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1章-16 命取りの座
    *

 ベクターは、地面に伏せるワイバーンと正面から向き合っていた。血の色をした目が殺意を込めてベクターを睨みつけている。もしも、支配の魔術が効果を失ったときには、ためらいなくベクターに襲い掛かるだろう。
 コウモリの羽に漆黒の鱗という外見から、ワイバーンは空の死神という異名を持つ。巨大な体でありながら猛禽類のように舞い降り、かぎ爪は正確に獲物をとらえるのだ。
 だが、あの少年。シーグは霧の向こうからの襲撃に気づき、絶好の位置からの攻撃に反撃を加えて逆に手傷を負わせた。
 自分にも、同じことができるだろうか?
「ベクター導師」
 部下に心配そうに声をかけられて、ベクターは我に返った。
「どうした」
「……いえ、支配の魔術が限界なのかと」
「なぜ、そう思った」
「導師が今にもワイバーンに挑むように見えたので」
 そういわれて、杖を握る手に力が入っている事に気づいた。どうやら、あの少年に気を取られすぎているようだ。考えてみれば、先ほどもシーグに興味を持ったがために、対応が遅れてしまった。
「戦いの決着までは大丈夫だ」
 後ろを振り返れば、嫌でも最初に完全に目を回し、口から泡を吹いているガイスが目に入る。もう1人が水蒸気爆発のときにガイスを守って気を失っている。その周囲では残る部下たちが心配そうにこちらを見ていた。戦えるのは5人だ。
 誰の顔にも疲労の色が見える。不安定なままで陣形を発動し、しかもそれが爆発を起こした。その後に、サフィリアの雷撃を受けて立ち上がることさえままならない。戦う事が限界なのは、むしろこちらのほうだ。唯一の切り札がワイバーンである。
「それにしても静かになったな」
「聞こえて来た声の内容だと、降伏するのではないか」
 ガイスが気絶しているので、声に出して意見を交換している。
「いや、さっきの怒鳴り声はわざとらしかった。陽動という事も考えられる」
「そんな事をする暇があるなら、襲撃してくるのではないか」
「では、向こうも戦える状態ではないのかな」
「逆に、見者の目が見えていないのなら、好機だ。こちらから攻めるべきだろう」
「ベクター導師の手を煩わせる戦士がいるんですよ。誰が戦うんですか?」
 様々な意見を出し合っているのを、聞きながらベクターも考えを整理していた。
 サフィリアは感情的になっているときに嘘はつかない。目が見えてないのは事実だ。彼女なら間違いなく仲間の安全のために降伏を選ぶだろう。しかし、あの少年は違うはずだ。
 戦いの最中に恐怖や迷いが見られず、勝利の機会を逃さなかった。脅威に真っ向から立ち向かい、魔術や怪物に対する戦い方を心得ていた。今度は必ずこちらの状況を見抜くだろう。
 10代も半ばという年齢を考えると、信じられない能力の持ち主だ。そして、素質を見抜き伸ばす稀代の師に習ったのは疑いない。剣と魔術の両方に通じ、いかなる脅威にも立ち向かう。ベクターにはそのような人物には一人しか心当たりがなかった。
 イービルスレイヤー(邪悪を制するもの)の名で呼ばれた戦いの達人。ただ一度しか会った事はないが、彼のようになりたいとあこがれ、思い描いて自分なりに鍛えてきた。そして、シーグはベクターが長年思い描いていた理想以上の戦い方をする。
 山を歩いてきたとしか思えない姿の少年が現れ、シーグと名乗った時からベクターはずっと引っかかっている。
 イービルスレイヤーの故国には、シージペリラス(命取りの座)と予知された赤子がいた。シージペリラス(命取りの座)とは、災厄の時代の訪れを象徴する子どもである。秀でた才能を持ち、多くの命を左右する定めにあるという。敵となるのか味方となるのか、正義の名の下に行われるのか、邪悪な意思によって行われるのかはわからない。そのため、極秘のうちに闇に葬られる事も少なくないという。
 今ではその国は滅び、シージペリラス(命取りの座)の行方は知れない。だが、もしも生きていれば丁度16歳になる。イービルスレイヤーは先代の見者とは親しく、魔術を使えるのにいつも徒歩で天空の水盤に訪れる変わり者だったようだ。
「我々の事が、筒抜けだという事は」
「いや、この距離でなら、探知の魔術が使われた瞬間に分かるだろう」
「見者としての能力は通常の魔術師とは違うのでは?」
 会話が中断され、全員の視線が集まったのでベクターは口を開いた。
「見者の能力で最も強いのは『夢見』だが、眠っていなくては使えない。水盤を使った大規模な『遠見』は、準備だけで丸一日かかる。『星見』は星の位置の合う夜にしか効果がない。見者の能力は今とは異なる時間、遠く離れた場所、無数の可能性を見るためのものだ。すべてが今の状況には不向きな能力。通常の魔術師と代わりはない」
「ならば、今は待つしかないという事か」
「こちらが魔術を使えば、余力があると勘違いさせる事ができるのでは?」
「けん制に使えるほどの余力を誰が残しているんだ。今は無駄に魔術を使うわけにはいかん」
 再び話し合いが始まったので、ベクターは再び物思いに沈む。
 サフィリアが見るのはもっと過酷なものだ。事実、見者の大半は狂気に取り付かれ短命のうちに死んでいる。
 例えば夢見では、死んだはずの者が生き延び、苦しみのうちに生きてゆく未来の可能性を見る。聖人と崇められる者の悪事、罪亡き者が罪人として葬られた真実を知ることもある。
 歴史が生み出した闇に触れ、感情が織り成す矛盾と怨嗟の中心に立ち、現実と夢の狭間を行き来するのだ。
 だから、見者も世俗に係わるのを避ける。人が見者を恐れて遠ざけるのは却って好都合なのだ。外の世界での思い出や友人が多いほどに、苦しみは増すものだから。
 サフィリアは何でもないことに目を輝かせ、困っている人の世話を焼きたがり、正しいと信じれば迷いがない。
 好奇心と正義感の塊のような少女は、世界中を旅して回って、学校の先生になり、静かな湖畔で家族と暮らすのが夢だと言っていた。
 彼女が見者となるには、あまりにも未来への夢がありすぎる。世界の悪夢を引き受けるのは誰よりも向かない。
「見者は、若いが魔術の天才だ。あらゆる系統を使いこなす事ができる。何よりも魔術の展開速度は、ここにいる誰よりも速い。その上、ここは天空の水盤だ」
「ならば、彼女がどう動くか話し合う必要があるな。目が見えないとなれば狙いを定められない。ブラスト(噴出)は、有効とはいえないと思う。どうだろうか?」
 気絶したガイスに変わって、ブラストの系統の意見を言った者に、全員がうなずく。
「サモニング(召還)は呼び出すまでに時間がかかる。出現と同時にワイバーンをけしかければ脅威にならないはずだ。それに、支配の魔術は視線に魔力を乗せるからな。今の状況だと、視界の悪さのせいで限界がある」
「視覚を失った魔術師は、離れた対象に魔術を使えない。ディテクション(探知)の系統は、特に視覚に頼る魔術が多いからな。それに、この距離では我々の事を調べるのに魔術には頼る必要がない」
「プロテクション(防護)だが、もしも向こうが守勢に回ってくれるのなら好都合です」
 部下たちが、それぞれ得意とする系統の意見を順番に出してゆくのを、ベクターは聞いていた。
「エンハンス(向上)なら、あの少年の筋力や敏捷性を強化する事が有効だ。だが、あの細身の体では、ワイバーンと正面から渡り合うほどの強化は無理だろう」
 4人が発言を終えると、最後に残ったベクターは口を開いた。
「見者は残る2つの系統を選ぶと、私は考えている。あの少年が武器を持っていれば、魔術師の杖にエンチャント(付与)が施された物だ。ワイバーンだろうが、防護壁だろうが一撃で粉砕でする力があるだろう」
「杖を他人に預けるっていうんですか?」
 1人が驚きの声を上げる。それは魔術師ならば誰もが考える事だ。
「彼女ならそうする。だが、一つの杖に込められる魔術は一つだけだ。つまり、どれだけ強力な攻撃であろうとも二度はない。それさえ、受けきれば私たちが勝利する。問題は残る一つの系統。これは天空の水盤で、霧のために視界の悪い状況では最も威力を発揮するだろう」
 ベクターの言葉に、全員が理解の表情を浮かべた。
「だから、冷静になれ。向こうの思惑に乗せられるな。我々は守りに徹すればいい。戦えるものが歩けるようになり次第、霧の中にまぎれて各自が攻撃すれば終わる」
「導師、魔術の気配です」
「ディテクション(探知)の系統か。効果範囲は自身」
「なぜ、いまさら探知を?」
「シーグの思考を読むためだろう。やはり、サフィリアは目が見えていないな」
 ベクターの不十分な説明にも疑問をはさむものがいなかったのは、誰もが現状を理解していたからだ。
「今のうちに攻めますか」
「いや、見者の近くで戦うのはまずい。ワイバーンほど大きな標的なら、目が見えなくても当たるかもしれん。まずはシーグをひきつける。杖の力を使わせ、そのまま追い詰めて止めを刺す。もし、見者の元に逃がせば戦いは長引くぞ」
「分かりました」
 そこで、ベクターは更なる魔術の気配を感じた。
「エンチャントの系統、風の属性、ブラストの系統を付与。効果範囲は自身」
「何もかも予測どおりですな」
 部下の一人が感嘆の声を上げる。
「イリュージョン(幻覚)の系統、幻影の属性。来るぞ、我々はプロテクション(防護)の系統、対物対魔術の壁を展開。私はワイバーンを操り、戦わせる」
 ベクターの命令を受け、動けるものは呪文を唱え始めた。
 周囲に赤い壁が展開されると同時に、白いヴェールを貫いてシーグが現れた。長剣を槍のように構えて真っ直ぐ突撃し、壁に突き立てる。しかし、衝撃も音もなく、シーグはスッと消えてしまった。
 続けざまに真横から次のシーグが現れる。それも、ワイバーンがカギ爪でなぎ払うと、空気に溶けるように消えてしまった。
「イリュージョン(幻覚)の効果範囲はこの霧全体だな」
 封土の中でディテクション(探知)が封じられている。影か実体かを確かめるには、魔術そのものを消し去るか、攻撃を加えて霧を揺るがせるしかない。
 サフィリアも水蒸気爆発が起きる事を想定し、幻影を霧に投影する事を考えていた。そして目くらましを仕掛ける以上、効果的に視界を奪う有効な手段を取るはずだ。それに対抗する手段も、ベクターの中ではすでに出来上がっている。
 ともあれ、これでやっと決着がつくのは間違いない。ベクターは安堵感さえ感じていた。
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