レティレスティアは、先程の光を直視していなかったので直ぐに視界が回復していた。自分の腕を引いて駆ける若き魔術士に自力で走れる事を告げ様と声を掛ける。
「あ、あのっ 魔術士殿!」
「あたしは朔耶、只の女子高生、魔術士とかそんなんじゃないよ」
ジョシコーセイとはなんだろう? と、首を傾げるレティレスティアに、朔耶は何処か達観めいた微笑を向けながら尋ねた。
「ねえ、これって映画の撮影とかドッキリとかじゃないよねぇ?」
「? あの……? 仰ってる意味がよく理解出来ないのですが……?」
途惑うレティレスティアに、朔耶は軽く手を振って曖昧な笑みを浮かべた。
朔耶は今し方まで頭の中に響いていた別の意識が語りかけるような声の事を思い出していた。
あの、頭の中に水が流れ込んで来るような感覚の後、突然言葉が理解できるようになり、さらに指輪を填められてから自分の意識に語り掛けられるような不思議な声に気が付いた。
タスケテ タスケテ コノコヲ タスケテ
その声に意識を傾け、自分の身に何が起きたのか断片的に理解する事が出来た。明確に何があったと分かったのではなく『何と無く』な感じで意味が通じたような分かり方。
あらゆる場所、世界、時間にあらゆる姿で遍在する精霊。その精霊が『コノ子』、レティレスティアを危険から守りたがった。
精霊は付近の植物や動物の意識に語りかけて助けを求めたが、動物達は殺気だった人間を恐れて人の気配から逃げていった。精霊の語り掛けそのものには、対象を操れるような強制力は無いのだ。
植物達は彼女の行く手を遮らないよう道を開け、逆に彼女を追う者の行く手を阻んだが、遮る枝は断ち落とされ、絡みつく草は引き千切られ、若干の足止め程度にしかならなかった。
精霊は精霊の声に意識を向けられる存在で人間に対抗出来る存在を探した。そうして偶々近くの別世界に居た朔耶を感じ、彼女を『喚んだ』のだ。
朔耶にとってはいい迷惑な事この上ないだが。
そんな経緯を意識の声から感じ取り、「何と無く」な感じて理解に及んでいる傍らで先程のレティレスティアと武装集団のやりとりがなされていたのだった。
こんな森の中でうら若き乙女を集団で追い回し、取り囲んでは武器で脅し、更にはなんだか鎖の付いた如何わしい首輪のような手枷足枷を装着させようとした変態コスプレ集団。
朔耶には彼等の姿はそんな風に映った。
ついでに自分の事を『魔術士』等と呼んで警戒して見せつつも侮るような事を言われたような気がして、何と無くムっとなった。
少々負けん気は強かったりすると自覚している朔耶は、電車で痴漢にあったりすると、ウェルカムでエルボー&ニー+ストンピングを漏れなくプレゼントするような気性持ちだ。
幼馴染からは『お前は負けん気が強いんじゃなくて凶暴なだけだ』と揶揄されたりしていたが……。
「なんだか知らないけど、あなたの事助けてって頼まれたし、ここ何処だか分かんないし、さっきの連中変態だし……とりあえず逃げよう? きっと町まで行けば大丈夫だよ」
「は、はい……あの、頼まれたと仰いましたが……サクヤ殿は私の警護の依頼を?」
「ううん、分かんない。さっきの頭の中に水が入ってくるようなアレの後、誰かの声があなたを助けてーってずっと頭の中に響いてたの」
それを聞いてレティレスティアはハッとした表情になった。
「もしや、貴方は精霊の声を聞けるのですか?」
「精霊?」
あの意識の声の主は『精霊』というモノなのだろうかと、朔耶は『何と無く』理解した事柄にそんなような概念があったような気もするなぁと、かなり曖昧な肯定を返した。
その時、背後から金属の擦れる音と土を蹴る複数の足音が迫って来るのを感じて肩越しに振り返ると、さっきの集団が追いかけて来ている。
「うわ~まっずいなぁ……」
朔耶はキャンプ用に大荷物を背負っているので余りスピードが出せない。レティレスティアもドレスなどいう走る事には向かない格好だ。これでは直ぐに追いつかれてしまう。
何か護身用の道具は無かったかと、荷物の中身を思い浮かべていると、レティレスティアが会話の時のそれとは違った響きを持つ口調で言葉を紡いだ。
「――精霊よ、風の加護を我等に――」
途端、ふっと身体が軽くなる。
朔耶はレティレスティアが何かこの世界のファンタジ~な力を使ったのだろうと納得し、受け入れて深く考えない事にした。
「おお~身体が軽い軽い 裸で走ってるみたい!」
「え! サクヤ殿は裸で外を御走りに……?」
「御走りになるわけないでしょっ ものの例えよ例え」
そんな何処か余裕のある会話をしながら、森の中に比べればまだ走り易い川岸を直走る。元々アウトドア派な朔耶は運動神経も良い方で、体力も平均以上だし足もかなり速い。
『風の加護』で身体が軽くなり、荷物の重さも感じなくなった朔耶は、この開放感にも似た感覚に、この不可思議な現象に遭遇してからの不安と恐怖と不快感で積り積もった鬱憤を開放するように全力で走った。
そんな朔耶に手を引かれたレティレスティアも、今まで経験した事の無いような速度に驚きながら走った。飛ぶような勢いで駆ける二人に、軽装とはいえ武具を装備した武装集団はどんどん引き離されていく。
「くそ……このままで逃げられるぞ」
「隊長っ フレグンスの近衛騎士団です!」
「!っ 時間を掛けすぎたか……仕方が無い、任務は失敗だっ 戻るぞ!」
馬の蹄の音が近付いて来るのを聞いて姫の確保を断念した彼等は、号令に踵を返すと次々に森の中へ姿を消して行った。
追って来ていた集団が森の中に飛び込み、姿が見えなくなっても朔耶とレティレスティアはしばらく走り続けた。やがて岩場のような場所に出ると、そこでようやく一息ついて足を止めた。二人ともすっかり息が上がっている。
足元は落ち葉や枯れ木の積もっていた土の代わりに、ゴツゴツとした岩肌が続いている。森の中ではゆったりとした流れだった川も、渓谷のようなこの場所に来ると川幅が狭まった分、勢いも増しているようだ。
まだまだ森を抜けたわけではないが、流石に岩場の上までは木々も生えない。約五メートル四方程の開けた場所だった。
「ふぅ~~もう……フゥフゥ……追って……フゥフゥ……来ないかな? ふぅ……」
「ハァハァ……私……ハァハァ……こんなに……ハァハァ……走ったのは……ハァハァ……初めてで……ハァハァ……」
息も絶え絶えといったお互いの様子に、思わず二人顔を見合わせて笑ってしまった。
朔耶は息継ぎと笑いに四苦八苦しながらどっかと座り込むと、背中のリュックからペットボトルを二本取り出し、上品にペタリと座り込んでいるレティレスティアに一本を渡した。
「これは?」
「水。 こうやって開ける」
蓋を捻って開ける所を見せると、中身のミネラルウォーターを一気に呷る。レティレスティアも初めて見る不思議な容器に眼を奪われながらも、回して開くという面白い蓋を開けて喉を潤した。
「それにしても、先程の閃光の魔術は見事でした。サクヤ殿の流派は光を操る術に長けているのですね」
「だから、魔法とかじゃないってば コレはこういう道具なの、あとあたしの事は”朔耶”でいいよ」
「分かりましたサクヤ、では私の事もレティとお呼び下さい……助けて頂き、本当に有難う御座いました」
「いいよいいよ、一緒に逃げただけだしさ。なんかアイツ等ムカついたんだもん」
一休みして呼吸も落ち着き、さてこれからどうしようかと、朔耶はレティレスティアと話し合う。
「とりあえず森を抜けましょう、このまま川沿いを下って行けば途中で街道に出る筈ですので、そこから近くの村に向いましょう」
「村かぁ……やっぱり中世っぽいゲームみたいな雰囲気なのかなぁ」
「はい?」
「ううん、こっちの話しだから気にしないで」
パタパタと手を振って誤魔化しながら、朔耶は『何時帰れるのかなぁ~』等と考えていた。
レティレスティアを助ける為に精霊達は藁にも縋る想いで自分を『喚んだ』のならば、彼女を無事悪漢? から逃がしたのだから早々に『還し』て欲しいモノだ、と。
どっか其処等中にいるらしい精霊達に『還せ~戻せ~』と念じて見たが、返答は無かった。
と、その時、森の中を移動する複数の明かりが木々間に見え、同時に馬の蹄の音が響いてきた。さっきの連中かと朔耶は慌てたが、レティレスティアが立ち上がってそれを制す。
「あれは近衛騎士団です! 大丈夫、味方です。 私の護衛をしていた者達です……良かった」
心底ほっとしたように顔を綻ばせるレティレスティアに、朔耶も胸を撫で下ろして荷物に凭れ掛かった。それからよっこらしょと立ち上がり、懐中電灯の光を向けて此方に気付くよう明滅させる。
さっきの眼眩ましに使ったような強烈な光では無いものの、800メートル離れた場所からでも見える明るい光だ。直ぐに気付いたらしく、明かりの一つが列から離れて此方に向かって来るのが分かった。他の明かりもその後ろに続く。
やがて一頭の馬が茂みから飛び出し、その背から白っぽい甲冑を着けた騎士らしき人物がマントを翻しながら飛び降りた。身長程もある銀色の槍を肩に乗せた精悍な顔立ちのその人物は、赤み掛かった金髪を靡かせながら此方に向かって走って来る。
「イーリス!」
レティレスティアがその騎士の名を呼んで駆け寄った。その声には安堵と喜びと憧れのような響きが混じっていた。朔耶は『おーおーなかなか格好いいじゃん、イケメンじゃん』とか思いながらその様子を眺めていたが――
「姫、御下がりを!」
その騎士は何故かレティレスティアの横を走り抜け、槍を構えて朔耶の方へと向かって来た。
突然の事で咄嗟に反応出来ず、呆然とそれを見送るレティレスティアは、イーリスがサクヤをあの集団の一味だと間違えている事に気付き、慌てて制止に入る。
「イーリス駄目! その方はっ! ――精霊よ風の戒めを彼に――」
レティレスティアの放った『風の戒め』がイーリスを捕らえるのと、イーリスが朔耶に槍を突き出すのは同時だった。
「!?」
鋭く突き出された槍の穂先は朔耶の心臓を貫こうとしたが、『風の戒め』で急制動を掛けられた為に勢いを削がれて狙いが外れた。結果、槍は朔耶の肩を突き刺してその身体を弾き飛ばした。
「嘘ーーー!」
そのまま川の中へと落下した朔耶は、あっという間に流されて見えなくなった。
それを確認した騎士イーリスは、急所は外したものの危険は排除出来たと安堵する。攻撃の瞬間、自分の身体を急停止させた力はあの魔術士の防御魔法の類だろうと推測した。
「姫、ご無事でしたか」
「……なんと……いう事を……」
レティレスティアは呆然としてその場に立ち尽くしていた。その様子を訝しむようにイーリスは声を掛ける。
「姫? 何処か、お怪我でも……」
「貴方は、なんという事を! あの方は……サクヤは私を助けてくれた恩人でしたのに!」
「……は?」
やがて後続の騎士たちが次々と現場に到着し、彼等がそこで見た光景は。大きな荷物に縋り付いて泣き崩れるレティレスティア姫と、川岸を見詰めながら立ち尽くす近衛騎士団長の姿。
姫とその婚約者候補でもある団長の奇妙な様子に、他の騎士達はただ首を傾げるのだった。
『ぎゃーー溺れる溺れる! 肩痛い! 水冷たい! 精霊ーーなんとかしろーー!』
真っ暗な川底を流されていた朔耶は、左肩の焼けるような痛みに遠くなりそうな意識を大騒ぎして繋ぎ止めていた。
その内自然と身体が水面に浮いて呼吸を確保する事が出来た。今着ているジャケットにはフロートが付いていたのを思い出す。とりあえず、これで溺れる心配は無くなった。
「……あ~荷物、置きっ放しだなぁ……肩、刺されたのかな……痛いし……水冷たいし……このまま死んじゃうのはやだなぁ……」
雨音のような川の流れる音に包まれ、夜空に瞬く沢山の星が流れていくのをぼんやり眺めながら、朔耶はゆっくりと意識を手放した。
『目が覚めたら夢オチでもいいから帰れてますように……』
「……あのイケメン……今度会ったら殴る……ムニャ……」
割と余裕があった。
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