「とりあえず戻ろう……」
そう呟いて歩き出そうとした朔耶の頭の奥に声が響く。
カエス カエス サクヤノ ネガイ
「えっ?」
それは、朔耶がこの世界に来てレティレスティアから疎通の加護を受けた時に聞いた朔耶の中の精霊の声だった。朔耶の中の精霊はアルサレナが推察した通り朔耶を連れて一緒にこちら側に来てしまっていた為、朔耶の『還せ~戻せ~』という要求に応えられず、それが可能になる時が来るのを待っていたのだ。
朔耶が地下の精霊と契約を交した事で、朔耶と重なる精霊が精霊を使役するという非常に稀な状態が可能となり、朔耶の中の精霊は朔耶の使役した精霊に転移の補佐を依頼した。朔耶の世界に偏在する地下の精霊を朔耶の中の精霊が朔耶を召喚させた最初の座標に移動させ、其処に此方の世界から朔耶を召還させる。
転移の力は朔耶と重なっている朔耶の世界に偏在していた精霊の力を使うので、此方の世界の朔耶と重なる精霊と地下の精霊が朔耶の世界に移動してしまう事は無い。
要するに、朔耶を自身と共に此方の世界へ転移させた精霊が、地下の精霊の偏在を目印に、自身と共に朔耶を元の世界へ転移させる、という事だ。
「ええ!? 今? そんなちょっと、ま……」
「サクヤ!!」
祭壇の間に響いたバルティアの叫ぶ声に振り返る瞬間、朔耶はふわっとした温かい空気に包まれた。武装した騎士団や魔術団を率いて此方に走って来るバルティアの姿が霞む。そして気が付くと、朔耶は暗い山道に一人で立っていた。
蒸し暑く湿気を纏った生温い風、小道の両側に生い茂る草木、沢山の虫と蝉の鳴く声。細い木々の合間にポツポツとした町の明かりが見える。
「……還って、来ちゃった」
朔耶はあの日の夕刻、キャンプ場を目指して登っていたハイキングコースの山道に居た。
祭壇の間で、バルティアは呆然と佇んでいた。たった今まで朔耶が立っていた場所には赤い血溜まりがあるのみ。
血濡れた朔耶の姿を見つけ、叫んで駆けつけた目の前で忽然と消えてしまった。
「サクヤ……」
「陛下……御指示を」
バルティアの隣で臨時に指揮を補佐するアネットが控えめに声を掛ける。彼女も朔耶が消える瞬間は目撃していた。振り返った血塗れの朔耶は、何かを語りかけようとしていたようにも見えた。
『精霊術で何処かへ転移したのかしら、だとしたら一体何処へ? フレグンス?』
何れにせよ、バルティアを前にして姿を消した事実はバルティアに深い動揺と失意を与えていた。
「余は……サクヤに見限られたのであろうか……?」
「陛下、そんな弱気では得るモノも得られませんよ?」
帝国を影で支配していた先代皇帝が朔耶によって討たれた事で、先代が取り仕切っていた全ての事項を今後バルティアが行わなくてはならない。帝国の未来は彼の手腕に掛かってくる。
「…………そうだな……まずはダンクルを呼べ、抜けた側近共の穴を埋めねばならん」
バルティアは一先ず気を取り直し、帝国の内部を立て直す事から始めた。自身がお飾りとして傀儡の玉座で退屈を玩んでいた間も、帝国は着実に力を蓄え、オルドリア大陸の列強四国の一角として君臨していた。それは先代皇帝の指示とそれに従う側近達の力在ってこそである事は認める所だ。
その先代と側近が消えてしまった今、自分達で帝国を支えていかなければならない。外交交渉はほぼゼロからのスタートとなり、国内の反乱分子に対する処置や抱え込んだ大量の傭兵部隊の使い所など、問題は山積みだ。
「アネット、お前は今後 正式に余の補佐となれ」
「え! あ、アタシがですか!?」
「使える人材は率先して使う。 使えない人材は使えない成りに使う。 優秀な者が居れば引き込め、選定はお前に任せる」
「は、ハッ!」
バルティアは『先ずはフレグンスに親書を出す』と言ってこの場を部下達に任せると皇帝の執務室に上がった。
『サクヤ……余は必ずお前を見つけ出す』
「暑いなぁ~もしかして、もう夏?」
朔耶は取り合えず町を目指して下山していた。街灯の無い夜の山道は比喩無しに真っ暗なのだが、月明かりと町の灯りでどうにか足元を見る事が出来た事と、ハイキングコースとしての僅かばかりの踏み均された道が歩き易さを助けていた。
当面の問題は血の臭気が酷くて吐きそうな事だった。
「うう~……スプラッタを自分で体験するとは……」
朔耶は『今の姿を人に見られたら絶対通報されるな』などと思いながら、視界と足場の悪いハイキングコースを下って行く。麓に近付くに連れて水銀灯のような灯りが幾つか並んでいるのが見え、現代日本の明るい夜を実感する。
ここを登る時にはガランとしていた山の入り口にある駐車場らしき開けた場所には、数台の車と白いマーキーテントが並んでいるのが見えた。
「んん? ○○警察?」
テントの脇には大きな立て看板があり、『都築朔耶失踪事件特別捜査本部』と書かれてある。朔耶は『あたしのことかーー!』と自分の捜索が行われていた事に少し驚きながらも、そりゃそうだと納得し、自分を探してくれていたであろう家族の事を想って萎縮していた心が少し解れた気がした。
「あと、ビラはどうします?」
「この辺り一帯は貼り終わってるからな、また朝にでも駅で配る方に回そう」
失踪した少女を捜索する捜査本部が設置されて二ヵ月、成果の上がらないまま大規模な捜索は今日で打ち切り、今後は規模を縮小した上で捜査を続ける事になった彼らはここを引き払う為に機材やテントの撤収準備に追われていた。
既にキャンプ場周辺やバスの乗客から聞き込みで得た情報に添ってこの付近の捜索も虱潰しに行われたが、遺留品の一つも見つからないままの捜査縮小に、関係者の表情は暗い。
『この人を探しています』のビラを箱詰めしていた若い青年捜査員が突然机にぶつかって箱を落とし、ビラがぶちまけられた。
「おい~、何やってんだ……」
「……あ…………ああ……」
青年捜査員は青褪めた顔で山の方を指差しながら口をパクパクさせている。男性捜査員が何事かと彼の指差す方向に視線を向けると。薄暗い山の入り口にあるハイキングコースの看板の前。街灯の下に、黒髪に黒い服を纏った血塗れの少女が立っていた。
「!っ」
思わず声にならない悲鳴が出そうになり、身体中の体温が一気に下がるような気配が背中を撫でる。所謂冷や汗というモノだ。少女はゆっくりと彼らの居るテントに向かって歩いて来る。
「せ、せせ……先輩っ ゆゆ、ゆ……」
「い、いや待て、落ち着け……」
「でででも、でもっ」
どんどん近付いて来る血塗れの少女。青年捜査官は遂に念仏を唱え始めた。少女の輪郭がはっきりと分かるようになると、男性捜査員はその顔に見覚えがある事に気付いた。ぶちまけられたビラに写る笑顔の少女と同じ顔。
「つ、都築 朔耶ちゃんか……?」
「あ、ハイそうです」
失踪した少女の幽霊かと思われた血濡れの黒い少女は、実に平凡な返事を返した。
「あ~、今が深夜で良かった」
近くの病院のシャワー室で身体を洗い流している朔耶は、ここに辿り着くまでの騒ぎを思い出して冷や汗を浮かべる思いでいた。テント前で朔耶が本人である事を確認した捜査員は無線機を引っ掴んで『発見! 発見!』と既に引き上げている本部にいた捜査官達に失踪者発見の報を入れ、取り合えず身体を洗いたいという朔耶をパトカーで近くの病院まで運んだ。
深夜だというのに、そこそこ大きい病院のロビーには見舞い客や夜更かしで抜け出して来た患者、救急にやって来た人達が居て、朔耶の姿を見た人々は一様に後退るか悲鳴を上げるか硬直するかした。昼間の混雑にこの姿で現れたなら大騒ぎになっていただろう。
シャワーを浴びながら、朔耶は覚えた交感の要領で意識の糸を確かめてみたが、向こうに居た時のような感覚は感じなかった。身体から精霊が抜けた為に、当然力も無くなったのだろうと納得する。ただ、微かに地下の精霊との繋がりを示す感覚は残っていた。
「朔耶!」
「むぎゅ」
シャワーの後、簡単な検査を済ませた朔耶の下に連絡を受けた家族が駆け付け、診察室でノンビリ寛いでいた朔耶は有無を言わせず抱き締められた。朔耶が向こうの世界に召喚されてから約二ヵ月半、七十七日間が経過していた。
朔耶は行方不明になっていた間の事は『覚えてない』で通そうと思っていたが、流石に大量の返り血の事があって少しは話す必要が出て来た。しかし事情聴取を行った警察の反応は概ね予想していた通りのモノだったので、潔白さえ証明されていれば後はなるようになると開き直った。予想の反応、薬物使用に関する血液検査などの再検査だ。
精霊に喚ばれて異世界に行ってました、色々あって、あの血は人間辞めてた皇帝のモノです。
これを言葉通り受け取る者はまず居ない。ちょっと特殊な一般人の中には居たとしても、警察関係者に居てはいけないレベルの話だ。朔耶の家族の反応も微妙だったが、家族は朔耶の言葉に嘘や偽りの含みがあればそれに気付く。
朔耶の言葉に、隠し事の含みは感じられても嘘偽りの気配を感じなかった家族達は結論を棚上げした。
「朔耶がそういう経験をしたと言うのだから、そうなのだろう」
例え真実がそうでなかったとしても、朔耶自身がそれに付いて言及しない限り追求しないという事だ。朔耶は家族の心遣いを嬉しく思った。聴取と検査入院を済ませて家に帰宅出来たのは、それから三日後の事だった。
「ただいま」
懐かしの我が家の玄関に立った朔耶は、本当に帰って来たんだという実感に包まれて暫し立ち尽くす。朔耶は入院中家から持ってきて貰った自分の服を着ている。
バルティアに貰った黒い街服は警察が証拠物件として預かるという申し出を断り、洗濯して持って帰って来た。どうせ調べても何も分かりはしないのだ。
自分の部屋に入ると、ほぼ家を出た時のまま綺麗に掃除がされていた。向こうの世界に行っている間も家族が部屋の状態を整えてくれていたようだ。
「はぁ……」
ベッドに腰を下ろして息を付く。既に家族との再会の喜びや友人達への連絡はこの三日間で済ませてあり、今は夏休みで学校もお休みだが、登校が始まれば全て以前と変わらない日常が始まる。
ほんの一時、神隠しにあっていたという少し珍しい経歴が付くだけの、平凡な毎日を送るただの学生に戻るのだ。朔耶はそれが良い事なのか悪い事なのか判断し兼ねていた。家に帰って来られた事や家族と再会出来た事はやはり嬉しい。
しかし、あの世界の人々との出会いや触れ合いを無かった事には出来ない。このまま彼らとの永遠の別れを受け入れる事に納得していない気持ちもあった。
「とは言うものの……」
微かに意識出来る程度にしか感じられなくなった精霊との繋がりを思うと、もはや如何する事も出来ないのだと実感する。もどかしい無力感にも似た気持ちを感じながら、朔耶はごろんと自分のベッドに転がった。
『みんな、どうしてるかな……』
朔耶は夢をみる――――
「クィスー、ヴィンスさーん お昼ご飯出来ましたよー」
「ああ、いま行くよ」
「何時もすまないな」
アマガ村の水道橋はクルストスの街でも話題になり、街にも水道橋を建設して生活環境や作業効率を向上させようという動きがあった。サムズの統治者代表エイブムは首都エバンスに先駆けてクルストスの街で試験的に水道施設の普及を行い、問題点などの改善を持ってエバンスにも水道施設の建設事業を行う計画を立てた。
当初はサムズから派遣される職人や技師団でアマガ村の水道橋を含む施設を分析し、その後の現場を取り仕切らせる予定であったが、水道施設自体がフレグンスの王室特別査察官である朔耶によってもたらされた技術である事を理由に、フレグンスの官僚がその計画に辺境騎士団の騎士を組み込む事を要請した。
丁度、アマガ村の水道施設建設には辺境騎士団の騎士、ヴィンス・フロッソが朔耶からの指名により作業に参加していたので、その経験を買われて彼が派遣される事になり、作業指揮の補佐役としてアマガ村で直接朔耶から施設の技術指導を受けたとされるクィス青年が選ばれた。
アマガ村から毎日通うには距離があるという事で、クィスは辺境騎士団の宿舎に泊めて貰っている。そしてクィスに付いて来たデイジーは騎士団の宿舎で給仕として働いていた。
「もう少しすれば水を通せますね」
「だな、……ところで、王都から何か連絡はあったか?」
「駄目です……、特に新しい情報は無いみたいです」
デイジーは表情に影を落として首を振る。
「そうか……サクヤ殿、無事であれば良いが」
「大丈夫ですよ、きっと……サクヤは強い人だから」
朔耶が王都から帝国の手の者に連れ去られたという報が届いて以来、彼等は作業の合間にもその事を話し合い、王都からの新たな情報に常に気を配っていた。
「帝国の動向も気になるが……どうにもサムズの動きが気に掛かる」
「ヴィンスさんもですか、俺も最近やけに街で傭兵の姿が目に付くように思うんですよね」
「エバンスから自警団の分隊が来ているそうですよ?」
「ああ、この時期に来る意味が分からんと、アンバッス中隊長も気にしてたな」
サムズ国内に漂う不穏な空気に、彼らは不吉なモノを感じていた。
「あ~あ、しっかしあのイケ好かねぇ兄貴がサクヤに振られる所は見てみたかったぜ」
「隊長~またその話ぃ~?」
「ガリウスはアウサレス様にコンプレックスを持ってるからな」
「うっせー」
カースティア駐在派遣騎士団の問題児集団ことガリウス小隊の面々は、今日もカースティアの街を適当に巡回しながら娼館を冷やかして回ったり。裏路地の怪しげな店の主人に賄賂を貰ったりして一日を過していた。
「ん……? おい、ガリウス見ろよ」
「……またかよ これで何度目だ?」
「ここ十日のうちに、四回目だねぇ」
「あの人達もサムズに向かうのかな?」
最近よく見かける傭兵団の馬車隊の列。個別に雇われるフリーの傭兵と違い、彼等傭兵団は一国の正規軍とも渡り合える程の錬度と統制を持った職業軍人的な戦闘集団だ。
「サムズの連中、反乱でも起こす気じゃねぇだろうな?」
「帝国と睨み合ってる今の時期にか? 考え難いな……」
「実は帝国と繋がってたりして?」
走り去る傭兵団の重厚な馬車隊を眺めながら、眼を細めたガリウスはぽつりと呟く。
「…………ありえねぇ話じゃねぇな……」
「隊長?」
「お前ら、本部に戻るぞ」
「ええっ 来たばっかりなのにー! 隊長待ってよーー!」
問題児集団ではあるが決して無能という訳ではないガリウス小隊は、最近の傭兵団に関する動きの裏を探る為、何時ものように単独行動を開始した。
「それで、親書にはどのような?」
急遽対策会議に呼び出されたレイスは補佐である部下のフレイを伴って王の間を訪れていた。先日届いた帝国からの親書、その内容が現状の対帝国政策に影響を及ぼしかねないモノであった為、一部の者を除いてまだ公表はされていない。
「端的に言えば、和平と同盟を求める内容と提案だ」
近衛騎士団長のイーリスがこの場を代表してレイスの問いに答える。バルティア帝の署名が入った親書には、列強四国の代表が集い、交流と対話を通じて今の平和を維持して行こうという内容が記されていた。レイスの眉がピクリと上がる。
「サクヤの事に付いては何も?」
「それが……サクヤは此方に戻っては居ないかという問いの走り書きがされていたのです」
レティレスティアが困惑気味に答える。毎日のように行われていた交感での近況報告が数日前を最後にぱったりと止まってしまい、朔耶の身に何かあったのではと気が気でない想いをしている所へこの和平を呼び掛ける親書と走り書きである。
「……これが策だとすれば、随分と舐められたモノですね」
「うむ……、対帝国政策への牽制とサクヤの拉致を有耶無耶にする意図とも考えられなくはないが……」
「この走り書きとサクヤからの交感が止まった事が気に掛かる所です」
レイスの言葉にカイゼル王が頷き、アルサレナ王妃が気になる部分を指摘する。帝国の内情は朔耶からレティレスティア経由である程度把握しているアルサレナは、バルティア帝が帝国内部の掌握を成功させた可能性も考える。しかし、それならば朔耶からの連絡が途絶えた事とこの走り書きが気に掛かる。
「帝国のような密偵部隊の設立をしてこなかった事が悔やまれますね」
「うむ、やはり我が国にも専門の諜報部隊は必要だな……古株の重鎮達を説得するのは骨が折れる所だが」
親書は列強四国和平会談の場所や日時は各国の返答を待ち、追って知らせるとの内容で締め括られていた。
「直ぐに側近に上げられそうなのはこれだけか……」
「はい、今は先代派の洗い出しと並行して行ってますので、選定出来る段階まで陛下への忠誠を証明出来る人材があまり」
先代皇帝の指示とそれを的確に伝える側近が居なくなった事で、帝国は中枢の機能不全による国家崩壊の危機に直面していた。バルティア派の側近ダンクルと急遽その補佐に就かせた密偵部隊や、エリスリング諜報官を側近の仕事に臨時任命する事でどうにか運営を間に合わせていた。
「サムズの動きはどうなっている?」
「先代との契約は健在らしく、傭兵団のサムズ入りは始まっているそうです。サムズは此方が動かなくてもクリューゲルに侵攻するつもりのようですね」
「ふむ……まずはソレをどうにかしないと、会談所では無いか」
「そうですね、変なタイミングで仕掛けられたらアタシ達の策かと疑われちゃ……疑われかねません」
うっかり地が出てしまい、言い直すアネットにバルティアは思わず噴出しそうになる。
「くっくっ 別に口調は普段のままでよいぞ?」
「いえ、公私は使い分けなくてはイケませんから」
職業柄、情報処理と分析力に優れた才を持つアネットはバルティアの補佐としてその能力を遺憾無く発揮していた。密偵の訓練と任務で培われた身軽で柔軟性のある対処力は皇帝の警護としても最適で、さらにやろうと思えば夜のお相手もこなせる万能秘書である。
「やはりサムズへの牽制も考えるならクリューゲルのカースティア辺りが妥当か」
「ですが……あまりフレグンス領の奥に設定しますと、此方側の手勢がかなり限られてしまいませんか?」
「そこは仕方あるまい、少数精鋭と竜籠を上手く使って道中の安全を確保するしかないな」
「此方側の誠意と捉えて貰えれば楽なんですけどね……サクヤちゃんの事がありますからねぇ」
当面の問題として帝国の中枢が安定するまでの間に各国との、特にフレグンスとの関係を良好にしておく必要がある。
しかし、何れの国からも直接的では無いにせよ朔耶の拉致に関する抗議が打診されていた事を考えれば、朔耶が行方を眩ませてしまっている現状はかなり厳しい。
「サクヤ……今、何処に居る」
砂浜の広がる海水浴場と違い、岩場の多いここは人の姿も無く静かで、海を見ながら考え事をするには良い所だった。
「なんだか海って久しぶり……」
「砂浜がある所じゃなくて良かったのか?」
兄の車(ちなみに中古のランドクルーザーである)で海まで連れて来て貰った朔耶は、夏の陽射しの中、海からの風を浴びながらキラキラと反射する波の光を眺めていた。
精霊との微かな繋がりが見せる向こうの世界の出来事。精霊は何処にでも存在する。朔耶が気に掛ける人々の姿を、使役した精霊が夢の中で見せているのだろうと、朔耶はなんとなくで理解していた。
お昼寝をしていると彼等の昼間の活動を垣間見る事が出来る。夜寝ている時は眠っている彼らの姿や、夜遅くまで仕事をしている姿が見られる。意識して自由に見られる訳ではないが、朔耶自身が彼等の姿を見せない事を精霊に望まない限り、時間と共に忘れるなどという事はなさそうだった。
「……あたしね」
朔耶は兄の質問には答えず、語り始める。兄は無糖ブラックの缶コーヒーに口を付けながら、ただ黙って朔耶の言葉に耳を傾けた。
「あたし……、向こうで人を殺したの」
ブフーー。
「げへごほっ なんですとーー!? ブハァッ」
「ちょっ 口っ 口からだらだら零れてる! 噴くか咽るか驚くか纏めなさいよ!」
『真剣な話を始めた途端にこれだ』と朔耶は呆れながらも、兄が態とやっている事を知っている。落ち込んでいる時など何時も馬鹿をやって慰めてくれるのだ。
「これから話す事は、嘘偽り誇張無しのあたしが体験した本当の話。 聞いてくれる?」
「うむ、話すがよい」
何時もと変わらない兄に苦笑させられて幾分心が軽くなった朔耶は、あの日の夕方、精霊に喚ばれた時の事から話し始めた。
「オレンジでいいか?」
「うん、ありがと」
海沿いの道脇に停めた車の中で、朔耶は兄から受け取ったジュースに口を付ける。全てを話し終えた頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。突拍子も無い話、荒唐無稽と思われても仕方が無いような体験談を、兄は最後までしっかり聞いてくれた。
エアコンを効かせた車内で夜の海を窓に見ながら、兄妹は静かにシートに凭れている。徐に、兄が口を開いた。
「朔耶は、またその世界に行きたいのか?」
「……んー、分かんないの」
向こうの皆の事は確かに気になる。しかし、先代皇帝を手に掛けた事で自分の力に疑問を抱くようにもなっていた。向こうで自分は常に異質だった。皆は自分の作る道具に感心し、褒め称え、振るう精霊の力に畏怖や尊敬の眼差しを向けて来た。その事に不満など無かったし、驕る気持ちも無いつもりだった。
「よく考えたら傲慢だよね、『存在しちゃいけない』なんて……」
向こうの世界で此方の文明の知識を使い、力を振り翳す内に、何時しか人の生殺与奪にまで考えを至らせるようになっていたと朔耶は自己批判する。
「どんなに化け物染みていても、あの人は『人』だった。 顔に悪戯書きでもして逃げちゃえば良かったのよ」
「でもそれじゃあ何も解決しなかったんだろ?」
「……だけど、殺すことは無かったと思う。 バル達、今すっごく苦労してるみたいだし……」
「ふむ……その世界に行ったら、また同じ事をやってしまうかもしれないのが怖いと?」
少し逡巡を見せた後、朔耶は兄の言葉に頷いた。
「うむ、そりゃ結局覚悟の問題だな」
「覚悟?」
「その世界のお前は人々を導く女神にもなれれば、世界を破滅させる悪魔にもなれる」
「んな大袈裟な……」
肩を竦めて見せる朔耶だったが、兄は真剣な表情で言葉を続ける。
「話を聞いた限り、世界と繋がってるお前の選択一つ一つが、その世界に大きな影響を与えている。皆との平穏な日々を守りたいなら、その反対を望む者を切り捨てなきゃならん」
「……」
「万人が意見を一致させるなんて事はまあ有り得ん。『全てを救う』なんて考えの方がよっぽど傲慢だからな、命の生き死にに限らず何かを行えば必ず喜ぶ者と哀しむ者が出る。善悪も関係無くな。だから自分が良いと思った事を選んで、その結果の責任を背負う覚悟を持てるかどうかだ」
兄は朔耶に向き直ると、肩に手を置いて朔耶の眼を覗き込む。
「経緯はどうあれ、お前はそうすべきだと判断してその先代皇帝とやらを討った。もう一度その世界に行くなら、その選択をした結果を背負わなくちゃならない。その覚悟があるなら、大丈夫だ。無いならその世界の事はもう忘れるべきだな」
「……忘れるなんて、出来ないよ」
俯いてしまった朔耶はポツリと呟く。兄は朔耶の頭を撫でながら『焦らずゆっくり考えるといい』と言ってそっと抱き締めた。
「つーか、ドサクサに紛れて抱き締めんな!」
「はうおっ」
妹に密着状態からのアッパーカットを貰ってサンルーフ越しに星空を見上げる妹萌えなオタ兄なのであった。
数日後の昼下がり、朔耶は自分の部屋で昼寝をしていた。眠っている間に見る向こうの世界の夢は意識を集中させる事で割と自由に視点を動かせる事が分かり、最初の内は意識を集中させると睡眠から覚めてしまって睡眠不足に悩まされたが、一週間もすれば慣れてコツを覚えた。
夢の中で向こうの世界を自由に動き回っている内に、自分の中にある精霊との繋がりを示す糸の存在が以前よりもはっきりと感じられるようになっていた。
『さーて、今日は何処を見に行こうかな~』
朔耶はこの夢内異世界観光を結構楽しんでいた。特定の人物を思い浮かべるとその人物の傍に跳べるので、懐かしい顔にも合えたし、例え向こうが此方に気付かなくとも頑張っている姿を見るだけで気持ちが和んだ。
一度夜中にフレイの所に跳んだ時などは、物凄いモノを目撃してしまい、動悸で目が覚めてしまった事もある。以後、夜はフレイとレイスの所には跳ばないよう気をつけている。
時折、彼等が朔耶の事を話題にして心配している様子などを見ると、朔耶はこうやって見ているだけで満足している事が申し訳なく思えて来るが、現状ではどうする事も出来ないのだから仕方がないと自分に言い聞かせていた。
『暫らく皆の顔見てないし、レティの様子でも見に行こうかな』
レティレスティアの事を思い浮かべると、さーっと視界が流れて斜め上方から見下ろすような位置にレティレスティアの姿が現れた。何処かの広い会議室のような場所にいるようだ。
隣にはアルサレナ王妃のと宮廷魔術士の衣装を纏ったレイスの姿も見える。レイスの背後にはフレイが怖い顔で立ち、彼等を護るように近衛騎士団長のイーリスを始めとした近衛騎士団がズラッと後ろを固めている。
同じ部屋の中には神官服のような裾を流した服を纏った気難しそうな若い男性と、両脇に従者らしき魔術士風の男二人、その背後に御揃いの魔術士っぽい服を纏った一団がずらり。彼等の対面にはやたら横幅の広い変な髭を持つ初老の男。
金ぴかの装飾を纏い、如何にも金持ちですと言わんばかりの格好で或る意味とても分かり易い。彼の背後にも豪華な衣装を纏い、高そうなオールグレンの銘入り剣(星四つクラス)を下げた一団がずらりと並ぶ。但し全て女性。
そしてレティレスティア達の正面には黒い帝衣を纏ったバルティアと、傍らに側近服を纏ったアネットの姿。背後には精鋭騎士団が並んでいるが、この部屋の中では一番人数が少ない。
『あれ? これって……もしかして和平会談? もうそんな時期なんだー』
朔耶は一度視点を上空に移動させて場所の確認をする。どうやらクリューゲルの首都カースティアにある大図書館の一室を議場に設定したようだ。図書館の広場には見覚えのある超大型竜籠と四頭の飛竜の姿が見えた。
間隔を開けて各国の大型馬車も並んでいる。視点を議場に戻すと、何やら話し合いが始まっていた。
バルティアは先代の契約による傭兵団のサムズ入りを止められないのであれば、サムズが事を起こす前に和平会談を実現させる事でサムズへの牽制を図ろうと考えた。侵攻の時期は準備期間を考慮する事で大体の予測はつく。
早急な会談実現の為、各国の気を引く最大限の土産をちらつかせて今回の会談に漕ぎ着けたのだ。
『っていうかフレイ、無茶苦茶ヴィヴィアンさんの事睨んでるし……』
アネットはしれっとした態度で視線を躱しているが、フレイは視線だけで焼き尽くさんばかりの勢いで睨みつけている。
『フレイってこんな顔もするんだぁ』などと戦闘モード状態のレアなフレイを眺めていた朔耶は、ふいに覚えの有る感覚に触れて其方に意識を向けた。
『……なんだろ? これって、あの時みたいな嫌な感じ』
黒い霧が広がって行くような、何処か遠くからこの場に向けられる悪意の波動が伝わってくる。視点を空に飛ばし、波動の出所を探ろうとした朔耶は、カースティアの街に広がる黒い染みのような霧に気付いた。
霧の出所に近付くと、見た目は何の変哲もない街人の格好をした男達が数人。しかし精霊の視点から見ている朔耶には、彼らが只の街人で無い事は直ぐに分かった。全員服の下やマントの中などに帯剣して武装している。
そんな集団が街の至る所から徐々に会談の行われている大図書館の方へ移動していた。
さらに街の外から伝わってくる波動を辿っていくと、バーリッカムとカースティアの間に広がる大草原を進軍してくる大部隊の姿が見えた。武装が区々で騎士団のような統一性は無いが、彼等の動きは洗練された軍隊のようにしっかり統率がされている。
『これって……バル達が言ってたサムズのクリューゲル侵攻!? 大変だぁ……!』
「では、帝国とは決まった時期に交流を兼ねた視察団を互いに送り合うという事ですか?」
「そうです、この場合民間人を起用するのも良しとします」
「竜籠と飛竜の譲渡はどのくらいまで?」
「竜籠は兎も角として、飛竜の育成には時間と経験が必要ですので、先に研修生を送って貰う事になりますね」
会議の話題は各国が互いの人材交流を円滑にする為、帝国から竜籠と飛竜の譲渡が提案され、それらの規模や時期の調整についての言及が為されていた。
帝国の竜籠についてはティルファもキトも、そしてフレグンスも貰えるなら是非とも手に入れたい魅力的な移動手段だ。この提案には何れの国も乗り気だった。会談実現の為に各国の気を引いた土産である。
ただ、『竜籠』という言葉が出る度に、フレグンスの宮廷魔術士長付き補佐官が灼熱のような視線を帝国皇帝の補佐官に向ける為、会議場はぴりぴりとした空気に包まれっぱなしだ。
「フレイ、少し自重しろ」
「はっ ……す、すみません」
レイスに窘められて我に返り、暫らくは大人しくなるのだが、少し経つとまたじわりじわりと視線に熱を帯び始めるという事を繰り返している。フレイにとっては目の前にいるアネットこそ朔耶を攫った張本人、自分が警護を抜けた僅かな隙を突かれた事に落ち込んでいた分、犯人を目の前にしたフレイの怒りは収まらない。
しかも、うっかりレティレスティアが朔耶から聞いた竜籠の中で起きた事件の事を話してしまったものだから、フレイの怒りは半端なモノではない。もし今、フエルト卿の部下が視界に入ろうモノなら問答無用で消し炭にする勢いだ。
フレイがそんな状態であった為か、レティレスティアは返って冷静になる事が出来ていた。
「……?」
ふいに、何かに反応するようにレティレスティアが会議場を見渡した。そして訝しげに首を傾げる。
「レスティア? どうかしましたか?」
「母様、いえ……今何か、不吉な予感を感じたと思ったのですが」
精霊術士の母娘の会話に会議場が少しざわつく。精霊術士は時折、精霊から得た情報を予言のように告げる事がある。あらゆる場所に存在する精霊からの警告は大規模災害であったり、疫病の発生を知らせたり、時には魔物の大量発生を知らせる事もある。
不吉な事が起きる前触れには精霊術士達が一番にそれを感じるのだ。
「……? 何か、力の強い精霊が来ていますね」
アルサレナが席を立つと、意識を集中させてその精霊に交感を繋ごうと試みる。そして――
「サクヤ……?」
「え? サクヤ?」
「サクヤですか?」
「サクヤ様ですか?」
「サクヤだと?」
「サクヤちゃんですって?」
アルサレナの呟いた名を口々に問い質すフレグンス側と帝国側の面々。ティルファとキトの代表もサクヤの噂は気に掛けて居たので耳を欹てている。
「サクヤがいるのか……? 此処に」
身を乗り出すバルティアに、フレイの視線が突き刺さる。まるでサクヤの名を口にする事を許さないと言わんばかりの眼光だが、バルティアもサクヤの事に関して一歩も退く気は無く、フレイの睨みを軽々流して見せる。
「フレイ、控えろ。 申し訳ありません、バルティア陛下」
一国の皇帝に対する礼儀としては不敬に当る行為に直ぐ様レイスがフレイを窘め、バルティアに謝罪の意を示した。
「構わぬ、元々非は此方にあるのだ」
レイスはバルティアの振る舞いに皇帝の器を感じ取り、フレイは国の代表として居る自分の立場を忘れた行為を羞じると自己嫌悪で恐縮スパイラルに入ってしまった。そんな一幕に苦笑しつつ、レティレスティアが尋ねる。
「それで、サクヤは今何処に?」
「……この世には居ないようですね」
アルサレナの答えに表情を無くして硬直するレティレスティア、真っ青になるフレイ、バルティアも絶句して固まっている。静まり返る会議場。
「言い方が悪かったですね、別に死んでいるわけではありませんから、慌てないように」
ガタガタッと力が抜けて座り込む一同、所謂ズッコケが発生した。
「母さま……」
「アルサレナ様……」
コホンと咳払いをしたアルサレナは精霊を通して朔耶の視点だけが来ている事を説明する。
「どうやらサクヤは強い精霊を使役出来たようですね、あの子は自分の世界に還ったようです」
「自分の、世界?」
バルティアは『サクヤの国の事か?』と怪訝な表情を浮かべた。事情を知るフレグンス側の代表は何処か寂しげに納得した表情で頷きあっている。
「そうですね……今ならお話しても良いでしょう」
アルサレナは朔耶が自分の世界に還った今なら朔耶の特殊な事情を話しても問題は無いと判断し、各国の代表団一同を前に朔耶が異世界からの来訪者であった事を明かした。やはり一番興味深そうにしていたのは学者集団の国ティルファの代表だった。
「成る程……それで『異界の魔術士』だったわけね」
アネットはガルブレック隊長から聞いた話が繋がった事に感嘆の呟きを洩らす。耳聡くそれを聞きつけたアルサレナは、『城の警備を見直した方が良いですね』などと聞こえるように呟き、ポカをやらかした事に気付いたアネットに冷や汗を掻かせた。
『あ~~どうしよう! こっちからの声は伝わらないのかな~~』
朔耶は彼等のやり取りを見て和んでいられる状況ではない事に焦っていた。草原を行く大部隊は街に到着するまでに最低でも三日は掛かりそうな位置に居たが、この会議場のある図書館の周囲にも怪しげな集団が迫っている。
『アルサレナさ~~ん! レティ~~! フレイ~~! 気付いて~~!』
「……? サクヤが精霊を通じて何か伝えようとしているようですね?」
「母様、サクヤと交感は繋げられないのですか?」
「それは難しいでしょう、今こうしてサクヤの気配を感じられるのも、この精霊とサクヤが契約しているからこそ、サクヤの世界に居るこの精霊の偏在から辛うじて此方の世界と繋がっているような状態ですからね」
「そうですか…… サクヤは、何を伝えようとしているのでしょう?」
その時、会議室に飛び込んで来たフレグンスの騎士が急報を告げる。
「申し上げます! 武装した何者かの集団に建物を取り囲まれています!」
ざわめき立つ会議室に、負傷した衛兵から更なる緊急事態が告げられた。
「申し上げます! サムズ独立派武装集団による襲撃です! 既に建物一階は占拠され、現在各所通路にて衛兵部隊と交戦中!」
「周辺の警備をしていた派遣騎士団はどうしました?」
嘗てはランバルト公爵やカイゼル王と共に戦場に立った事もある王妃アルサレナは、貫禄に満ちた落ち着いた様子で現状報告を促す。
「ハッ それが……武装集団による建物への襲撃と同時に、周辺に居た街人が護衛の騎士に襲い掛かり……ほぼ壊滅状態であります」
一般の街人が武装集団の襲撃騒ぎから逃げて来たかのように見せかけて、襲撃に気を取られた護衛の騎士を背後から襲うという方法で隙を突かれたらしい。俄かに騒がしくなる会議場では、帝国の陰謀ではないかとキトの代表がバルティアに詰め寄るなどの騒ぎが起きていた。
窓の外を大きな影が横切る。それは巨大な竜籠を引いた飛竜だった。各国代表の大型馬車を押さえに動いた武装集団の別働隊も流石に竜には手出しが出来なかったらしく、四頭の竜は自ら竜籠を繋ぐと建物の屋上へと舞い上がった。
「何人運べる?」
「十六人……、荷物を捨てて詰めれば二十人位かと」
「全員は無理か……」
「と、当然我々は乗せて貰えるんだろうね!」
バルティアとアネットの会話に、顔を青褪めさせたキトの代表が食って掛かる。ティルファの代表は二人の部下らしき魔術士とぼそぼそ言葉を交し、レティレスティア達フレグンスの面々は『サクヤはこれを伝えたかったのでは?』と話し合う。興奮するキトの代表に対し淡々と答えるアネット。
「当然、各国の代表の方には護衛数名と共に我々の竜籠に乗って脱出して頂きます、残りの護衛の方はここに残って貰う事になりますが」
「数名だと! 儂の警護は全員連れて行くぞっ こんな所に残せるモノか!」
「人数に制限がありますので、無理です」
尚も食い下がるキトの代表に、アネットは反論し辛い事実を突きつけて黙らせようと試みた。
「他の国の護衛の方が全員残るなどしない限り無理です」
「で、ではそうすればいいんだ! 儂の警護は素人なのだ! 戦闘なぞ出来んのだ!」
これには流石にアネットも目を丸くし、何処か嘲るような視線で傍観していたティルファの代表も褪めたように肩を竦めた。
各国の騎士や魔術士達も軒並み呆れた顔を見せ、キトの警護の女性達は恥ずかしそうに俯いていた。彼女達はちょっと剣の扱いを学んだだけの、綺麗所を集めて豪華な衣装と武器で着飾らせた集団に過ぎない。
「戦う術を持たない婦人達をここに留める訳にも行くまい、元より我等は残って戦う所存だ。レイス殿とフレイ殿は姫とアルサレナ様を頼む」
フレグンス近衛騎士団長イーリスはそう言って槍の鞘を払うと会議場の出口に向かう。部下の近衛騎士もアルサレナ達に敬礼してイーリスの後に続いた。
「補佐官殿には陛下をしっかり御守り頂きたい」
帝国精鋭騎士団の団長はそう短く伝えると、バルティアに敬礼をして少数の部下と共に会議場を後にする。
「これだけ精鋭の騎士が揃っていればなんとかなるでしょう、研究の成果を試す良い機会ですな」
ティルファ魔術団の魔術士達は飄々とした足取りでがやがやと会議場を出て行った。
会議場に残されたのはフレグンスの代表団、アルサレナ王妃、レティレスティア王女、レイス宮廷魔術士長、フィレイヤ魔術士長補佐。
ティルファ代表団、ブラハミルト・オードリン研究塔所長と従者の魔術士二名。
キトの代表団、ヨールテス・デリガン・ブローフリ伯と綺麗所親衛隊若干名。
そしてグラントゥルモスの代表団、バルティア皇帝とアネット皇帝補佐官。
「それでは建物の屋上に向かいましょう、侵入者の襲撃も予想されますので私が先導します」
そう言って先頭に立とうとしたアネットは既に議場から駆け出しているヨールテスの後姿に肩を落として溜め息を付いた。綺麗所親衛隊の女性達が物凄く恥ずかしそうに申し訳なさそうな顔で頭を下げていた。
アネットに促されて会議場を出ようとしていたバルティアは、ふとフレグンス代表団の様子を目にする。アルサレナとレティレスティアが祈りを捧げるような姿勢で向かい合い、それが精霊術士の交感状態である事が分かったバルティアは暫し足を止めて彼女達の声に耳を欹てた。
「ありがとうサクヤ、私達に危険を知らせに来てくれて」
「私達は大丈夫。サクヤに会えないのは寂しいけれど、貴方が無事に元の世界に帰還出来た事を祝福します」
「……もう、サクヤには会えぬのか……」
二人の王族の祈りは、バルティアに逸らし様の無い現実を突き付けるのだった。
「!っ」
がばっとベッドから飛び起きる。エアコンの効いた自室で目を覚ました朔耶は、どうしようもなく落ち着かない焦燥感に駆られていた。
『皆が危ない……サムズから侵攻って事は、アンバッスさんやクィス達はどうなったんだろう……?』
うろうろと部屋の中を徘徊し、うーうー唸る。しかしそれで何が変わるでもなく、安全で快適な温度に保たれた部屋の中で朔耶は向こうの世界に焦がれた。
「あーーーー落ち着かない!」
クローゼットを開き、箪笥を引き出して出掛ける準備を始める。クローゼットの中に吊るしてあった黒い街服を一度手に取り、逡巡の後元に戻す。そして別のワンピースを取り出した。
「お兄ちゃん!」
「ぬおっ どうした妹よ!」
「車出して!」
「何故に!」
変なノリにしようとするオタ兄を取り合えず張り倒して満足させると、とにかく何処でも良いから連れてってと言うドライブに誘うような文句で中古のランドクルーザーを走らせた。そしてアッチへコッチへと分かれ道に差し掛かる度に指示を出していると、何時の間にかあの山の麓まで来ていた。
「ここに、来たかったのか?」
「…………違う」
胸の奥に焦燥感を燻らせたまま、朔耶は車のシートで膝を抱える。ここへ来てどうなる訳でもない事は分かっていた。あの時も朔耶を運んだ精霊は偶々近くの別世界から召喚しただけなので、この地にあの精霊が住んでいる訳ではない。
「皆が大変なの……あたし、此処に居たんじゃ何にも出来ないよ」
「……何か、する必要があるのか?」
兄の突き放すような言葉に、朔耶はキッと顔を上げる。しかし、反論する言葉も浮かばず俯いて膝にオデコを乗せると、息を吐いた。
「……何とかしたい……」
「精霊の力ってヤツを得た者の傲慢から来る気持ちかも知れなくてもか?」
「そんなの、どうでもいいよもう…………皆を助けられる力があって、それを使えるから使うだけ」
「うむ、吹っ切ったな」
ほへ? と再び顔を上げた朔耶は、兄の言葉の意味を咀嚼して飲み込んだ。そうしてシートに凭れると力なく笑う。
「はは……馬鹿だね、あたし……吹っ切ったからって、向こうに行ける訳でもないのに」
「まあ物は試しだ、しっかり掴まってろよ」
兄は泣き出しそうだった朔耶を慰めるようにそう言うと、車のサイドブレーキを落として車を発進させた。2.4L直列四気筒ディーゼルターボエンジンが唸りを上げて駐車場の軽い角度が付いた段差に乗り上げると、そのままハイキングコースに侵入する。
「ちょ、ちょっとっ お兄ちゃん! 何してんの!?」
「このまま山の天辺まで運んでやる、お前はその精霊とやらに呼びかけて見ろ」
「え……でも、そんな事してもっ」
「やるだけやって、それで駄目なら諦めも付くだろ? で、やるなら派手にやってやるよ」
ゴオオォォという普段の舗装された街中を走る時とはまるで毛色の違ったエンジン音を響かせたランドクルーザーは、ハイキングコースの急な斜面を物ともせずに力強い足回りで突き進んで行く。
「お兄ちゃん……ん、分かった」
朔耶は激しく揺れる車内で地下の精霊と繋がる糸を通じて、レティレスティアを守ろうとしたあの精霊に呼びかける。
『お願い、応えて……レティも皆も大変なの…… あなたの力でなら助けられるかもしれないの』
草を掻き分け、木立ちを蹴散らし、朔耶が数十分掛けて登った距離を数分で駆け登る。そして――
サクヤ ナカ ハイル アタタカイ ハイル イッショニ イク
「え?」
「ん? どうした?」
兄妹の呟きと共に、ハイキングコースを疾走していたランドクルーザーはこの世界から消えた。
ズシンッという音と共に縦の衝撃でシートに身体が押し付けられる。そのまま惰性で少し走った所で慌ててブレーキ。僅かに土を削ったタイヤ痕を残してスピン気味に停車するランドクルーザーの中で、朔耶は頭を振りながら悪態を付いた。
「たく、あのエロ精霊め……お兄ちゃん、大丈夫?」
「……うむ。 これは誤算だったな、というか、ここでの反応の仕方によっては我が妹を傷付ける事になったりならなかったり」
「ちょ、ちょっと! お兄ちゃん?」
「うむ。 問題無い、と思う……多分」
かなり問題のありそうな反応を返す兄を心配しつつ、朔耶は内心喜びと戸惑いに満ちていた。またこの世界に来られた事は嬉しいのだが、まさか兄と車ごと召喚されるとは予想外だったのだ。朔耶は自分の中の精霊の状態を確かめてみる。
「うーん……ここでどういう反応をするかによっては、お兄ちゃんを落ち込ませる事になったりならなかったり」
「うぉい、朔耶よ」
「うん、大丈夫。 何とかなるわよ、きっと……多分」
「無茶苦茶不安になって来たのだが」
例の精霊は前回の時と同様、朔耶の中に入った精霊の偏在が此方の精霊を目印にして精霊ごと移動、ただ今回は地下の精霊の助けもあった為、車を含む広範囲に渡ってゴッソリ転移して来たのだ。
周囲には向こうの世界から切り取られて来た木々や地面の一部が散らばっている。
「うわー……これ、あっちで穴開いてるよ」
「エライこっちゃな」
朔耶は意識の糸を探ってみた。すると此方で覚えた交感の感覚がちゃんと感じられた。使役した地下の精霊も傍に居るのが分かる。元の世界に居た時も、地下の精霊の偏在が常に傍に居てくれていたようだった。右手を持ち上げ、意識を集中させる。
カカァン
「うおっ なんじゃそりゃ! いや、それがお前の言ってた電撃か……」
「うん、イケるみたい。 お兄ちゃんと車も精霊と重なってるから、多分あたしと精霊の力で戻せるよ」
「ほほう」
前回、朔耶を喚んだ時は朔耶の中に入った精霊一体のみだった為、朔耶の中に入った精霊の偏在が此方側に居る自らの身体を目指して運ぶ以外に方法が無かったが、今回は地下の精霊の助けがあったので、朔耶の世界に居る地下の精霊の偏在を出発点とし、此方側の地下の精霊を目標地点として空間ごと精霊の中に溶かし込み、こちらの世界で再構成して転移を完成させた。
「んん? じゃあ俺も愛車もその辺りに散ばってる木とか地面の一部も、朔耶と同じ精霊と重なってるって事か? 精霊ってそんな伸縮自在なのか?」
「さあ……その辺りは王妃様に聞いてみないとどうにも。 それじゃあ、とにかく精霊に頼んでみるね」
「ちょっと待てい」
「うん?」
車から降りようとする朔耶を引きとめた兄は、徐に車のエンジンを掛ける。
「どうせ直ぐ戻れるんだったら、こっちに居る間やれるだけの事はやらないとな」
「え、でも……」
「まあ、俺も明日仕事だから夜までには還して貰うとして、こんなだだっ広い荒野にお前一人置いて還れるわけないだろ?」
「あ……お兄ちゃん……」
朔耶の頭を撫でながら笑い掛ける元硬派なオタ兄。朔耶は久しく感じていなかった兄への無条件の信頼感と憧れの気持ちを思い出していた。
「さて、どっちへ行けば良いんだ? 女神様」
「ぷっ 何ソレ」
どれだけ練習しても上達しなかった下手っぴなウィンクなど飛ばしながら、すかした台詞を口にする兄を笑いつつ、朔耶は湧き出すような勇気を与えられた気持ちで意識の糸を周囲に飛ばした。
「!っ あっち!」
「よし来た!」
アクセルを踏み込み、エンジンが唸りを上げる。朔耶と兄を乗せたランドクルーザーがオルドリア大陸の荒野を疾走する。朔耶が意識の糸で探った凡その現在地は、フレグンスとクリューゲルの国境沿い、カンタクルの街の東の外れ付近だった。
整地されていない荒野を時速八十キロで走る車の中では、意識の糸レーダーで常に地面の状態と周囲の状況に気を配り、兄のナビゲーションをする必要があった為、朔耶はレティレスティアを探して交感を繋ぐ暇が無かった。
なので彼女らが竜籠で脱出してまず訪れそうな場所はフレグンス領の国境の街カンタクルだろうと当りを付け、其処を目指して車を走らせる。援軍を送る為にも、まずは街に立ち寄らなくてはならないからだ。
「あ、しまった!」
「え? なに?」
「カメラ持ってくりゃ良かった」
「……お兄ちゃん」
朔耶の久しく感じていなかった兄への無条件の信頼感と憧れの気持ちは、モノの十分も持たなかったという。
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