1部-9 彼女の風景
*
フェイル・リレイ(石突の中継地)の塔から出て、大河アクア・ランスにそってシーグ達は東へ向かった。
広すぎる道、繊細すぎる建築物には、軍事的防御力はないに等しい。守るに難しく、攻めるに易い都市だ。
シーグはそう決め付けて街を観察していた。城壁もなく平坦な土地に作られた街は無防備にしか見えない。
アクア・ランスの主流と、網の目のように張り巡らされた水路に沿って、町並みは続いている。
外洋に出てそのまま海を渡れる巨大な帆船が、フェイル・リレイの関所に差し掛かっていた。水門が重々しい音を立てると、櫂が一斉に動き出す。赤色のローブをまとった男が、杖を振りかざすと途端に帆が風をはらんで前進する。魔術師が風を操って船を動かしているのだ。
水門が開かれると一挙に景色が広がった。それはインボルグの前、ほんの四日前とはまるで違う光景だった。
アクア・ランスには大小様々な船が行き交っていた。特に、商業地区であるウィングス通りの近辺には湖岸が真っ白に見えるほどに船がひしめき合っている。それは、まるで白鳥の群れのように見えた。
川岸には様々な品物を並べた店が並んでいる。桟橋が用意してあって、小船を止められるようになっている店がある。中には、完全に水路に張り出した店もあって、船に乗ったまま簡単な食べ物や飲み物が買えるようにしてあった。
それだけにとどまらず、船の上に大量の樽や木箱を詰め込んで、声高に客を呼んでいるものもいる。船に『□』の形が刻まれているという事は酒売りだ。よもや、宿屋という事はないだろう。
川沿いに建つ建物はほとんどが3階建てに統一されていた。3階の屋根の少し下あたりに、地面と水平に延びるポールがある。そこには、店の看板の役割をする大きな旗が翻っていた。これは船上からでも店が何であるかを分かるようにしてあるのだ。
風が優しく吹きぬけ、流れる水音に活気のある人々の喧騒が混じる。豊かな土と無限とも思える水に恵まれた場所。
「いい街だな」
シーグは思わず呟いた。無防備を皮肉る辛らつな言葉を、いつの間にか忘れている事に驚く。
「当然ですわ。詩人たちが声をそろえて賞賛する世界一の水の都ですもの。この区画の名前はサ・フィールといいます」
「え?」
シーグが驚きの表情を浮かべたのを見て、シンシアはうれしそうに先を続けた。
「4の方位と21の道、知恵と英知、青の光玉。リアには後方に立つ者、道理、原動力といった意味があります。フィー姉様が生まれた事を祝ってこの地区が作られました」
「……なるほどね」
8歳のサフィリアが誇らしく名乗っていたのを思い出す。そして、フェイル・リレイの塔から、メティスを案内してくれた時は楽しそうだった。きっと、この景色を心から好きだったからに違いない。
「この区画は、設計者が利用する人達の声を聞いて、何度も何度も相談して作り上げました。だから、ここは旅人や交易商が使いやすく、人々が住みやすいようにできています」
「だけど、そんな事をして大丈夫なのか?」
シーグの知っている街は、治安維持と要塞化を大前提として、王や将軍が作る。住みやすいように道を広く直線にすれば、敵の行軍も容易になる。水路を一本化して水の便を図れば、要所を押さえられるだけで町全体が無力化してしまうからだ。
「平気です。だって、この区画はフェルナンディが治めていますから」
シンシアは誇らしげにうなずいた。分かりきった事だといわんばかりの自信だ。
「運河の見者、サウザント・アイズ(千の瞳)卿ワイザー・フェルナンディ。鋼鉄の貴婦人、アクア・ランス(水の槍)卿クリスティーヌ・フェルナンディ。この御2人が健在であるうちは、如何なる悪も栄えることはありませんわ」
「アクア・ランスって……3騎士の1人は、女性なのか?」
「そうですわ」
視線と同じ長さの槍を持ち、鋼鉄の貴婦人の2つ名を持つ。それを聞いただけで、なんだか息苦しくなってきた。そして、決闘騒ぎになったのが、リーガル・バックラー卿であってよかった。そんな根拠のない考えがシーグを支配する。
「顔色が悪いですわよ?」
「なんでもない。ええと、魔術の系統だけ聞いていたら、アクア・ランス卿はブラスト(噴出)の一族、フィーンドの出身だと思っていたぞ」
「よく勘違いされますわ。系統はブラストですけど、雷撃に関しては、ディテクト(探知)の系統を修めた者の方が勝るようです」
「なるほど、ね」
シンシアやサフィリアの事を考えると、シーグは無条件で納得できた。つまり、今から赴く場所にはタラニス(雷神)の親玉がいるということだ。
おそらく彼らの住み家は町並みの中で一際大きな塔のある白亜の城。それ自体がすでに一国の城というのに相応しい。海から船で来たものが、メティスの王城だと勘違いしても不思議ではない。遠目にも格式と壮麗さがあふれ出て、ほとばしらんばかりだ。礼節と儀礼の満ち満ちた場所を、鋼鉄の貴婦人が取り仕切っているのだという。しかも、そこは魔術師が統べる建物なのだ。
そんな事を考えると、入ったが最後、無事に帰れないのではないかという思いにとらわれた。
「やっぱり、顔色が良くありませんわ」
「いや、なんでもない」
横からピョコンと顔を出したリーザが、否定するシーグの表情をまじまじと見つめる。
「こーゆー時のシー坊って、結構すごい事を考えているのよ」
リーザがすかさずシンシアに耳打ちした。
「まさか、御二人の事を悪く思っているのですか?」
「ち、違う! そんな事は……思ってない、ぞ」
図星を当てられてて、思わず叫んだシーグ。しかし、その語尾は消え入るように細っていった。リーザのやっぱりと言わんばかりのニヤけた表情。よく分かっていないアイフェも、何か起こると勘付いたらしい。好奇心丸出しの表情で、キョロキョロしている。
「では、どんな事ですか?」
シンシアは言葉遣いが丁寧になり、声色が尖っている。肩をいからせ、許しませんと全身で表現していた。シーグはぬけるように青い空を仰ぐ。
ジェイナス校長、やはり俺にとってメティスは住みづらい場所のようです。そうシーグは心の中でつぶやいた。
「こうやって、はぐらかそうとしている時もそうなのよ」
「リー姉!」
シーグが睨みつけると、リーザは「キャッ」と小さく叫んでシンシアの背中に隠れる。アイフェも「うきゃ」と叫んでからリーザの背中に張り付いた。
面白がる2対の瞳と、咎めるようなシンシアの黒い瞳。押し負けそうになったシーグだが、よくよく考えたら何も悪い事をしていないのだ。
ふと思いついた事だけで、いちいち謝っていられるか。
道行く人々が何事かと振り返るが、シーグのほうでも負けじと見つめ返した。しばらく不機嫌に睨みつけていたシンシアだが唐突に顔を伏せた。
「急ぎましょう。時間の無駄です」
そっけなく言って道を先へと進み始めた。取り残された形のリーザとアイフェが、「あら?」「らー?」と途方にくれた声をもらす。シーグが睨みつけると、アイフェを背中に張り付かせたままリーザは逃げ出した。途中、リーザがクルクルと回転を始めると、危なっかしく揺れるアイフェがはしゃいだ声を上げた。
文句を言いたかったが、結局シーグは口を閉ざした。構うとその倍は言い返されるに違いないからだ。
シンシアを先頭に少し離れて歩くシーグ。小さな悲鳴が聞こえて振りかえってみると、回転しすぎたリーザが目を回して尻餅をついていた。放り出されたアイフェも腹を押さえてケラケラと笑っている。
一方シンシアはいそいそと歩く。通り過ぎる船が、陽気に挨拶をよこしても無視していた。途方にくれる船乗りたちにシーグは軽く手を挙げて応えると、船乗りたちは苦い顔をしている。立ち直ったリーザと笑い終えたアイフェは、「おーい、おーい」と倍も陽気に叫び返して両手を振っていた。
元気な声にシンシアはチラリと振り返ったが、シーグと目が合うと更に歩調を速めて遠ざかってゆく。
怒っている。とにかく怒っている。だが、そんなに悪い事をしたとは思えない。たいだい、最近は謝ろうが、下手に出ようが、正直に言おうが結局相手の感情を逆なでしてばかりだ。
敵対する相手と容赦なくぶつかるほうが、友好的な相手と普通に過ごすよりも気が楽に思える。そもそもこの4年間、どうやって戦いを有利に運ぶか、どうやって相手の平静を崩すか。そんな事しか考えてなかったような気がする。
そういえば、ガリウスが言っていた。「貴様は二言目には人を侮辱する男だ」、と。実際に何も考えずに自然に口に出した言葉や、本物の勘違いが予想以上に相手を浮き足立たせていた。
侮辱をすれば条件反射で決闘をしたがる騎士だ。何を言っても簡単に――。
そこでシーグは思考を止めた。慎重になってみれば、今考えている事でさえ十分すぎるほど過激だ。何気ない言葉が、無意識のうちに相手を苛立たせているに違いない。
何しろ、自分はあのロディウス・アクテの弟子なのだ。たとえ、師匠のほうで弟子と認めていなくても。
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