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1章-2 ノコギリ歯の死神
      *

 ガイスの食事は本格的なものだった。
 青マント達が懐に手を入れると、銀製の皿にナイフやフォークなどが次から次へと出てくる。ただの紙切れにしか見えないものが、見る間に湯気を立てる肉の塊になった。更に葦のバスケットに入ったパンや果物。金細工の器に入ったゆで卵。泡の立ったクリームに砂糖菓子。グラスに入った氷は溶けずに冷気を放っている。懐から何でもヒョイヒョイ取り出すのは魔術士なら珍しくない。
 出てきたものは食器を除いて、見る見るうちにガイスの口の中に消えてゆく。食べるというよりも、流し込むかのよう。シーグにはそっちのほうがよっぽど魔術めいて見えた。
「カエルというよりはヘビの食事だな」
 シーグは呆れながら見ていた。うっそうとした森と、入り組んだ湖畔は偵察には絶好の場所だった。こちらからは茂み越しに見えるが、ガイス達からは完全に隠れている。シーグはそこに腰をすえて、ガイスたちが食事を終えるのを待っていた。
 これだけ奇襲に向いた場所でのんびりする。それも敵対する魔術師の封土の中で。それは、絶対の自信があるからなのか、それとも単なるバカなのか。果たしてどちらだろう?
 シーグは考えをめぐらせて、ガイスは自信過剰な上に大バカだと結論を出した。
「更に嘘つきで性悪で人の話を聞かない。その上大食いで、下品で、ノロマで考えなしだ」
 小声で悪態をつきながら、シーグは物陰から観察していた。
 守りに絶対の自信があるとしても、敵地の真ん中で敵を逃がし、遠くからでも丸見えの場所でわざわざ休む必要はない。実際に、ほかの6人は警戒してきょろきょろと周囲を見回している。食事に没頭しているのはガイスだけだ。まだ食い足りないらしく次々と食事が目の前に追加され、口の中に消えてゆく。
 動き出すのはしばらく先だ。待つしかない。
 風は緩やかで、空の青を写した湖面を揺らすのはたまに跳ねる魚だけだ。小鳥がピーピーと鳴きながらシーグの近くを飛んでいって木の枝に止まる。
「あわてても仕方がないな」
 平和な風景に見とれていると、シーグは汚れきった外套や革鎧が気になりだした。特に汗をべっとり吸い込んだシャツが気持ち悪い。天空の水盤を目指し、山に入って三日。毎日体を拭いているが、体全部を浸すほどの水を手に入れられなかった。今日も一日歩き詰めである。
 自分では気にならないが、特に鎧は汗臭くなっているはずだ。革鎧は毎日干すのを怠けると怖気をふるうような悪臭を放つようになる。
 一度気にすると、シーグはいてもたってもいられなくなって、大急ぎで皮鎧の留め金をはずした。前後二つに分かれた皮鎧と腰の剣を、風通しがよく日のあたる場所に置く。
 人を知らないのか、鳥はシーグが近寄っても逃げなかった。珍しそうにくちばしで皮鎧をつついている。天空の水盤は辺境を通り越して人外の秘境なのだ。
 靴を脱ぎ裸足になった。靴下は木の枝にかけ、靴はそろえて反対向きにする。ズボンをひざまで上げると湖の中に足を入れた。さすがに魚は驚いて逃げていった。
「っ……」
 あまりの冷たさに声を上げそうになるのを何とかこらえた。雪解けを終えたばかりの湖水は冷え切っている。歩き詰めだった旅路の疲れが、足元から流れ出していくようだった。
 シーグは汗をびっしょりと吸い込んだシャツを脱いだ。湖に写る自分の背中を見て、シーグは顔をしかめる。細い背中を斜めに切り裂く大きな傷跡がある。その傷はかつて骨に届き、内臓をも引き裂いていった。命が助かったことが不思議に思えるほどに大きく、そして深い傷だ。
 ずっしりと重いシャツは軽く絞っただけで汗がボタボタと湖に落ちる。シーグはシャツを湖にひたそうとしたところで動きを止めた。背中の傷跡がズキリと痛んだからだ。
 危険が迫っている。
 周囲には気配も殺意も感じない。いや、だから、異様なのか。鳥の鳴き声も消え、魚は全く跳ねなくなった。まるで、息を殺しているように……。
 突然、パシッと水を蹴る音が聞こえた。
 後ろだ!
 シーグは反射的に振り向きざまに手刀を繰り出す。それが、背後から心臓めがけて迫る白刃の柄に当たったのは、奇跡としか言いようがない。
 そのまま、刺客の腕を掴んで体重をかける。体勢が崩れたところへ首に肘を押し付けたまま湖の水面に叩きつけた。続いて、胸の上に膝を乗せて動きを完全に封じる。あまりに軽い手ごたえにシーグは驚き、組み敷いた相手を見つめた。
「女の子?」
 それも、10歳になるかならないという子どもだ。水面の向こう側からまっすぐとシーグを見つめている。小柄な体が浅い湖に完全に沈んだので、慌てて引き上げる。水がクッションになって、怪我はないようだ。シーグはホッとした。少女は咳き込みもせず、瞬きもしない。何事もなかったかのようにシーグをじっと見ている。空と同じ澄んだ青色の瞳に正面から覗き込まれて、シーグは我に返った。
「何をするつもりだったんだ?」
「あなたを殺そうとしたの」
 年相応の無邪気な声で即答されて、シーグはたじろいだ。
「あと一歩だったのに、おしかったわ。どこがいけなかったのかなぁ?」
 女の子は不思議そうに首をキョトンと傾げた。年相応の幼い仕草と、言葉の内容の格差にシーグは唖然とした。大きな青色の瞳、肩まで伸びる銀色の髪は、水を含んで日の光にきらめている。透き通るような白い肌に、飾り気のない純白の貫頭衣。湖の妖精だといわれてもうなずいてしまいそうなほどに可憐な少女だ。
 だが、彼女は間違いなく恐るべき暗殺者である。一度命を落としそうになって以来、野生の動物にさえここまで見事に背後を取らせたことはない。
 更に彼女の動きはすばやく、突きは正確に心臓だけを狙っていた。体格が同じなら間違いなく殺されていた。いや、歩幅があと少し長ければ、水音も立たず、何が起こったかも知らずに命を落としていただろう。
 今もまったく抵抗しないのは、あきらめているのとは違う。隙あらば反撃するべく体に力を残しているからだ。突然湖の中に沈められたのに、水を飲んだ様子は無い。更に手に持ったナイフはしっかりと握り締めたままである。
「あなたの名前は」
「え?」
「始めて会った人には名前を聞きなさいって、サフィリアに教えてもらったの。……あれ? 順番が違うかな。まずは、自分が名乗らないといけないのね」
 少女は独り言さえも丁寧で、小川のせせらぎのように心地よかった。
「私の名前は、アイフェ・サムハイン。あなたの名前は?」
「俺はシーグ」
 答えながら、シーグは少女の過去にどんな呪われた時代があったのだろうと考えていた。アイフェ(ノコギリ歯)にサムハイン(死神)。子どもにそんな名前をつけるなんて、まともな親じゃない。
「ねえ、シーグ。私はどうしてあなたを殺せなかったの?」
「……なんで、そんなことを聞く」
「殺しそこねたんだから、殺されないはずがないじゃない。だから、その前にどこが悪かったのか聞いておきたいの。私はうまくやれたと思うんだけど」
「鳥の声が聞こえなくなって、魚が跳ねなくなったのに気づいた。その後に背後で水を蹴る音がしたから」
「じゃあ、ここみたいに静かな森の中じゃなかったら、うまく殺せたのかしら。町の中とか、寝ている最中とか」
「それなら、殺されていた。君は俺の知る限り、一番の暗殺者だよ」
 嫌味を言うとアイフェは満足げに微笑む。
「そう、よかった」
 何がいいのか、シーグには全く分からない。
「とにかく、ナイフをこっちに渡せ」
「ねえ、お願いがあるの」
「なんだ?」
「殺すなら私のナイフがいいわ。心臓を一突きにしてほしいの」
「…………」
「サクッて刺した後に、グイッとえぐるのよ。ザクリ、じゃないわ。そんな雑な刺し方をしたら、殺しそこねたり相手を苦しませたりするでしょ。本当はそんな音は鳴らないはずなんだけど、みんなそう言うの」
 アイフェはクスクスと笑ってナイフを離した。ナイフを取り上げたシーグは自分のベルトに納めた。アイフェは笑みを浮かべたままじっと見ている。
「おい、こっちから水音が聞こえたぞ!」
 茂みの向こう側からガイスの声がする。
「アイフェ、君はガイスの仲間か?」
 少女は首を左右に振った。
「じゃあ、全力で逃げろ。あいつらは見境なしだからな」
 シーグはそう言い捨てて、湖から上がるとそろえてあった靴に足を突っ込んだ。そして、皮鎧と剣と靴下を取ると木々の生い茂った方へ駆け出した。ちらりと背後を振り返ると、枝葉の隙間から真紅のマントが見えた。
「女がいただと? 嘘をつけ。さっきのあいつは男だったじゃないか。お前の目は節穴か!」
 ガイスの怒鳴り声と殴りつける鈍い音が聞こえてきた。
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