1部-18 禁忌の数字
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「リー姉様、こちらへどうぞ」
シンシアに呼ばれる頃には、さすがに呼吸が収まっていた。2人の船乗り達もすでに持ち場についていて、用意された椅子で体を休めていたのだ。
甲板に上がると、心地よい風が吹いてくる。高さは変わらないのに、船の上は建物の2階よりもとても高く感じられる。それは頭上に空が広がり、河の流れによって船が少し揺れているためかもしれない。
甲板には『○』の中に赤い『△』が描かれていた。安定と向上を示す最も簡単な魔方陣だ。魔術師を志して勉強するものが、一番最初に学ぶ陣でもある。欠点は確か複雑な術式には耐えられないということだが。
「早速始めましょう。中に入ってください」
シンシアに促されて、リーザは陣形の中に入った。甲板の上に作られた即席の結界。黒墨を使った線をよく見てみると、銀の粉が輝いている場所がある。それは円の縁を等間隔で20箇所と中央の一箇所。東西南北には炎の灯された燭台がある。4の方位と21の点。サ・フィールを表す数字を思い出して、リーザは思わず魔方陣に見入った。
七家にはそれぞれ象徴とされる数字がある。プロテクションの3であるγ(ガンマ)、ブラストの6であるΖ(ゼータ)、エンハンスの12であるμ(ミュー)。最後はフェルナンディの21であるΦ(フィー)まで続く。
ブラスト(噴出)やプロテクション(防護)といった魔術の直接的な効果よりもむしろ、結界の構築のほうが正確に七つの系統分かれている。そして、七家はそれぞれの数字によって秘儀の結界を持っているのだ。
たとえば、グラムファーレのアンチ・コンタクト・シェルは正三角形だ。
フィーンドのロング・レンジ・ギムレットは縦長の二等辺三角形が2つ重なり、6つの点がある。
ランカートのセブン・パワー・インテグレーションは六ぼう星。円と三角の交点、それと中央の一点をあわせた12箇所が主要な点となる。
だから、フェルナンディの結界陣は21の点を有する事は簡単に想像がつく。だが、気になるのは周囲に4つの点を置いていることだ。その合計は25。すなわち不吉の数字であるシージ・ペリラス(命取りの座)である。
結界陣をくむに当たって、13や25の点を置くことは禁忌となっている。事実、魔力が暴走して制御不可能になるからだ。
七家の結界陣を間近で見るたびに感じていた違和感。シャープネスには全く感じないのに、アヴェンジャーやリーガル・バックラーといった七家の魔術の品を見たときに感じていた違和感。その真実は、禁忌としているはずの数字を陣形を使っていた事ではないのだろうか。
そして、4と21はサ・フィールの数字だ。つまり、結界陣を最大限に活用するためには土地への干渉を強くし、禁忌の数字を用いる。
メティオ・スマッシャーの使っていたセブン・パワー・インテグレーションには、その両方が欠けていた。理論上の威力を大きく下回るのは当然だ。
それなら、理論上の威力を出せる場所は世界中に一箇所しかない。更にそこで理論上の威力が実現されたとしたら…………?
リーザは心臓を鷲掴みにされたような感触を感じて、全身に寒気が走った。今さらながらにして、自分がどんな目的に加担していたかを思い知ったからである。
「これは秘儀なのですぞ。詮索するのは止めていただきたい」
ロイド導師が厳しい口調で言った。シンシアも困った表情を浮かべている。
「ご、ごめんなさい」
リーザは慌てて顔を上げた。目線や仕草、取るに足らないと思える一言が無礼に当たる。これが魔術士同士の付き合い方なのだ。知識として知ってはいても、行動に結びつける事が難しい。
「リー姉様、これから行うのは自分と呼応する魔力の方向だけを探知する最も簡単な探知の魔術です。手に触れても構いませんか?」
「ええ」
シンシアはためらいがちにリーザの手を取った。そして、リーザの指を曲げながら魔術の印を結んでゆく。魔術師にとって手と指は命と同様なのだ。シンシアも抱きつかれることには抵抗を示さないが、急に手をつなぐとビックリして振り払う事がある。それは、他の魔術師にとっては共通の感覚なのだ。だからこそ、手を取りあって踊る社交ダンスは、魔術師たちにとって最大の信頼関係を示す事になるという。
「印はこれで大丈夫です。左手にレティー姉様の水晶玉を持ってください」
リーザは自分の手を見つめた。人差し指と中指をだけを立てて親指と薬指と小指をわずかに曲げる形。サフィリアがよく使う指の形だ。
「親指が頭だと仮定して、槍をかざした騎士の姿をイメージしてください。メティスの町の力が、指の形を通じてリー姉様に力を貸してくれます。つまり、メティスの町並みそのものが探知に優れた形なのですよ。王都の形はサウザント・アイズ卿の探知を寄り完全なものとし、アクア・ランス卿の雷がフェイル・リレイから都市の両端に渡って届くのは、メティスの町並みによるところが大きいのです。ところで、リー姉様。ディテクトの系統の分類は分かりますか?」
「えっと、方向。正確には角度や高さ。位置は距離と階層構造よね」
「階層構造とは何ですか」
「対探知の結界や、鉛や石材による探知の妨害……だったかしら」
「完璧です」
自信なさそうにいうリーザに、シンシアは大きくうなずいた。
「複数の項目を同時に満足する事は困難です。ですから、方向だけを探知していただきます。方向探知の補助として、4方位の燭台がありますわ。リー姉様にはただ印を結び、対象の物品を強くイメージしてください」
「えっと、他に何を気をつければ?」
「とにかくやってみてください。大丈夫、リー姉様ならきっとできますわ」
「う、うん」
リーザは奪われたスカーフを頭に思い浮かべた。布を織るところから始め、宝石を一つずつ縫い付けていった。外見はもちろん、折り目まで思い出せる。それに、一番大粒のルビー。形はいびつだったけど、とても澄んでいた。少し形を整えて磨くだけで見違えるような輝きを――。
「ロイド、西に進路を取りなさい。そして、フェイル。リレイの水門へ連絡、この船が優先で通過できるよう手配しなさい」
シンシアの命令と共に頬に心地よい風が当たる。ロイド導師が杖を振り上げ帆に風を集めているのだ。目を開けると、西側に配置した燭代の炎が大きく燃え上がっていた。
「完璧ですわ」
シンシアの明るい声に、リーザは全身の力を抜く。水晶玉を持った左半身には体の中身がなくなったような空虚さがある。同時にずっしりと肩にのしかかるような疲労感が残る。未熟なまま、感応力もなく、道具に頼って魔術を使ったときにはこんな感覚が残るものだ。
ぶっつけ本番で、大した集中もせずに、魔力探知の魔術を成功させ、その上で決闘に挑めるシーグはやっぱりすごいと思う。感応力の高さは才能だが、集中力は努力によって身につくものだ。剣士としての修行に明け暮れたとしても、やはり魔術師の弟子なのだと思う。
「だけど、何度も使えないわ。たった一回でクタクタだもの」
「では、最少の労力で最大の効果を出しましょう」
「方向しかわからないのに、大丈夫なの?」
「十分な絞込みが可能ですわ。さっきお兄様は『この区画では』と言っていました。サ・フィールの護民官は、ディテクト(探知)の魔術に通じたものも多く、探知の魔術で捜索がしやすいように区画整理されています。ですから、スカーフがあるのはサ・フィールの外です。まずは、フェイル・リレイよりも西に出て、もう一度探知を行いましょう」
「そのときに東を指したらどうするの?」
「即座に護民官に連絡。水門を封鎖して、区画をしらみつぶしに捜索します。相当場所が絞り込めていますから、袋のねずみですわ。南北に短く東西に長いメティスの地形が私たちに味方をしてくれているのですよ」
シンシアは人差し指を立てて熱弁する。一番最初に魔方陣をつくらず、船に向かってまっしぐらに走っていった理由をようやくリーザは理解した。
やみくもに点の捜索を繰り返すのではなく、水路に沿って東西の線上に探知を繰り返す事で範囲を絞り込もうとしているのだ。この方法なら、方角を探知するだけでもスカーフの位置がおおよそ特定できる。
「だけど、どうしてスカーフは移動しているのかしら?」
勝手に動くとも、風に吹かれて飛んでゆくとも考えられない。
「最初から周到に計画され、準備していたのですわ。レティお姉様が襲われた時、あの場所には魔術師は私とリー姉様、ルパートしかいませんでした。私たちがルパートを見失った時。つまり大通りに逃がした時に、魔術師ではない誰かに手渡したのでしょうね」
シンシアは指を唇に当てて、爪をかんだ。イライラしたときの癖で、爪がボロボロになってしまう。後で綺麗に切りそろえてあげよう。そうしないと、フェルナンディの屋敷に入ったときに、見咎められて叱られてしまう。
「考えてみれば、あえてレティーお姉様を襲った理由も考えつきますわね。バリアント・アイズ(異相の瞳)を被害者に、シーグさんを容疑者に仕立て上げる。ランカート家とマードック家の両者がシーグさんを訴えれば、フェルナンディは中立を保つ。だから、レティーお姉様がシーグさんに協力するはずがないと考えたのでしょう。ずいぶんと込み入った、狡猾で陰険なやり方ですわ」
「だけど、結局は逆効果になったのね」
「ルパートが調子に乗って失言などするからですわ。自業自得です」
「でも、それはシンシアのお兄さんがルパートを追い詰めてくれたからでしょ」
シンシアは爪をかむのをピタリとやめた。そこで、リーザはシンシアが心を乱している一番の原因を知った。苛立ちから酷い事を言った事を悔やんでいるのだ。シンシアは賢い女の子だ。すぐに兄がどのような立場にいるのか、その上で出来うるギリギリの事をしてくれる事に気付いたのだ。
「後で、お兄さんに会いに行きましょうね」
シンシアは今度は唇をかみ締めてうつむいてしまった。そんな仕草は年相応の少女以外の何者でもない。リーザは落ち込むシンシアの前で屈みこんだ。
「大丈夫。ライスさんは優しい人よ。きっと分かってくれるわ」
「でも……」
「私も一緒に行くから」
「本当ですか?」
「レティシアに水晶玉とスカーフを返しに行かなくちゃね」
「……はい」
リーザが頭を軽くなでてあげると、シンシアは幼女のように素直にうなずいた。
「この方向なら、学園地区、ウィングス通り、アクリアエ・スリス、などが候補として考えられますわね」
「それなら、私たちはずいぶんと遅れをとっているんじゃない?」
「ですけど、こちらは魔術士の操るフェルナンディの船。通常の移動手段では、私たちに勝てるものなどいませんわ」
シンシアも自分の一族の名を口に出すとき、サフィリアと同じく誇らしげな態度を見せる。生き生きとした表情に瞳でキラキラと輝かせるのだ。彼女には迷いのない真っ直ぐな視線が一番良く似合う。しかし、シンシアはこんな表情をめったに見せない。
理由は興奮したときに、左右の瞳がわずかに色あいを変えるためだ。左は黒いままだが、右の瞳はわずかに赤みがさす。強い魔術を使うほどに、瞳の色の差が明らかになる。
ただ左右の瞳が違うだけなら、オッドアイ(異色の瞳)と呼ばれ、遺伝的な特徴である。だが、シンシアの場合、怒りの感情や魔術の使用が引き金となって瞳が色を変える。それに故に、魔術師の間では特異な存在とされているのだ。
産まれた時にはなんともなかったが、8歳を超えた辺りから少しずつ瞳の色の違いが出てきたようだ。才能豊かなシンシアは、すでに魔術師としての片鱗を見せていたから一族から追放される事はなかった。しかし神童と呼ばれ、将来を期待されながらも、瞳の色が原因で一族から母子共々白眼視される事になってしまう。詳しくは知らないが、その時に母親から酷い虐待を受けたらしい。
本来ならば、首や肩周りを大きく開けるのが一般的なエプロンドレスである。しかし、シンシアは決して人の前では肌を晒そうとしないから、調節して襟を相当詰めている。エプロンの吊り紐を肩ではなく首の後ろに引っ掛けられるようにしてデザインを変えているので見た目の不自然さはほとんどない。
だが、どれだけ工夫を凝らしても、ベルテヌ(夏祭り)を越えた辺りからは着る服に困るようになる。いくら風通しの良いデザインして、どれだけ薄い素材を使ってもメティスの真夏にはどうしても完全に肌を隠す衣装が不自然だ。そうすれば、シンシアは外出する事さえ嫌がるようになってしまう。
着替える時や、寸法を測るときに下着姿になったシンシアを見た事はある。その時には虐待の傷跡は全く見当たらなかった。サフィリアが天空の水盤に誘って、体の傷を癒したためだ。それでも、心の傷までは消しようがない。依然として、シンシアは肌の露出を極端に避けている。
目の色を原因に父親から見捨てられ、母親からは酷い仕打ちを受けてきた過去もある。それまでもてはやされていた分、フェルナンディの屋敷の中で心の休まるときなどなかったに違いない。
今ではメティスの中でも異能のフィーリアを手に入れ、七家全体に注目されている。その気になれば、フェルナンディの一族に敵対する事もできたはずなのだ。それなのに、腹違いとはいえ兄を尊敬し、義理の姉となるレティシアを慕っている。
細かい事情は知らないが、サフィリアが時間をかけてゆっくりを人間関係を修復していったようだ。眠りについている間に、その関係が破壊されるなどという事はあってはならない。
「リー姉様」
「ん、どうしたの」
突然シンシアに聞かれてリーザは思考を中断させた。そして、とっさに明るい声で答える。黒とわずかに赤みがかった瞳で見つめられると、少しだけドキリとしてしまう。目の色というのは人の感情に直接作用してしまうものだ。
「大丈夫ですか。時々、辛そうな顔をしていますよ」
シーグに色々といっておきながら、自分がこれでは情けない。リーザは腰に手を当てて胸を張った。
「女の子はね、ちょっぴり悩んだ方が魅力的になれるのよ」
自信ありげに言うと、シンシアは一瞬キョトンとしたが、すぐにクスクスと笑い出した。この言葉をシーグが聞けば、理屈に合わないとでもいいたげに、不機嫌な表情を浮かべるだろうか。
船は西に向けて疾走している。フェイル・リレイの巨大な水門が目の前に迫っていた。
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