辺境騎士団本部を出た朔耶は、エバンスの精霊神殿を様子見に訪れた。早朝から数人の熱心な信者がお祈りに来ている様子が窺える。お年寄りから小さな子供まで様々な人がいるようだ。朔耶は礼拝堂の隅っこの席に座って堂内を観察した。
精霊神官を含めてまだ朔耶に気付いている者はいない。ふと足元を見ると、丸められた紙くずが転がっていた。拾い上げて中を開くと、どうやら只の書き損じた書類らしい。礼拝堂の床は埃とゴミで結構散らかっている。
『こういう所からちゃんとやらないとねー』
神社の精霊から同意の意思を感じつつ、朔耶は紙くずを広げて伸ばし、何となく手慰みに折鶴などを折ってみたりするのだった。
「おねえちゃん、それなーに?」
朔耶が紙を折っている様子を、前の椅子の背凭れから顔を出して興味津々に見つめていた六歳くらいの女の子。折りあがった鶴を見てとうとう我慢できなくなり、声を掛けて来たらしい。
「折鶴っていう、紙で作った鳥だよ」
「へ〜」
じ〜〜と、女の子の目は折鶴に釘付けだ。朔耶が苦笑しながら差し出すと『いいの?』と顔を上げる。『いいよ』と頷いて返すと、女の子は嬉しそうに鶴を受け取った。そして『えへへぇ』と微笑みながら大事そうにスカートのポケットに仕舞った。
早朝の礼拝を済ませた人達が神殿を後にする頃、朔耶と女の子のやり取りを見ていた精霊神官が、朔耶の外見的特徴から"サクヤ様御本人"ではないかと確かめにやって来る。
「あの、もしや貴方様は……」
「あ、ども。王室特別査察官の朔耶です」
「おおっ やはり! ようこそいらっしゃいました」
暫らく神官と話をして発展事業の状況や街の様子について情報を仕入れる。やはり治安の維持という面にまだまだ課題が残されると神官は語った。動乱前はサムズの自警団と辺境騎士団が共同で治安維持に努めて居たが、自警団と騎士団で揉め事があったり、犯罪組織との癒着が問題になったりと、今よりも殺伐とした空気があった。
自警団が解散した今は辺境騎士団のみで街の巡回などに当たっているが、それなりに規模の大きい街だけあって、中々手が回らない部分も多い。辺境騎士団の活動範囲に善良な民が集中し、その外側は無法地帯という状況が続いている。
「そっか、これからだね。地道に街を発展させていけば、無法を働く人より普通の住民が増えていって良くなるかも」
「なるほど、確かにそれはいい得てますな」
「じゃあ先ずはこの礼拝堂の掃除から始めてね」
人々の心を癒し教え導く場所がゴミだらけ埃だらけでは話にならないと、朔耶に軽く叱責された神官は、思わず恥ずかしさで顔を真っ赤にして『直ぐ片付けます』と人手を集めに走るのだった。
神殿を出た朔耶はエバンスの工房事情を調べようと、職人通りに向かう。市場と比べると少々物々しい雰囲気でもあり、寂れている雰囲気でもあるエバンスの職人通り。ここに並ぶ工房は小規模から大きくても中規模程度のモノしかない。
元々工業が盛んでは無いエバンスでは工房の需要も低く、傭兵向けに安物の武具を作って日銭を稼いでいた。
しかし、自警団が解散されて傭兵達が居なくなるとさらに需要は減り、人通りも少ない職人通りはすっかり寂れてしまっていた。軒先に並ぶ売れ残りの武具には埃が被っている。朔耶はその内の一軒を覗き込んだ。
「あんた、神殿の者かい?」
「うん、一応関係者かな」
作業台の前で簡易椅子に腰掛けてぼーっと通りを眺めていた工房主らしき男が声を掛けてきた。朔耶の返答を聞いた男は値踏みするように朔耶をねめつけると、ふっと鼻息を吐いて言った。
「ここいらにゃあ、あんた等みたいな御人の興味を引くようなモノはないよ」
買い物なら市場に行きなと街の中心を指し示すが、朔耶は買い物に来た訳ではない事を伝える。
「水道橋が出来ても井戸とかの需要って大事だと思うのよね」
「んん? そりゃ、そうだろうなぁ」
「そこで手押しポンプの出番なわけよ」
「?」
工房の主はこの貴族風の少女の意図を計りかねていた。買い物をするでも無く、冷やかしでも無く、まさかお喋りをしに来た訳でもあるまいにと訝しんだ。
「ねえ、ポンプ作ってみない? 結構売れると思うよ?」
「ポンプってぇと……」
寂れてはいても工房の主、職人として新しい道具や機械類についての情報収集は怠らない。彼はクルストス近郊の集落にある水道橋の見物に向かうティルファから来た研究者達の話の中に、井戸の水を簡単に汲み上げる装置があった事を思い出した。
「そりゃまあ、確かに売れるだろうが、そんな簡単に作れる物でもねぇからなぁ」
「作り方教えてあげる」
ポカンとなる工房主。アレは王都フレグンスのみならず、今やオルドリア大陸中で知られる高名なサクヤ式の考案者が発明した装置だと聞いている。そこいらの弱小工房職人が手を出せるような代物ではない筈だ。
何を言い出すんだという目で朔耶を見上げ、次いでその姿をよくよく観察してハッとなる。黒髪黒瞳に子供のような容姿。フレグンスが国家機密として情報を封鎖している為、謎に包まれているサクヤ式考案者だが、僅かに流出した情報では――
「まさか……」
「あたしはフレグンス王室特別査察官の朔耶、巷で噂のサクヤ式考案者でーす。一応内緒ね?」
手押しポンプの構造はソレほど複雑ではない。仕掛けさえ理解すれば材料と道具を集めて割と簡単に作る事が出来る。朔耶が図に描いて仕組みを説明していると、何時の間にか周囲の工房からも職人達が集まって来て講義に耳を傾けていた。
職人通りの寂れた工房群に活性化を狙って喝を入れてきた朔耶は、昼食を市場通りに面する一般食堂で摂っていた。多少、店内で目立っていたが、貴族用の店は格調高過ぎて入る気になれないし、辺境騎士団本部にはアンバッスがいる。朝の事もあってか、何となく気まずいのだ。
『この辺りの住人は普通に活気あるよね』
シカシ コノマチニハ ソコラカシコカラ アクイトゼツボウ ウエルサケビヲ カンジル
神社の精霊は職人通りから此処へ来る間も、複数の悪意が朔耶に向けられていた事を話す。
朔耶がアマガ村から王都までの旅をした時も、騎士団本部に居てさえアンバッスとレイスが交代で見張りを行わなければならない程のデンジャラスな環境だったのだ。今のエバンスは神殿で聞いたとおり、相当に治安状況が悪いようだった。
昼食を食べ終え、精算を済ませて店を出る。朔耶の一連の行動を、通りの影から見張っている者がいた。如何にもお金を持っていそうな身形の少女に、店の主人が随分と吹っ掛けた値段を請求したのだが、サラッと払っていった朔耶を見てほくそ笑む見張る者。
次は何処へ行こうかと街の通りを歩いていた朔耶は、水道橋建設工事の様子でも見に行こうと、川のある方角に向かって路地を曲がった。二つの人影が直ぐその後を追って路地に入っていく。
「ちょっとまちな」
「?」
呼び止められて朔耶が振り返ると、少年と青年の中間くらいの歳に見える二人組みの若い男がナイフを向けていた。ちょっと路地を曲がった途端に強盗発生という治安の悪さを実感させられた朔耶は、思わず驚きに目を丸くした。
二人組みはそんな朔耶の反応を、恐怖で凍りついたと解釈し、計画の成功を確信した。二人組みが朔耶に近付こうとした瞬間、何処からともなく飛んで来た白い物体が二人組みの顔面に命中する。途端、砂埃が舞った。飛んで来たのは砂が詰められた布袋だった。
「こっちだ」
「え?」
塀の上から飛び降りて来た人影が朔耶の手を取ると、声を掛けて走り出す。
「あ、まて!」
「ちくしょう、またジャックか!」
二人組みから『ジャック』と呼ばれた赤毛の少年に手を引かれて、朔耶は狭い路地を右へ左へと駆け抜ける。ジャック少年の赤毛の尻尾髪が地面を蹴るたび靡くように揺れている。
朔耶は追ってくる二人組みと、自分の手を引いて走る少年に其々視線を向けると、静かに意識の糸を伸ばし始めた。そのまま暫らく走っている内、諦めたのか二人組みの追ってくる気配が消えた。
「もう少し先に良い隠れ家があるんだ、そこでやり過ごそう」
入り組んだ路地を抜けると、表通りとはまるで雰囲気の違う通りに出た。辺りに建ち並ぶ褪せた色の壁と、所々屋根の崩れた建物群は、寂れているというよりも何処か古い街と感じさせる。ここはエバンスの旧市街に当る一角だった。
井戸が遠く、川からも離れているので次第に人が住まなくなった区画である。元々この付近には複数の井戸があったのだが、長い年月を経て大部分が枯れてしまっていた。エバンスの街で最も大きなスラム、サムズ最大の無法地帯でもある。
黙って大人しく付いて来る朔耶の手を引いてジャックが連れて来たのは、元は貴族が住んでいた屋敷の廃屋だった。造りがしっかりした建物なので古くなって手入れがされていなくとも崩れる事無く、荒れ果てた敷地内に佇んでいる。
門は拉げており、屋敷の扉は半分傾いてもう半分が無くなっていた。其処から出入りしているらしい。ジャックが先に入り、中から促されて朔耶が屋敷内に入ると、以外に小奇麗な内装で出迎えられた。
「驚いたろ? 外はボロボロだけどさ、中は結構綺麗に使ってるのさ」
そう言ってジャックが二階に向かって指笛を鳴らす。なんだろうと様子を窺っていた朔耶の前に、ジャックと同年代くらいの少年が三人程、階段の手摺りに乗って滑り降りてきた。
「へえ! 貴族の娘か?」
「上手くやったなぁジャック!」
「まあな」
彼等の会話に首を傾げて見せる朔耶。ジャックを正面にして降りてきた三人が両側から朔耶を取り囲み、背後の出入り口から先程の二人組みがニヤニヤ顔で現れた。種明かしをするようなゼスチャーでぱっと両手を広げて見せるジャック。
「まあ、こういう事だから、有り金ぜんぶ置いてってくれよ。そしたら無事に戻してやるからさ」
徒党を組んでスラムに生きる子供達の犯罪集団。所謂ストリートギャングというヤツだ。彼等は早くから両親を亡くし、或いは捨てられて孤児となった者達である。
この街にも孤児院は存在するが、カースティアの孤児院とは比べ物にならない収容所のような所で、劣悪な環境に押し込められてロクに食事も与えられず、虐待が日常的に行われる様な施設だった。
ソコから逃げ出した子供達がスラムに集まって犯罪組織の一員となり、こうして余所者を襲ったり、表通りで盗みを働いたりして日々の稼ぎを得ている。
ジャックのグループは推定年齢六歳から十六歳で構成される小粒の八人集団だ。朔耶を取り囲んでいる彼等はジャックと同年の十四歳から十六歳、まだ仕事には参加出来ない六歳と八歳の子は留守番やアジトの見張り役である。
その見張り役である六歳と八歳の子が二階の渡り廊下からジャック達に警告を発した。
「だべっくのてしたがきたよ!」
ほぼ同時に、壊れた扉から現われる二人の男。こちらはジャック達のような少年ではなく、立派な成人男性のようだ。尤も、立派なのは身体の成長だけで、その見た目と、恐らくは中身もチンピラそのものといった風体だった。
「だべっくじゃねえ、ダンベック様だ」
「いょうジャック、景気はどうだ?」
「……警告すんのおせーよ」
ジャックは若干眉を顰めて小さく舌打ちした。朔耶に気付いたチンピラ二人はジロジロと下卑たニヤケ顔を浮かべて眺め始める。
彼等はこのスラム一帯を取り仕切る中心的組織の、末端に属する構成員だ。ジャック達のような子供だけで構成された組織は大抵、親組織となる犯罪集団の元締めと繋がっている。
その下部組織として稼ぎの何割かを親組織に納める事で、ジャック達はスラムでの活動が許され、親組織から他グループとの抗争等で支援を受ける事が出来るのだ。
「中々珍しい毛色の見付けたなぁおい」
「結構良い値がつくんじゃねーかぁ?」
「……俺等は人買いとか、やんねーつってるだろ」
「ああ、分かってるさぁ。 俺達に任せとけよ、ちゃーんと分け前はやるからよ」
ジャックが仏頂面になるのを余所に、チンピラ二人は朔耶の買い手を何処にしようかと相談を始めた。親組織に属する彼等の決定に逆らう事は出来ない為、ジャック達にはそれ以上文句を言う事は許されない。
朔耶に向き直ったジャックは、バツが悪そうに表情を曇らせながら少し声を落として言った。
「聞いての通りだ、身体を奪う気はなかったんだが……仕方ない、悪いけど諦めてくれ」
『運が良ければ直ぐ家の者にでも買い戻されるさ』と、慰めにもならない慰めを送る。
「おい、部屋借りるぞ」
チンピラ二人は朔耶を適当な部屋へと引っぱっていった。彼等曰く、商品管理は良い取り引きのコツなのだそうだ。
此処へ連れ込まれた時と同様、やはり大人しく引っぱっていかれる黒髪の少女は、屋敷の一室に消える直前、ちらりとジャックを振り返った。珍しい黒い瞳が哀しそうに伏せられる。
「……ちっ 胸糞悪りぃ」
例えようも無い罪悪感に苛立ちを募らせたジャックは、悪態を吐いて壁を蹴った。『路地の途中で脅しときゃよかった』と後悔しながら屋敷の扉へと向かう。
「ど、どこ行くんだ? ジャック」
親組織の構成員に面と向かって文句を言えるのは、このグループの中ではジャックぐらいのモノで、他の少年達は黙ってじっとしている事しか出来ない。
ジャックを含めグループの仲間は皆、孤児院から逃げ出してきた経緯を持つが、ジャックは孤児院に居た時から虐待を働く院長に歯向かう気概を持っていた。
孤児院を最初に脱走し、仲間が脱走する手引きをしたのもジャックである。故に、グループのリーダーをやっていた。
「終わるまで外にいるんだよ、お前等も嫌な事思い出したく無かったら一緒に来い」
孤児院で経験した虐待は少年達の心にトラウマとして刻まれている。少女の泣き叫ぶ声など好んで聞きたくは無いと、ジャックが屋敷を出ようとしたその時――
「へいたいがいっぱいきたよ!」
その警告とほぼ同時に屋敷の窓が蹴破られ、辺境騎士団の甲冑に身を包んだ騎士達が飛び込んで来た。慌てて仲間の元に駆け寄ったジャックは、硬直している皆を逃がす為に扉へ誘導しようとして振り返る。瞬間、半分しか無い扉が吹き飛んだ。
二振りの長剣を腰溜めに構え、古傷だらけの武張った顔を険しくした熊のような体躯の騎士がのっそり現われる。その騎士の鋭い眼光がジャック達を捉えると、少年等は足が竦んで動けなくなった。騎士が屋敷全体に響くような音量で声を張り上げる。
「サクヤァーー! どこだぁーー!」
「はーい、ここでーす」
屋敷内の緊迫した空気を思いっきり無視するような、のほほんとした声が答える。みると、朔耶が先程引っぱり込まれた部屋の前からヒラヒラと手を振っていた。
朔耶はここへ来るまでの間、神殿の精霊神官に交感を繋いで事の詳細を知らせておいたのだ。場所もリアルタイムで情報を送っていたので、屋敷の外観情報から特定出来た。
最初の路地でジャックが現われた時から、朔耶は意識の糸で表面意識を読み取って彼等の企みを大体把握していたのだ。
「その子達やこの人達から聞き出せば、スラムの犯罪組織も壊滅できるね」
部屋の中ではチンピラ二人が電撃で気絶していた。
チンピラ構成員の二人が取調べを受ける為に連れて行かれた後、朔耶はジャック達と向き合っていた。この場にはアンバッスと彼の部下数人が残っている。
「へへっ…… 騙してたつもりが騙されてたって訳か」
「うーん、そういうつもりは無かったんだけど」
自嘲気味に笑いながらも警戒するように朔耶の事を窺うジャックと、彼の背に隠れるようにして固まっているグループの少年達。その様子を見た朔耶は、彼等に更生を呼びかける。
「へっ まっとうに生きられるならそうしてるさ、俺等みたいなガキだけで生きて行けるほど世の中甘く出来てねーのさ」
「大丈夫だよ、この街にだって孤児院あるんでしょ? 優先的に援助するようにしてるから、そこに入れば――」
「やめとけよ! あんな糞みたいな所、金使うだけ無駄だぜ」
朔耶が孤児院に入るよう諭そうとすると、少年達は顔を強張らせ、ジャックがすかさずその提案に噛み付いた。彼等の反応をみて怪訝に思った朔耶は孤児院の事を詳しく聞き出し、そして絶句した。収容された孤児達は皆、日常的に虐待を受けていたという。
「アンバッスさん……」
「まあ、十分考えられる事だ」
訴えかけるような瞳を向けてくる朔耶に、アンバッスは頷いて答える。強盗や暴漢の犯罪が多いエバンスにおいては、閉鎖的な孤児院内の出来事など目立たなかった為、今まで見過ごされて来たのだ。
脱走した子供達が騎士団本部に訴え出るという事も無かった。これまでの騎士団は自警団と共同で活動していたし、孤児院から逃げ出した子供を自警団の傭兵が保護という名目で捕まえていた例もある。
朔耶は孤児院施設を視察して現院長の更迭を行う事を決意した。元々個人経営ではなくサムズ資本で設立された施設なので、フレグンス高官の国家権力を行使できる。 建物の状態如何では撤去建て替えも行う考えでいた。
夕方になり、二人のチンピラ構成員の取調べで明らかになったスラムを牛耳る中心的組織のボス、ダンベックの所在が明らかになると、アジトを急襲しに辺境騎士団の一個中隊が出動していった。
「さて、あたし達は孤児院の方へ行くわよ」
「ほんとに、スラム潰す気なのか……」
数十人の騎士達が完全武装でスラムに向かう様を呆然と見送るジャック達は、今まで暗澹としていたエバンスの街が大きく変わり始めている事を実感していた。
薄汚れた高い塀に囲まれた建物。窓は嵌め殺しで鉄格子まで付いている。重厚な門は侵入者を拒むように閉じられていた。
孤児院と呼ぶには些か物々しい雰囲気の施設。アンバッスを含む数人の騎士と少年達を連れ立ってやって来た朔耶は、ジャック達を門の外に待たせて中に入ってみる事にした。 力尽くで。
ゴガアアアアン という凄まじい轟音を響かせて鉄の扉を雷撃で吹き飛ばす朔耶に、ジャック達が顔を引き攣らせた。同行の騎士達も同じく頬を引き攣らせると、思わず隊長のアンバッスに視線を向ける。
片眉を上げ、あんま気にするなと言わんばかりの飄々とした表情を返された騎士達は、数日前に突然クルストスから赴任してきた上司、田舎者騎士だと思っていたアンバッス中隊長に心底、尊敬の念を抱いたのだった。
一方、門を吹き飛ばされた孤児院の院長は、数人の少年達と騎士の姿を見て『告発されたか』と慌てたが、騎士が数人しかいない事に気付くと、用心棒を十人ほど引き連れて施設の入り口に立ちはだかった。
「ちょっとちょっと、困りますねぇこんな乱暴な事をされちゃあ。うちは孤児達を預かる施設ですよ?」
朔耶達の前に現われた院長はでっぷりと肥えている、という事もなく、どちらかと言えば痩せぎすでヒョロっとしており、神経質そうな印象を感じさせる背の高い初老の男だった。朔耶が代表で用件を告げる。
「フレグンス王室特別査察官の朔耶です、この孤児院で虐待が行われていると聞いて視察にきました」
院長は子供にしか見えない朔耶の口上に怪訝な表情を浮かべたが、"王室特別査察官のサクヤ"と言えば、最近街の発展開発事業に出資している神殿の出資者である事に思い至り、援助を引き出すチャンスとばかりに満面の笑みで応対を始めた。
施設の中を見せるよう要求する朔耶に対し、院長は今は何かと散らかっているのでまた後日にでもと言いながら朔耶に何かを握らせる。開いて見ると、それは金貨だった。
「これは?」
「いやいや、今回はあまり持ち合わせもありませんで、次回はそれなりの御持て成しが出来るかと」
揉み手の院長に『これはダメだ』と見切りを付けた朔耶は、振り返ってアンバッスに金貨を渡す。
「アンバッスさん、贈賄の現行犯で拘束してあげて。 これ、証拠品」
「うむ」
「!っ な、何をおっしゃいますやら! ええいっ放せ! お前達何をやってる! 私を助けんか!」
カカカアァアアアン
成り行きを傍観していた用心棒達は、院長の要請に短剣を抜こうとした瞬間、一瞬の閃光と乾いた音を響かせた電撃に意識を飛ばされ、崩れ落ちた。
用心棒の動きに警戒していた騎士達はまたも唖然としてアンバッス隊長に視線を向けるが、いいから仕事しろと言わんばかりに顔を顰める隊長の動じなさっぷりに、自然と気持ちが落ち着いていった。
クルストスやカースティアの噂に聞く『フレグンスの戦女神』という存在を実感しながら、気絶している用心棒を拘束していく。
施設の中は酷い状態だった。殆どの子供が栄養失調に陥っており、不衛生な環境で病気を患っている子供も多い。
小さい子供はベッドも無い部屋に八人程が押し込められていて、成長するに従って相部屋する人数が少なく設定されているようだが、同じ規模の部屋に五人から押し込められていた子達もいれば、一人で個室を使っている子もいる。
個室の子供は比較的小奇麗な格好をしており、食事状況も他の子達と比べると幾分マシなようだった。一つ一つ部屋を回っては動ける子供達を施設の外に出し、神殿の仮設区画に一時受け入れしようという方向で話を進める。
病気で動けない子供には朔耶が精霊の癒しを使って回復させた。それでも手足が弱り、一人では歩行も困難な子供達には神殿から応援を呼んで運んで貰う。外に出られた子供達は院長の姿を見て怯えたが、拘束されている事が分かると安堵の表情を見せた。
夕暮れの西日が差す個室の一つを覗き込んだ朔耶は、誰もいない部屋の様子を見渡してふと、床に落ちているモノが目に付いた。
「これって……」
朔耶はそれを拾って施設の外に出ると、門の所で不貞腐れている院長に訊ねる。
「コレを持ってた子は?」
無人だった個室の番号とその子の特徴を上げて問い質すも、院長は知らぬ存ぜぬで通し、元々あの部屋は空き部屋だったと語ったが、生活臭の残るあの部屋に人が住んでいた事は間違いない。
部屋に落ちていたのは書き損じの書類で作られた折鶴。朝、神殿の礼拝堂で朔耶が女の子にプレゼントしたモノだった。
「売られたのさ」
白を切り通そうとする院長に、朔耶は意図して隠そうとする相手にはあまり効果は望めなくとも、表面意識を読んで手掛かりを掴もうかと検討していた所に、横合いからジャックが口を出してきた。院長が青褪める。
朝、神殿の礼拝に行かせるのは売りに出す合図だという。礼拝堂には買い手がいて、そこで商品を見定めるのだとジャックは説明した。取引先はキトの闇業者。
「施設にいなくて朝神殿で見たんなら、売られたんだ」
フレグンスでは奴隷制度を禁じ、人身売買は厳罰の対象と定めている。だがキトでは何でも商品として扱われる。川を渡った先はキトの領地なので、商談はそこで成立すればフレグンスの法には触れ無いと、開き直った院長は主張した。
「その金でこいつ等を養ってるんだ! コレまでずっとそうやって来た事だっ 何が悪い!」
「……少し黙れ」
喚き散らす院長にアンバッスは一言威嚇して黙らせると、先程から黙って俯いている朔耶の様子を窺った。夕日も沈み、辺りは一気に夜の帳が訪れる。朔耶の言う女の子の足取りを追う手立ては無い。
やはりショックを受けているのだろうと、アンバッスが気遣いの声を掛けようとした時、朔耶はバッと顔を上げて呟いた。
「見付けた…… あの子、交感能力があったんだ」
ジャックの話を聞いてから、神社の精霊の補佐を受けつつ意識の糸を全開にして街周辺を探っていた朔耶は、小さな糸を見つけてそれに触れた。それはハッキリとした意識ではなかったが、確かにあの女の子の意識だったのだ。
相手の交感能力が低すぎる為、会話は不可能だったが、女の子の感情や独り言の類をボンヤリと掴む事は出来た。位置は既に川を渡った先を徒歩で移動中。
朔耶の身体が魔力のオーラに包まれ、背中から巨大な漆黒の翼が噴出した。凄まじい風が巻き起こり、吹き飛ばされそうになったジャックが慌てて門にしがみ付く。 蒼く光る朔耶の瞳に一睨みされて腰を抜かす院長。
「アンバッスさん、あとお願いね」
「おう、気をつけて行ってこい」
漆黒の翼がエバンスの夜空に舞った。
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