「お風呂入りたい」
昨日獲って来た肉を使って朝食の準備をしているクィスに、朔耶はもじもじしながらそう言った。
元々泊り掛けのキャンプに出掛けたので一日くらいは身体を拭く程度で済ませるつもりだったものの、一昨日ここで目覚めてから包帯を代える際に寝汗を拭いたりした程度の身嗜みしか出来ていない。
昨日は石弄りの作業もして多少汗も掻いているし、毎日シャワーを浴びる事が習慣になっていた朔耶にとって二日以上も髪も身体も洗えないのは苦痛で、尚且つ恥ずかしい。
「オフロって、湯浴みの事かい? ああ……そうか、困ったな」
通常、庶民は夏場には川に出掛けて身体を洗い、冬場は家の中で桶に満たしたお湯に布を浸してそれで身体を擦り洗う。湯浴みの習慣はあるが、貴族の邸宅にあるような香油を混ぜた湯を満たして身体を浸す事の出来るような浴場はこの村には無い。
今はまだ水が冷たいので川に行かせる訳にはいかないし、村長宅になら湯浴み用の大きな桶くらいはありそうだが、あの馬鹿息子が居る屋内でサクヤに湯浴みをさせるなどトンデモない。
「うちには湯浴み用の桶は無いけど、身体を洗いたいならお湯を用意するよ」
「ごめんね、わがまま言って……」
「そ、そんな事無いって! サクヤは令……女の子なんだから湯浴みしたいのは当然なんだし……こっちこそ気が付かなくてごめん」
申し訳なさそうにする朔耶に、クィスは慌てて手を振りながら言った。令嬢と言い掛けてやめたのはご愛嬌だ。
クィスは壁に立てかけてあった大きめの桶と衝立を引っ張り出すと、部屋の隅の方に置いて衝立で仕切った。
そうして石釜の横に積んである煉瓦のように切り出された四角い石を桶の傍で組み立てて上に鉄鍋を置き、水を注いでその下に火属性の魔力石を手際よく重ねて行く。直ぐに魔力石が熱を放って赤く発光し始める。
「多分これで丁度いい湯加減になると思うから、これで身体を擦るといいよ。水が足りなくなったらこっちから移せばいいから」
そう言って硬く捩じって棒状にした布を二つに折り曲げて結んだ様な垢すり布を手渡し、水の入った別の桶も用意する。お湯が沸いたら大桶に移して、そこに手や足を浸けながら擦るという洗い方をするスタイルだ。大桶の深さはおよそ30センチ程。
朔耶はここまで用意してくれたクィスに感謝の念を懐きながらも『これだと髪は洗えないなぁ』と複雑な気持ちになった。せめてシャワーを浴びるくらいはしたい。
「……無ければ作っちゃえばいいのよね」
朔耶の決意の篭った呟きに、厨房に戻ったクィスは何事かと振り返ったが、衝立の向こうでシャツを脱ぎ始めたサクヤの白い肩を見て慌てて顔を戻した。
衝立一枚で隔てた向こう側ではクィスが朝食の準備をしている事を考えると、リビングの隅で素っ裸になっている状況は無茶苦茶恥ずかしい事この上ないのだが、身体を清潔に保てない方が我慢ならないので、朔耶はとっとと洗ってしまう事にした。
左肩の包帯には血も滲んで無く、ちらっと傷を覗いた時は既に塞がっていたが、結構深く刺されていたような気もしていたので不思議に感じていた。何せ身体ごと吹き飛ばされる程の勢いで突き刺された筈なのだ。
『まあ、早く治るならいいや』と包帯に触れないように左半身を洗い、右半身は胸から下までは右手で洗えたが、上半身は左肩の痛みと相談しながらゆっくり洗い進めていった。
「あ痛たたたた……やっぱりシャワーで流せるようにしないとキツイなぁこれ……」
ようやく首から下まで洗い終えて服を身につける。桶に溜まった水はどう処理すれば良いのか悩んでいるとクィスが声を掛けてきた。
「終わったかい、サクヤ?」
「あ、うん、ありがとう。ねえ、この水どうすればいいの?」
「ああ、後で俺が捨てておくから。おいで、朝ご飯にしよう」
昨日のデイジーとの話し等を話題しながら食事を済ませると、クィスは大桶の水を捨てに行くついでに水汲みに出ると言うので朔耶も付いて行く事にした。
タライのような大桶を水が入ったまま持ち上げるクィスの腕力に驚きながら、朔耶は水汲み用の桶を持つとクィスの後に付いて外に出る。
三日目にして窓越しではないアマガ村の風景を見た朔耶は、長閑な……というより、閑散とした雰囲気の村の様子に『貧しい村』という印象を持った。
村人達はクィスの後ろに付いて歩く朔耶を見て、最初驚いたような表情になり、次に所在無さな気に視線を彷徨わせ、愛想笑いを浮かべる人と硬直して立ち尽くす人とに分かれた。
朔耶も目が合った人には軽く頭を下げて挨拶しながら足早にクィスの後を追う。
『なんか……腫れ物に触るような感じ?』
もしかして自分はこの村の負担になっているのでは? と不安になった朔耶に、それを見透かしたようなクィスの声が掛かった。
「前にも言ったけど、村の連中はサクヤの事を何処かの貴族の令嬢だと思ってるから、皆どう接していいのか分からないだけなんだ、どうか気を悪くしないでくれ」
「う、ううん、大丈夫だよ。ただ、あたし迷惑になってないかな~なんて……」
「サクヤの面倒見てる俺自身が、迷惑だなんて思ってないから、安心しなよ」
不安げに呟く朔耶を励ますつもりで、からかい気味に言ったクィスだったのだが。
「クィス……ありがとう」
ふんわりとした微笑みでお礼を返されて、クィスは一気に体温が上昇するのを自覚した。初めて太陽の光の下で見るサクヤは本当に健康的で綺麗な肌をしていて、艶のある黒髪と黒い瞳には惹き込まれそうだ。
『か、可愛いなサクヤは……いや、美人なのは分かってたんだけど……ヤ、ヤバイよな』
何がヤバイのかよく分からないまま眼の奥に張り付いたサクヤの微笑みに動悸が激しくなるのを感じていた。
村を囲む木の杭を組み合わせたバリケードのような柵を出て直ぐ、少し岩場を下った場所にゆったりと流れる川があった。川原では洗濯をしている村人の姿が三人程見える。
クィスは洗濯中の村人の下流側に大桶の水を捨てると、朔耶から水汲み用の桶を受け取って上流側の水を汲みながら、ここに朔耶が流れ着いていた事を話した。
朔耶は感嘆とも溜め息とも付かない複雑な感情の入り混じった息を吐いて一度上流の先を見詰めると。竦めた肩を擦りながら川の流れに目を戻す。洗濯をしている村人がそわそわしているが、敢えて気にしない。
「この川……村からそんなに離れて無いんだね」
「まあね、この辺りは嵐で水嵩が増えても氾濫しないくらい支流が多い場所なんだ」
この川を生活の拠点としてアマガ村と同じ様に沢山の小さな村が、支流沿いに点在しているそうだ。ゆったりとした流れを眺めながら顎に手を当てて『う~~ん』と唸っている朔耶に気が付いたクィスは、何か考え事かなと静かに様子を見守る。
「ここから水車とか使って水を引けないかなぁ……」
シャワーのように大量に水を使うなら水源である川から直接水を引いた方が効率がいい。
湯沸かし器代わりのタンクを魔力石で作るのにも自信はある。デイジーの話がヒントになった。流石にポンプの動力用にモーターを作るのは、情報不足で目処が立たないが……。
「足踏み式にすればいいのよね……水道橋を給水用と排水用の二段式にして……」
「……サクヤ?」
何やらぶつぶつと呟いているサクヤに、クィスは遠慮がちに声を掛ける。
「ねえクィス、ここから村に水を引き込めないのかな?」
「え? 水を引き込むって……水路でも作るのかい? ここの岩は硬いし村より結構低い位置だから無理だと思うけどな」
「ううん水路じゃなくて、給水塔と水道橋を建てて水車で汲み上げればイケると思うんだけど」
「水車……は分かるけど『キュウスイトウ』とか『スイドウキョウ』って何だい?」
こちらにはまだそういうのが無いのか、或いはクィスが知らないだけなのかと朔耶は小首を傾げたが、水道橋と給水塔について、その役割を分かり易く説明すると、クィスは感心した様子で驚いた表情を見せた。
「凄いな、サクヤは……確かにそれなら村に水を引く事が出来るし、上の畑にも水を通せる」
「どうかな?」
「うん、良い案だと思うし、村長に話してみるよ」
「村長に? ん~そっか、そうだよね、うん」
朔耶はシャワー欲しさの簡単な水道施設を提案したつもりだったのでちょいちょいっと作ってしまえばと思っていたのだが、やはり村の中に何かを作ったりするには村長に届出が必要なのかなと、この時は解釈していた。
エライ勘違いだった。
村の中央の開けた場所に村人達が集まり、村長が皆の前に立って声を上げる。
「あ~皆も知っていると思うが、現在クィスの家に滞在なさっているサクヤ殿から、この度アマガ村に素晴らしい技術が提供される事となった。村の皆の生活を向上させる『水道』という新技術じゃ」
おおー……という感嘆が広がり、村人達の視線がクィスと並んで立つ朔耶に向けられる。朔耶はこの予想外の展開に目を白黒させながら狼狽えていた。
ちょっと川から水を引いてシャワーを浴びたいな~とか思っていたら、何時の間にか村を上げての一大事業になってしまっていたのだ。土木工事や建築作業の経験がある者達が集められ、朔耶の指揮の下、村に水道施設を作る事になった。
設計図も無く、専門家も居ない。朔耶の大まかな知識とアイデアのみで工事が進められる事になる。
自分で試行錯誤しながらささやかな小物や道具を作る程度ならば工夫と創作意欲で色々な物造りに挑めるものの、流石に大勢の人を動かして工事を行うような規模となると勝手が違い過ぎるし、そんな状況は想定すらしていなかったので、はっきり言って尻込みしてしまう。
「な、なんか……大変な事になっちゃった……」
少し顔色を無くした朔耶が呟くと、クィスが安心させるように声を掛けた。
「大丈夫だよサクヤ、きっと上手く行くよ」
「でもあたし、こんな大事になるなんて……それに指揮とか全然……、何をしたらいいのか分かんないよ」
集まっている村人達を前に、オロオロと不安げな表情を浮かべる朔耶。クィスは自分が間に入って指示を出すようにすれば、サクヤの緊張を解せるだろうと考える。
「とりあえず、どんな物を作ればいいのか教えてくれれば俺がそれを皆に伝えるから、それを元に作業に入る。サクヤは出来るだけ詳しくその説明をしてくれれば、後は皆でなんとかするよ」
「う、うん……分かった、やってみる」
そうして始まった水道施設の建設工事。まずは材料となる木材の伐り出しに何人かと近くの森に出掛けて行き、その道中で造る物の大きさや形、機能等を説明してこれから行う作業の全容を理解して貰う。
本来なら切り出した石を積んで丈夫な水道橋を造りたい所だが、そこまでの規模の工事をするには材料となる煉瓦のような石が大量に必要となる。現状、アマガ村の労働力と財政では不可能なので、木製の簡易式なモノを造る方向で定めた。
水車と橋と塔、水を汲み上げる為の桶とロープ、給水タンクとなる大きな水槽、其々の製造に最適な材料を集める為、そのモノの特徴と役割を説明して行く。
水車に塔を併設して、水車を動力とした滑車と歯車とロープと桶による水の汲み上げ機構で汲み上げられた水が塔の上から流れ落ちた時は、村人達が歓声を上げた。
これにより、水道橋と水車と給水塔の関係を具体的に思い描く事が出来た作業員達の作業効率が上がり、同時制作していた水槽も橋と一緒に完成した。
「水槽の中は真ん中で仕切って下の方で繋げて、奥の方から水を入れるように。うん、その辺りに穴を空けて排水の方に繋いで」
施設が形になるに従って朔耶も指揮に慣れ始め、直接作業を指示するようになっていた。朝から始めた工事は、日が暮れる頃にはそれなりの所まで仕上がっている。
「凄いね、一日でここまで出来ちゃうもんなんだぁ」
「村人みんなで進めたし、遣り甲斐のある作業だったからね」
「皆さんお疲れさまです。サクヤさんも、お茶どうぞ」
「わぁ、ありがとうデイジー」
村人達が集まったの村の中央には幾つかのテーブルが並べられ、女達がバーベキューのような料理の準備を進めており、男達は持ち寄った地酒で酒盛りを始めている。一日作業をこなしたこの日は村人全員での食事会を開く事になった。
薪をキャンプファイヤーのように重ねた井桁に、火を入れようとしている村人が火打ちに梃子摺っている様子を見かねて朔耶が試作魔力石ライターで火を付けると、皆が口々に『魔術士サクヤ』と称え始める。
朔耶はお酒の入った人達に一々訂正しても仕方が無いと、好きに呼ばしておく事にした。
それよりも運ばれてきた料理に興味が移る。狩猟村なだけあって全体的に肉料理が多くサイズも大きい。香ばしく焼けた肉をはふはふ言いながら食べるとちょっと幸せな気分になった。
『キャンプファイヤーにバーベキューかぁ……』
この世界に喚ばれたあの日、朔耶はキャンプ場へ向かっていた事を思うと何だか感慨深い気持ちになる。今頃元の世界では家族や友人達が心配しているかもしれない、それを思うと溜め息が零れてしまうのだが。
「サクヤ、疲れたのかい?」
「ううん、大丈夫だよ」
クィスは常に朔耶の隣に立ち、朔耶と村人達との交流が円滑に行えるよう助けていた。
同時に、クィスには村長の馬鹿息子からサクヤを守るという使命感にも似た気持ちがあったのだが、朝の召集の時も、昼間の作業の間も、そして今も、その馬鹿息子『ドーソン』は姿を現さなかった。
「何処行ったんだろう? アイツ……作業をサボるのは分かるけどこんな食事会でも顔見せ無いなんて」
「ん? 誰の事?」
「いや、ドーソンっていう、村長とこの馬鹿息子がいるんだけど……朝から見掛けなくてさ」
「馬鹿息子って……」
朔耶はクィスの言い様に噴き出しそうになりながら、クィスにそう言わせる人物を想像した。
『村長の息子っていうくらいだから、ちょっと傲慢入ってるとか?』
もし嫌な感じの相手なら居なくて良かったかな? 等と不謹慎かと思いつつも素直な気持ちを考えてしまう。
「ドーソンさんなら朝から馬に乗って何処かに出掛けてましたよ?」
飲み物を持って配膳に回っているデイジーが偶々近くを通り、朔耶とクィスの話を聞きつけてそう教えてくれた。
「朝から馬で? ……一体何処へ何しに」
「馬、居たんだ~」
「一頭だけですけどね」
呑気にデイジーと雑談を始めた朔耶を余所に、クィスは何か胸騒ぎを覚えていた。
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