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本編
29話:霧を裂く光




「んん~~?」
「どうなさいました? 査察官殿」
「足跡が一つ増えてるね」

 只管続く通路を進んでいた朔耶と護衛の二人は、右側の壁に埋め込まれたような古い扉がポツンと閉じてるのを発見し、護衛の片方が中の様子を窺おうとした時、朔耶が通路の足跡が増えている事に気付いたのだ。

「査察官殿、これを!」

 扉の中を探っていた護衛に呼ばれて部屋に入ると、ベルト付きの縄に短い棒状の何かの器具と布切れ、壊れた家具等が散乱していた。
壊れた家具はかなり古いもののようだが、床に叩きつけられたように転がっている椅子の残骸は、その折れた木片の断面からみて極最近、もしかしたらほんの数刻前に破壊されたもののように内側のささくれ立って剥き出しになった部分には僅かに木の瑞々しさが残っていた。

「なんだろうね、これは」
「うーむ……見た所、拘束具のようですな……ん? こっちの布と猿轡には若干の湿り気があります。それに香水のような匂いもしますな」

 椅子の残骸を弄っていた朔耶は、椅子の足が二本足りない事に気付いた。更にライトでくまなく床を調べた結果、金髪らしき髪の毛を何本か発見した。その髪は縦巻きにカールしている。

「この髪……まさかルディ?」






「しかし、一体何処まで続いてるんだろうねぇ この通路は」
「しっ 静かになさい! 奴等に気付かれたらどうするの」
「え、でも灯りをつけてる時点で……」

 じろりっと睨まれて口を噤むドーソン。ライターの灯りを翳して前を行くドーソンの背に隠れるようにして歩くエルディネイアは、椅子の足を構えて緊張した様子で通路の先を見詰めていた。

「そんなに力んでたら疲れるよ?」
「貴方は緊張感が無さ過ぎるのよっ」

……オォーィ

「っ! い、今何か聞こえませんでした?」
「風鳴りじゃないかなぁ、多分。 こういう狭い通路じゃあよくある事だよ」
「……」

 なんでこんなに飄々としてられるのかしらと、エルディネイアは内心でぶつぶつと文句を垂れていた。
 そもそも何故この男は公爵家令嬢である自分と対等に話しているのか、学院の生徒で自分の事を知らない者はいない筈。授業中の講師でさえ自分には敬意を払っていると言うのに――
 そんな事を思いながら、エルディネイアは男子生徒を観察した。

『なんだか冴えない感じですわね……特に凛々しくも無ければ知的でもない、妙に貴族張った態度をとる割りに平民丸出しの歩き方……優雅さの欠片もありませんわ』

 倉庫での作業中にこの地下通路への隠し扉をみつけたと聞いていたエルディネイアは、彼は平民学生の中でもかなり貧しい勤労学生なのだろうと当りをつけた。
 何れにせよ、彼のお蔭で拘束から解かれたのだ、無事に此処を脱出したなら褒美の一つでもとらせてあげようと思うのだった。

「おや? 終点かな?」
「え?」

 男子生徒の声にエルディネイアが視線を戻すと、確かに通路の先は壁になっていた。そして突き当たりの右側の壁に階段らしき段差が見える。
 古ぼけた階段の先を見上げると、かなり高い場所から微かに光が射し込んでいるのが見えた。

「外だわ!」
「ちょっと待った」

 喜び勇んで階段を駆け上がろうとするエルディネイアを制止するドーソン。一瞬『なによ』という視線を向けるエルディネイアだったが、直ぐに自身の失態に気付いて気まずそうに顔を背ける。
 道中油断するなと言っていたのは自分だ、無思慮に外に飛び出してそこに連中がいたらどうするのか、と。
 
「ちょっと目を瞑ってくれるかな?」

 ドーソンはそんな自己嫌悪に駆られているエルディネイアをきょとんとさせるような事を言って自らも目を閉じている。何をするつもりだろう?と不思議に思ったものの、今の気まずさもあってエルディネイアは素直に目を閉じた。

「閉じましてよ」
「ん、もういいよ」

 言われて目を開ければ、ライターを懐に仕舞いこんでいる男子生徒の姿。一体何?という表情を向けるエルディネイアに、彼は笑いながら言った。

「急に灯を消したら目が慣れるのに時間が掛かるからね、今ならほら、暗いけどあの光でも十分見えるだろう?」

 階段の先の光に目を向ける男子生徒。確かに、ライターの灯りとは比べるまでも無く薄暗いが、僅かに差し込む光でも階段がしっかり見えている。エルディネイアは少し感心した気持ちで彼を見た。
 男子生徒は階段の先を見詰めながら木刀代わりの椅子の足を構えると、さっきまでの緊張感の無さが嘘のように真剣な表情で、ゆっくりと階段上り始めた。
 その意外に広い肩越しに見える冴えない筈の男の顔に、エルディネイアは少し鼓動が早くなる気がしたのだった。






「それでは、イーリスと共に行動して下さい」
「分かりました、暫らく宜しくお願いします」

 城に着いたレイスは待ち構えていたように現れたレティレスティアと事情を話し合い、近衛騎士団長のイーリスと行動を共にする事で城の中を自由に動き回れるよう取計らって貰っていた。
 ついでにもう一つ、城内に特殊な魔術の撒布許可を申請するレイス。

「許可します。 他に必要な事はありますか?」
「いえ、後は僕の方で何とかします」

 そう言って一礼をし、フレイを伴って城の中の散策に出るレイス。イーリスもレティレスティアに礼をしてその後に続いた。
 レイスは城の廊下を歩きながら周囲に人が居ない事を確認すると、短く詠唱を唱えて各部屋や廊下の隅などの至る所に『仕掛け』を施して行く。

「それは?」
「音を届ける術ですよ、仕掛けた場所で誰かが会話をしたり、何か音を立てれば離れた場所からそれを察知する事が出来ます」

 イーリスの問いに答えながら、めぼしい場所を探しては術を仕掛けるレイス。効果は数刻も持てば良い方なので術の掛け直しをしながら城内を回っていれば、常に城全体の情報を把握する事が出来る。

「中々便利な術だな……歩哨でも使えそうだ」
「実際そういう使い方をしてましたからね」

 城内を粗方(あらかた)回り終えたレイス達は術の補強と巡回を兼ねて最初の地点に移動を始めた。
 その間、レイスは術を仕掛けた各地点から送られてくる音に意識を集中する。そうして階を移動しようと階段の近くまで来た所で、ランバルト公と出くわした。

「こんにちは公爵殿、今から御勤めですか?」
「おおう、アクレイアの子息殿か。 今日は城に用事かね?」 

 ランバルト公は貫禄ある体躯に温和な表情で、一線を退いた初老の身ながら衰えを感じさせない眼光を携えてレイス達の挨拶に答えた。

「ええ、少し所用がありまして」
「そうかね、今度またルィバンス殿とも酒でも酌み交わしたいものだ」
「父も喜びますよ」

 二言三言軽く言葉を交わし、うむうむと目を細めて頷くランバルト公は何処か懐かしそうな感慨と憂いを帯びた表情を浮かべていた。かつては戦場でレイスの父ルィバンス伯とも肩を並べて互いに助け助けられ戦った仲でもあるのだ。ランバルト公が魔術に対して理解があるのはルィバンス伯あっての事とも言える。
 『それではまた』と礼をして立ち去ろうとしたレイス達に、ランバルト公は思い出したように尋ねた。

「おおそうだ、所で娘を見なかったかね?」
「エルディネイア様ですか? 今の時間であれば大学院の方に行かれているのでは?」
「いや、それが学院には行っていないようでな……さてはて、何処をほっつき歩いているのやら」

 困ったように苦笑するランバルト公だったが、レイスはその眼の奥に探るような光を感じ取った。

「……フレイ、朝はサクヤと共に学院に行ったのだったな?」
「はい、エルディネイア様のご友人の方々の話では確かに学院には来ていたと……その後、姿を見なくなったと聞きました」

 ランバルト公の探りに対し、レイスは此方の持つ情報を示して反応を窺った。細められたランバルト公の瞳は何らかの結論を出そうとしている様子が窺える。やがてその瞳から探る色が消え、温かい微笑みに変わる。

「ふむ、そうか」

 
 ランバルト公が去った後、レイスはイーリスを交えてフレイに学院での事を訊き直し、ランバルト公がエルディネイア嬢の行方不明を知っていたらしき事について話し合った。
 現時点で学院の一部の者以外にエルディネイア嬢の行方不明を知る者は、学院に行った朔耶とフレイ、フレイから知らせを受けたレイス、朔耶から直接知らされたレティレスティアと、事情を話されたイーリスの五人だけの筈。
 事件性も明らかになっていない今の時点で学院の誰かがランバルト公に伝えたとも考え難い。しかもランバルト公は令嬢が学院に行っていないという間違った情報を口にした。そこから得られる答えは――

「エルディネイア様の行方不明に関係のある人物からの情報、という所か」
「もしや、誘拐の類なのでは? サクヤ様も不穏なモノ感じていらっしゃったようですし」
「大学院の中からか? 考え難いな……」

 王都大学院は貴族の子息達も通う学院であるだけに警備もしっかりしている。女生徒一人とはいえ、誰にも気取られずに連れ出すのは決して簡単な事ではない。
 
「しかし、公爵殿が探りを入れて来た事が気になる。動向に注意した方がいいな」

 レイスはランバルト公の去った方角に仕掛けた術からの『音』に、特に注意を傾ける事にした。






「これはこれは公爵殿、ご機嫌如何ですかな」

 各官僚の執務室が並ぶ城の五階まで上がって来たランバルト公は、そこでフエルト卿に出くわした。今、最も顔を合わせたく無い相手と出会ってしまい、ランバルト公は若干気まずそうに舌打ちした。

 脅迫状にあった暗殺の相手――フエルト伯爵を殺害せよ――。確かに、宮廷魔術士長を務めるフエルト卿が暗殺されれば帝国の魔術士部隊に対抗する術が著しく後退する。

 それを狙っての事なのか、或いはフレグンス内部の権力闘争で帝国の名をダシに使ったのか。ランバルト公はその見極めも熟さなければならなかった。

「近頃は帝国の動向を探るのに手一杯ですな、厄介な事だ」
「そうですなぁ、帝国の間者はこの王都にどのくらい潜り込んでいるやら……成果が上がらないのにも参りますなぁ」

 ある意味不景気な話題だと思いつつ、これも切実な問題であるなぁとランバルト公は溜め息混じりにフエルト卿に同意した。

「所で、御令嬢はお元気ですかな?」
「ん、うむ……まあ何時もと変わらんですな」
「あー……魔術士嫌いは相変わらずですか、いやはや手厳しい方ですからなぁ」

 うちに息子がいれば是非懇意にして頂きたかった所ですのにと苦笑交じり冗談交じりに話すフエルト卿に、ランバルト公は『はやりフエルト卿は帝国に狙われている側か』とフレグンス内部の権力闘争説を下げた。
 フエルト卿には息子や娘が居ない為、コースティン家は家督を継げる養子を迎えるか、フエルト卿が何処かの令嬢と婚姻を結び、世継ぎを儲けるかしなくては潰えてしまう。
 家格は申し分無いので売り込むには絶好の門閥家でもあるのだから、内部の権力闘争で潰すよりも取り入る側が多い筈だ、と。

『となると、やはりネイアは王都に潜む帝国間者の手に落ちていると考えるべきか』

「それでは公爵殿、また後ほど」
「うむ」

 フエルト卿は一礼をして自分の執務室に歩いて行った。それを見送り、溜め息を付くランバルト公。

『明後日まで、か……』

 娘の無残な姿など想像もしたくない。だがフエルト卿を暗殺すれば、それで娘が無事に帰ってくる保障も無い。
 第一、宮廷魔術士に就く要人を殺害して只で済む筈も無い。そして何より、こんな事件が王都で起きる事自体フレグンスの窮境を現しているようで暗澹とした気持ちになるランバルト公だった。






「どう?」
「誰もいないみたいだね……」

 微かに光が射し込む隙間の開いた出口の『蓋』をそっと押し上げて周囲の様子を窺っていたドーソンがエルディネイアの囁くような問いに答える。

 彼等が上って来た階段の先は井戸のような穴になっていて、古い木の蓋が乗せられているだけだった。蓋を除けて這い上がり、エルディネイアに手を貸して引っ張り上げると、ドーソンは改めて周囲を見渡した。

 伸び放題の雑草、元は綺麗な花が咲き乱れていたであろう花壇の跡、今はモサモサした草が占領している。所々壁の崩れた廃館がぐるりと回りを囲んでいた。ここは何処かの古い館の中庭らしい。

「うーん、ここからじゃあ城も見えないし、何処に出たのか分からないねぇ」
「あそこから館の中に入れるようですわ、とにかく急いで外に出ましょう」

 崩れた壁を指しながら言ったエルディネイアは、徐にしゃがみ込んだ男子生徒の姿に眉を顰めた。

「何をしてますの?」
「いや、ちょっと足跡をね……」

 低い姿勢でじーっと館に続く雑草が伸び放題の庭を見ているドーソンは、獣道や動物の足跡を追う要領で人の歩いた痕跡を辿った。
 すると、足跡は崩れた壁との間を頻繁に往復しているのが分かった。エルディネイアの指した崩落部分だ。

「君を攫った連中と鉢合わせるかもしれない。別の入り口を探そう」
「え、あ、ちょっと……ま、待ちなさいよ!」

 踏み均らされていない伸び放題の雑草の中に分け入って行く男子生徒を追い、少し躊躇しながらも彼の後ろに付いていくエルディネイア。
 彼女は自分でもこの『冴えない風貌』の男に頼っている事を自覚して心中複雑な気分になりながらも、何故だか無性に懐かしい気持ちになるのを感じていた。






「それじゃあ、宜しくお願いしますね」
「お任せください、サクヤ殿」

 拘束具を見つけた部屋から一旦引き換えした朔耶は、最初の地点、壁を隔てて倉庫のある場所に戻って来ると、壁に向かって『おぉーぃ!』と大声で叫んで倉庫に居た人に合図を送り、仕掛けを起動して貰って倉庫内に戻った。
 それから学院にやって来ていた近衛騎士団の騎士二人を呼んで、今度は彼等にも通路の探索に参加して貰ったのだ。前方を近衛の二人、後方を学院警備の二人に護られ、朔耶は早足に通路を進んでいた。

『レティ、近衛の人達二人と合流したよ』
――サクヤ、此方もアクレイア家の二人と事情を話し合いました、今はイーリスと共に城内を見回っているようです――
『そっか、何かあったら知らせてね』
――はい、ですが……私の力ではサクヤに呼び掛けが届かないかもしれません――

 精霊と重なっている朔耶だからこそ、交感の深度や熟練度による距離といった制約を無視して繋げる事が出来ているが、本来なら余程深く交感状態に入らなければ意識の糸を遠くまで伸ばす事は難しい。

『あ、そっか……じゃあ定期的にこっちから連絡入れるよ』
――はい、お願いしますね――

「交感をなさってたのですか?」

 近衛騎士の一人が朔耶の様子を見てそう尋ねて来た。王族を専門に護っている近衛なだけにアルサレナ王妃やレティレスティア王女が精霊術を使う所も良く目にしており、交感状態にある事の見分けが付くようだ。

「よく分かったね、さすが近衛騎士っ」

 ぽんぽんと肩を叩いてスキンシップを図る朔耶に、近衛騎士の二人は幾分狼狽して見せたが、直ぐに堅苦しい調子を崩してフレンドリーな対応になった。

「いやあ、噂通りの気さくな方ですねぇ」
「自分らは何時も王宮に詰めてますから、こういう任務は気が楽っすよ」

 王宮勤めは息が詰まるからと、任務に呼び出された事を感謝してみせる二人に、朔耶はムッとした表情になって叱責する。

「バカモーーーン! 遊びじゃないんだっ 任務中に気を抜く奴があるかぁ!」
「!っ も、申し訳ありません!」
「!っ す、すみませんでしたぁっ!」

「……なーんてね」

 思わず硬直する二人に悪戯っぽい笑みを向けながら片目を瞑って見せる朔耶は、叱責は冗談である事を告げて言葉を続ける。

「でも、ホントに気は抜かないでね? 正直、何が起きるか分かんないから」
「ハッ 気をつけます」
「にしても……サクヤ様、迫力あるっすね」

 そんな調子で暗い通路を進む一行。近衛騎士の二人を顎で使う朔耶の姿に、学院警備兵の二人はフランクな雰囲気にも拘らず、エライ御仁の警護に付いたと緊張を隠せなかった。






 雑草に覆われた館の一階の窓から建物内に侵入した二人は、内装もボロボロに朽ちた薄暗い部屋の中で息を殺して館内の様子を窺っていた。この部屋に侵入を果たした時、部屋の外で物音がしたので扉から館の中を覗くと、そこに五~六人の男が屯しているのを見つけたのだ。 
 内二人はエルディネイアが地下で見た二人である事を確認し、他に魔術士らしきローブを纏った男二人に、後は声だけしか確認出来なかった者が一人か二人居る。一人は甘ったるい声の女だった。
 もう一度館の外に出る事も考えたが窓枠も石の部分がかなりボロボロになっていて、窓からの侵入の際に大きく亀裂が入ってしまい、下手に触ると崩れてしまう。出るに出られなくなってしまったのだ。

「いや~素直にあの穴から入っとけば良かったかな?」
「もうっ 今更何仰ってますの!」

 部屋の隅で寄り添い、二人は声を潜めて対策を話し合っていた。この部屋は男達の屯する広間の真正面に位置し、扉の枠が歪んでいる為に少し開いた状態で固定されていて、それ故彼等も放置している部屋のようだ。彼等はこの廃屋に寝泊りしているらしく、時折、隣の部屋から『夜まで寝る』とか『そろそろ交替だ』とか聞こえていた。

「貴方の判断も(あなが)ち間違っていませんわ、あの穴から入れば気付かずに広間まで来て、連中に見つかっていたかもしれませんもの」
「そ、そうかな……ははは、僕の判断は良く見当違いだって言われてたから」

 自信なさ気に笑って見せる男子生徒に、エルディネイアは何故だか哀しくなった。彼にはもっと自信を持って毅然としていて欲しい気がする。

「……もっと自信をお持ちなさいな、貴方は私を助け出した英雄ですのよ」
「英雄かぁ……」

 鼓舞する励ましと知りつつも、ドーソンは彼女の心遣いが嬉しかった。同時に昔の、まだ小さな子供だった頃の事を思い出す。

「……英雄や勇者は大抵平民から出るモノ、か」
「えっ!」
「あああ、何でもないよ」

 エルディネイアは思わず励ましてしまった男子生徒の口から零れた言葉に、心臓がドキリと跳ねるのを感じた。まだ小さな子供だった頃の事、遠い辺境の地で出会った男の子の言葉。他愛無い約束。

――だって、お話の英雄や勇者は大抵平民から出るじゃないか――
――貴方が英雄? 勇者ですって? クスクスッ いいわ、もしそうなれたら貴方のお嫁さんになってあげるわ――
――ほんとに? じゃあ頑張って迎えにいくよ――

 克明に思い出してしまい、エルディネイアは動揺に視線を彷徨わせる。

『ど、どうして急にあんな昔の事……こ、子供の頃の話ですわっ 今朝あんな夢を見たのがイケないのよっ 相手は平民よ平民! 第一この男は関係ありませんわっ!』

 プルプルと首を振っておかしな考えを振り払う。きっとこんな非常事態に見舞われて気弱になっているせいだと、俯いてぶつぶつと自分を励ましているエルディネイアに、ドーソンは気分でも悪くなったのだろうかと心配して顔を覗き込んだ。

「どうしたんだい? 何処か具合でも?」
「っ!」

 エルディネイアを気遣うように覗き込む男子生徒の心配気な表情が、あの日の男の子と重なる。『顔が近い! 顔が近いですわ、無礼者!』と心の中で叫びながらも顔が上気していくのを止められないでいた。


「気配が多いと思ったら、こんな所にネズミが居たのか」

「!?」
「!っ」

 突然部屋の中に響いたネットリ絡みつくような声。冷や水を浴びせらたように飛び上がって振り返った二人の視線の先には、半開きの扉の隙間から黒いローブを纏った魔術士らしき男の顔がにぃっと哂って覗き込んでいた。

「み、見つかったわっ」
「窓から外へ!」

 慌てて立ち上がった二人はボロボロの窓枠が崩れるままに外へと飛び出した。先に飛び降りたドーソンがエルディネイアに手を貸し、背丈程の草叢(くさむら)の中を掻き分けて館の壁沿いに移動する。
 屯していた男達が別の窓や崩れた壁の穴から中庭に飛び出してくるのを横目に、草叢を隠れ蓑にしながら何処かに出口は無いかと館の壁を叩いてみるが、隠し扉のような仕掛けは見付からなかった。

「おーい、大人しく出てこーい」
「どうせ逃げられねーぞー」

 ガサガサと、草叢を剣で突付きながら包囲を狭めて来る男達。エルディネイアとドーソンは息を潜めてじりじりと退がって行き、とうとう壁の隅にまで追い詰められた。
 エルディネイアを庇うように彼女の前に立つドーソンの直ぐ目の前で背高い草が揺れ、キラリと光を反射しながら飛び出して来る剣の切先にエルディネイアは思わず息を飲んだ。
 
 ガツッという打撃音がして目の前の剣が弾かれる。ハッとなったエルディネイアの見たものは、椅子の足で剣の横面を打ち払った自分を守る男子生徒と、その衝撃で思わず剣を取り落す地下で見た二人組みの片割れの男。

「てっ ……このガキ!」

 落ちた剣を拾おうと地面に手を伸ばすドーソン、その頭部に鉄槌を落とさんと組んだ両手を振り上げる男。エルディネイアは咄嗟に椅子の足を握り締めると、得意の『突撃の構え』から突きを繰り出した。
 確かな手応えと共に、下顎を突き上げられた男が仰け反って後退る。剣を拾ったドーソンは起き上がり様に一閃、薙ぎ払ってみせた。

「ぎゃっ」

 腹部を斬られた男は顎と脇腹を押さえてヨロヨロと草叢の向こうに逃げて行く。

「こっちだ!」

 ドーソンはエルディネイアの手を引いて館の壁の崩れている方向へ走り出した。屯していた男達が中庭に出ている今なら館の中を通って外に出られるかもしれないと判断したのだ。
 生い茂る草叢を飛び出すと、斬られた男の周りに集まっていた三人の男が一斉に振り向く。あの位置なら早々追い付けまいと、ドーソンは最初に見た崩れた壁の穴に向けて走った。

「――風は集い荒れ狂う渦となりて――」
「!?」
「きゃあっ」
 
 独り壁の穴近くに潜んでいた黒いローブの魔術士が風の魔法を放ち、ドーソンとエルディネイアは弾き飛ばされて地面に転がった。
 すぐさま起き上がってエルディネイアを庇いつつ剣を構えるドーソンだったが、中庭に出ていた男達のうちの二人が既に背後から剣を向けていた。正面には黒いローブの魔術士、もう一人の魔術士は後方で負傷した男の治療に当たっている。
 ゆっくりと壁際に下がり、背中にエルディネイアを庇うドーソン。弾き飛ばされて転がった時に切ったらしく、額からは血が一筋 流れていた。

 いきなり仲間を一人斬られた事で警戒していた男達だったが、ドーソンの構えが素人そのものである事を見抜くと『素人のまぐれ当りか』と肩の力を抜いてじりじりと間合いを詰めて来る。
 魔法を撃ち込めば直ぐに決着が付くのだが、彼等は暗黙の了解でそれをしなかった。

「さて、御令嬢は後で楽しむとして……コイツは何もんだ? 何処から迷い込んだんだ?」
「さぁーな、大方倉庫の仕掛けが誤作動でもしたんじゃないか?」

 余裕の会話を交しながらさらに間合いを詰める。堪えきれなくなって飛び出して来た所を屑るのだ。何処まで詰められるか、何処まで堪えられるか、これは命を賭けたチキンレースだ。
 尤も、彼等は素人相手に負ける気など更々無い。絶対的な狩る立場にあってこその『遊び』だ。勝負相手は獲物ではなく、肩を並べて獲物を追い詰める仲間である。賞品は公爵家令嬢で最初に遊ぶ権利という所であろうか。

 そして、そんな余裕と遊び心は得てして身の破滅を招き易いモノでもある。


「奥の怪我人とローブの人は無視して近衛の二人は剣の二人組を! 警備の二人はドーソンとルディを守って!」

 突然響いた少女の声に全員が振り返ると、井戸の蓋を跳ね上げた体勢で淵に立ち、突撃を敢行する近衛騎士と学院警備兵に指示を出しながらエルディネイアとドーソンを追い詰めている二人組みを指差す黒髪に黒い瞳の異国の少女、朔耶の姿がそこにあった。







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