「お頭、早くズラから無くていいんですかい?」
「まだ早い、逃げるのは城の衛兵が見えてからだ」
オドオドと落ち着かない様子の手下に余裕タップリの笑みで返した山賊の頭領は、坂の上に立たせた見張りに視線を向けた。
数日前から潜ませていた手下数人が襲撃直前に街の魔術士に見つかって一戦やらかすという不手際があったが、概ね順調に進んでいる。
計画通り事が運べば、当分は仕事をしなくても食っていける筈。冬の間は塒でノンビリ過ごせそうだ。
恐らくこれでもうこの先、此処を襲撃するのは無理だろう。油断しきっている帝都城の膝元からごっそり獲物を頂く、最初で最後の大博打なのだ。
食糧を有りっ丈ソリ付きの荷車に積み込んで先に撤退させると、次に必要なのは金目の物と若い女。とりあえず押し入った民家には老人か子供しか見つからないので、宿を標的にした。
「気を付けろよ、魔術士が潜んでるかもしれねぇぞ!」
片足を引き摺りながら仲間に警戒を促す路地に潜んでいた男。至近距離から攻撃魔術を撃ち込まれた仲間は棄てて来た。もう二度と肩を並べて仕事をする事は無いだろう。
「何人やられた?」
「……三人っす」
坂の上に視線を向けたまま問いかける頭領に、足を引き摺った男は消沈気味に答える。『そうか』と答えた頭領はちらりと男を見ると労うように言った。
「その足じゃ山を滑り降りるのも難しいな」
「だ、大丈夫すよ……片足でも」
「いや、無理だな。――風は集い一刃の斬撃となりて――」
「待ってくれ! た、助け――」
ヒュンッと空気を切る音がして、男の身体が二つに分かれた。市場通りの雪道が真っ赤に染まる。
「まあ、ゆっくり休め。俺の手下に役立たずは必要ねぇからな」
手下だったモノにそう声を掛けると、山賊頭領は坂の上に視線を戻した。
宿の中にいた避難民の中で、フエルト卿の呼びかけに応えたのは五人だった。
この街に住む若い剣士志望の青年と、元帝国軍人の老人、偶々宿に泊まっていた三人の冒険者グループ。フエルト卿を入れると六人、これが味方の全戦力だ。
「帝都城から兵が出て来るまで粘ればなんとかなる、奴等の侵入を阻止すればよい」
フエルト卿が宿へ避難する前に見た山賊の集団は、横並びで五人分程の幅がある山道一杯に二列と数人は見えた。路地に潜んでいた者が他にも居たとして、大凡二十人規模の集団だと推定する。
さらに外から聞えてくる彼等の話し声から、四台か五台の荷車がこの場から引き上げている事を聞き取れた。一台に付き二人が就いたとして約十人前後が残っていると考えられる。
「君達は二人一組で裏口や窓などの侵入されそうな場所を塞いでくれ、私ともう一人は正面の扉を塞ぐ」
三人の冒険者と青年にそう指示したフエルト卿は、老人と共に戸棚やソファーを扉の前に移動させてバリケードを築き始める。冒険者達と青年は一組が二階に向かい、もう一組は一階の裏口へと急いだ。
バリケードを築く間も、山賊達の斧によって宿の扉が打ち崩されていく。扉の真ん中に開いた腕一本通りそうな程の穴から宿の中を覗き込む山賊の顔に、避難民達が悲鳴を上げる。
「――風は集い荒れ狂う渦となりて――」
詠唱を行いながら穴を塞ぐように掌を翳したフエルト卿は、覗き込んでいた山賊の顔面に風の塊りを叩き付けた。
扉の向こうからはもんどり打って転げまわっている山賊の悲鳴が聞える。仕留める事は出来なかったようだが、戦闘不能には出来ただろうと、フエルト卿は淡々とした分析を行いながらバリケードを築く作業を続けた。
「ふむ……奴等の挑発にならんかのう?」
「結果は同じですよ、御老人。敵は倒さねば」
老人の懸念に対し、自ら実践して来た持論を挙げて答えるフエルト卿。老人は『ふむ』と呟くと、特に何か言うでもなく机や椅子を積み上げて行き、やがて扉の穴も見えなくなった。
「斥候と一戦やらかした魔術士か……」
顔を抑えてのたうち回る手下を静かにさせた山賊頭領は、見張りの見張りを他の者に任せると宿の制圧に乗り出した。残った手下十人のうち五人を裏手に回し、三人を二階へと差し向ける。
残り二人は荷車に破城槌代わりの木材を固定して扉から距離を取った場所で配置に就かせた。
「魔術士が二階か裏手に回ったら突入だ。てめぇら、しくじるんじゃねえぞ?」
裏口を蹴破ろうとする音に、冒険者組が避難民から手伝いを募ってバリケードの補強に向かった。物を運んで積む位ならばと戦う術を持たない住民も彼等に従う。
二階からの侵入に備えて部屋の見回りを行う青年と冒険者組みは、壁に取り付くようなを音を聞いてその部屋の窓に注意を払う。テラス等といった洒落た足場の無い安宿な為、二階から侵入するには直接窓の縁に捉まって身体を滑り込まさなくてはならない。
部屋のベッドを立て掛ける等して窓を塞いではいるが、強引に突破できなくは無い為、侵入しようとしている所を発見して撃退するのが一番安全で確実だ。
声を潜めて身を寄せ合う避難民達は、裏口を叩く音や、時折壁から聞こえる何かがぶつかる音に耳を欹てる。
「正面は静かになったのう」
「裏口は陽動かもしれませんな、私は上を見てきます」
「だんなサマ……」
「リリー、お前は避難民達の所に居なさい」
そう言ってフエルト卿が二階へ上がる階段に足を掛けた時、二階の一室から争うような物音が響いた。急いで駆け上がったフエルト卿が扉の開いている部屋に飛び込むと、丁度冒険者と青年が窓から山賊を叩き落した所だった。
「こっちは大丈夫です」
「何人か上から来てますよ」
「分かった」
廊下に出たフエルト卿は然程多くない部屋を見て回る。一番奥の部屋を覗いた時、立て掛けられたベッドが内側に倒されて窓から半分身を捩じ込んでいる山賊と目が合った。
「――風は集い荒れ狂う渦となりて――」
「うぇっ! ちょっとま―― ぎゃああああ」
風の塊りに弾き飛ばされた山賊は、放物線を描いて落ちていった。ベッドのバリケードを組み直したフエルト卿は山賊が落としていった手斧を拾うと、一階へと戻って老人に持たせる。
「おう、気が利くのう。やはり得物が無いとしっくり来んかったわい」
中々の手錬を感じさせる身のこなしで斧を構える老人。例え正面から戦えなくとも、威圧効果は十分にありそうだ。その時、正面扉のバリケードを何かが突き抜けていった。
二階の窓から侵入しようとしていた手下が吹き飛ばされたのを見て、山賊頭領は宿の扉に向かって掌を翳した。荷車を構える手下がタイミングを計るように腰を落とす。
「――風は集い一刃の斬撃となりて――」
風の刃が撃ち出され、バンッと音を立てて扉が割れる。荷車の手下が飛び出し掛けて、あれ? と途惑いながら蹈鞴を踏んだ後、恐る恐る頭領の顔を窺う。
期待していた効果を得られず、舌打ちした山賊頭領はもう一度じっくり魔力を錬ってから詠唱を行った。
「――風は集い一刃の斬撃となりて――」
今度は上手く行ったようだ。錬りこまれた魔力によって発現した風の刃が、扉の向こうのバリケードをも貫通する。が、荷車の手下が出遅れた。
山賊頭領が早く行けと顎で示すと、手下は慌てて破城槌仕様の荷車を押して扉に突貫を掛けた。
「来るぞ! 相手にも魔術士がいるようだ!」
「そのようじゃな、山賊の癖に生意気じゃのう!」
強度を失ったバリケードを突き破って荷車が飛び込んで来る。フエルト卿と老人は扉を正面に左右に分かれると、荷車に取り付いている山賊を一人ずつ仕留めに掛かった。
バリケードの突破で砕片に塗れて顔を俯かせていた山賊は、役目を果たすと同時に倒れた。
「くっ 誰か応援に来てくれぇ!」
「不味い! 入り込まれた!」
「下へ行かせるなっ ここで食い止めるんだ!」
裏口の方から助けを求める声が響く。二階でも戦闘が始まったようだ。
「行ってください」
フエルト卿は老人に裏口の応援に行くよう要請し、老人は頷いて宿の奥へと向かった。
二階で二人倒し、正面で三人、裏口には四人から五人いると見積もって現在二階に侵入しているのが何人かは分からないが、最初の推測通り十人前後が残っていたとすれば、多くて後一人か二人が正面から来ると予測する。
もっと多く残っていたらとは考えない。フエルト卿は城の衛兵はまだかと焦れる思いで二階と裏口の戦況を窺いながら魔力を錬りつつ、風通しの良くなった正面入り口に注意を払った。
それは全くの偶然。吹き込む冷気に僅かな違和感を感じ、戦いの場に身を置いていた頃の研ぎ澄まされた感性が呼び覚まされていたからこその、無意識に放った風の塊り。
「――風は集い荒れ狂う渦となりて――」
違和感に向かって撃ち出された風の塊りは、冷気を裂いて進む風の刃を撃ち抜き、フエルト卿の身体を分断する筈だった風の刃は卿の肩を僅かに切り裂くに止まった。
「ちっ 躱しやがった」
「く……っ 帝国流の風刃魔術か」
肩口から血を流すフエルト卿の姿にリリーが悲鳴を上げる。
「だんなサマ!」
「来るなリリー!」
山賊頭領はリリーとその後ろに固まっている避難民達を見て、口の両端を釣り上げるように笑う。
「おっほぅ! 居るじゃねえの。 コイツは早いとこ片付けて持って帰らねぇとな」
そろそろ城の衛兵が出て来そうだと警戒する山賊頭領が掌を翳して詠唱に入る。すかさずフエルト卿も応戦の詠唱に入った。
「――風は集い一刃の斬撃となりて――」
「――風は集い荒れ狂う渦となりて――」
詠唱速度は殆ど互角。威力も互角で互いに打ち消しあう。しかし、威力が抑えられて強風をぶつけるだけになるフエルト卿の『風の塊り』に対し、山賊頭領の『風の刃』はその性質上、当れば皮膚を裂く程度の威力が残る。
徐々に追い詰められていくフエルト卿は、撃ち合う度に増える切り傷の痛みを無視して打開策を見出そうと知恵を絞る。
『このままではジリ貧だ……何か手段を講じなくては』
魔力を錬りつつ何か良い手は無いかと頭をフル回転させていたフエルト卿の視界の端に、裏口から侵入した山賊の一人が防衛網を突破して避難民達に襲い掛かろうとする光景が映った。
山賊の直ぐ後ろを老人が追っているが、このタイミングでは人質を取られるのが先になる。
フエルト卿は咄嗟にそちらの山賊に向かって風の塊りを放った。横合いからの攻撃で壁に叩きつけられた山賊は、背後からの老人の斧でトドメを刺された。
「だんなサマ!」
「っ!」
ドンッと突き飛ばされたフエルト卿の服の袖を掠めて風の刃が通り抜ける。カウンターに背中をぶつけながら顔を上げたフエルト卿の視線の先で、赤い血飛沫が舞った。
「リリーッ!」
フエルト卿の無事を確かめて安心したような表情を浮かべながら、ゆっくりと崩れ落ちていくリリー。帝国仕様のメイド服が深い斬撃を受けた腹部から赤く染まってゆく。
「ぁあ? 糞っ! 勿体ねぇな」
悪態を吐きながら舌打ちする山賊頭領は掌をフエルト卿に向けると、次の詠唱に入ろうとした。フエルト卿はリリーの傍に駆け寄りたい衝動を抑え込みながら、素早く詠唱を始める。
「――風は集い荒れ狂う渦となりて――」
撃ち出された風の塊りは山賊頭領から大きく外れて天井の板を砕いた。
「はっはぁ! 何処狙ってやがる――風は集い一刃と斬撃となりて――」
「――風は集い彼の者を纏う兜となりて――」
フエルト卿は目眩ましにも使った術で崩れた天井の破片を風に巻き込むと、それを山賊頭領の頭に巻きつけながら床を転がって風の刃を避ける。
距離が近い為、避け切れ無かった部分が切り裂かれて血飛沫が上がった。その切り裂かれた傷も無視して術のコントロールを行い、木片を巻き込んだ風の帯を山賊頭領の顔面に摺りつけた。
「ぶあっ! ぎゃああ!」
木片が顔中に突き刺さり、目潰しを喰らった山賊頭領は顔を覆いながら逃げ出そうとした。
ここで逃がす訳にはいかないと、フエルト卿は傷ついた身体を引き摺って詠唱を行おうとしたが、流石に魔力の限界だったらしく力が上手く纏まらない。
『早く、早く奴を倒さねば!』
何でも良いから何か得物をと手を彷徨わせ、触れたモノを適当に掴んで駆け出したフエルト卿は、駆け寄った勢いのまま山賊頭領を殴りつけた。
「があぁ!」
フエルト卿が掴んだのはカウンターの上に置いてあった花瓶だった。ガシャンッと陶器の割れる音が響き、頭を殴られた山賊頭領は血が滲む顔を片手で覆ったまま腕を振り回す。
「糞っ糞! 野郎っ 畜生ぉ!」
ふら付きながらも出鱈目に腕を振り回す山賊頭領の足を掴んで引き倒そうとしたフエルト卿は、そのまま蹴り飛ばされて尻餅を付いたが、転倒させる事は出来た。
すぐさま飛び掛かって馬乗りになると、山賊頭領の顔面に掌を押し当てる。
「――風は集い――風は集い――風は集い――」
魔術の使い過ぎによる疲労と集中力不足で安定しない術は、攻撃魔術として完成しないが、風を集める事で山賊頭領の肺の空気まで吸い上げる。
呼吸を遮られた山賊頭領は必死にフエルト卿を振り払おうとするが、マウントポジションを取られているので簡単には逃げ出せない。山賊頭領の振り回した棍棒のような腕がフエルト卿の顎を捉える。
「がっ」
「カヒュッ ヒュウ――」
ぐら付いたフエルト卿の詠唱が止まると、空気を求めて笛の音のような呼吸音を響かせる山賊頭領。視界が歪みそうな程揺れる意識に歯を食い縛って耐えたフエルト卿は、握りこんだ左手を振り下ろした。
それはパンチ等ではなく拳骨。握った拳をただ叩き付ける行為。
ゴシャッと山賊頭領の鼻が潰れ、大量の鼻血が気管に流れ込む。フエルト卿は血塗れになった山賊頭領の顔面を両手で押さえ込むと、再び呼吸を奪う詠唱を始める。
「――風は集い――」
山賊頭領が手を引き剥がそうと掻く。それを上から抑えつけるフエルト卿は、呪詛のように詠唱を繰り返した。
「――集い集い集い集い集い――」
バタバタともがき苦しむ山賊頭領は、もはやマトモな抵抗が出来ず腕や脚が痙攣を始める。
「――荒れ狂う渦となりて――」
パンッという何かが破裂するようなくぐもった音が響いて山賊頭領の身体が跳ねる。そして二、三度ビクリと震えたあと、動かなくなった。ゆらりと立ち上がったフエルト卿は床に倒れ付すリリーの傍に歩み寄った。
「リリー……」
「……だ…………な……サ……マ……」
「……医者を……」
傷を治さねば、とフエルト卿は二階や裏口の山賊を片付けて集まって来た仲間に訴える。
しかし、皆は静かに眼を伏せた。丁度その時、城から駆けつけた衛兵が山賊の見張り役や、頭領が倒されたのを見て宿の周囲から逃げ出す山賊の残りを制圧し始めた。
避難民に混じっていた運搬人の男が、満身創痍のフエルト卿を気遣う。
「旦那、アンタの怪我も酷い」
「私はまだ動ける」
リリーの身体を抱え上げたフエルト卿は、医者を求めてふらふらと宿の外に出た。
『そうだ、城へ行けば病院が……精霊神官が居る筈だ』
敵を殺す魔術と陰謀術ばかり磨いてきたフエルト卿は、人を救う術を身に付けなかった事を悔やみながら、帝都城への道を進む。腕に抱いているリリーはぐったりしたまま、生命活動を示す呼吸をしていなかった。
「リリー……、息をしろリリー!」
何か、途轍もない喪失感がフエルト卿の心を押し潰す。彼にとって、こんな感情は初めての事だった。
徐々に温もりが失われ、冷たくなっていくリリーの体温を感じながら、フエルト卿はただ呆然と城を目指した。そして、不意に顔を上げる。
漆黒の翼が、帝都城に降りて行くのが見えた。
『サクヤ殿…… そうだ、彼女なら』
強力な精霊の癒しを行使してどんな傷であっても瞬く間に治癒し、サムズの動乱では死者をも蘇えらせたと聞いた。リリーを抱いて坂を駆け上がろうとするフエルト卿は、足がもつれて転びそうになりながらも雪道の坂に踏み出そうとする。
「旦那っ 乗ってくだせえ!」
ソリ付きの荷車を押して来た運搬人が横に付ける。フエルト卿が素早く乗り込むと、運搬人は全力で坂の雪道を押し上げ始めた。
昨日、帝都の城に魔力石エンジンを持ってきた朔耶は、昼頃からティルファに飛んで石を削る機械の図案(弟案)をブラハミルトに提出し、一泊してから今日の朝方ティルファを出発。今し方、帝都の城に到着した所である。
これから城の職人達と話し合って魔力石エンジンを組み込む『馬なし馬車』の製作に取り掛かろうかという所だった。流石に城の中では造れない為、中庭添いに並ぶ大型機械用の工房を見に下りて来た時、俄かに城門の付近が騒がしくなった。
「何かあったの?」
「ああ、下街に山賊が出たらしい」
「山賊! こんなお城の近くで?」
警護の衛兵を引き連れてバルティアと並び歩く朔耶は、この辺りはそんなに治安が悪いのかと驚いた。
そうではなく、城の膝元にある街が襲撃されるなど誰も予想しておらず、その油断を突かれたと説明する衛兵達に、成る程ねと納得する朔耶。そこに、朔耶の名を叫ぶ声が響いた。
「サクヤ殿ーー!」
中庭にいる皆が声の主を振り返り、眼にした光景。彼方此方切り刻まれてボロボロの貴族服を纏い、自らも傷だらけの身体を引き摺りながら、血濡れの少女を抱いたフエルト卿がヨタヨタと駆けて来る。
「サクヤ殿! この子を、この子を助けてくれ! 頼む」
鬼気迫る勢いで懇願するフエルト卿と、血濡れでぐったりしているメイド服の少女に、朔耶は一瞬眼を瞠って固まった。警護の衛兵達はフエルト卿が皇帝陛下と朔耶に近付く事を阻止しようと隊列を組んで壁になる。
「コースティン殿! 陛下の御前であらせられ――」
「邪魔よ! どいて!」
フエルト卿を諌めようとした衛兵を押し退けて飛び出す朔耶に、慌てて道を開ける衛兵達。一体何事かと、中庭の騒ぎを聞きつけた城の住人達が、窓から顔を出して様子を窺う。
「この子、もう息が……」
「頼む。サクヤ殿は死者をも蘇えらせると聞いた。この子を、リリーを助けてやってくれ」
雪の残る中庭の湿った地面に額を擦りつけて懇願するフエルト卿の姿に、朔耶は戸惑いを覚えながらもメイド服の少女に癒しの光を送り込みながら状態を確かめた。
『まだ死んでからそんなに経ってないよね?』
ウム アノソセイホウデアレバ マニアウカモシレヌ
人の死には早々慣れるモノではない。震える気持ちを奮い立たせて、朔耶はフエルト卿に言葉を掛ける。
「あたしは死んだ人を生き返らせたりは出来ない」
顔を上げたフエルト卿は絶望に色を失くしていた。
「だけど、まだ身体は温かいし、直ぐに処置をすれば間に合うかもしれない」
朔耶は精霊の癒しと心臓マッサージ、人工呼吸の組み合わせによる心肺蘇生法を説明する。朔耶が精霊の癒しと心臓マッサージを担当するので、フエルト卿に人工呼吸を任せた。
「強く吹き込んじゃダメよ? ゆっくりね」
そうして、バルティア皇帝、警護の衛兵、大勢の帝国民達が見守る中、リリーの蘇生処置が行われる。
「一、ニ、三、四……」
癒しの光で腹部の傷も修復しながら心臓マッサージを行い、そっと二度息を吹き込む人工呼吸を繰り返す。何度目かの心臓マッサージと人工呼吸が行われた瞬間、癒しの光がリリーの身体を包み込んだ。
「よしっ 息さえ吹き返せばコッチのもんよ!」
精霊の癒しの出力を上げ、眩しい程の光が朔耶を中心に広がっていく。その範囲内に居たフエルト卿の傷も見る見る癒され、湿った黒土に埋もれていた枯れた芝生が瑞々しい青に染まる。
「こふ……っ はれ? だんなサマ……?」
「リリー!」
おぉ……と周囲からどよめきが上がる。"死んだ少女が生き返った"、"皇帝の黒后は死者復活の儀式を修得している"等々の声が囁かれたが、これらの噂は後に『朔耶の国の医療技術である』と訂正され、帝国内の医療現場や衛生兵達にも伝授されていった。
一仕事終えたぜーと朔耶が立ち上がって伸びをする。リリーを抱擁していたフエルト卿は、そんな朔耶になんと言えば良いのかと声を詰まらせた。
先ずは謝罪からか、それとも感謝からかと逡巡しているフエルト卿に、朔耶は苦笑しながら言葉を向ける。
「ひげ」
「髭……?」
「伸びてるよ」
顎を擦って見せる朔耶につられて、自分の顎を擦ってみるフエルト卿。確かに無精髭が伸びていた。朔耶はくすっと笑って踵を返すと、手や服にべっとりと付いた血を洗い流す為、城内へ向かう。
「有り難うサクヤ殿。すまなかった」
フエルト卿は感謝と謝罪の言葉を述べると、深く礼を取った。後姿のまま、ヒラヒラと手を振って見せる朔耶なのであった。
「だんなサマ、もう一人で歩けますよ?」
「そうか」
リリーを抱えたまま自分の屋敷に向かっていたフエルト卿は、少し気恥ずかしさを感じながら腕から降ろした。じっとフエルト卿を見上げたリリーは、指先でそっと無精髭の顎を撫でる。次いで、自分の唇をなぞった。
「むん?」
「……えへへ」
首を傾げるフエルト卿に、リリーは微笑んで見せる。
「だんなサマ、お腹空きましたねー」
「……ああ、食糧の買出しをやり直さねば」
そう言えばそうだったと、フエルト卿は眉間に皺を寄せる。とりあえず一度戻って着替えて来なくてはならない。それよりも、下街市場の食糧が根こそぎ山賊共に略奪されていた場合、暫らく屋敷では料理を作れない。
「偶には城の食堂にでも行くか」
「あそこ美味しいですよねー」
ほんの数刻前まで瀕死の状態にあったとは思えないノホホンとしたリリーの在り方に、フエルト卿は自然と笑みが零れた。
「お帰りなさいませ」
普段と変わりない執事の出迎え。フエルト卿とリリーの有り様にも全く動じた様子を見せず、ボロボロになったコートを預かる。
「うむ、食糧の買出しは次の機会にする。服を用意してくれ、城の食堂で食事を摂る」
「畏まりました」
フエルト卿とメイドのリリーが屋敷の中に消え、執事によって玄関の扉が閉じられる。
この事件以後、フエルト卿は真に帝国貴族として民に受け入れられる事となるのであった。
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