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本編
34話:グラントゥルモス




 フレングンスに長期潜入、諜報工作任務を経てフレグンスの要人一名を拉致し、亡命者二名を連れて帰国の途に着いている帝国密偵部隊ガルブレック・フォルソン隊長は、目の前に展開する理解の範疇を超える光景に頭を悩ませていた。

「ソース取って」
「ソースってコレ?」
「そう、それそれ」
「ちゃんと調味料もあるんだねー」

 他の部下たちも軒並み戸惑いを纏ったままだというのに、一人だけこの状況に馴染んでいる女性隊員のアネット・ヴィヤンドには呆れを通り越して寧ろ尊敬の念さえ懐いていた。
 術封じの枷を詠唱も無しに鎖ごと粉々にするような得体の知れない捕虜の娘と皿を並べて普通に食事をしているこの現状。一体どういう状況なのか誰か説明してくれという気分で件の少女、フレグンスの要人『王室特別査察官』のサクヤを覗き見る。

 ちらり。

 間諜として培った自然な動作で視線を向けたというのに、何故そんなにあっさり気付いて此方に眼を合わせて来るのか。慌てて視線を戻したガルブレックは内心で悩んでいた。

『本当にこのまま連れ帰っていいのか……』

 結局、サクヤの力については詳しい事は聞けなかったのだが、道具の類ではなく精霊術の系統である事だけは分かった。本人にもよく分かっていないような素振がみられたが、どうにもこの娘は演技が上手そうだからと判断には慎重を期している。
 帝国に連れて行く事に関しては『まあ、仕方ない』と言って特に逃亡や抵抗を見せる様子も無かった。
 空の上なので逃亡のしようも無く、竜を操れなければ例え籠内部を制圧しても結局は帝国領まで運ばれる事になるのだから、それを見越した上での判断なのかもしれないが。


「な、何をしている!」

 その時、ようやく目を覚ました魔術士、フエルト卿の従者が食堂にいる朔耶を見て声を上げる。 

「飯食ってんのよ」

 見りゃ分かるでしょとジト目で一瞥して食事に戻る朔耶。呆然としている従者に、声を聞きつけたフエルト卿が奥の部屋から呼びつけた。

「まったくいらん恥を掻かせおって! よくも勝手に私の発掘品を持ち出してくれたな!」 
「ヒィッ 申し訳ありません……!」

 従者を詰り始めるフエルト卿を、朔耶は半目で流し見ながら『あの人カイゼル王の前に突き出したら従者の人と同じ反応しそうだよねー?』等と呟き、ヴィヴィアンが苦笑しながら相槌を打った。

 食事も終わり、明け方には帝国領に入って昼には帝国の首都、『帝都クラティシカ』に到着するので休んでおく様に言われた朔耶は、この部屋で休むからと毛布を要求する。

「貴女は一応我々の捕虜なのだから、貨物室で休んで貰いたいのだが」
「寒いからヤ」

 狼狽しながら朔耶の立場を説明するガルブレック隊長は部下に協力しろという視線を向けるが、頼みの綱のヴィヴィアンことアネットもお手上げポーズを返すだけだった。






 食堂で休む事を押し通した朔耶は毛布に包まりながら帝国領に近付くにつれて自分の中にいる精霊が疼き始めるのを感じていた。そして先程から引っ切り無しに精霊らしき存在が寄って来ては精霊の加護の使い方を教えて行く。
 直接言葉で説明する訳ではなく、精霊が自身に何が出来るのかを伝えてくるような感覚。まるで()える人に気付いた浮遊霊達がワラワラ集まって来ては『私の話を聞いてくれ~』とやっているかの如く、朔耶の周りには沢山の精霊達が寄ってきては意識に力を伝えて行く。
 お蔭でレティレスティアに交感を繋ごうとしても意識の糸を伸ばすと他の精霊がそれに引っかかって上手く伸ばせないのだ。

『はぁ~~レティ達心配してるだろうなぁ……選定の儀に影響出なきゃいいけど』

 とりあえず朔耶は今ここで交感をしようとすれば精霊達が群がってくるので落ち着いた場所に着いてからにしようと、レティレスティアに繋ぐのを諦めた。
 もうすぐ帝国の首都に着くと言う。帝国に着いたら自分はどうなるのかと考えるが、不思議と不安は無かった。

『もしかして、これだけ沢山の精霊に囲まれたから安心してるのかな……?』

 現れては消えて行くが何処か遠くに在っても直ぐ傍にいる事が分かる存在。自分の中にいる精霊の疼きが徐々に大きくなって行くのを感じながら、朔耶は束の間の眠りについた。
 交代で朔耶の監視をしている密偵達はしばらくモゾモゾしていた朔耶から寝息が聞こえ始めると肩の力を抜く。


「ふぅ……しっかし驚いたわね。あの子、何か違うとは思ってたけど……」
「ああ、アレは道具の力とも考え難い。かと言って魔術とも違う感じがする」
「雷纏うのはまだ分かるけどね、精霊術は殆ど詠唱がないから……にしたってあの枷の破壊は不可解だわね」
「俺は正直、このまま帝都に連れ帰っても大丈夫なのか心配だよ」

 隊長ガルブレックの不安を聞きながらアネットはサクヤの行く末を考えた。帝都に到着してからの予定はまだ聞いていないが、恐らく直ぐに謁見の間で皇帝バルティアに接見される事になる。
 朔耶の作る道具の評判は今やオルドリア大陸全土に響き渡り、間諜の報告を受けるまでもなく帝都にも知れ渡っていた。当然、帝国に協力する製作活動を要求される筈だ。其処での返答結果如何では直ちに処刑なんて事も起こり得る。

『まあ、あの子がそう簡単に処刑されたり懐柔されるとも思えないけどねぇ』






 ――帝都クラティシカ――
 
 オルドリア大陸北西に広がる山岳地帯の僅かな平地を中心に、険しい山を開拓して建てられた自然の要塞都市。多くの戦士や魔術師が道場を開き修練場に集う剣の国であり、飛竜の産地としても知られる。
 帝都の城は二重の防壁が六角形を象った巨大な城塞で、二重防壁の外側の防壁には巨大な投石器や大型弓が並び、内側の防壁は乗用犬や馬車を走らせる為の通路になっている。兵舎と共に兵達の家族も住めるよう居住区も併設されてあり、城の下層は城下街がそのまま組み込まれているような巨大さと人口を誇っていた。
 城の裏側は切り立った崖になっており、立地上常に風が吹き上げる此方側の壁面に竜籠の発着場が設けられている。

 朔耶を乗せた超大型竜籠は城の裏側の竜籠発着場に降下すると、ズシンという重い音を立てて着地した。直ぐに係りの兵が竜と竜籠の鎖を外し、竜達は翼を休めに厩舎へとノシノシ歩いて行く。
 連絡を受けていた衛兵達が集まり、帰還した密偵部隊を迎える為に竜籠の扉から発着場の出入り口まで整列した。

「うわ……あたしこういう雰囲気苦手」
「あら意外ね? お偉いさんを前にしてもいつも平気そうなのに?」
「式典みたいなのは何か緊張するのよ」
「あっはっはっ まあ、只のお出迎えだから気楽にね」

 『その後の皇帝陛下との謁見はどうだか分からないけど』とアネットは内心で付け加えると、朔耶を伴って扉を開く隊長の後ろに付いた。

「帝国密偵部隊ガルブレック・フォルソン以下、部下四名、フレグンスより亡命者二名、フレグンス要人捕虜一名を連れ、只今帰還致しました!」
「長期の任務、ご苦労であった」

 出迎えの衛兵が整列する中、上官と敬礼を交し合い、任務完了の報告をするガルブレック隊長。朔耶は『おおー軍隊調だ~』などと呑気な感想を抱きながら周囲をキョロキョロと観察していた。厩舎に向う四頭の飛竜が尻尾を振りながらひょこひょこ歩く姿は中々愛嬌があって思わず顔を綻ばせている朔耶に、衛兵達は奇妙なモノを見る視線を向けていた。
 事前に知らされていた話では、フレグンスの要人捕虜一名とはこの少女の筈なのだが、枷も付けていなければ怯えている様子も無い。亡命者の間違いなのでは?と疑問に思う者もいた。密偵部隊の上官も捕虜に枷が付けられていない事をガルブレック隊長に問い質していたが、どうにも要領を得ない説明に首を傾げていた。

「ふむ……まあ、その事も問われるであろうが、とにかく今は謁見の間に急ごう。 陛下も御待ちだ」

 上官の後に続いてぞろぞろと発着場の出入り口へと向う一行。朔耶は一度振り返り、高く連なる山脈の向こうと青白くくすんだ空を眺めると皆の後に続いた。
 朔耶は自分の中の精霊の疼きが大きな波のうねりのようになっている事に、若干の戸惑いを感じていた。

『なんだろう……何か精霊を騒がせるようなモノが此処にあるのかな……?』








 謁見の間は発着場と同じ階にある。朔耶を連れた一行は複雑に入り組んだ廊下を進んで行き、やがて大きな扉の前に出た。扉の前に立つ衛兵に密偵部隊の到着を知らせると内側から扉が開かれる。
 中に進むと床にはふかふかの赤絨毯が広がり、向かい側の壁にも同じ様な扉があって扉番が立っていた。

 部屋の中央辺りから右に曲がって正面に玉座のある壇上を仰ぐ造りになっていて、壇上までの両側に帝国騎士団と帝国魔術団が整列し、壇上では精鋭騎士団が玉座の周囲を固めるように配置されている。

 身分に厳しいフレグンスにおいても、どちらかと言えばアットホームさを感じさせていたフレグンスの謁見の間や王の間に比べると、此方は何処か粛然とした雰囲気で緊張感に包まれていた。
 そして玉座には黒い帝衣を纏ったグラントゥルモスの若き皇帝、第十四代皇帝バルティア・トラディアス・グランが目尻に掛かる銀髪を流しながら頬杖をついて退屈そうに鎮座している。

 一行は壇の階段手前まで来ると上官と部隊長が一歩前に進み出た位置で片膝を付いて頭を垂れ、続く密偵部隊の部下達や亡命者のフエルト卿と従者もそれに倣う。 

 ざわり、という周囲のざわめきに、密偵部隊の上官と部隊長ガルブレックは何事かと畏まった体勢のまま振り返って絶句した。皆が皇帝の御前に片膝を付いて畏まる中、一人だけ突っ立っている者が居た。
 紅い光沢のあるコートを纏って凛と立つ小柄な黒髪の少女は、その黒い瞳を真っ直ぐに皇帝へと向けている。

 隣でアネットが慌てながら『膝ついてっ、膝!』と声を潜めてコートの端を引っ張っていたが、朔耶はそれを無視して皇帝を見詰めていた。

「その者は何故膝を付かぬ! 陛下の御前であるぞ!」
「エリスリング諜報官、その者はフレグンスより連行した捕虜ではないのか? 何故枷を付けておらん」

 ガルブレック隊長の上官であるエリスリング諜報官は、側近達の問いに答えられず部下のガルブレック隊長に視線を向ける。向けられたガルブレック隊長は仕方が無いとばかりに恐る恐る側近達に答えた。

「えー……それは、付けても意味が無いからであります」
「ああん? 何を言っておるのだ貴様は――」

「まあ、待て」

 側近が厳しい叱責を飛ばそうとした時、黙って事の成り行きを眺めていた皇帝が口を開いた。相変わらず頬杖を付いて退屈そうに首を傾けたまま、皇帝は壇上の前に畏まる兵達の中で一人突っ立ったまま自分を見詰めている異国の少女に眼を向けた。

「娘、名は?」
「朔耶」
「ふむ、サクヤか。 噂では大層特殊な道具を作るそうだな」
「それほどでも」

 皇帝に対して全く敬意を払わない朔耶の態度に居並ぶ騎士や魔術士達は目を瞠って色めき立ち、側近達は口をパクパクさせた後、慌てて皇帝と朔耶の間に割り込むと皇帝に自重を促し、朔耶に不敬者と罵りを浴びせた。

「何たる無礼な振る舞い! 我等が陛下に対する侮辱は許さんぞ!」
「普通に返事しただけじゃん」

 顔を真っ赤にして怒鳴る側近に朔耶は飄々とした態度で返し、それがまた側近達の怒りに火を注いだ。

「それが無礼だと言うのだ! 陛下に敬意を払わぬは侮辱と知れ!」
「お前達! 早くその者を(ひざまず)かせぬか! これ以上の不敬は許さぬぞ!」

 とばっちりを恐れて身を縮めていたフエルト卿と従者は皇帝への挨拶どころでは無くなり、さらに小さくなって静かに畏まっている中、同じ様に畏まって居た密偵部隊の面々は側近達に朔耶を跪かせるよう言われてどうしようかと途惑った。
 竜籠の貨物室で見た術封じの枷を粉々にする力を(おそ)れている部分もあるが、それよりも帝都に近付くに連れて朔耶の纏う気配が何か神憑ったモノになって行くのを感じていたからだ。
 話せば普通に応対するので少し気になる程度ではあったが、ここに来てさらにその気配が強くなっている。人の纏う気配に敏感な彼ら密偵部隊の精鋭だからこそ、特に強くそれを感知出来ているが、頭に血が上っている側近達は気付いていないようだった。

「ね、ねぇサクヤちゃんてば、ここはホラ、偉い人の御前なんだから、一応礼儀としてね? 陛下に膝付いて頭下げて欲しいなぁ~って」

 ガルブレック隊長の頼れる部下、アネット隊員のとても捕虜に対する対応とは思えないような宥め賺した諭し方に、側近達も周りの騎士団、魔術団の面々も怪訝な表情を浮かべる。が、それに答えた朔耶の言葉に謁見の間にいる者全てが言葉を失った。

「い や よ  大体、なんで今あたしがここに居ると思ってんの?」
「え……それは~」

「あたしは、あんた達に攫われて、今此処に居るの。 誘拐されて来たの。 だからあそこでやる気無さそうに座ってる優男は誘拐犯の親玉なわけ。 な~んで自分を誘拐した連中の親玉に敬意を払わなくちゃならないわけ? ひざまずけ? ふざけんなって話、寝言は寝てから言ってよね」

 フンッと腰に手を当てて踏ん反り返る朔耶。呆気に取られて静まり返った謁見の間に、我に返った側近の怒号が響く。

「ぶ、無礼者ーー!! 衛兵っ 其奴を引っ捕えよ!!」

 あちゃーと顔を手で覆って天を仰ぐアネットと同じように眉間の皺を摘むガルブレック。慌てて衛兵が駆け寄ろうとした時、魔術団の列に並ぶ一人の団員が叫んだ。

「お待ち下さい! その者、何か仕掛けております!」
「あ、精霊術使う人居たんだ?」

 精霊神官の警告にそれを肯定するような言葉を発す朔耶、思わず動きを止める衛兵と警戒する騎士団に魔術団、それに精鋭騎士団も皇帝の周りに集まって護りを固める。静まり返っていた謁見の間は一転物々しい空気に包まれた。
 密偵部隊の面々はもはや自分達の手に負えない事態となったこの状況、騎士団達の捕り物騒ぎに巻き込まれないよう朔耶から距離を取った。慌ててそれにくっ付いて行くフエルト卿と従者。朔耶はそれを見て肩を竦めると、周りをぐるりと取り囲む騎士団を見渡した。
 
 朔耶は謁見の間に入った時から意識の糸を伸ばしてこの部屋にいる全員の位置を確認していた。竜籠の中で移動している最中に次々と寄ってきた精霊達に教わり、生物の位置を確認する交感の使い方、放射状に伸ばした意識の糸によって周囲の状況を正確に読み取るレーダーのような使い方を覚えていたのだ。
 通常、交感を索敵などに使う場合は深い交感で長く伸ばした意識の糸を探りたい方向に振るか、自身を中心にぐるりと回転させて糸に感じた建物や動植物などの自然物を感じ取る方法が使われるが、朔耶には交感の深度という制約が無い為 全方位に意識の糸を伸ばす事が出来た。
 そうして意識の糸の一部を特定の場所に絡めたまま、別の場所にも新たに意識の糸を絡める事が出来る。意識の糸を絡めた場所には、そこに精霊の力を発現させる事が出来るのだ。うねりを帯びて自己主張をする朔耶の中の精霊の影響か、朔耶は身体の奥から力が漲って来るのを感じていた。

「少し待て、異国の娘よ」

 退屈そうにしていた皇帝は頬杖をやめて玉座に座り直すと、兵達に取り囲まれている朔耶に声を掛ける。

「お前の言う事、至極尤もだが、立場を理解出来ぬ程愚かでもあるまい? 何故死に急ぐ」
「んん? あたし別に死ぬつもりなんて無いよ?」
「これだけの兵を相手にか? どう生きる?」
「別に相手にしなくても逃げればいいじゃん」

 朔耶のその言葉に反応したのはやはり精霊神官だった。

「っ! もしや転移術を使う気か!」
「いかん! 騎士は距離を取れっ 下手に巻き込まれれば身体の一部を持っていかれるぞ!」
「魔術士を前へ!」

「んな便利なもんが使えるんならとっくに使って帰ってるわよ……」

 素早く陣形を組み直す帝国騎士団と魔術団の動きに感嘆を抱きつつも呆れたように呟いた朔耶は、皇帝に向き直るとウィンク一つ。

「じゃ、寝言の続きは夢の中で」

 瞬間、カカアァアンという乾いた音と共に青白い閃光が謁見の間を包み込んだ。続いてドサドサガチャガチャという物音が一斉に鳴り響くと、何かが転がる金属音を最後にシン……と静まり返る。先程まで聞こえていたざわめきも、衣擦れや鎧の軋む音も、場に満ちていた殺気に近い緊張感と共々に全て消え去っていた。そして扉を開く音と共に走り去る小さな足音が遠ざかり、再び静寂が訪れた。

 最初に意識が戻ったのは特殊な任務に就いているだけに、魔術や意識の喪失に耐性を持つ密偵部隊の面々だった。小さく呻きながら身体を起こしたアネットは先に気が付いていたガルブレック隊長の呆然としている様を見上げると、周囲を見渡して同じ様に呆然として固まった。
 謁見の間には衛兵、帝国騎士団、帝国魔術団、精鋭騎士団、側近達、全員がその場に倒れ付していた。玉座のバルティア皇帝陛下も座ったまま気を失っているようだ。

「ちょっと……なによこれ」
「まったく、信じられんな……」

 あの瞬間、朔耶は謁見の間にいる全員に電撃を浴びせて気を失わせた後、そのまま逃亡したのだ。扉の外に居た衛兵も同じ様に電撃を浴びたらしく、慌てて駆け込んで来た彼らは謁見の間の惨状に絶句している。
 次々と目を覚ましては起き上がる騎士団や魔術団の姿を見て、どうやら死傷者は出なかったようだとホッと一息つくアネットだった。

「おのれ小癪な真似を! 貴様達っ何時まで呆けておるか!」
「何としてもあの小娘を捕らえよ! 此処まで愚弄されてよもや取り逃がすような事は断じて……」

「まあ、待て」

 怒り心頭で激を飛ばす側近達の言葉を遮ったのは、首を振りながら立ち上がるバルティア皇帝だった。彼は普段滅多に見せる事の無い笑みを口元に浮かべながら、謁見の間を見渡して言い放った。

「我が名においてサクヤの捜索と身柄の確保を命ずる。但し、何人(なんぴと)もこれを傷付けることは許さぬ」
「陛下……?」
「くく…… アレは余のものだ」

 怪訝な表情をしていた側近は皇帝の言葉の意図に気付くと、慌てて反対した。

「まさか! なりませんぬぞ陛下! あのような下賎の輩を!」
「何を言う、我が精鋭達を前にしてアレ程の啖呵を切る胆力、余を含めお前達を一瞬で昏倒させる程の実力、そして民の生活を潤すであろう発明品に見る聡明な知性、これ程の逸材はそうは居まい? 余の妻に相応しい」

 騒然とする謁見の間。皇帝が自ら朔耶を妻に迎えると明言したのだ。余りに予想外の展開に密偵部隊も唖然としたまま、アネットの『サクヤちゃんすげー玉の輿じゃない……』という呟きに頷くばかりだった。

「陛下! あの者は陛下を愚弄したばかりか、陛下の御身にまで無礼を働いたのですぞ!」
「尊き皇帝陛下の血筋にはもっと相応しき高貴な御婦人を迎えられるべきです!」

 尚も食い下がって反対意見を陳べる側近達に、バルティア帝は欠伸をしながら手を払って退室の意を示すと――

「ならば早く余の眼鏡に適う娘を連れて来る事だな、精霊術士として名高いフレグンスの王女も未だ我が元に届かぬではないか?」

 そう言って精鋭騎士団の団長に視線をやり、バツが悪そうに俯く姿を笑うと、さっさと謁見の間から出て行ってしまった。騒然としていた一同はとにかく朔耶を捜索せねばと、各々で小隊を組んでは城内に繰り出して行った。
 密偵部隊も事務処理が残っているガルブレック隊長とエリスリング諜報官を残して其々単独で捜索に出て行き、謁見の間に残された側近達は今後の対策についてぼそぼそと密談を始めていた。そんな彼らに遠慮がちな声を掛ける者が居た。

「あ、あのぅ 我々はどうすれば……?」

 すっかり忘れ去られていたフエルト卿とその従者だった。

「ん? ああ、亡命者か。 下の階で手続きを済ませて後は係りの者に従うがよい、おいっ衛兵! この者達を案内してやれ」

 声を掛けられた側近はそれだけいうと、密談に戻った。帝国にとって敵対する事になるであろうフレグンスからの亡命者とはいえ、フエルト卿の場合は祖国と主義主張を違えての已むを得ない亡命では無く只の背信行為であるだけに、皇帝への忠義に厚い衛兵からのフエルト卿に対する視線は冷たいモノだった。






「や~っちゃった~やっちゃった~と」

 小声で鼻歌などを歌いながらも内心ドキドキしている朔耶は意識の糸を伸ばして人の気配を探りつつ、城内の入り組んだ廊下や部屋を転々としながら逃亡を続けていた。無限の魔力を持つとはいえ、それを扱う精神力は朔耶個人のモノなのでやはり無茶をすればそれだけ疲れる。

「ああ……眠い……」

 何処か休める所は無いかと安全な隠し部屋のような場所を探していた朔耶は、壁の間に小さな空間があるのを見つけてその空間と隣り合っている部屋に潜り込んだ。長テーブルに椅子がズラッと並べられた会議室のようなその部屋は、灯りも無く窓に掛けられた分厚いカーテンに日の光も遮られて、薄暗く静まり返っている。
 空間のある側の壁に隠し扉らしき仕掛けを見つけたので、朔耶は精霊に頼んで鍵を開けて貰い、中に入った。

「五つも鍵が付いてるなんて、なんつー面倒な隠し扉……」

 ライターで明かりを確保すると、この空間の隠し部屋らしき様相が浮かび上がった。ランプがあったのでそっちの明かりを付けてライターを仕舞い、部屋を見渡す。三畳一間程の空間に質素だが柔らかそうな少し広いベッドが一つ、キャビネットと小さい机、椅子。それだけしか無かった。
 埃っぽくは無い事から、人の気配は感じられるものの生活臭までは感じない。偶に使う人が居るのかもしれないなぁと、朔耶はボンヤリし始めた頭で考えながらベッドを調べる。

「うう……そろそろ限界かも」

 ジャケットを脱いで壁に掛けると、柔らかいベッドに寝そべった。途端、身体中の力が抜けていく心地良さにそのまま眠りに付きたくなったが、睡眠直前の気力でレティレスティアへの交感を試みる。 距離の制約も受けない朔耶は本来であれば『意識の糸を伸ばす』という工程も省略出来るのだが、朔耶自身の持つ常識感が『距離の概念』を持って交感を行っている為、遠くに伸ばすという工程を経て離れた相手に繋いでいる。それが精神力を疲弊させる原因になっているのだが、人の持つ既成概念という枷は中々簡単には外せないモノなのだ。

――サクヤ? サクヤなのですか!?――
『あーやっと繋がった、やほーレティ』
――ああ! サクヤ! サクヤ、今何処に居るのです!? 無事なのですか!?――
『今ねぇ、帝国のお城のどっか隠し部屋みたいなところ』
――帝国! やはり帝国に攫われていたのですね……それにしても帝国の城から交感を繋ぐなんて――
『ん~途中で繋ごうと思ったんだけど、なんか精霊がわらわら寄って来ちゃってさー』

 交感を繋いだ直後はかなり興奮した様子だったレティレスティアは、朔耶が何時もの調子で話す事に安心してか落ち着きを取り戻した。朔耶は道中の出来事と城に着いてからの顛末を話してレティレスティアを憤慨させたり心配させたりすると、一つ頼み事を持ち掛けた。

『な~んか精霊を騒がせるようなモノがあるみたいなのよ、王妃様辺りに聞いて調べて貰えないかな?』
――分かりました、精霊が寄り集まってくる理由や帝国についてですね――
『うん、よろしくねー。……あ、そうだ 選定の儀はどうなったの?』
――選定の儀は予定通り行われています。 アクレイア家の御子息も勝ち残っていますわ――

 最終的に勝ち残った勝者が一人になるまで続く選定の儀だが、レイスは辺境騎士団での任務で培った実戦経験を如何なく発揮して次々と対戦相手を下して行き、その余りに苛烈な勢いに恐れをなして棄権する者まで現れていた。ただ今回の儀は予め参加者の持つ力が具体的な数値で示されていた為、自身の力では勝ち目なしと判断して早々に辞退する者も出ており、例年より早く終わりそうではあった。

『そっか、レイスも頑張ってるんだね。 フレイは大丈夫だった?』
――彼女は随分と落ち込んでいる様子でした……でも、サクヤの無事を伝えればきっと元気になると思います――
『そかそか、二人に伝えるかどうかはレティの判断に任せるよ』
――え? と、言いますと?――

 朔耶は選定の儀で今は気が張っているであろうレイスに伝えた場合、気が抜けてそれが思わぬ油断に繋がる場合もあれば、逆にリラックスしてさらに良い効果を生み出す場合もあるが、その見極めを実際近くで二人の様子を見ているであろうレティレスティアに判断させる趣を伝えた。

『あたしからの課題で~す』
――まあ! サクヤったら……分かりました、しっかり見極めて判断しますわ――

 完全に悲壮感の払拭を果たした朔耶とレティレスティアは互いに笑い合い、また時折連絡する事を約束して交感を解いた。


「ふぅ~……これで向こうは心配ないかな」

 最後の気力も使い果たした朔耶はこの隠し部屋の扉の鍵を適当に掛けると、ランプを消して今度こそベッドに身を投げ出し、ついで意識も投げ出した。 真っ暗な隠し部屋に朔耶の囁くような寝息が溶けていった。






 城の最上階にある展望台から夜の帳が下りた山間部に垣間見える村々の小さな灯りを眺めていたバルティア帝は、帝衣のマントを翻して展望台のテラスを後にした。一つ下の階にある皇帝の寝室を素通りして階下の執務室で目立たない服に着替えると、隠し通路からまた下の階に下りて竜籠発着場の厩舎脇を通り抜け、外壁部分からさらに二つ分下の階に下りる。
 厨房とパーティー会場、士官食堂のある階まで下りて来ればここからは一気に城内が広くなる。もう一つ下の階からは城下街がそのまま納まっているかの如く巨大な空間に沢山の兵士とその家族達が暮らしている。ここで人込みに紛れて追跡者を完全に撒くのだ。 彼が皇帝に即位してからの、いやそれ以前に城に上がってからの日課である。

 彼、バルティア帝が正式に帝位につく前、顔も知らない彼の三人の兄が次々に即位しては暗殺されて消えていった。彼の背負う第十四代皇帝の名には公式に記されていない三人の皇帝が居たのだ。何れも独裁的な野心家であったり、行き過ぎた浪費家であったり、帝国の伝統を崩しかねない平和主義者であったりしたのだが、何れの皇帝にも共通していたのは自己主張が強かった事だ。
 あまり勝手に動く人形は飾って置けない、その事を見抜いていたバルティアは裏で帝国を支配する者達に都合の良い、やる気の無い無気力な皇帝を演じていた。それでも常に監視が張り付き、彼の命を握っておこうとする支配者から身を潜める為に、自分の寝床だけは掴ませないよう下層の雑踏に紛れて安眠を得ていた。
 彼が皇帝の寝室を使う時は、この世に疲れて涅槃に旅立ちたくなった時である。

 ここ最近ではお気に入りの寝座(ねぐら)に帰って来た彼は、暗い会議室の中でピタリと足を止めた。扉の鍵が開いている。せっかくお気に入りだったのにまた場所を変えねばらないかと残念に思いながらも、この場を離れようとして寝座の中に人の気配を感じ取った。
 もしや自分の監視者がまだ中に居るのかとバルティアは少し興味を惹かれた。何時も微かに感じる気配だけを頼りに追跡を撒いていたので相手がどんな輩なのか確認した事は無い。一度しっかり顔を見てやるのも面白いと思ったバルティアは、懐のナイフを抜くとそっと鍵を開けて真っ暗な隠し部屋に滑り込んだ。

『ん? 余の監視者ではないのか……?』

 規則正しい寝息が聞こえる。訝しく思ったバルティアはランプに火を灯し、ベッドで寝息を立てている少女を見つけてポカンと口を開けたまましばらく呆けていた。昼間、謁見の間で一騒動起こして行方を晦ましていた異国の少女が隠し部屋の自分の寝床で呑気に寝ているのだ。よくここを見つけられたモノだと変な所に感心する。

「おい」

 ナイフを仕舞い、バルティアが朔耶の肩を揺すると、横向きに寝ていた朔耶はごろんと仰向けになる。無防備で穏かな寝顔は幼さを残してあどけなく、ランプの光で琥珀色の艶を帯びた黒髪はこの国の女性には見られない独特の妖しさを纏う美しさと魅力を醸し出していた。
 
『やはり、良いな』

 そっと髪に触れて梳かすと、前髪を掻いた指で頬を撫で降ろす。親指で唇に触れて柔らかな表面を(なぞ)り、そのまま顎を優しく持ち上げて顔を近づけて行く。

「んん……」

 鼻先が触れる所まで顔を寄せた所で、朔耶の黒い瞳がボンヤリ開かれた。その瞳に映るバルティアのブラウンの瞳をぼーっと見つめた後、朔耶はボンヤリした表情のまま徐にバルティアの首に抱きつくように手を回す。 
 寝惚けているのか?と苦笑気味に思ったバルティアは、それならこのまま頂いてしまおうと朔耶の唇に自分の唇を重ねようとして――

「!」

 直感が危険信号を発し、咄嗟に腕を振り払って飛び退いた。その瞬間、朔耶の手から放電が起きる。 普段から暗殺の危険に晒されているからこその培われた危機回避能力だった。

「寝た振りか?」
「ちっ」

 『外したか』と徐に起き上がった朔耶は『にゅおおおお』という謎の呻き声と共に伸びをする。危うく難を逃れたバルティアは内心冷や汗を掻きながらも、やはり一筋縄では行かない相手だと改めて朔耶を認識した。

「何故お前が此処に居る?」
「なんであんたが此処に居んのよ?」

 二人して同じ質問を投げ掛ける朔耶とバルティア。

「此処は余の寝室だ」
「疲れたから寝てた……はい? あんたの寝室ぅ?」

 バルティアの思わぬ答えに朔耶は手櫛で梳いていた髪を指に絡めたまま素っ頓狂な声を上げる。この物置のような隠し部屋を皇帝の寝室と言うにはかなり無理があるのではないかという朔耶の疑問に、バルティアは暗殺者から逃れる為の処置だと説明した。

「余は常に狙われているからな」
「狙われるような事しなきゃいいじゃん……」
「この場合、何かをするしないと言うのはあまり問題では無い。余が皇帝である、それが狙われる理由なのだ」
「……難儀ねぇ」

 朔耶はフレグンスにいた頃に懐いていた帝国の皇帝に対する独裁者というイメージが根底から覆された事に、少なからず衝撃を受けていた。

「まさに『事実は小説より奇なり』ねー」
「ほう、それはお前の国の言葉か。確か賢者の言葉も嗜むのだったな」 
「別に……、そんな大層なもんじゃないよ」

 よいしょとベッドから降りて立ち上がった朔耶は壁に掛けて置いたジャケットを羽織ると、振り返ってバルティアと対峙する。

「それで? あたしを捕まえる?」
「ああ、その事だが 余はお前を娶る事にした」

 半身に構えて やるか!という体勢でいた朔耶は、たっぷり五秒ほど掛けてバルティアの放った言葉の意味を咀嚼し、聞き返しの言葉を零す。

「…………は?」
「余の妻になれ、サクヤ」

 バルティアは小さな机に重ねてあった紙にサラサラとなにやら書き込むと朔耶に渡した。

「それは余にしか書けぬ余の署名が入った許可書だ、この城の施設を自由に使って構わぬ」
「へ? え? ちょっ いきなり何言ってんのよ! 受け取らないわよそんな、なんで急にプロポーズ!?」

 慌てて書類を突っ返す朔耶に、バルティアは只の許可書で身分証明書になるから持っておけと押し付けた。

「どうせ直ぐにと言う訳にもいかんよ、側近共が反対しているからな」
「そりゃそうでしょうよ…… これ、本当に只の許可書なんでしょうね?」
「誓って騙して契約などせん」
「……んじゃあ、信じとく。どういう風の吹き回しかしんないけど」

 結婚はともかく、身の安全を確保出来るなら貰っておこうと朔耶は皇帝の許可書をジャケットのポケットに仕舞う。バルティアは上着を脱いで椅子に掛けるとベッドに潜り込んだ。本当にここで寝るのか~と朔耶は溜め息を付いた。

「ふむ、偶には温かいベッドも良いな。それにこれは香水とは違う甘い匂い、サクヤの汗の匂いか」

 部屋を出ようと扉に手を掛けていた朔耶は回れ右するとつかつかとベッドに歩み寄りシーツを引っ掴んだ。そのまま引っぺがそうとしたが、バルティアがしっかと掴んでそれを阻む。顔を真っ赤にした朔耶が叫んだ。

「シーツ換えろーーーー!!」
「断る、余は眠いのだ」

 バルティアはぐるぐるとシーツを巻き込んで芋虫のようになると、そのまま丸くなってしまう。朔耶はしばらく枕でぼふぼふ叩いていたが、効果が無いので諦めた。余計な汗を掻いてしまった事もあり、せっかく許可証があるのだからこの城のお風呂にでも入ろうと気を取り直す。

「鍵は掛けて行ってくれよ?」

 扉を閉じる時に見たベッドの上では、朔耶が放り出した枕をちゃっかり頭の下に敷いて芋虫状態のまま横になっている第十四代バルティア皇帝陛下の姿。

『変なやつ』

 朔耶は隠し部屋の扉を閉じ、精霊に頼んで全ての鍵を掛けて貰った。ガチャガチャガチャガチャガチャと一斉に鍵が掛かる様子は傍から見ると、まるでポルターガイスト現象のようだ。朔耶は意識の糸を放射状に伸ばし、ここに気付いている者が居ないか確かめた後、大丈夫そうだと判断して湯浴み場を探しに会議室の部屋を出た。




『一斉に鍵が掛かる様は中々壮観だったな』

 バルティアは一度起き上がってランプの灯を落とすと、再びシーツに包まってベッドに横たわった。いつもは冷たいベッドの中、ほんのり温かい朔耶の残り香に包まれながら、バルティアは久しぶりに安らぎを覚える眠りにつくのだった。




「あ」
「あら」

 廊下でばったりヴィヴィアンに出くわした朔耶は、丁度良いので道案内を頼む事にした。さっそく許可書をじゃじゃーんと見せてみる。

「へぇ~陛下に会ったんだ?」
「なんかイメージ違っててビックリしたよ……いきなり妻になれとか言うしさぁ」

 『この時間は混んでいるので先に食事でも済ませてからにした方が良い』というヴィヴィアンの勧めに従い、朔耶は彼女と連れ立って食堂に向かっていた。途中、小隊を組んだ騎士団や魔術団と何度か遭遇し、その都度許可書を見せて解散させていく。

「あーもう、もしかしてこの国の軍隊って命令の伝達網整ってないの?」
「いや~あははは、何しろ突然の事だったからねぇ~ しっかし、矢鱈貫禄あるわねぇサクヤちゃん…… あ、后妃様って呼んだ方がいいかしら?」
「やめてよ、あたしあの人と結婚なんかする気ないよ」

 連日多くの利用者で賑わい、家族連れの姿も見られる城内の士官食堂。一つ下の階にある一般兵食堂よりも上品な所が、朔耶の世界のファミリーレストランのような雰囲気を醸し出していて、朔耶はここをとても気に入った。
 

 この日から時折、食堂の一角でトレイを並べて食事を摂る妙齢の女性と異国の少女の姿が見られるようになるのだった。







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