姿勢をとるが間に合わない。
突き上げる蹴りに体が宙に浮いてしまった。そしてベクターはシーグが着地する前に、距離を詰めてくる。宙に浮いたままのシーグに上段から叩きつける杖の一撃。シーグは、首をかしげて肩で受けるだけで精一杯だった。地面に叩きつけられると、剣は踏みつけられ首元に杖が突きつけられた。
「降伏しろ」
「今度の手品は一体なんだ?」
「エンハンス(向上)で身体機能を強化している。もはや、君に勝ちめはない。降伏しろ」
「どうやらそのようだな」
シーグはにやりと笑みを浮かべた。
「最初に会った時もそうだった。もう、言葉には惑わされん」
杖のとがった側で喉元に狙いを定めた。シーグが抵抗して起き上がろうとすると、ベクターが更に体重をかけて押さえ込む。
万事休するその時に、足音も気配も立てず、霧を切り裂く風のように一人の人影が割り込んできた。
銀色の髪をなびかせ、青色の瞳はただ標的だけを捉える。そして、アイフェはベクターの膝の裏に肘を打ち込んだ。突然の事に、大きく体勢を崩したベクター。押さえ込みを振り払って、シーグは地面すれすれの足払いを繰り出す。ベクターはそれを飛び上がってかわしたが、アイフェが逃げるのを許さない。
片手でベクターの指を逆関節に、もう残る手で腕を逆関節に固めて、自分自身も体ごと回転しつつ倒れこむ。ベクターは弧を描くように投げ飛ばされて頭から地面に落ちた。
いつの間に抜いたのが、アイフェはベクターの首筋にナイフを突きつける。青色の瞳は感情も写さない氷の刃のようだった。
「動けば殺す」
底冷えのする声と、むき出しの殺意にシーグは背筋がぞくりとあわ立った。ベクターも青ざめて即座に杖を手離した。シーグはその杖を遠くに蹴り飛ばす。手に持った瞬間、嫌な事が起きそうな気がしたからだ。
五本の指が無茶苦茶な向きに捻じれていて、腕も曲がるはずのない角度に曲がっている。倍以上もある体格差も、強化された身体機能も関係なく一瞬のうちに敵を無力化する。まさに死神の技だ。
シーグは水の直撃を受けてうめいている青マント達の杖も同じように霧の向こうへ蹴り飛ばしていった。意識があるのは白髪の男だけだ。しかし、ベクターが倒れ、ワイバーンが動かないのを確認すると両手を挙げて降伏の意思を示した。
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