暗殺未遂事件から数日が経ち、朔耶に協力を取り付けたバルティアは皇帝として帝国の掌握に動き出した。
朔耶には皇帝の発言と同等の権限を有する許可書を与えられ、城内を自由に動き回って暗躍する者達を牽制する事で反応を窺いながら、敵と味方の判別を付ける。
事件以後、皇帝が朔耶を娶る事に反対していた側近達は一転して賛成の立場を表明し、朔耶は城内で『皇帝の黒后』と囁かれるようになっていた。
その朔耶を昼食に誘おうと士官食堂のある階を歩いていたバルティアの背後からシャーーカラカラカラ……という奇妙な音が近付き、両脇を疾風のように駆け抜けていく黒い影と形の良いお尻。
「待て」
「ん? バル?」
「あわっ 皇帝陛下!」
先日バルティアが贈った黒い服を纏う朔耶と密偵部隊の女性隊員が少し通り過ぎた廊下の先から振り返る。
ちなみに先程の『黒い影』は朔耶で『形の良いお尻』は女性隊員だ。二人は細長い板の前後に小さな車輪が付いた奇妙な乗り物に乗っていた。前の車輪から伸びた棒状の部分を掴んで板に片足を掛けている。
「どうしたの?」
「いや……昼食に誘おうと思ったのだが、それはなんだ?」
「これはキックボード、このお城広くて移動が大変だからちょっと作ったの。あたしお昼はヴィヴィンアンさんと食べるからお誘いはパスね」
「ちょっと、いいの? 陛下のお誘いなのに……」
皇帝の誘いを無下にする朔耶に戸惑うヴィヴィアンことアネット。 朔耶は『いいのいいの』と軽く答えながらキックボードのブレーキを調節している。
「むぅ……まあ、それは仕方あるまい。 所でその乗り物だが、サクヤが作ったと?」
「うん、欲しい?」
「うむ」
落ち着いた返事を返すバルティアだが、まるで子供のようにキラキラした目はキックボードに釘付けだ。
「じゃあバルの分も作ったげるから、後で取りに来て」
「よかろう」
上機嫌で皇帝の間に戻っていくバルティアを見送りながら、アネットはポツリと呟いた。
「あたし、サクヤちゃんは絶対敵に回したくないわ……」
「ほぇ?」
この日の昼下がり、廊下をサクヤ式二輪車で疾走する皇帝陛下の姿が目撃されたとか。キックボードによる機動力の向上は監視者の追跡を困難にさせ、地味に嫌がらせになっていた。
夕刻過ぎ、ある程度回復したシーファが一般病室に移ったという知らせを聞いた朔耶は、お見舞いも兼ねて様子を見に病院のある一角にやって来た。
ここには連日沢山の一般民や訓練で怪我をした兵士達が訪れ、魔術と医術による治療を受けている。
尤も、魔術による治癒が受けられるのは金持ちや身分の高い者が殆どで、一般民や雑兵クラスの兵士は薬草などを使った平民医療を処方される。
病室も個室が並ぶ上階層病室と、広い部屋に簡易ベッドが並ぶ下階層病室があり、一般病室は下階層の方だ。
シーファが療養していたのは彼女達姉妹の住んでいる部屋である。聴取と護衛の関係で病院には置けなかった事と、シーファの状態を考慮しての処置だった。
聴取も終え、シーファの体力も回復して来た事でリーファも仕事に戻って生活費を稼がなくてはならない為、シーファを部屋に一人で残して置くよりは大勢の患者がいる病院に預けた方が安心出来るという事で一般病室に入れて貰ったのだ。
「空気悪っ!」
病室に入った途端、絡みつくような空気に朔耶が叫ぶ。広々とした空間に沢山のベッドが整然と並び、所々シーツの衝立で仕切られている病室。
ランプは薄暗く、彼方此方から呻き声が聞こえ、看護婦のような白い神官服を来た世話役が数人ベッドの合間を行き来して、見るからに重症っぽい包帯ぐるぐる巻きの患者の包帯を換えたりしている。
ただ兎に角空気が悪い。薬草の匂いと血の臭いが混じリ合い、換気が為されていないのか淀んでいる感じの空気はかなり健康に悪そうだった。
「あ、サクヤ様」
「シーファ、元気そう……でもないね?」
「あはは……」
シーファもこの淀んだ空気と呻き声には参っているらしく、小さな少女が独りで過ごすにはあまり良い環境とは言えない。彼女のベッドの周囲には同じくらいの歳の子や子供達も居た。
皆臥せっているのか、シーツに潜り込んだまま動かない。朔耶とシーファの会話を聞きつけて顔を出した子も、朔耶の姿を見ると慌ててシーツの中に潜り込む。
「むう、黒いのがいけなかったか」
「いえ……みんな、人見知りする子達みたいで」
朔耶には光が迸る様な活発なイメージがある為、人見知りする子供達にとっては只でさえ近付き難い人というイメージに加えて、髪も瞳も装いも黒一色なので純粋に『怖い』と思われていた。
「それにしてもこの空気の悪さは異常だわ、これじゃ返って病気になっちゃうよ」
ここの医者は何してんだーという朔耶に、白い神官服の見習い精霊術士が申し訳なさそうに答えた。
「すみません……先生は上層の患者さんを診るのに手一杯で、こちらは殆ど私達だけでやっているもので……」
「病室の環境改善については何度も訴えているのですが、中々忙しいらしくて」
特に返答も無いままこの状態が続いているという。彼女達が許可無く勝手に病室を弄るわけにも行かないので、どうする事も出来ないのだと嘆く見習い達。
しかし、彼女達の朔耶を見る目には期待が込められていた。当然のようにその意味を読み取る朔耶。
「やってやろうじゃないの」
病室の環境改善に乗り出した朔耶は、ロープを使って病室の寸法を測り、それらを書き記したノート(朔耶が紙を綴じ合わせて作った)を持って最寄の隠し部屋に籠もった。
そして夜更けまで改善案を練り上げる作業に没頭する。バルティアに貰った許可書の権限を使えば、城内施設の改築も可能だ。
「この油なら滑りが違いまさぁ、ただ摩擦で溶け出すと車輪まで滑るようになりますぜ」
「うむ、角を曲がる時に気を付ければ問題あるまい」
「何やってんのよアンタは」
翌朝、朔耶が必要な部品を作って貰いに技師の元に訪れると、バルティアがキックボードのチューンナップを交渉していた。昨日一日中乗り回していたバルティアは磨耗した車輪と車軸の交換に自ら技師の下を訪れ、一緒に交換しながら構造を把握して操縦技術も磨いていた。
廊下の角をドリフトしながら曲がる感覚が気に入ってるようだ。朔耶は『皇帝も男の子よね~』と、ある種納得気味に脱力しながら技師に部品を発注した。
「それは?」
「一般病室の環境改善に部屋を弄ろうと思って、お城の外壁にちょっと穴開けるけどいいよね?」
「城を壊さんでくれよ?」
「大丈夫よ、あと人手も要るから何人か使うからね?」
城の外壁に穴を開けるような工事をそんなに簡単に決めて良いのかと、部品の発注を受けた技師は朔耶と皇帝陛下の会話に目を丸くしていた。
その後何軒かの職人の下を回って必要なモノを発注した朔耶は建築技師と作業員を連れて一般病室に一番近い城の裏側に当る外壁沿いの空き部屋を確保すると、この部屋の外壁に穴を開ける工事から始めた。
昼過ぎには次々と出来上がった部品が運び込まれ、それらを作業員に指示を出して組上げて行く。
「これは……サクヤ式送風機の中に組み込まれている風車ですか?」
「まあね、但しこっちは風を受ける方のね」
外壁に穴を開けた部屋に設置されたのは直径一・五メートル程度の風車。
これを開いた壁から外に張り出し、常に吹き上げている風を受けて回転させる事で動力に使う。次に天井付近から革製の排気管を通すと、病室の天井で分岐させて適当な穴を設けた管を張り巡らせる。
風車の部屋には外に張り出した風を受ける風車を動力にしてベルト式と組み合わせた歯車により回転を高めた直径六十センチ程度の風車が排気用に開けた壁の穴に取り付けられた。
この排気口に革の管が繋がれて病室の淀んだ空気が城外に吸い出されていく。
動力用の風車は部屋の中に引き込んで補修が出来るよう台座部分は稼動式にしてあり、開いた壁には木製の板戸がこの場で職人の手によって作られた。
「一番磨耗が早そうな歯車の軸は予備を多目に作っておいた方がいいかな、部品の交換を行う時は必ず風車を止めてから行うようにね」
ここの担当に就く者に注意事項を説明した朔耶は引き上げる作業員達を労うと、一旦病室の様子を見に訪れた。淀んでいた空気は入れ替えられたようにスッキリしていて、血と薬草の混じった臭いも随分軽減されていた。
『後は灯りかな』と呟いてそのまま厨房に向かった朔耶は幾つか魔力石を分けて貰い、倉庫から持ち出した通常の油ランプをベースに簡易魔力石ランプを作って病室の暗いランプと交換していく。
朔耶の魔力石ランプは改良に改良を重ねて完成したフレグンスの街灯にも使われるランプなので、簡易式でも明るさは魔術式に引けを取らない。
「凄いです! 病室が見違えました!」
「流石は黒后のサクヤ様ですね!」
「何よその二つ名は……」
見習い精霊術士達の称賛に照れつつ、城内で定着しつつある微妙な通り名に眉を顰めながら、朔耶はシーファに軽く手を振って病室を後にした。
「それで、何か掴めた?」
皇帝の食堂で夕食を摂りながら、朔耶は徐に尋ねた。今日こそはと夕食に誘って来たバルティアに、朔耶も今日は一働きしたので豪勢なご馳走が食べたいなと思い、誘いを受けたのだ。
「今の所は特に無いな、サクヤの方は相変わらずか?」
「まあね、でも何と無く怪しいのは見えたよ?」
あの一件以来、朔耶の周囲からは監視者の姿が消えている。
恐らくは朔耶に発見されれば、その能力で背後に関係する人物の情報を読み取られてしまう危険を恐れての処置なのだろうという推察で、朔耶とバルティアの意見は一致していた。
そこで気になる事がもう一つ、朔耶は側近達の変り身の中に一つの違和感を感じ取っていた。些細な事ではあるが、もしかしたら重要な手掛かりになるかもしれない違和感があると言う。
「ほう? それは?」
「ここじゃ言えないよ、何処か人目の付かない耳の無い所で、ね」
「うむ、サクヤと共にいれば監視者共の気配も無いからな、余としては常に傍にいて欲しいのだが」
「はいはい、口説き文句口説き文句」
隙あらば口説こうとするバルティアを朔耶は手をヒラヒラさせながらあしらうと、何時かの晩餐会の時に食べた事のあるフルーツに齧り付いた。さり気無くその品目をチェックしておくバルティアだった。
「サクヤ」
「ん?」
「お前が来てくれて良かった」
真面目な顔に微笑を湛えてじっと見つめながらそんな言葉を囁くバルティアに、一瞬キョトンとした朔耶は眉を寄せながら言った。
「あたし、攫われて来たんだけど」
「そうだったな」
くっくと笑うバルティアに、朔耶はフルーツの種を飛ばして攻撃した。
「おお陛下、ここに居られましたか。サクヤ殿もご一緒ですな」
内密な話の出来る隠し部屋に向おうと食堂を出た所で、側近の一人が声を掛けてきた。朔耶には『謁見の間でも見たよく叫ぶ爺さん』として記憶されている。
「ダンクルか、どうした?」
「ハ、実は最近陛下がお使いになられている二輪車について、城内の伝令に使わせて頂けないものかと下々の者から嘆願が上がっておりまして」
バルティアは朔耶を振り返ると、どうする?という意味の視線を送る。
「いいんじゃないの? もうこの城の技師さん達だけでも作れると思うし」
「だそうだ、余は別に構わんぞ」
「ハハッ では早速そのように……あ~……所で陛下、お顔に何か付いておりますぞ?」
そう言ってダンクルは自らの顎の辺りを擦って見せる。バルティアが自分の顎を擦ると、何か白っぽい粒が指に引っかかった。 横でニヤニヤしている朔耶を余所に、バルティアはそれを摘むと徐に口に含んだ。
「!っ タネ食うなーー!」
ニヤニヤ笑いから一転、顔を真っ赤にした朔耶が叫ぶ。
「ふっふっふ、お前の口にしたモノなら何でも食ってやろう」
「やかまし変態皇帝め!」
「陛下に変態とは何事か!」
「変態でしょうが!あんた教育係ならちゃんと教育しときなさいよ」
しばらく廊下で騒いだ後、バルティアに宥められたダンクルはブツブツ言いながら公務に戻り、朔耶とバルティアは最寄の隠し部屋に向かった。
途中、離れた場所の壁の裏に何者かが潜んでいる事を意識の糸レーダーで見つけた朔耶が、じぃーっとその壁を見詰めていると、慌てたように物音を立てて其処から立ち去って行く足音。
「かなり警戒してるね」
「くく……サクヤの索敵にはまだ対抗出来ないようだな」
朔耶は若干ゲンナリした様に呟き、バルティアは面白そうに言った。
「さて、それでサクヤが感じた違和感とは?」
「うん……さっきのダンクルさんだっけ? あの人は信用出来るかもしれない」
ほう? と首を傾けながら先を促すバルティアに、朔耶は初めてこの城に来た日の謁見の間での出来事から話し始めた。
「他の側近の人達とあの人の言う事って、少しだけ違いがあるのよ」
初日の掛け合いでダンクルは常に『陛下』を尊重する言い方で朔耶と対峙し、毒殺未遂事件以後の側近達の朔耶を娶る事に対する賛成の理由でも、ダンクルは『陛下の御為』というニュアンスが強かった事に対し、他の側近達からは『朔耶の力』を評価する言葉が多かった。
「ふむ……確かに些細な事だな、それだけでは相手の信疑は測れまい?」
「まあね、でも何かそこが引っかかるのよ……」
まるで他の側近達は、皇帝よりも皇帝の相手が重要であるような雰囲気を感じるという。
「……そういえば、サクヤを娶る事に反対していた者は皆、フレグンスの王女を后にと推していた者達だな」
「レティとあたしの共通する点って言えば、やっぱ精霊術よね?」
朔耶は自身の詳しい事情は伏せながら自分の中の精霊が騒いでいる事をそれとなく話しに混ぜてこの城か、この地に何か精霊を騒がせる要素が無いかを探った。
朔耶の中の精霊の状態について、レティレスティアとは毎日のように交換を繋いで連絡を取り合っているが、精霊が騒ぐ理由は未だにはっきりしていない。
以前のエルディネイア誘拐事件の時のように直接精霊に尋ねようともしたが、波で荒れた水面の如くノイズだらけで声が届かないのだ。
「精霊か……サクヤが精霊術の使い手として優れている事が、裏の支配者にとって都合が良いという事か?」
「ん~……どうなんだろう? でも、あれから危ない事って起きてないよね?」
「ああ、まだ数日しか経っていないから分からんが……狙われる気配はないな」
「それってつまり、皇帝の相手はあたしでOKって事になったから暗殺やめたって事にならない?」
『ではこのまま結婚すれば安泰だな』などと口走る皇帝にヘッドロックを掛けながら、朔耶は集めに集めた兵力について質問する。
「余にもよく分からんが、フレグンスに対する圧力になると聞いている」
十分に圧力を掛けた後、外交交渉によってフレグンスの王女を皇帝の妻に迎える事で両国の和平と同盟を目指す、その実、内部崩壊したフレグンスに融和政策を行って取り込むという話だったと語るバルティア。
帝国の重要機密ダダ漏れである。
「じゃあ、本来はそれでレティを手に入れる手筈だったわけだ? 国境の森でレティを攫おうとしたのはアンタの指図?」
「うむ……無駄に兵を雇っても……国の財政を……圧迫するだけだからな……民の生活にも……影響は少なからず……」
ほうほうとジワジワ締める力を増しながら、朔耶はバルティアが自国民の事をちゃんと考えていた事に少し感心した。
「ああ……このままサクヤの腕の中で果てるのも悪くない」
「ばか」
ぽいっと皇帝を投げ出した朔耶は隠し部屋の出口に向かった。
「何処へ行く?」
「下の訓練場。 傭兵の人達の様子も見ておこうと思って」
「ふむ、では余も……」
「あんたは仕事があるでしょうが」
バルティアにも皇帝の権限でしか決められない事項を扱う書類にサインを入れるという事務仕事があった。朔耶に与えた許可書のように、皇帝にしか書く事の出来ない発掘品のペンを使って延々サインを書き続ける仕事。
詳しい判断を下すのは殆ど書類を持ってくる側近の仕事なので、バルティアには本当に只管サインを書くだけの退屈極まりない仕事だ。
とぼとぼと皇帝の執務室に向かうバルティアに『サボるなよー』と励ましの言葉を掛けて送り出した朔耶はそのまま一階の中庭訓練場に向かった。
「この頃はみんなダレて来てるみたいよ~?」
「真面目に訓練してる人もちらほら見えるね」
途中で出くわしたアネットと連れ立って、夜の帳が下り始めた中庭訓練場を歩く朔耶。
帝国の正規軍は城に近い位置の訓練場、傭兵達は防壁に近い訓練場で其々気の合う者同士で固まって訓練に励んだり、独り離れた所で黙々と修練を行う者も居る。
この城の中庭には中心に円形の闘技場があり、その周囲は観戦用の空き地を挟んで訓練場がズラッと並んでいる。
森の中での戦闘や足場の悪い場所での戦闘を想定してか木に見立てた高い杭が打ち込まれていたり、デコボコや斜面になった地面が区画ごとに分かれていた。
「なんというか『庭園?何それ?』って感じだね~」
「あははっ 剣の国なんて言われてる修行大好き人間が集まる国だからね、そういう情緒は必要ないでしょ」
「密偵部隊の人達は何処で訓練してるの?」
「あたしらは戦闘技術よりも潜入技術優先だからホラ、あそこのごちゃごちゃした所さね」
そう言ってアネットが指した場所は建物の一部を切り取ったような屋根と窓の付いた壁に、少し隙間を開けて塀が立っている映画のセットを思わせる造りの訓練場だった。
「おおー本格的」
「王都の貴族街じゃここでの訓練が随分役に立ったよ、あの土台もよくある貴族の屋敷を参考にしてるからね」
「ほうほう、貴族街で暗躍してました、と」
「あ” ちょっとサクヤちゃん、今のはホラ……ねぇ?」
思いっきり口を滑らせたアネットが慌てて『内緒ね?』のサインを送るが、朔耶にしてみれば『何を今更』な話である。適当な微笑み返しでアネットを混乱させて遊んでいた朔耶は、ふと思いついた質問を投げ掛けた。
「ねえ、ヴィヴィアンさん達はレティの誘拐とか指示されなかった?」
「王女様かい? どうだろうねぇ……隊長からは特に聞いて無いけど」
「俺がどうかしたか?」
そこに気配を消して現れたのはアネットが所属する密偵部隊の隊長、ガルブレックだった。
アネットは声を掛けられる直前に気付いていたので特に驚いた様子も見せなかったが、朔耶は数メートル先から近付いて来ているのを交感レーダーで察知していたのでやはり平然としたまま同じ質問を投げ掛ける。
「ん……いや、特にそういう指令は無かったな。常に動向は探るようには言われていたが」
「ふむふむ、という事は……帝国のシナリオはフレグンスに圧力を掛けながら工作による内部崩壊を待ち、然る後、政治的な取引でレティを手に入れて、グダグダになったフレグンスも自国領に取り込んで行くってのがメインな訳ね。レティの誘拐未遂はバルのアホタレの独断か……」
脅かすつもりで気配を消して背後に現れたというのに期待した反応を得られず少々残念そうに肩を落とす割とおちゃめなガルブレックは、その後の朔耶の独り言のような呟きに目を瞠った。
一体この少女は帝国の何処まで入り込んでいるのか、と。幾ら皇帝に見初められたからと言っても、帝都に来てまだ数日しか経っていない筈なのだ。
「それじゃあ、あたしの誘拐は誰の指図?」
「え? あ、それは……普通に上司からの指令だが……」
「つまりバルじゃないと……ま、後で聞けばいっか」
ふーむと腕を組んで考え込む朔耶を、ガルブレックは複雑な心境で眺める。竜籠の中でも考えていた事、朔耶を帝都に連れて来た事は果たして帝国にとって良い事だったのか、悪い事だったのか。
最近の皇帝陛下は以前のような無気力と違い、精力的に活動している。
それはもう城内の廊下を二輪車で爆走する程に。それが必ずしも良い事とは限らない。皇帝が実質お飾りのような扱いだった事は、裏事に精通する者なら直ぐに気付く。そんな事をつらつらと考えていると――
「おお? 見ろよ、『皇帝の黒后』様だぞ」
「ほんとだ、ちっせえなぁ 皇帝が子供趣味ってのは本当らしいな」
「いやあでも、あの細い身体に黒一色ってのは……なんかそそらねえか?」
「黒髪かぁ……悪くねぇなぁ」
近くの訓練場で酒盛りをしていた傭兵達が朔耶の姿を見つけて口々に囃し立てる。朔耶は『子供趣味』という部分で頬ピクリとさせたが、無視して考え事に没頭しようとしていた。
しかし彼らは本来の仕事場である戦場に出る機会が一向に訪れず、城の中庭訓練場で過す毎日に辟易している為かすっかり悪酔いをしており、下賎な噂話や下の話を始めてしまった。
周囲の訓練場にいる他の傭兵達もこれといった娯楽も無い為、楽しい事には便乗する。
「何でも謁見の間で全員とヤって腰砕けにしちまったって話だぜ」
「側近のジジイ共も含めてかよ? かぁーっ そりゃサキュバスって奴だな」
「うははっ サクヤだけにサキュバスってか!」
「俺もご相伴に預かりてぇ~」
ぷち。
「さ、サクヤちゃん……?」
「あ、ああいう連中の言う事は気にしても切りが無いぞ?」
ゆらりと振り返った朔耶に何か危険な気配を感じ取ったアネットとガルブレックは慌ててフォローに動くが、朔耶は無言で傭兵達の訓練場に手を翳す。
ちびっこい皇帝の黒后様がどんな反応を返すのか楽しげに様子を窺っていた傭兵達は、首筋に悪寒が走るのを感じて笑うのを止めた。
「……誰が…………」
ぶわっと朔耶の黒髪が広がり、身体が青白い光に包まれたかと思うと――
「色情悪魔かーーーー!!」
カカアアァン!カカカカアアァァアン!
閃光と稲妻が訓練場を駆け抜け、酒盛りをしていた傭兵達を含め囃し立てに参加していた周囲の傭兵も纏めて電撃を撃ち込まれてその場に崩れ落ちた。
彼らの馬鹿騒ぎに無関心だった傭兵達や正規軍の兵達も唖然とした表情でその惨状を見遣り、ついで朔耶に目を向ける。噂には聞いていた。
謁見の間で皇帝に対して堂々とした啖呵を切り、並み居る衛兵や騎士団、魔術団、精鋭騎士団のみならず、側近や皇帝陛下まで含め全員を気絶させて逃亡したという逸話。
フレグンスの光の魔術士、ルッテンを超える稀代の発明家、皇帝の黒后。強力な精霊術を操り、高度な技術で発明品を生み出し、得体の知れない魔術を行使する異国の魔術士サクヤ。
「たく……お下品なんだから」
剣の国に集う者は力を求め、力持つ者に憧れ、嫉妬し、尊敬する。畏怖と尊敬の眼差しを浮かべる戦士達の視線を浴びながら、朔耶は赤らめた顔を俯かせてのしのしと城への道を歩いていった。
朔耶の後姿を見送りながら、ガルブレックはふと思い出す。
「そういえば……フレグンスの城まで潜り込んだ別の隊の奴がサクヤの事で妙な事を言っていたな」
「妙な事……?」
「ああ、サクヤは『異界の魔術士』なんだそうだ」
「異界?」
怪訝な表情で返すアネットに、ガルブレックは一つ息を付いて答える。
「意味は俺にも分からん、そいつも城の地下でそんな話をしている女の声を聞いただけらしいからな」
まさか本当にこの世ならざる者な訳は無いだろうとガルブレックは首を竦め、アネットも朔耶は魔物や魔族の類には見えないと頷いた。
「まあ、得体が知れないのは確かだけどね……」
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