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戦女神編
57話:孤児院の娘




「今から行くのか?」
「うん」

 まだ薄暗く肌寒い空気の漂う中、飲みかけの缶コーヒを一口含んで朔耶の後に続く拓朗。この日は幼馴染の拓朗も転移の瞬間に立ち会う為に、早朝から都築宅を訪れていた。

「それじゃ、いってきま-す」
「おうー気をつけてな」

 友人二人と街で遊んだ日から四日後、何時もの動き易い格好で自宅の庭先に出た朔耶はオルドリア大陸に転移した。目の前で音もなくスッと消える朔耶に、拓朗は一瞬目を瞠る。

「ほんとに、エフェクトも何もなしに行き成り消えるんだな……」
「帰ってくる時もイキナリだからな、あの円の中には入るなよ?」

 兄、重雄(しげお)の指し示す朔耶の立っていた場所には、転移場所の印として円が描かれていた。






「ここは何処かな~?」

 まだ薄っすらと星が見える空。朝焼けに輝き始めた金色の雲が遠くに見える。立ち並ぶ街灯の先に白亜のテラスと大きな階段。

『って、お城じゃん!』
コンカイハトクニ ケハイガツヨカッタ

 前回と同じくフレグンスの精霊の気配を目指して転移したらしく、最も気配の強い場所が城周辺だったという。王族の血と盟約を結ぶフレグンスの精霊が城に近い場所にいる事に納得しつつ、朔耶はせっかく城に来たのだからと少し立ち寄って行く事にした。
 珍しく城の入り口から現われた朔耶に、衛兵は別の意味で目を丸くするのだった。


『おっはよーレティ、起きてる?』
――サクヤ? おはようございます、丁度お茶を頂いていたところです――
『そっか、これから祈りの儀式だっけ?』
――はい、最近になってようやくサクヤが重なっていた精霊を感じられるようになりました――

 成る程それで城の近くにいたのかと、朔耶はフレグンスの精霊がレティレスティアと交感を繋ぐ日も近いのではと感じた。暫らく城内をぶらぶら歩いて過ごした朔耶は、儀式に向かうレティレスティアが降りてきたので地下神殿まで一緒に行く事にする。

 朔耶が一緒という事でいつもゾロゾロ付いて来る護衛の騎士やら神官達には外して貰った。普段なら粛々と神殿に向かうだけの道程を、今日に限ってはお喋りをしながら楽しく歩いて行く。

 途中、他愛無い話からイーリスの事が話題に上がり、ああいう真面目で奥手な男には積極的に行かないと進展しないのではという話の流れで『迫っちゃえ』と(けしか)ける朔耶に『母様にも同じ事を言われました』とレティレスティアは軽く溜め息をついた。


「じ~~」
「もぅ、サクヤったらまた……そんなに見つめないで下さい」

 地下で儀式用の薄い衣に着替えたレティレスティアを『ええ身体しとるなぁ』とおっさん目線で見つめる朔耶。恥ずかしがるレティレスティアが抗議するも、その仕草が一々可愛らしい。一度視られる事への羞恥を覚えてしまった為か過剰に反応する。

「そういうとこイーリスに見せたら一発な気がするけどなぁ」
「そんなっ こ、こんな格好で……無理です、恥ずかしいです」

「ふーむ、イーリスとレティにもレイスとフレイの十分の一でいいから積極性があればなぁ……」

 あの二人は人の目がなければあっちでイチャイチャこっちでイチャイチャ、イチャイチャ三昧だと評する朔耶に、レティレスティアも赤くなりながら小さく頷いて同意した。 どうやら城内で二人のイチャイチャを目撃した事があるらしい。

 そんな調子でからかい半分、可愛がり半分、楽しみながら地下神殿までレティレスティアを送った朔耶は、そこで別れて地上に向う。今日もカースティア観光事業関連で色々と飛び回る予定であった。

「う~~ん、なんか遣り甲斐があるというか、気持ちが充実してくるなぁ」


 カースティアに飛ぶ前にしておかなくてはならない事を思い出し、朔耶は王宮区画にある兵舎に向かった。合同訓練中の近衛騎士団と聖騎士団の集団を見つけたので、彼等の中にイーリスの姿を探して訓練場の外から様子を窺う。

「あ、いたいた」

 三人一組で模擬戦をしているグループの中に、団長、副団長クラスで構成された集団があり、その中で訓練用の槍を豪快且つ繊細に振り回しているイーリスの姿。回転運動から突きに変化すると、そこから相手の武器を絡め取るような繊細な槍捌きで攻め立てる。

 対戦相手の聖騎士団長も盾を駆使して必死に捌いていた。そうして暫らく攻防が続いていたが、訓練終了を告げる鐘の音を合図に両者は動きを止めた。聖騎士団長が息をつきながらイーリスに声を掛ける。

「今日は何時ものキレがありませんでしたね」
「いや、そちらの腕も上がっているという事でしょう」

 互いに息を整えながら聖騎士団長とそんな言葉を交わすイーリス。兜を脱いだ聖騎士団長は頬に張り付いた金髪を梳きながら額の汗を拭った。フューリ・テレシア聖騎士団長。聖騎士団の中では近衛騎士団長イーリスと唯一まともに打ち合える腕を持つ女性騎士である。

「随分と腕を上げた事を実感しますよ、私もうかうかしていられません」

 少し彫りの深い美しいというよりも凛々しい顔立ちをしたフューリ団長は、イーリス団長の言葉に敬意と喜びの念が籠もった澄んだ青い瞳を向けて微笑んだ。

「イーリス~」

 そこへ小さく手を振りながらやって来る朔耶。甲冑を着けた大勢の騎士達が居並ぶ足場の悪い訓練場を、泥の塊を避けながらちょこまか歩いて来る小柄な姿は、まるで子犬のように見えた。

 近衛騎士団は少なからず朔耶と行動を共にしたりと交流も盛んだったので『おーサクヤ様だ』とか『相変わらず小さいな』などの声が囁かれては和んでいたが、聖騎士団の騎士達は殆ど面識が無かった為、噂に聞く"黒髪の戦女神"の登場で緊張した空気に包まれた。

「サクヤ殿、どうなされました?」
「うん、ちょっとイーリスに進言する事があったの」

 この場合、朔耶の方が立場的には上なので『進言』と表現するのは不適切なのだが、朔耶は心情的に自分にとってよく分からない騎士団のやり方に口出しする事になるので、そういう表現を使った。

 訝しむイーリスに、朔耶は弟の言った『仕事を任せられる優秀な信頼のおける部下の養成』を伝える。

「イーリスが忙しすぎるのは何でもかんでも自分で背負い込んでるせいだと思うのよね」
「否定はしませんが、しかし重要な仕事ですので……」
「だから、その重要な仕事を任せられる部下を養成する事から始めましょうって話よ」
「……しかし、それは」

 イーリスが考えているであろう事を先読みして『別にサボる為に部下を使えって言ってる訳じゃないよ』と差し込むと、一瞬ハッとした表情をみせる。朔耶は成る程これは真面目の塊だと、弟の読みの冴えに感心した。そうして決め手の口説き文句を告げる。

「もうちょっと、部下の事を信頼してあげたら?」
「っ!」

 朔耶の一言に愕然とした表情で立ち尽くすイーリス。実際には部下を信頼していない、などということは無いのだが、真面目で責任感の強いイーリスだからこそ『私は部下を信頼していなかったのか!』と目から鱗が落ちたらしい衝撃を受けていた。

「そうですね……将来の事を考えれば、部下のそういう方面の能力を鍛える事も必要でした」

 進言を真摯に受け止めるイーリスに、朔耶はこれはこれで今度は部下の養成にかまけてレティレスティアと会う時間が取れなくなるのではとの危惧を抱く。なのでレティレスティアの話題も少し振っておく事にした。

「レティって結構胸おっきいよね、肌も白くて綺麗だし」
「ぶふっ! い、いきなり何を……!」

 団長としての在り方に対する口添えに深く感銘を受けていた所へ唐突な話題転換、しかも王族をネタに性的な意味合いを含む身体的特徴についてなど、通常なら不敬の謗りを受けるようなあり得ない話題の振り方にイーリスは声を詰まらせた。

「ゴホンッ サクヤ殿には、もう少し慎みを持って頂きたい」
「ふ~~ん」

 ぐぐっと眼を覗き込むように顔を寄せる朔耶に、たじろいで身を引くイーリス。朔耶の黒い瞳に見つめられると胸の内を見透かされるような気分になって落ち着かないのだ。先程の朔耶の言葉に思わず想像してしまった事を見咎められるような気がして眼を逸らす。

 そんなイーリスからひょいと視線をずらした朔耶は、後ろに立っていた女性騎士に声を掛けた。

「イーリスと打ち合えるなんて、凄いね」
「え……い、いえ! 勿体無いお言葉です」

 フューリはまさか声を掛けて貰えるとは思っていなかったので、慌てて背筋を伸ばすと聖騎士団長として応対した。

 精霊神殿に属する聖騎士団は王国騎士団と同格だが、近衛騎士団と同じく指揮系統が独立しており、精霊神殿の意向が尊重されるので王権も無理な介入は出来ない特殊な立場にある騎士団である。

 精霊の力を精霊の如く振るう朔耶は精霊神殿にとっても崇め称えるに値する象徴的存在であり、精霊術を駆使して戦う聖騎士達からすれば、まさに憧れの対象でもあった。

 ちなみにレティレスティアが個人的に聖騎士団を動かせるのも、レティレスティアの精霊術の才による神殿内の地位によるものだ。それ故にアルサレナも聖騎士団を割と自由に動かす事が出来るが、カイゼル王は思いのままにとはいかない仕組みになっている。


「さて……それじゃあ、あたしもう行くね」

 二歩、三歩と下がってイーリス達から距離を取ると、魔力のオーラを纏いながら漆黒の翼を噴出する。どよめきが上がる訓練場に癒しの光が溢れた。合同訓練で酷使された騎士達の身体が癒されていく。

「以上、特別査察官からの特別サービスでした~」

 そんな台詞を残して朔耶は王都の空へと舞い上がり、カースティアを目指して飛んでいった。近衛騎士達は相変わらず気さくで面白い方だなぁと談笑しあい、聖騎士達は噂に聞いていた癒しの光を受けられた事と、その強力な治癒力に感動していた。






「ポンプ、ちゃんと届いてるかなぁ」

 三時間半程でカースティアに到着した朔耶は騎士団本部の屋上に着陸すると、一階の受付を目指して建物内をてくてく歩く。途中、擦れ違う職員や騎士達が不意を突くように現われた朔耶に表情を凍らせて壁際に避けるなど、相も変わらずな畏怖っぷりを見せたが。

『なんか慣れたね~』
サクヤガ サキニ ナレテシマッタカ

 騎士達が朔耶に慣れる前に、朔耶の方が騎士達の反応に慣れてしまった。 しかし、そのお蔭で朔耶はより自然体な在り方で周囲と接するようになり、騎士達の畏怖の払拭を早める事になるのだが、この時はそんな流れに気付く由もなかったのであった。


「ようサクヤ、相変わらず急に現われるな」
「ガリウス、まだ受付に座ってんの?」
「ああ、ここの担当が復帰するから俺は今日までだぜ。 そういや王都から荷物が届いてたぞ、なんだありゃ?」

 そう言ってガリウスはフロアの隅に積んである荷物を指した。朔耶は荷物の中身を確認すると、早速ポンプの設置に取りかかろうと周囲を見渡す。

『ガリウスはどうせ面倒くさがって手伝わないだろうし、受付係りだから外せないよね』

 半分木製とはいえ手押しポンプは結構な重さがある。一人で作業をするには少々辛いので誰か暇そうにしている者はいないかと、朔耶は作業の助手に引っぱっていけそうな人材を探し、適当に目を付けた騎士に声を掛けた。

「そこの人、ちょっと手伝って」
「! じ、自分がで……ありますか?」
「そうだけど、忙しいの?」
「あ、いえっ その、自分は別に、特にあの」

 目をつけられてしまった事に狼狽しながらも拒否する事も出来ずオタオタしている騎士。ガリウスがニヤニヤと軽薄な笑みを向けると馬鹿にされたと思ったのか、覚悟を決めたように表情を引き締めて姿勢を正した。

「お、お手伝いさせて頂きます!」
「そう、よろしくねー」




 設置したポンプで水を汲み上げ、具合を確かめる。おっかなびっくり作業を手伝った騎士は、最初こそやたらと緊張していたが、朔耶の気さくさに触れて作業が終わる頃にはすっかり打ち解けていた。

「いいですね、これ」
「便利でしょ? 他の人達にも使い方教えてあげてね」

 本部内には湯浴み場もあるのでシャワーも設置させようかと検討しながら、朔耶は一階のロビーに戻った。出て行くときは緊張で顔色を失っていた騎士が朔耶と談笑しながら戻って来た事で、他の職員や騎士達は一様に目を丸くさせていた。


「終わったか? 観光事業の下準備報告が上がってんだが、……聞くか?」
「当然っ! で、どんな感じ?」

 ガリウスは朔耶が作業で出掛けている間に纏めた観光事業関連の書類を揃えて報告する。観光事業で必要な人員の手配や施設建設に向けた下準備の進行具合など、フランとスラントが集めて提出した書類を読み上げた。

「ふんふん……施設とかの建設は上手くいってるみたいだけど、人員の確保が不安定なわけね」
「まあ、儲かるかどうか分からねぇ内からほいほい協力してくれる奴も、そうはいねぇからな」
「そうだね、その辺りはあたしが直接回って話しつけてみるよ」
「ほぅ、特別査察官殿自ら足を運ぶってか。今更だがお前、本当に変わってんなぁ」

 からかうような口調で面白そうにそんな事をいうガリウスに、朔耶はルティレイフィアがガリウスの働きぶりに関して評価していた事を思い出した。

「アンタもしっかり協力してよね、ルティも期待してたよ?」
「ルティ……? って、まさか……」 

 書類をひらひらさせていた手を止めて怪訝な表情になるガリウス。

「ルティレイフィア第二王女様」
「げっ、姫さん帰国してんのか!」

 あからさまに嫌そうな顔をするガリウスに、今度は朔耶が怪訝な表情になった。

 ガリウス曰く、顔を合わせば手合わせを挑まれ、剣術も中々に達者な腕前でありながら魔術と精霊術も絡めてくる上に、実戦慣れした剣の軌道で来るから本気(マジ)で手強い。視界に入ると必ず絡まれるのだそうだ。

「絶対囮に使った事を根に持たれてるぜ……」

 どうにも苦手なんだよなぁとガリウスは眉を顰めながら頭を掻いた。

「なんというツンデレ」
「なんだそりゃ?」
「こっちの話よ」

 朔耶はガリウスがルティレイフィアに苦手意識を持っている事にも驚いたが、それよりもルティレイフィアの写真を見て特徴を伝えただけでツンデレを見抜いた実兄に驚いた。

 ルティレイフィアに対する朔耶のイメージでは、ガリウスの前に出れば普段の勇ましさや凛々しさが影を潜めて"もじもじ乙女モード"になると思っていたからだ。別の意味でガンガン攻めていたとは思いも寄らない朔耶だった。

「屋形船作戦にも第二案が必要ね……」






 昼からは釣り船観光事業に参加を表明してくれている、或いは保留している宿屋に挨拶をして回る。釣り船と連動して客の釣った魚を料理にして食事に出す、他の客達との作り分けや不測の事態に対応できる体制作りが必要になる為、コストも掛かる。

 経営に余裕があり、貴族も利用できるそれなりに立派な宿でなくてはならないという条件もそこそこに厳しい。協力してくれる宿にはサクヤ式コンロの提供を予定している事を伝えると、交渉にもかなり前向きな姿勢を向けてくるようになった。

「お噂は予々(かねがね)聞き及んでおりました、実際にとある貴族邸にて拝見した事もありますが、あれは良いものです」


 宿屋を回り終えると、次は湖周辺の集落に住む漁師達の中で協力してくれる人の家々を回って話を聞いておく。夜の操業も可能か、何日連続で仕事が出来るか等、給金の交渉なども行う。

「俺たちゃあ雨だろうが夜だろうが船は出せるけんどもよ、漁より儲からにゃあやってられんけんね」

 船長、料理人、補佐の構成は大体家族の多い漁師の家で家族単位での契約となる。そうして漁師達にも協力を取り付けていった。






「ふう~、これで宿と人員の確保は大体揃ったかなー」

 夕方頃、交渉を終えて湖から街に戻って来た朔耶が本部に入ると、受け付け前で何やら問答が起きていた。
 受け付けにガリウスの姿は無く、代わりに見知らぬ職員が詰めている。朔耶は昼前にガリウスから聞いた『ここの担当が復帰する』という言葉を思い出して納得した。

 その担当職員は受け付けカウンターに縋りつく街の住人らしき人物に困った表情を向けながら何かを諭していた。一体何を揉めているのだろうかと、朔耶は受け付けに近付いて耳を傾ける。

「お願いします、もう明日の食べ物もないんです」
「ですから、こっちにも資金に余裕がないんですよ」

「ねえ、どうしたの?」

 朔耶が声を掛けると、担当職員は声を掛けてきた相手に気付いて顔を引き攣らせた。助けを求めるように周囲の職員や騎士達へ視線を向けるも、皆忙しく動き回っており、誰もその視線に気付かない。その実、気付かない振りをしているのだが。

「ねえ……、ど・う・し・た・の? って聞いてるんだけど」

 もう一度ゆっくり訪ねる朔耶。一瞬ざわりとフロア内の喧騒が静まり返る。受け付け担当職員は復帰早々に見舞われたトラブルと災難に泣きそうな思いで説明を始めた。

「じ、実は此方の方が、騎士団に資金援助をもひっ……申し出られられれますして……」

 舌が回ってないようだが内容は至ってシンプルだった為、問題なく伝わった。
 見ると魔術士のローブを出来るところまで地味にした一見ボロを纏っているかのような装いの、年の頃は二十歳過ぎに見える灰色の髪に薄い翠眼の女性が、縋る勢いでカウンターにへばり付いていた。

「えーと、貴女のお名前は?」
「は、はい? えと……」
「あたしは朔耶。 一応ここの関係者だから、あたしが話を聞くよ」
「はぁ……あの、わたしはこの街で孤児院を預かっているアマレストと言います」

 彼女の話によると、彼女自身もその孤児院の出身者であり、院長先生の見よう見まねで覚えた(つたな)い魔術を駆使しながら孤児院の子達とも一緒に石売りなどで生計を立てていたが、院長が高齢で亡くなってからは孤児院の経営も上手く行かず資金は減る一方。

 そして和平会談襲撃事件が起きた夜に押し入って来た武装集団によって院内を荒らされ、院長が残してくれた財産が略奪されてからは経営も完全に立ち行かなくなり、明日食べる食料にも事欠く有り様だという。

「あの襲撃事件の後、両親を失った孤児達が大勢うちへ預けられに来ました。 でも……」

 孤児院への援助は殆どなく、このままではあの子達を飢え死にさせてしまうとアマレストは必死に窮状を訴えた。

「ふーむ、その孤児院の規模と状態は?」

 朔耶が職員に訊ねる。以前、ガリウスが意見書の束を整理していた時にちらっと見かけた中で、孤児院の資金援助を乞う内容のモノがあった事を、朔耶はうっすら覚えていた。

 職員は書類を片っ端から引っくり返しながら『記録の担当が~』とか『要望申請書の控えが~』と唸っている。どうやら把握出来ていないらしい。

「じゃあ直接見に行きましょうか。アマレストさん、案内してくれる?」
「あ……、はい」

 何故かがっくりと落ち込んだ様子でとぼとぼと騎士団本部を出るアマレストに付いてカースティアの街に出る朔耶。すっかり日も沈み、建物の窓明かりや商店の入り口に付けられているランタンが街の通りを僅かに照らし出している。

 繁華街となる通りは人通りも多く賑やかだが、アマレスト達の孤児院は裏通りの外れにある郊外ぎりぎりの静かな区画にある。朔耶は後で食料の買い出しに行く事になるかもしれないと、市場の位置を確認しておいた。実はあまり街中を歩き回った事がないのだ。


 アマレストは心中、失意と悲嘆に暮れていた。何とか子供達を援けて貰おうと怖いのを我慢して騎士団本部に直接陳情に行き、受け付けの職員相手に粘ってみたモノの、これでは結局体よく追い返されたようなものだ。

 職員の対応から見て、この異国風の少女は高い身分にあるフレグンス貴族の令嬢か、或いは騎士団本部の偉い人に関係する人物なのだろう。この少女が孤児院の現状を見て何処まで口添えしてくれるかは分からないが、少しでも情けを掛けて貰えるよう精霊に祈る。

『みんな、ごめんね……』

 暗い裏通りの外れにポツンと建つ、窓に明かりさえ灯っていない孤児院の外観が見えて来る。今日も子供達に食事をさせてやる事は出来そうにない。『いよいよとなれば、もうこの身を売るしかない』と、アマレストは悲壮な覚悟と向き合っていた。


「ここです……」
「え、ここっ?」

 アマレストが立ち止まり、見上げる視線で示した建物。そこそこ大きな古い屋敷。だが入り口の扉は壊れ、明かりも灯されず真っ暗で静まり返っており、壁に開いた大きな穴が継ぎ接ぎの布で塞がれている。朔耶は只の廃屋かと思っていたので面食らった。

「な、なんか、人の気配がしないんだけど……」 
「押し入ってきた人達に調度品やランプの類まで盗まれてしまって……、わたしや子供達は地下に隠れていたので無事でしたけど」
 
 廃墟のような建物を哀しげに見詰めながら説明するアマレスト。朔耶は意識の糸を伸ばして建物内を探り、奥の方に固まっている十数人の存在を確認した。

『これは……建物の修繕費くらいまでなら支援しようと思ったけど、そんな状況じゃないね』
ナカノモノ ミナ ウエテオルナ

「ん? サクヤじゃねえか、何やってんだこんな所で」

 自分の工房から何処まで支援出来るかと考えていた朔耶によく知った声が掛かる。通りの向こうからカンテラをぶら下げたガリウスが部下の面長騎士、クランドルと連れ立って歩いて来た。

「ガリウスこそ、何してんのよ?」
「見回りだ見回り、今くらいが一番治安悪いんだ」
「最近、市場で盗みを働く者がこの辺りによく逃げ込むと聞いてな……」

 クランドルの言葉に一瞬表情を青褪めさせたアマレストは、彼等の目が朔耶に向いていた事で内心安堵の溜め息を付いた。その朔耶はガリウス達に孤児院の窮状を話し、援助の申請について訊ねていた。

「申請はしてるんだがな、ホラ、この前サクヤに持たせた書類の束があったろ?」
「ああ、あの中にあったんだ?」

 結果はこの現状を見たまま、予想通りだとばかりにガリウスは肩を竦めて見せる。そうして朔耶と騎士が話し込む様子を窺っていたアマレストに声を掛けた。

「つーわけだからよ、騎士団からの資金援助は無理なんだわ」
「あ、はい……そうでしたか……」
「まあ、俺んちが門閥なんで俺が個人的にって手もあるんだが……」
「えっ! ほ、本当ですか」

 ぱっと顔を上げて縋るような瞳を向けるアマレスト。ガリウスの実家は中流以下の貴族達が上流貴族への窓口として交流を持ちたがる門戸の広い事で有名な門閥ジャバール家である。

 騎士としてのガリウス個人が稼ぐ資産など微々たるモノだが、ジャバール家の次男として実家に金の工面を要求すれば相当な金額が用意されるだろう。 ガリウス自身は普段、思うところあって実家からの送金を拒否しているのだが。

「それなりの代償は、貰う事になるぜ……?」

 そう言ってアマレストに近付いたガリウスは、彼女の顎を指でくいっと持ち上げる。思わず首を竦めたアマレストだったが、その言葉の意味を理解してゆっくり肩の力を抜くと、涙を浮かべながら覚悟を決めたように頷いた。

 子供達の為だからと自分に言い聞かせ、震えながら眼を閉じる。既にそういう方面での覚悟とも向かい合っていた身だ、門閥貴族からの援助が受けられるなら孤児院も安泰。アマレストは二十三年間、貧しくとも清楚に守り抜いた貞操を捧げようとしていた。

「うわーー! 待て待て! 冗談だ冗談っ 冗談に決まってるだろーーが!」

 突然、恐怖の叫びをあげながら後退っていくガリウスに、アマレストはキョトンとした表情を向けた。そして後方から放たれる威圧感と周囲を照らし出す青白い光に振り返ると、巨大な漆黒の翼に雷光を纏わせた悪魔が浮いていた。

 カカカアァアアン!

「ぎゃーーーーっ」
「……アホだな」

 漆黒の翼から放たれた雷に打たれる不良騎士の悲鳴とその部下の呟きを聞きながら、アマレストはバッタリ倒れて意識を手放した。




「んん……」

 孤児院の中庭にあるベンチに横たわっていたアマレストは、香ばしい匂いに空腹が刺激されて目を覚ました。子供達のキャッキャッとはしゃぐ嬉しそうな声に身体を起こして周囲を見渡す。

「あ! お姉ちゃん先生が起きたよー!」
「姉ちゃん先生ーっ 先生もシチュー食べなよ!」
「すっごく美味しいんだよ! 一杯あるんだ!」

 皆口々にそう言いながら肉や野菜の浮く白っぽいシチューが入った容器を持ってきてくれた。アマレストは現状を理解できず、まだボンヤリした意識のまま孤児院の食堂には置いてなかった筈の容器を受け取り、中のシチューを一口食べた。

「美味しい……」
「そりゃ良かったわ」

 ふと顔を上げると、黒髪の少女がニコニコと微笑みながらそこに立っていた。その黒い瞳を見るうち、意識を失う直前の記憶が蘇えったアマレストは見る見る青褪めていく。

「あ……、あわわっ 悪魔が! 黒い悪魔が!」
「大丈夫、大丈夫だってば! ごめんね、脅かして」

 朔耶はアマレストを(なだ)(すか)して落ち着かせると、先程見たものはガリウスの性質の悪い冗談にお仕置きをしただけで(ヤキを入れたとも言う)危険は無いと説明する。さっきのアレが朔耶だと聞いてもピンと来ないアマレストは、曖昧な返事を返していた。そこへ――

「おーい、保存食の追加分買って来たぞーったく……騎士に買い物行かせるか? フツー」
「魔力石と日用品はこれで十分だろう」

 食料と日用品を大量に抱えたガリウスとクランドルが買い出しから帰って来た。わーっと群がってきた子供達が荷物を受け取っては院内に運び込んでいく。『ごくろうさまー』と二人を労った朔耶は改めてアマレストと向かい合った。

「一応、今回はあたしの方から支援しとくけど、あなた達も自力でどうにか出来るよう考えてみてね?」
「あの……サクヤさん、貴女は一体……」

 訊い掛けようとするアマレストよりも先に、何かに気付いた朔耶は慌てて立ち上がると中庭中央へ駆けて行く。

「あーーこらこらっ そこに手掛けちゃダメ! お鍋が引っ繰り返っちゃう!」

 朔耶に追い回されながら楽しそうにはしゃぐ元気な子供達を見て感謝の気持ちを抱きながらも、アマレストは朔耶がどういう立場の人間なのかよく分からないでいた。騎士達と親しく話し、彼等を従える事の出来る権力を持つ。 

 何か怖いモノも喚び出せるようだなどと思い出してはプルプル首をふるアマレストの所に首を回しながらやって来たガリウスは、ベンチに腰掛けて一息つくと朔耶がフレグンスの高官である事を話した。

「サクヤは王室特別査察官様だよ」
「王室……!」

「ふぅ~まったく子供の相手は疲れるわ……む? ガリウスまた彼女にちょっかい出してないでしょうね」
「疲れててソレ所じゃねー」

 追いかけっこから戻って来た朔耶はベンチに並んで座るアマレストとガリウスを見てジロリと睨みを利かせるが、ガリウスは裏通りの外れにある孤児院と街の中央通り市場とを何度も買い出し往復させられてへとへとになっていた。

 ベンチから立ち上がったアマレストは、『計算通り!』とか言っている朔耶の元に歩み寄ると、膝を付いて感謝の意を表した。

「わっ ちょっと、そんな事しなくていいから頭上げてよ」
「いえ、数々の御無礼を御赦し下さい。王室由縁の方からの孤児院への援助、感謝致します」
「だーから、そんな畏まらなくてもいいんだってばっ 大体この支援はあたしの自費だから王室云々関係ないし」

 ゆっくり顔を上げるアマレストに、朔耶は一つだけ忠告しておく。

「アマレスト達が自力でやっていけるようあたしも協力するからさ、だからさっきみたいに簡単に諦めて身体許すような事はしないで」
「サクヤ、さま……」
「ね?」

 じわっと涙を浮かべたアマレストはそっと朔耶に抱き締められて感情があふれた。
 今までずっと苦労の連続で我慢して耐えて、こんな風に優しくされたのは前院長先生に以外では初めての経験だった。数年ぶりに心からの安堵を得たアマレストは、朔耶の胸に顔を埋めて子供のように泣いていた。

 アマレストの灰色にくすんだ銀髪を優しく撫でてやる朔耶。ベンチに座って一部始終を見ていたガリウスは、徐に腕組みをすると難しい顔をして唸る。

「なによ?」
「お前……同性嗜好って本当だったのか?」




 この日、騎士団本部の食堂では自分が如何にノーマルであるかを懇々と説き続ける朔耶と、もう勘弁してくれと泣きが入っているガリウスの姿が夜遅くまで見られたとか。

「聞きなさい、だからね? あたしにそういうつもりが無くても相手の行動が誤解を招いた結果、それを見ていた人が――」
「……頼むから、マジでもう寝かせてくれー」







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