まるで、冬虫夏草だよ!
一つだけ言えることがある。
――これは、現実であると。
確証はないが自分は死んだのではないかと、思う。
そして、ここは太陽系第3惑星の地球ではない、どこか別の遠い場所。そう、異世界なのではないだろうか。
そうであれば説明がつく。そうでなければ、この事象は説明がつかないのだ。
僕は冬に森の中で遭難した。
朦朧とした意識の中「死んだー!」と思った。
そして、ふと気がついた時には季節は初夏になっていて――
――キノコが頭から生えていた。
いや、生えていたという生優しいものではない、キノコになっていたのだ、頭が。そう、頭から髪の変わりにキノコの傘が! まるで、冬虫夏草……いや、冬人夏茸だよ! ざ・キノコ人間! びっくりだね!
頭がキノコになったせいか地球での記憶も曖昧で、人の言葉も判らない。人の言葉がわからないのはここが異世界で言葉の体系が異なっているせいにしても、過去の記憶がおぼろげなのはやはり一度死んだことによる弊害か、否か。
しかし、地球での記憶はここでの生活にはまったく役の立たないので、寂しい気はするが無ければないで特に困ることはない。
僕はこの世界での新たな生を満喫することにした。
森の奥に「人間」はほとんど来ない。
仮に人に出会っても、キノコ人間である僕は魔物か化物扱いされる。僕は人の言葉がわからないので人に何かを伝えることもできない。お互いに不毛なので、普段は森の奥でふつうのキノコに混じって、ぼんやりと日々を過ごしている。こうしていれば、人間には大きなキノコくらいにしか思われないのだ。
この世界ではキノコは人にとっては毒でしかなく、目的もなく近づく者はない。まして、ここは森の奥。わざわざキノコに近づいて毒に侵され、貴重な毒消し薬を無駄に使うなどという愚行を行う者はまずないのだ。
この世界では人間の友人はいない。しかし、森の妖精や魔物、動物たちがいつも話し相手になってくれるので寂しくはない。
彼らは人とは異なり、キノコの毒も平気であり、自然を相手に会話する。それゆえにキノコ人間な僕を恐れることなく、言葉を交わすことができるのだ。
「おお、きのしたの、きのこのひとだ。こんにちは」
「きゃはは。きのこ、きのこ」
「おおきい、おおきい。いつ、みても、びっくりだ!」
妖精たちにとっては、僕は非常に「面白いもの」らしい。妖精たちは面白いものが大好きなのだ。あっという間に、森の妖精たちの間で人気者になってしまった。
僕の周りは、いつもとても賑やかです。
僕は人も訪れることのない森の奥で、静かに暮らしていた。
ある事件が起きるまでは――
――森が燃えていた。火事になったのだ。
原因は人間による放火。というか、この森を焼き払って開発しようという計画が実行されたらしい。
もともと、この森は魔物が住む森として人々に疎まれていた。魔物が森の中にいるうちはいいが、時々森を出て里へ降りてしまうらしい。それが人間には我慢ならなかったようだ。
近年、人の数は増え続け、使える土地も少なくなってきた。魔物退治ついでに森の土地も開発してしまおうと、森ごと魔物を一掃する部隊が組まれたのだ。
魔術師たちによる炎の魔法が森を焼きつくす。
僕はキノコという性質上、炎にはめっぽう弱い。だからといって、このまま成す術もなく焼かれる運命なのかと諦めたりはしない。最後の抵抗とばかりに腕を振り回し、炎の魔法を遠ざけようとした。そのたびに、僕の体から胞子があふれ、風に舞う。
――すると、奇跡が起きた。
胞子が触れたその場所だけ、炎が消え、再び炎の魔法に侵されることはなかったのだ。しかも、魔法が発現しなくなっただけではなく、発火する現象すべてが起こらなくなった。その証拠に、火をつける道具をもってしても、燃えないようであった。
それは僕の特殊能力が発動した瞬間であった。それと同時に理解した。自分の能力がどういった性質のものかを。
僕の「炎に対する拒否」が込められた胞子が炎に触れると発芽し、成長エネルギーとして、炎の性質が使われる。燃えるという現象が分解され自然にかえっていたのだ。
僕は炎を分解すると強く願い思い切り胞子を放出してから、風の精霊に頼んで、その胞子を森全体に運んでもらう。風の力を利用し循環させれば、少量でも森に行き渡らせることができる。僕の胞子が森をめぐり続ける限り、炎という存在はその性質を発揮できずに自然へと分解される。
人間たちはというと、突然、炎が消え、火に関する魔法や道具を使うことができなくなったので顔を青くしながら帰っていった。
僕はこの森を守ったのだ。
森に住むありとあらゆる生命から感謝の気持ちが伝わってくる。僕はそれを受け、この世界に生まれてよかったと、幸福に満ちた。
ちなみに、あの胞子から生まれた命は、役割を終えると土に溶けて大いなる自然の一部へ戻っていった。
なんて自然にやさしい魔法なのでしょう!
この事件の後、妖精の協力を得ていろいろ試してみたが、僕が消したいと強く念じながら胞子を撒くと、それが生命を持っていなければ、魔法でも物体でも、この世界に存在していると確認できる現象であるならば分解してしまうらしい。
さすがは自然界の分解者と言われるキノコ、らしい能力だ。
「これは禁術中の禁術『菌術』だ!」なんて言っていたら、妖精たちは面白がって噂し始めてしまった。
「もりのおくに、すごい、きんじゅつ、つかうのがいるの~」
「きんじゅつ、あれば、もりは、もえないの~」
「まほう こわくないの」
「つかうモノ? おおきいから、びっくりするよ~」
妖精たちのその噂はむろん、人の耳にも届く。
この噂が流れてからというもの、人間たちはこの森に以前よりも見かけるようになった。この森にいる、あらゆる魔法を無効にする「禁術」を使う「森の主」を退治するために。
しかし、彼ら人間が僕の元へ到達することはない。というのも、妖精たちはわざと僕の容姿を詳しく言わなかったのだ。「その方が面白いから」だと、妖精たちは口々に言っていた。こういう時の妖精たちは本当に徹底している。
妖精は決して嘘はつかないが、わざと誤解を招くような表現をすることがある。その妖精たちの噂のせいで森に来る人間たちは、森の主を悪魔か巨人か、巨大な魔物と思っているようだった。彼らもまさか「禁術(菌術)」を使うのが、実は少し大きいだけのキノコとは思うまい。
僕は基本的に、自身と森に行き過ぎた害をなさなければ彼らには干渉しない。僕はいつものように木の下でキノコたちに紛れて昼寝をするだけだ。
今日もまた、妖精に惑わされた哀れな人間たちは僕の目の前を通り過ぎ、彼らの思い描く凶悪な幻想を探して森をさまよっている。
――僕は草食系でも肉食系でもない腐食系、今日も平和な森の中、その木の下で、ふつうのキノコと共にある。