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本編
32話:平穏な日々




 完成した工房で朔耶が最初に作ったのは『魔力石コンロ』だった。魔力石ライターの機構を基本にレイスを通じて鍛冶職人に作って貰った火力調節用のハンドル式稼動台や五徳(ごとく)(鍋などを乗せる金具部分)を組み合わせて完成。

 ハンドルを回すと中の台がせり上がって十六個の突起に魔力石の火が灯り、火力の調整もこのハンドルで行える。あまりの使い易さにフレイが半日厨房に篭る程好評だった。
 通常、石竈は火力の調節などは殆ど効かず、魔術式の竈にもここまで細かく調節出来るモノは余り出回って無い。

「これを売ろうと思うんだけど、どうかな?」

 やたら豪華な料理が並ぶ昼食の席で、朔耶は工房に御呼ばれしているレイスに商談を持ち掛けた。以前の晩餐会で支援の約束を得た中流貴族達の中には店を経営している人達も居た筈だからと、一般民への売り出しを考えている朔耶に、レイスは難色を示した。

「いきなり一般区の市場には出さず、先ずは特定の貴族に売り込みましょう」
「え~~なんで~~? あたしこの手の道具は政争とかに使いたくないんだけどー」

 唇を尖らせる朔耶に、レイスは朔耶の作る道具の希少性と性能の良過ぎる問題を挙げて説明した。所謂オーバークオリティによる弊害、消費する魔力石の量が極端に減る事になるので石売り業者は石が売れなくなって生活が成り立たなくなり、竈を作る職人にも同じ事が言えるのだと。

「むう…… そっか、それは困るね」
「それに、中流や下層の貴族には下手をすると一般民の商人よりも貧しい状況の家もありますから」

 彼ら下層貴族達の面目も保ちつつ味方に獲り込む事も出来る上に、僅かとはいえ貴族社会にも石売りが利用される事になれば、さらに品質の高い石を求められるなどの需要が出来て石売り達の生活も潤うだろうとレイスは展望を話した。

 そんな訳で『サクヤ式魔力石コンロ』はレイスを通じて一部の貴族達に『特別に』販売される事になり、アクレイア家の潜在的派閥を増やすと同時に中流層の貴族達の間でサクヤ式を持つ事が一種のステータスにもなり始めた。

 それというのも、ランバルト公のような魔術普及の急進派が居て尚フレグンス内での魔術士は少数派であり、それ故に魔術式の道具はその触媒の需要に供給が追いつかない為、キトから私的に買い付けたり ティルファなどから高値で輸入したりと、とにかく金が掛かる。

 フレグンスでは只でさえ敬遠されがちな魔術式は、それでも『身分の高い者が使う高級品』としての価値がある為、貴族達は挙って魔術式を使っていたのだが、サクヤ式は製作者が既にフレグンス内でも特別な位置にいる人間であり、尚且つその道具には魔術式以上の希少価値があり、さらに性能も良いとなれば皆がそれを所持したがるのだ。

 一般販売されていない特別限定品という部分でも所有者の優越感を刺激し、満悦させる要因になっている。魔術士達に頭を下げなくても済む事も地味に好評だ。

「徐々に浸透させて貴族用の贅沢な造りの物と平民用の素朴な造りの物を作り分ければ、価値を維持したまま影響も最小限に抑えながら普及して行けると思いますよ」
「そだね、急激な変化って色々歪みを出したりするもんね」

 そこは朔耶も納得し、平民用のシンプルなデザインの物も幾つか考案しつつ、如何にも貴族用!というようなゴージャスなコンロも考えてみるが、庶民な朔耶の発想では金ぴかで装飾がごてごて付いたデザインが浮かび、これじゃ只の成金趣味だろうと自ら却下してレイスやフレイに丸投げした。

 ちなみに『サクヤ式魔力石コンロ』は城の厨房でも三台程が稼動している。最初は胡散臭げにしていた料理長だったが、火力の微妙な調節機能や長時間の調理も火属性の魔力石をコンロ下部に付いている入れ替え口からトレイに乗せて入れ替えるだけで火を落さずに続けられるなど、今までの魔術式では難しかった調理法を楽々こなせる事に、感激して秘蔵のワインをプレゼントする程の気に入りようだった。
 
 この事から、一般に販売する時はまず高級宿や料理店などから売り込む事にしようと、朔耶はレイスと相談して決めている。




 次に朔耶が取り組んだのは照明器具だった。工房に使われている照明は火を灯すタイプの魔力石ランプで、失敗ライト○イバーの教訓から素直にライターの機構をランプ用に改良した物を作って使用している。朔耶はこれを使った街灯を王都内に普及させようと考えた。

 以前のエルディネイア誘拐事件以後、急造した魔力測定器によってそれまで成果が上がらなかった帝国間諜の洗い出しに僅かながら効果があり、一般民に扮していた間諜を魔力の高さで見抜いて捕らえる事が出来たのだが、翌日にはアッサリ牢から逃げられていた。

 これもまた、以前に朔耶が示唆した『突破口を見つけられた防壁の脆弱さ』が露呈した形になり、夜の闇に乗じて防壁を越えてしまえば貴族街や上流区は閑静であるだけに死角となる闇が多く、簡単に王宮区と一般区の間を行き来されていた事が分かったのだ。

 見張りや巡回を増やしても焼け石に水で、侵入者を見つける所か、朝になってから辛うじて侵入の形跡を発見出来るという有り様だった。帝国の間諜が優秀なのか、フレグンスの騎士がボンクラなのかは意見の分かれる所である。

 フレグンスの貴族内部に帝国の協力者がいるという噂も信憑性が高まる一方で、騎士団が自らの不甲斐無さを責任転嫁する為のデマではないかという意見も聞かれ始め、騎士や貴族達の間で疑心暗鬼を招く要因にもなって来ている。

 城に配布用魔力石ライターを献上しに来た朔耶にその事を愚痴るカイゼル王に対し、朔耶は灯りのある場所では犯罪が起き難いという事例を話して街灯の設置を提案したのだ。

「暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りを付けましょう」

 という某伝道番組のスローガンを言ってみたら『素晴らしい賢者の言葉だ!』と感心する側近達に押されて殆ど済し崩し的に『王都全域街灯設置事業』が決まってしまった。中には『夜は暗いのが自然だ』などの反対意見もあったが、『闇夜が明けて慌てるは闇に身を隠す者なり』というカイゼル王の賢者の言葉で沈黙した。

 これに反対する者は暗闇が無くなると困ると言ってるようなモノであり、疑いの眼を向けられる事になりかねないからだ。そうして朔耶は出来るだけ長持ちして尚且つ明るいランプの製作に取り掛かった。

 魔力の長時間維持は魔力タンクに当る部分を増やして連結すれば事足りたが、光度の増加に火を灯す突起部分を増やせば意味が無いという事でライターの機構を見直してより光度の高い火を灯せるように弄くった。その結果出来上がったモノが今の工房の照明にも使われている魔力石ランプだ。


「先ずは王宮区から順に設置していってさ、一般区の設置は作業員とか募集すれば街の人にも仕事をあげられるよね?」
「そうですね、王宮区と上流区の作業で経験を積ませた職人と騎士を監督に付かせれば効率もあがるし、間諜が紛れ込む事も防げますしね」
「どうせなら貴族の人にもやらせて見ない? 現場監督」
 
 人を指揮、指導する良い経験になるんじゃないかという朔耶の提案に、レイスは『中々面白い試みですね』と肯定的に捉えて使えそうな人材に話を通してみる方向で纏まった。それから数日間、朔耶は工房でランプの製作に没頭し、イーリスの陣頭指揮の下、先ずは騎士達の手によって王宮区画で街灯の設置作業が行われた。

 城門から城と神殿を等を繋ぐ道、離れの宮殿や兵舎、訓練場にも其々順路にそって等間隔に配置された街灯の明かりは夜間の見回りを容易にさせ、特に城と周囲の建物を行き来する侍女たちは今まで夜になるとランタン一つで真っ暗な中を移動しなければならなかった為、街灯の明かりは歓迎された。

 庭園にも景観を損ねないように配置されて今までは見られなかった夜の景色という一面を得た王宮区では、これまで漂っていた閉塞感が破られ、街灯の明かりが王国の繁栄を示しているかのような希望を抱かせて、区内に勤める者の士気を高揚させていた。

 そうして上流区にも防壁の門から順に設置が始まると、一周する頃には間諜らしき者の侵入した形跡が殆ど見られなくなり、侵入しようとした形跡や怪しい影を見つけて追跡したという巡回の警備兵から報告が上がるなどの効果が現れ始めた。

 この頃になると朔耶のランプ造りも一番複雑な部分、削り出しが困難な部分を朔耶が専門で削り出し、他の簡単な部分や組み立ては専属の職人達に任せられるようになって製作の効率を上げていた。流石に朔耶の作る道具をそのまま再現する事はまだまだ難しそうではあったが、細かい削り出しの出来る工作機械でも完成すれば、後は職人の腕次第で同じモノが作られるようにもなるだろうという所までは来ていた。


「この所、ティルファでも魔力石を加工する研究がされているようですよ」

 貴族街と一般開放区用の街灯ランプ製作に勤しむ朔耶の元に、ちょくちょく朔耶邸建設の打ち合わせに来るレイスが近隣国の時事ネタを持ってきた。

「へぇ~そうなんだぁ? じゃあそのうち、魔力石を使った道具とか普通に売り出されそうだね」
「サクヤが作る程のモノが出来るとは思えませんけどね」
「おだてたってなんも出ませんよ~」
「それは残念」

 魔力石の研究に限らず、バーリッカムの温泉宿に残してきたサクヤ式送風機などは製作を手伝った職人達が簡易型の送風機を量産してバーリッカム中の店や一般家庭にも普及させており、それを買い取ったティルファの学者が自国に持ち帰って構造を研究し、ベルト式の歯車や風車の有用性が認知されると瞬く間にそれらを使った機械の研究が広まった。今やティルファで盛んな研究といえば『魔術』『発掘品』に次いで『魔力石』『サクヤ式』が台頭している。

 『サクヤ式』の考案者についての問い合わせも頻繁に寄せられているのだが、アルサレナの進言によってカイゼル王が『国家機密』として朔耶の情報を保護している為、直接朔耶の元に研究者達が押し寄せて来る事は無いが、偶にキトの豪商の従者と名乗る者がこっそり面会を求めて来たりする事もある。全てフレイに熱いお灸を据えられて退散しているが……

「そういえば、レイスのお屋敷も修繕終わったんだって?」
「ええ、ついこの間に。 この前から父がそろそろサクヤを招待しろと責っ付いてますよ」
「あ、もしかして今日はそれで?」
「お忙しくなければ」

 普段の微笑に二割増し位で優雅に手を差し伸べるレイス。

「お忙しいです」
「それは残念」

 素気無くぺしっと手を叩き落とされたレイスは、面白そうに苦笑しながら手を引っ込めた。


「で? ほんとは何?」
「……顔に出てましたか?」

 朔耶の本題に入れという追求に、レイスは普段の微笑では無く本物の、若干翳りを帯びた微笑でそう尋ねた。

「勘」
「勘、ですか…… 相変わらずとんでもなく鋭い勘ですねぇ」

 はぐらかすように言ったレイスだったが、何時の間にか作業の手を止めて二人分のお茶を淹れて、お茶菓子まで用意している朔耶に肩の力を抜いた。

「実は……、フエルト卿の事で少し」
「そういえば、あれから何も聞かないね」

 エルディネイア誘拐事件で暗殺対象に指定されていたフエルト卿だが、レイスは『フエルト卿の自演的陰謀説』を唱えて彼を怪しいと見ていた。事件の主犯と思わしき黒いローブの魔術士は結局その後も見つかっておらず、事件はやや未解決気味に終わっている。

「近く、宮廷魔術士の選定の儀があります」

 レイスの父ルィバンス伯を退けたフエルト卿が宮廷魔術士に就いてから四年余り、そろそろ次の選定の儀が行われる趣の通達が各門閥家の魔術士にもたらされている。ルィバンス伯は高齢で体力の低下も著しく、選定の儀による魔術戦を行うには酷だろうという事で家督を継ぐ立場にあるレイスに選定を受ける資格が巡って来ていた。

「受けるんでしょ?」
「当然です。 僕はその為にクルストスで騎士の任についても、魔術を使い続けて来たのですからね」

 いつも少し斜めに構えて飄々としているレイスには珍しく、真剣で真っ直ぐな感情の篭った返答に朔耶は目を丸くした。

「レイスのそんなやる気満々なとこってあんま見た事ないねぇ」
「ふふ…… 何時ものように余裕ぶっていたい所なんですけどね、今度ばかりはそうも言ってられませんから」

 そう言ってカップに口を付けると、レイスは本題に入った。

「選定の儀では精霊石の付いた特別な腕輪を装着して魔術の腕を競います」
「精霊石の腕輪?」
「ええ、王家の秘宝ともいえる腕輪でして、行使される魔術が全て光弾に変換されるモノです」

 詠唱で水を使おうが風を使おうが火を使おうが、また攻撃魔術であろうが支援魔術であろうが全て光弾となって飛び出し、これをぶつけ合う事で勝敗を決める。選定の儀は勝ち抜き戦式で行われ、純粋に魔力の大きい者と、魔術の運用に優れた者が勝ち上がれる仕組みだという。

「ですが前回、父と戦ったフエルト卿は自らの放つ光弾の威力に翻弄されていました。 父の魔力や戦闘術がフエルト卿よりも優れているのは普段の模擬戦の結果からして明らかです」
「うん、その話は前に聞いた事あるよ。普段は実力を隠してたって事にするには、ちょっと不自然な所があるよね」
「ええ…… ですので今回は、サクヤに不正の監視をお願いしたいのですよ」
「どうやって?」

 レイスの計画では、当日までに選定の儀に参加する者の定期的な魔力測定を行い、戦いの直前と直後にも行って魔力に大きな変化がないかを監視するというモノだった。

「ドーピング検査みたいだね……」
「やってくれますか?」
「ん~それはいいけど、それくらいだったら別にあたしじゃなくても測定器があれば誰でもいいんじゃないの?」

 珍しく積極姿勢なレイスに素朴な疑問をあげる朔耶。

「そこは勿論、サクヤの勘を頼っての事ですよ」
「勘、ねぇ…… なんか便利に使われてる気がするなぁ」

 実際色々便利ですからねぇなどとのたまうレイスに『くらっ』と稲妻デコピンをかます朔耶なのであった。








「さーて、それじゃあ今日も抜き打ちで検査に行ってきますかね」

 選定の儀が十日後に迫ろうかというこの日、朔耶はランプ造りを一段落させて王宮区の兵舎に向かっていた。兵舎の一角には数日前から選定の儀に参加する各門閥家から選ばれた魔術士達が集まり、儀の本番に向けて修練に励んでいる。朔耶は時折ここを訪れては抜き打ちで魔力測定を行い、全員の魔力量を観測して回っていた。

 不正者を取り締まる為の魔力測定なのだが、それを不敬だと怒る者は無く寧ろ自らの魔力の成長具合を定期的に確かめられるので、皆朔耶が測定に来るのを楽しみにしていたりするのだ。

 測定器の扱いについては、以前急造したモノは近衛騎士団預かりとして滅多な事では貸し出し等は許されず、朔耶の使う測定器も王家の秘宝に類するモノとして慎重に扱われる事になった。なにせ相手が誰であろうとお構いなく魔力を暴いてしまうので、街に潜伏する味方の諜報機関員までも暴き出してしまうからだ。

 丁度夕方になろうかという頃、何時もより早めに到着した朔耶が兵舎に入ると、訓練で汗だくになった王国騎士団の若い衆が汗を拭こうと脱いでいる最中だった。男の園と表現するのは何分誤解を招きそうで憚られるが、鍛え上げられた体躯に光る汗、火照った筋肉達がこの場に現れた場違いとも言える小柄な少女へと一斉に振り返る。

「あれ? サクヤ様じゃないか?」
「ほんとだ、どうしたんすか? こんな所にサクヤ様一人で」

 入り口で硬直しているサクヤに顔見知りの騎士達が声を掛ける。その内の一人が、サクヤの様子がオカシイ事に気付いて不用意に近付いた。その瞬間

 バチ バチ バチ

 朔耶の右手が白く発光して青白い放電現象が起き、騎士達は一斉にスザザザッと反対側の壁に後退った。そこでようやく朔耶も我に返って放電が抑まる。

「あ…… ご、ごめんね!」

 間が悪かったと走り去る朔耶。男兄弟の間で育った朔耶は男の裸にはある程度の免疫を持ってはいたが、流石にこれだけ大勢のムキムキを前にすると乙女の羞恥が勝ってしまったらしく、真っ赤になった顔を両手で覆いながら『きゃーー』などと珍しく少女らしい悲鳴を上げて逃げていく朔耶の姿に、多くの騎士達が心奪われたのは無理からぬ事だった。



「あーびっくりした」
「いや~それは…… いきなり電を纏われた騎士達の方も驚いたでしょうねぇ」

 兵舎の一角で魔術士たちの魔力測定を行いながらレイスと件の出来事で雑談する朔耶は、照かる筋肉の群れを思い出して身震いした。

「大体なんで皆あんな汗だくで兵舎に居るのよ…… ちゃんと汗くらい流して来いっての」
「うん? その場合の汗を流すというのは……もしや湯浴みの事ですか?」
「湯浴みつーか、まあそんなトコかなー?」
「まあ、普通は帰宅した時くらいしか湯浴みなどはしませんからねぇ」

 兵舎にも一応共用の身体を洗う場所はあるが、余程砂泥に塗れた時など以外は使われる事は無く、湯浴みのような身嗜みは任務が非番で自分の家に帰った時などにする程度だと、風習について講義するレイスに、朔耶は目を丸くして声を上げた。

「え! それじゃ何時も身体洗って無いの?! レイスも!?」
「大体は汗を拭き取るくらいですねぇ、洗い場も水捌けを良くした屋内に井戸があるだけの、湯浴みが出来るような施設ではありませんし」

 僕は家が近いですから毎日湯浴みはしてますよと、さり気無く別の理由は隠しつつ付け加えるレイス。

「不潔! 不潔過ぎる! 病気になるわよそんなんじゃあ!!」

 ちょっと洗い場に案内して!と息巻く朔耶に、こうなると誰にも止められない事を良く分かっているレイスは魔力測定を速やかに終わらせて朔耶を兵舎の洗い場に案内した。

 そこは敷き詰めた床石に溝が掘られて水捌けを良くした造りの、本当に井戸があるだけの少し広めの空間だった。利用者が滅多に居ない為、床石は乾ききっていたし、井戸の蓋も長く閉じられたままで、蓋の上に乗っている桶に付いたロープなどボロボロで半分切れ掛かっていた。

 朔耶はこの閑散とした洗い場を見渡すと、ぶつぶつモードに入って井戸の状態や壁や天井、床石などを入念に調べて周り、レイスの伝手で鍛冶職人に部品の注文を出来るよう頼んだ。部品の詳しい内容は後で書簡にて知らせるからと、製作のアイデアを練りながら工房への帰途を急ぐ朔耶に、レイスも快く引き受けた。

「また何をやってくれるのか、楽しみですよ」






「それはそっちに繋いで、ここの柱はしっかりね。 あ、それはまだそのままにしといて」

 三日後、兵舎の洗い場では朔耶の指揮の元、数人の騎士達が作業に駆り出されて洗い場のリフォームを手伝わされていた。壁際に穴の空いた棚状のモノを柱と共に設置して戸棚を並べたような状態にし、何やら粒々状に無数の穴の空いたよく分からない馬の足のような形の鉄と革で作られた器具が取り付けられて行く。

 井戸の周りでも鉄と革で作ったらしき大蛇のような管が井戸の中に垂らされ、鉄製の棒が一本飛び出た機械が傍らに設置されている。 他にも横幅のある箱状のモノが壁の脇と天井付近にも取り付けられ、それらは革の管で繋がれている。

 それに何故か『魔力石コンロ』らしきモノも運び込まれていて、作業をしている騎士達も見ている騎士達も、朔耶が此処で何をするつもりなのか検討もつかなかった。


「よし…… 水槽も設置完了、後は実際に使ってみて具合を確かめないとね」

 朔耶は手押しポンプで井戸の水を汲み上げる作業を隣に立っていた騎士に任せると、水槽の水量を確かめながら魔力石コンロに火を入れた。水槽には魔力石コンロを使った湯沸かし器ともう一機の手押しポンプが備え付けられていて、適温まで温まったお湯をポンプで各シャワー用の水槽に汲み移せるようになっている。
 シャワー用の水槽はシャワーヘッドに通じる穴が弁で塞がれており、各シャワーヘッドの下に垂らされた紐を引くことで弁を開いてお湯をシャワーヘッドから放出する事が出来る。構造的には朔耶の世界でいう所の、一昔前の天井付近に水槽を持つ水洗便所だ。

 丁度良い湯加減になった所で火を止め、井戸からの汲み上げも停止させて水槽のポンプでシャワー用水槽にお湯を移す。井戸のポンプを使った騎士は鉄の棒を上下するだけで水を大量に汲み上げられるポンプが珍しかったのか、水槽側のポンプ作業も引き受けた。湯沸かし器付き水槽のお湯が半分程になった辺りでシャワー用水槽から零れ始めたのでそこで汲み上げ停止。

「んじゃあ、誰か脱いでシャワー使ってみて」

 いきなり脱げと言われて戸惑う騎士達だったが、作業に駆り出されて割と楽しんでいたノリの良い若い騎士達は『じゃあまず自分が』と徐に脱ぐと簡単に仕切られたシャワールームに入り、朔耶の指示に従って天井付近に備え付けられた水槽から伸びる紐を引く。

「おおう、湯の雨だ!」
「これは……中々気持ちいいかも」

 ザァーーという雨音にも似た音を立てて降り注ぐ湯を浴びて作業の汗を洗い流した騎士達は、これは訓練の後にでも浴びればかなり心地良いかも知れないぞと称賛し合った。

 シャワーは水槽一回分で約一分程お湯を吐き出し続けたので、さっと洗い流すくらいには丁度良いだろうと、朔耶は水槽の予備や各種交換用部品もこの仕様で決定して今回の作業の終了を次げた。後は使い方や『空焚き注意』などの注意事項を書いた案内札でも掛けておけばよい。

「みんなお疲れ様~、汗掻いたらちゃんと身体洗ってね」
「お疲れ様でした、鍛冶職には僕の方から伝えておきますよ」
「うん、よろしくねー。 レイスもお疲れ~」

 荷物を纏めて帰宅の準備を始めた朔耶に、シャワーを浴びていた若い騎士達が声を掛ける。

「サクヤ様は浴びて行かないんですか~」
「脱ぐの手伝いますよ~」

「セクハラ禁止」
「ふぎゃ!」
「ぐはっ!」
  
 床石の溝を流れてくるシャワールームのお湯に指を浸けて謎の呪文と共に電撃を喰らわせる朔耶。洗い場改め、シャワールームに騎士達の笑い声が巻き起こった。
 帝国の動向や不安定な国内の窮境をほんの一時(ひととき)忘れさせてくれるような、穏かな空気に包まれていた。







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