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1章-14 空の死神
 巨大なカギ爪は皮鎧をやすやすと切り裂いた。シーグは焼け付くような背中の痛みをこらえて振り返る。
 霧を割って現れたのは巨大な怪物。コウモリの翼にぎらつく黒い鱗、鞭のようにしなる尾。肉食の爬虫類特有の大きな口と、巨大な鎌を連想させるカギ爪。空を飛ぶ死神のような怪物が霧の向こうに消えていった。
 シーグはまだ呆然としているサフィリアの手を引っぱって無理やり立たせた。
「背中を怪我をしたんじゃない?」
 サフィリアは、血の気を失って青ざめている。
「鎧で止まったからかすり傷だ。気にするな」
 そう言ったものの、実際には出血が多くて傷口が広い。体を動かしている以上止血は無理だ。いつまで、体が満足に動くかがわからない。意識が飛ぶ前に決着をつけなければ。
「そんな顔するなよ。大怪我をしたと思って痛くなるだろうが」
「だけど……」
 つぶやき、痛々しい表情で胸元を押さえた後サフィリアは何かを振り払うように首を左右に振った。
「あれはワイバーンよ」
 毅然とした表情となって先を続ける。
「鋭い爪と牙は鋼鉄の鎧も引き裂くの。そして、さっきの風の魔術程度なら、硬い鱗で跳ね返してしまうわ」
「呼び出す魔術は使えないんじゃなかったのか?」
「召還したんじゃなくて、ずっと持ち運んでいたの。エンチャント(付与)で小さくして、固めておいたんだわ」
「生き物、それもあんな怪物まで自由自在なのか?」
「魔術師の技量しだいね。ベクターならできるわ」
「……本当に何でもありなんだな」
 シーグは舌打ちをした。ワイバーンは霧の向こうに飛び去り、見えなくなった。だが、翼を羽ばたかせる音から、大きく旋回して引き返してくるのが分かる。
「戻って来るぞ」
「雷撃の魔術で打ち落とします。空飛ぶ消し炭にしてあげるわ」
「魔術が完成するまでに一度は攻撃を食らうぞ」
「この霧だもの。近づいてもらわないと、狙いをつけられないわ」
「つまり、俺はワイバーンからあんたを守ればいいわけだ」
 シーグの背中を見て、サフィリアの顔が苦しげにゆがむ。
「家事仕事をやらせされるよりはずっと楽だぞ」
 シーグが肩をすくめてつぶやく。
「雷撃は霧で放電するから、魔術を打つときには私から離れて……信じてるからね」
「当然だ」
 サフィリアは口元に微笑を浮かべた。小さくつぶやき杖を掲げると、目を閉じて呪文を唱え始めた。シーグは剣を構えて霧に目を凝らす。ワイバーンはドラゴンとは違う。空高くから一方的に火の吐息をあびせる事はない。攻撃するなら、必ず剣の届く範囲に降りてくる。
 耳に神経を集中させて攻撃のタイミングを図る。一度大きく翼を羽ばたかせ、次に風を切るような音が続く。ワイバーンが滑空して、狙いを定めたのだ。
 シーグはサフィリアの前に立って腰だめに剣を構えた。霧を突き破って現れる死神の鎌。猛禽類のカギ爪と同じく、2本の足、計6本の指がサフィリアとシーグをワシ掴みにしようと降りてくる。その爪の一本一本、関節の付け根、鱗の隙間までをもシーグの目は捉えた。自分に向かうカギ爪をよけると同時に、サフィリアを狙うカギ爪に下段から切り上げる一撃を放つ。
 金属と金属がぶつかり合った様な鋭い音。サフィリアを狙ったカギ爪が根元から切断されて宙を飛ぶ。だが、剣は刃が欠けて、柄を握る手がしびれてしまった。
 サフィリアは返り血が顔にかかり、ワイバーンの起こした風圧に髪を乱されても微動だにせず呪文の詠唱をとめていない。
 安心するのもつかの間。背筋に走る戦慄にシーグは頭上を見上げる。ワイバーンの背にはベクターが乗っていたのだ。呪文を唱えながら杖を振り上げ、シーグ目掛けて飛び掛かる。
 シーグは体勢を立て直し、しびれる腕を持ち上げベクターの杖を剣で受け止めた。ベクターは軽やかに地面に降り立つ。ワイバーンは痛みの雄たけびを上げながら、体勢を崩して地面に倒れた。
 間髪いれずに、シーグはナイフを抜いてベクターの着地点に投げ付けた。ベクターが杖を軽く傾けると、ナイフはそのままの勢いでシーグの頭を目掛けて戻って来る。シーグは首をかしげてかわすと、魔術を使って膠着しているベクターに向けて一挙に距離を詰めた。
 ベクターが始めてみせる驚愕の表情。シーグは勝機と見て剣を振りかぶった。が、手に鋭い痛みを感じて剣を離してしまった。
 何故?
 剣に気をとられた隙に、ベクターは地面に片手をついた。そして、全身のばねを使って、放たれた矢のように突き上げる蹴りをシーグに放つ。シーグはそれをなんとか腕でとめると、蹴りの威力に逆らわず後方に飛びのいた。
 シーグの剣は地面を転がりながら湯気を立てている。刀身は赤熱し、ジュージューと音を立てて溶け始めていた。杖を打ちこまれたときに、何らかの魔術が仕掛けられたに違いない。
「本当に芸達者だな、あんたは」
 シーグは横目で、ワイバーンが翼をはためかせ上昇しつつあること、サフィリアの呪文が完成間近であることを確認した。
「君はただの戦士ではない。一体何者だ?」
 ベクターは息を整えながら、目を細めてシーグを観察している。サフィリアにそっくりな表情だ、と考えているとシーグは一計が閃いた。
「ただの□×○△だ」
「なに?」
 戦闘にふさわしくない言葉に、ベクターは怪訝な表情を浮かべている。
「ついでに、ガイスの変態仲間なんだとさ」
「それはどういう意味だ」
 冗談半分の言葉を、ベクターが生真面目に深読みしているその間に、サフィリアは呪文を終了し杖を真っ直ぐワイバーンに向けた。
「しまった!」
 ベクターは舌打ちし、杖を真横に構えて短く呪文を唱えた。
「させるか」
 一瞬でナイフを抜いて肉薄するシーグに、ベクターは腕を真っ直ぐに向けた。もう片方の腕は杖を複雑な軌道で動かしている。
「スネイル!」
 ベクターの掛け声と共に、シーグは横にステップを踏む。その時複数の鋭い衝撃が、鎧を貫き背中に突き刺さった。
「え?」
 あまりに意外な出来事に、シーグは思わず背後を振り返る。そこには、翼を打ちながらゆっくりと上昇するワイバーンの姿があった。
「クレスタ!」
 続けざまにベクターが叫ぶ。今度は地面に落ちたワイバーンの片足から黒い矢が飛んで来る。シーグは地面に倒れてやり過ごした。矢弾が仕掛けられていたのは、ベクターの腕ではなかったのだ。
「来たれ、天よりの災厄!」
 しかし、サフィリアはまぶたを開きワイバーンを見据える。すでに魔術は完成しつつあった。ベクターは苦渋の表情を浮かべながら、杖で地面をつく。だが、それがどんな魔術であろうとも、サフィリアの放つ雷撃の威力を止められるはずはない。シーグは勝利を確信した。
「ヴォルド・ヴェイ・レイ・ザ――」
 杖の先にまばゆい光が宿り、今まさに黄金の雷が打ち出されようとしている。ベクターは地をけって飛び上がった。杖につかまったまま、シーグの頭上を易々と越えてゆく。魔術で空を飛び、ベクターはワイバーンの背に乗る。驚いた事に、自ら雷撃の魔術の真正面に飛び出したのであった。
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