朔耶が王都に来て五日目、コースティン家主催の晩餐会から三日目の朝。レイスから工房の下見に行く言伝を預かって来たフレイの誘いに乗って、朔耶は自分の工房の下見に一般開放区まで下りて来ていた。
城からこの区画までの距離は門の位置的にも結構長いので馬車を使ってやって来たのだが、前を行く馬車に見覚えのある紋章が見えたので御者さんに言って寄せて貰う。
その紋章は一昨日、正式な『信頼の証』として王家の紋章と共にライターに彫り込んだ公爵家の紋章、ブラフニール家のモノだった。
ちなみに正式なライターの本体には今までのような適当な木材ではなく、高級家具に使われるような独特の味わいのある艶を持った良質の木を使っている。
「やほールディ、おはよう」
「んなっ! 何をしているのですか貴女は!!」
公爵家の馬車に横付けしてくるなどという不敬をやからすのは一体何処の不埒な輩が! と思っていたら、王室直属に新設された機関に先日就任したばかりの『王室特別査察官殿』だった。
仮にも査察官と謳われる要職に就いている者が朝っぱらから何をやっているのかと立場を忘れて叱責を飛ばすエルディネイアだったが。
「だ、だから止めましょうとあれ程……」
「あはははっ まあまあ、いいじゃん。ルディはこれから学校なんだねー」
傍らでオロオロしているフレイを余所に、朔耶はエルディネイアの怒鳴り声も何処吹く風で呑気に雑談を持ちかけた。
公爵家の馬車と並走する王室要人馬車の窓から半分身を乗り出してひらひら手を振っている朔耶を見ていると、エルディネイアは真面目に怒っているのが馬鹿馬鹿しくなって来た。
「貴女という人は……はあ……、これから学院ですわ。今日は模擬戦があるので見学に来れば暇を潰せましてよ」
「へぇ~面白そうだね、行けたら見に行くよ。こっちの学校にも興味あるし」
しっかり『貴女暇なんでしょう』という牽制を忘れないエルディネイアに、朔耶は笑って答えた。
大学院へ向うエルディネイアの馬車と分かれた朔耶達は工房が立ち並ぶ一角に入って行き、レイスの家の馬車が停まっている改装中の館の前で馬車を停車させた。
二階建ての石造りの館は長く人が住んでいなかったらしく、窓には全て木の板が打ちつけてある。伸び放題の雑草が一階の窓を覆い隠す程まで茂っていた。
「うわ~まさに廃屋、幽霊屋敷みたい……」
「二年ほど買い手が付かず放置されていた館のようです。造りはしっかりしてますので、良い工房になると思いますよ」
入り口の扉は開いていた、というよりも、傾いた扉が壁に立てかけてあった。開いた時に外れたらしく、錆でボロボロになった蝶板部分がもげている。中は真っ暗だ。
朔耶は持ってきたフラッシュライトのスイッチを入れて館の中に踏み込んだ。フレイがフラッシュライトを見てぎょっとなっていたが、朔耶の国で売っている道具だと説明すると『サクヤ様の国はとても技術が進んでいるのですね』と感心していた。
『こういう場所で使う事もあるだろうし、やっぱり懐中電灯とかの照明も何とか出来るならしとかないとなぁ』
何と無く、このライトの電池は切らしたく無いと思ったので早急に照明関係の道具の製作を考えようと、今後の活動方針を決める朔耶だった。
「あ、レイス発見」
館の奥の広くなっている場所に魔術式ランプを並べて作業の準備を始めている建築技師の人達と日雇い労働者の平民達、それに彼等の視察を行っているレイスが異様に明るい光を向けられて朔耶の方を振り向いた。
「また随分と明るい光を放つ道具ですね、それも魔力石で?」
「ううん、これは向こうから持ってきたの」
成る程と、詳細は尋ねずレイスは頷いた。持ち込まれた作業台の上にはこの館の間取りと、なにやら細かく印やら線が引かれている図面の描かれた布が広げてある。
「これからどんな風に改装するか話し合っていた所です、何か希望はありますか?」
「んーとねぇ……」
朔耶は部屋の位置や大きさ、作業場の規模と範囲など、自分のイメージする作業場風景を伝え、それが図面に次々と書き込まれていく。
「客間は分かりますが厨房や食料庫まで……まさかここに住む気ですか?」
「その方がてっとり早い気もするんだけどねー」
立場上、流石にそれは出来ないという事は朔耶も理解しているので、作業に没頭できる快適な環境の為だと説明する。
新設された『王室特別査察官』などという名前だけなら重役と言える、実質『気になる人が居たら知らせる』程度の閑職に就いた朔耶の、身辺警護の護衛や使用人も住み込みで置かなくてはならないので、どうしてもキチンとした家に住む必要があるのだ。
工房に詰める時は護衛役や使用人達と数日は一緒に快適な仕事をこなせるだけの設備は整えておきたいという朔耶の発想に、作業を受注した技師達は『そんな考えを持つエライさんは初めてだ』と珍しげに感心していた。
二十日もあれば立派な工房に仕上げてみせるという建築技師の人達に『よろしくお願いします』と頭を下げて彼等を狼狽させつつ、今はまだ廃屋の姿を晒している館を後にする。
「さーーて、それじゃあ王都大学院まで行って見ようかー」
「や、やっぱり行くんですか……?」
エルディネイアが苦手なフレイは気が進まなそうにしていたが、朔耶に急かされて渋々頷いた。
「大~丈夫だよぉ、あたしがちゃんと守ってあげるからっ」
「ううう……私、サクヤ様の護衛なのに……」
王都大学院は総生徒数五百人とも言われるフレグンス最大の人材育成施設でもある。貴族や商人達の出資で運営され、貴族と平民が同じ教育を受ける事が出来るという点において身分に厳しいフレグンスではかなり開かれた学校と言える。この辺りの方針は現フレグンス国王の意向によるものだ。
学生寮や職員の宿舎などがある中央の塔を中心に、それぞれ武術の塔、魔術の塔、教養の塔、技師の塔があり、学生は修学したい種目の塔で勉学に励む事が出来る。
武術と魔術の塔は無料で受講出来るが、教養と技師の塔は有料だ。学生は学院内施設で働く事で学費を稼ぐ事も出来る。
「おおっ でっかい!」
「フレグンス一の育成施設で、ティルファやキトからも修学に来ている生徒や、講師に呼ばれている方達も居るんですよ」
門を潜ると正面左右に二つの塔、武術の塔と魔術の塔がそびえ立ち、二つの塔を繋ぐような巨大な壁の真ん中辺りにデカデカと描かれている校章。
壁には窓が点々と並び、中は塔と塔を繋ぐ通路になっていて、正面の壁の下部分には大きなアーチ上の入り口が開いている。反対側まで通り抜けられるようになっている造りはフレグンス城と同じ設計だ。
建物の周囲には各塔の修学内容に沿った色々な施設が並び、訓練場や学院の工房などもある。一般開放されている図書館もあれば、教養授業で身につけた貴族の振る舞いを披露しあう為の庭園広場などなど、中々に立派な規模の学校だった。
「模擬戦って何処でやってるのかな?」
「今日は個人戦と団体戦の日ですから、武術の塔の二階だと思いますよ」
馬車を降り、学院内に入ると中央塔の一階は各塔への入り口になっていて、時折移動している職員や生徒の姿が見える他、学院の従業員達が資材の搬入などを行っていた。
ちなみに学院内の照明には大学院工房で生徒達が造った魔術式や油式のランプが使われているので形も光度も様々だが、やはり魔術の塔が一番明るかったりする。
「武術の塔はこっちです」
朔耶は学院内をキョロキョロ観察しながらフレイに連れられて武術の塔の二階、実戦形式の訓練場にやって来た。
学生以外の見学の申し出は塔の入り口での手続きが必要なのだが、ここで講師をした事もあるフレイと王室特別査察官の朔耶は顔パスで通された。そんな部分でちょっぴりリッチな気分に浸れる庶民な朔耶だったりする。
「……ん」
ぼんやりした意識で辺りを見渡そうとして身体が動かせない事に気付き、意識を失う寸前の事を思い出したエルディネイアは一気に目を覚ました。
「んん……っ」
薄暗い倉庫のような場所に両手を後ろ手に縛られ、足も揃えて縛られている上に猿轡まで噛まされて埃っぽい床に転がされている。
エルディネイアは学院内から自分を誘拐するような相手が思い浮かばず、犯人の狙いも目星も付けられない事に苛立つ事で不安な気持ちを抑え付けようとしていた。
『まったく……今日は厄日だわっ』
朝から別の意味で度肝を抜くような行動をする特別査察官殿に疲れさせられたかと思えば、模擬戦前にその査察官殿の事で内密な話があるという呼び出しの手紙を自分の道具箱の中に見つけ、人気の無い指定の場所に行ってみると、そこで眠りの香と風の魔術に包まれて意識を失った。
手紙の内容には――自分は王宮に勤める官僚で最近王家に取り入っているサクヤという異国の少女に付いて、彼女が影で不穏な動きをしている事に気付いたが自分を含めて王宮に居る者は皆、彼女の魔術で監視されている為迂闊に動く事が出来ない。詳細を伝えたいので是非、御嬢様からランバルト公に伝えて欲しい――と、そんな事が書かれていた。
内容が内容なだけに冗談では済まされないという事もあって、エルディネイアはつい警戒を怠ってしまった。父の助けになれるかもしれない期待感と、疑う相手が魔術士であるという事も気持ちを逸らせた原因かもしれない。
結果、魔術に絡み取られてこの様だと思うと悔しくて涙が出そうになる。
――と、その時……近付いて来る何者かの足音に気付いてエルディネイアは身体を硬直させた。ギィッという木の軋む音がして薄暗い部屋にランプの揺れる明かりが差し込み、一般民風の服装を纏った二人の男が入ってきた。
「お? 起きてるぜ」
「香が足りなかったみてぇだな、まあいいや」
一人が背後に回ってエルディネイアを引き起こすと、もう一人が彼女の身体を弄り始める。
「っ! んーー!」
「はいはい、暴れない暴れない」
「別になんもしやしねぇよお嬢さん……と、あったあった」
恐怖よりも羞恥と怒りで真っ赤になって暴れようとするエルディネイアの懐からサクヤ印のライターを見つけ出した男は、それを奪うとエルディネイアを再び床に転がす。
「ま、夜になったら相手してやるよ」
「けははは……公爵家の御嬢様かぁ、楽しみだなおいっ」
そんな事を話しながら部屋を出て行く二人の男を、エルディネイアは転がされた時に打ち付けた肘の痛みも忘れたように睨み付けていた。
模擬戦が行われている会場の一角で、眉を顰めて話し合っている数人の男女の姿があった。彼等は団体戦に出場する予定のメンバーなのだが、リーダーである女生徒の一人が未だ姿を現さない為、一体どうすれば良いのかと意見を出し合っていた。
「ネイアが来ないなんて、今まで一度も無かったのに……」
「誰も何も連絡を受けていないのか?」
「うん……朝、控え室に居たのは見たけど、その後ふらっと出て行ったまま戻って来ないのよ」
「困りましたわね……」
今日は棄権になるかもしれないという暗い雰囲気の彼等に、一般の見学者らしき人物が声を掛けて来た。
「あの~ルディ……、エルディネイアさんは何処にいるか知りませんかー?」
「周りの人に聞くと、皆さんを紹介されたのですが」
彼等が振り返ると、そこには光沢のある赤いコートにズボン姿で黒髪に黒い瞳を持った異国風の少女と、赤毛の魔術士の装いをした若い女性の二人連れが立っていた。
最近の噂で聞いた事がある王女の客人という人物像を彷彿させる姿だったが、まさかそんな御仁がこんな場所に現れる筈も無いと思った彼等は極普通に二人に応対した。
「それが、朝から居ないんですよ」
「私達も探してたんですが……」
「模擬戦に遅れて来るなんて事は今まで無かったんですけどね」
「一体何処へ行ってしまわれたのやら……」
朔耶とフレイは顔を見合わせる。今朝エルディネイアと挨拶を交わした時は特に変わった様子も感じられなかったし、彼等の話では学院には来ていたと言う。
「……ん~」
「サクヤ様?」
「なんだろう? ……なんか、嫌な感じがする」
漠然としたモノだが、黒っぽい塊のような粒が一筋、ざらざらと蛇行しながら流れているようなイメージが思い浮かび、朔耶はその意味を掴みかねて嫌な予感を感じていた。
そうこうしている内にも模擬戦は進んで行き、実戦さながらの魔術が飛び交い、剣を打ち合う学生達の激しい戦いは観客を沸かせている。エルディネイアのチームメンバー達は誰か代役を立てられないかと模索していた。
派手な模擬戦にも興味のあった朔耶だったが、勘に引っかかる嫌な感じが気になって一端塔の外に出ると、自分の意識の奥に居る精霊に語りかけてみる。精霊からの信号を手繰り寄せて、嫌な感じが何を訴えているのかを探った。
黒い筋が城に向かって流れ、靄となってフレグンスの国を包んでいく。靄の発生源ははっきりとはイメージ出来ないが、学院と、それに城の近く、上流区に点々と浮かんでいるようなイメージが浮んだ。
「……これは……人の悪意……? ……黒いナイフ……待ち受ける破滅……罠……」
黒い瞳が虚ろ気に、この世ならざるモノを視ているような深い光を携え、神託のように紡ぎ出される言葉の断片。何処か神懸かった空気を纏った朔耶をフレイは固唾を呑んで見守った。
やがてゆっくりと息を吐きながらぎゅっと目を閉じ、そしてゆっくりとその目が開かれた時には、もう普段の朔耶に戻っていた。
「ふぅ~~~~……くらくらする」
「だ、大丈夫ですかサクヤ様。今のは一体?」
「よく分かんない……けど、なんか良くない事が起きてるっぽい。 ……フレイ」
朔耶はフレイに一度レイスと合流して城で何か変わった事が起きていないか調べて貰うよう頼んだ。
「サクヤ様は?」
「あたしはもうちょっと学院にいるよ、なんだかここにも何かありそうな感じがするし」
「でも、それではサクヤ様の警護が……」
「大~丈夫だって、電撃も意識して気合で出せるようになったんだから」
渋るフレイを『とにかく急いで行動するように』と送り出した朔耶は、学院の建物内に戻る前にレティレスティアに交感を繋いだ。
『やほーレティ?』
――サクヤ? どうしました?――
『ちょっと頼みがあるんだけど、フレイとレイスが城に行くと思うんで、あたしの用事で来たって事にして自由に動けるようにして貰えるかな?』
――アクレイア家の方ですか? それは構いませんが……何かあったのですか?――
『うん、まだちょっとよく分かんないんだけど……なにか良くない事が起きてる感じがしたの』
――!っ 分かりました、神殿の聖騎士と近衛も動かしましょうか?――
世界と繋がっているとも言える朔耶が不穏な空気を感じたとなれば、それは只事ではないと理解しているレティレスティアは、朔耶の求めに応じる為に自分の動かせる最大限の戦力を提示したが、あまり大事にせず水面下で動いた方がよいという朔耶の言に従い、間もなく城にやって来るであろうアクレイア家の者に城内で比較的自由な行動が出来るよう手配する事を約束した。
――気をつけて下さいね、サクヤ――
『うん、じゃあそっちは宜しくね~』
レティレスティアとの交感を解いた朔耶は、試しにエルディネイアの意識を探してみたが、意識の糸がそれらしき相手に触れる事は無かった。
『やっぱ相手にも交感能力とかが無いと駄目か~』
勘に引っかかる嫌な感じは残っているものの、別の流れがそれを押し返そうとするような感覚も被さるように感じたので、良くない事もきっと何とかなる方向に動いてると信じて、朔耶は学院の塔に入って行った。
「まいったなぁ……何処だろうここは」
妙な壁の仕掛けから迷い込んでしまった地下通路を学院生の制服を来た青年が当所も無く、ぼやきながら歩いている。学生寮に住む学生の中には学院内の施設で働いて収入を得ている者も多い。
殆どは学費の足しにした小遣い稼ぎ程度のモノで、彼のように学費のみならずその他丸々生活費を稼いで日々を過ごしているような学生は少数だ。
王都に実家がある者や、ティルファやキトからの留学生ならば親からの仕送りも期待できるが、彼のように辺境の片田舎から身一つでやって来た者には親の仕送り等ある筈も無く、寧ろ王都で稼いだ一部を親の住む田舎の村に送金するような立場にある。
そんな訳で彼、サムズ国の辺境アマガ村から王都に出てきたドーソンは入学初日から中央塔施設で一番給金の良い仕事を斡旋して貰い、地下倉庫への穀物の搬入という誰もが『しんどい』と言って避ける仕事をこなしていたのだが。
「大体なんであんな場所にあんな仕掛けがあるんだ……」
昼食前の搬入で奥に袋を詰めて行き、さて一息つこうかと思った所で、壁の隅に何か光るモノを見つけた。
倉庫の中は薄暗くてよく見えなかったので、懐に仕舞っておいた朔耶の銘が入ったライターを灯して壁の隅を照らそうとした瞬間、ゴトッと音がしてドーソンの立っている場所が横に動き、壁の一部が開いてその中に滑り込んだ。
細い通路のような場所に出ると、倉庫と繋がっていた穴は再び壁が動いて閉じてしまった。どうやら倉庫の壁の一部に光で反応する仕掛けがあったらしく、この通路に繋がる抜け穴を起動させてしまったらしい。
倉庫の床の一部と一緒に移動して来た石畳の上には、女物のブローチが落ちていた。それが倉庫の隅で見つけた光るモノの正体だった。
そしてこの場所は一方通行らしく、倉庫に戻る為の仕掛けは見付からなかったので、外に出るべくこの細くて古ぼけた感じの通路をライターの灯りを頼りに歩き進んでいたのだ。
「おや? 随分と古い扉だなぁ」
木製の表面がささくれてボロボロになっている扉が、壁に埋め込まれるような形でポツンと閉じているのを見つけたドーソンは。出口の階段でも現れる事を期待しながら扉を開いた。
どの位の時間が過ぎたのか、拘束を自力で解く事を諦めて体力の温存に務めていたエルディネイアは近付いて来る足音に耳を欹てる。今度は一人のようだ。
あの二人組みの片方だろうか、それともまた別の者だろうかと考えを巡らせていた彼女は、空腹と精神的な疲労からかなりの時間が経過しているように感じられ、あの二人組みの言葉を思い出して肩を震わせた。『夜になったら相手してやる』
「!っ」
ギィっと軋む音をたてて扉が開き、灯りを翳して入って来た人物を見上げるエルディネイア。あの二人組みでは無さそうだったが、手に持っているのは例のライターだ。
自分から奪ったライターを持っているという事は、あの二人の仲間という事だ。という結論に至ったエルディネイアは這う様にして身を起こすと部屋の隅に逃れようと身を捩った。
その人物はそんな彼女を観て楽しんでいるのか、黙ってその様をじっと見つめていたかと思うと、足早に近付いて来てその細い肩に手を掛けた。
「っ!! んーー!! んんーーっ!!」
「し、静かに……今、解いてあげるからっ」
猿轡でくぐもった悲鳴を上げていたエルディネイアは、思い掛けない言葉にピクリと顔を上げると、震えながら相手の姿を確認した。
大学院の制服を着た若い男、学院の生徒のようだったが、顔は知らないので貴族ではないのだろう。よく見ると彼が持っているライターは自分の持ってたモノと少し違っていた。
口を覆っていた布とその下の猿轡を外され、ようやくまともな呼吸が出来るようになったエルディネイアだったが、長時間こんなモノを噛まされていたのだ。
布にも猿轡にも唾液がベッタリと付着しており、頬や顎にも光を照り変えす筋が出来てしまっていて、それを拭おうにも両手は後ろ手で縛られている。
誰だかは知らないが助けに来てくれたのなら礼を言わなければと思うものの、エルディネイアはこんな姿を見ず知らずの男性に見られる事が恥ずかしくて顔を上げられないでいた。
そんな気持ちを知ってか知らずか、彼は学生服のポケットからハンカチを取り出して頬と顎を優しく拭いてくれる。
「あ、ありがとう……」
エルディネイアはそこでようやく礼を言う事が出来た。呟くような小さな声だったが、彼はにっこり笑って頷いた。
「いやあ、女性には優しくするのが当然。それにしても……なんでまたこんな所でこんな姿に?」
「わ、私……私にもよく分かりませんわ……」
今度は手際よく腕と足の拘束を解いて行く。エルディネイアは本当に助けが来たんだと実感して内心ホッとしていた。
「あー……別にこういう遊戯をしていた、って訳じゃない、よね?」
「!っ し、失礼な事言わないでっ!」
「ご、ごめんよ」
怒りと羞恥で顔を真っ赤にして怒鳴るエルディネイア。彼女も貴族達の中には聊か変わった嗜好を持つ人が居るという事は知識では知っている。そんなモノと確認とはいえ並べ見られるなど、失礼極まりない! と怒り心頭、羞恥半分で立ち上がる。
「所で、ここは何処?」
「中央塔の地下だと思うんだけど、随分歩いたからねぇ」
「学院の地下なの!? 出口は何処?」
「僕にもさっぱり、通路は一本道だったからここを出て右に進めば何処かに出られるんじゃないかなぁ」
はっきりしない言葉にエルディネイアはムッと男子生徒を睨みつける。
「何よそれっ 貴方何処から入って来たのよ」
「地下の倉庫からだよ、変な仕掛けがあってさあ……あ、これを見つけた時にね」
「あ……私のブローチ」
「ありゃ、君のだったのかい? それじゃあはい、返すよ」
ブローチを受け取りながらエルディネイアは考える。地下の倉庫に落ちていたと男子生徒は言った。
という事は、自分は気を失った後、地下の倉庫に運ばれてその仕掛けを通って此処に連れて来られたという事になるが、あの時間なら地下の入り口付近には作業をする搬入業者が居た筈。
『つまり、搬入業者の中に私を運んだ者が居る?』
部屋の中を見渡し、積まれている古い机や椅子から手頃なモノをひっぱり出したエルディネイアは、それを床に叩きつけて砕くと椅子の足部分を拾って木刀代わりにする。
「貴方も何か武装なさい、奴等が戻って来る前にここを出るわよ」
「奴等って?」
「私を攫ってここに監禁した連中よ」
「ええ! 君は、攫われていたのかい!?」
何を今更という表情でジト目を向けるエルディネイア。男子生徒は『そいつは事件だ』等と言いながら砕けた椅子からエルディネイアと同じ様に足部分を拾い上げた。
「首尾は?」
「手紙は届いたのを確認しました。そろそろランバルト公にも渡ったかと」
それを聞いて頷いた彼は、術の掛かった触媒の片割れを懐に仕舞って立ち上がる。
「よし……では、行って来る。後の処理は任せたぞ」
「お任せを……」
魔力を増幅する『発掘品』を装備し、屋敷を後にした彼は城に向かうよう御者に告げて馬車に乗り込んだ。この謀が上手く行けば、フレグンス国内では王に次ぐ権力を手にする事が出来るだろう。
カイゼル王の片腕として信頼を賜り、今尚強い影響力を持つランバルト公は祖国の裏切り者として討たれる。それにより公を支持したあの異国の娘も、あの娘を国に招いた王女や娘を信用した王妃共々信用を失墜し、政務への発言力は失われる筈だ。
異国の娘に組していた貴族達もそれを機に根こそぎ封じ込める事で邪魔者は一掃出来る。特に没落アクレイア家にはトドメになるだろう。門閥家の枠が空くので後釜も考えておかねばならない。
「さて、何処の家が良かったかな……」
城に向う馬車の中で、近い将来の栄光に思いを馳せながら、彼は一人ほくそ笑んだ。
「……ふむ」
「旦那様……」
ランバルト公は自室の机の上に広げられた手紙と、同封されていた黒いナイフ、それに愛娘に譲った魔力石ライターに眼を落とし、腕組みをしてくぐもった呻きを一つ漏らした。
ナイフは帝国の紋章の入った暗殺用のモノで、手紙にはある人物をこれで殺害するようにと綴られている。娘の命と引き換えに――という脅迫状だった。
―― 令嬢は我々が預かっている。 期限は明後日以内とする。暗殺が実行されない場合、一日起きに令嬢の一部をお返ししよう。
―― 最初は足の指を一本ずつ、次は手の指を一本ずつ、次は耳を片方ずつ、その次は眼を片方ずつ、その次は乳房を片方ずつ。
―― 鼻を削ぎ落とし、舌を切り取って尚実行されなかった場合、公の忠誠を称え、四肢を頂いて世継ぎと共にお返ししよう。
悪魔のような内容の手紙に、ランバルト公に仕える執事は怒りに身を震わせながらも主を気遣い、如何に対処なさいますかと静かに問う。
ランバルト公は徐に黒いナイフを手に取り、じっと見詰める。毒や呪いの類は付与されていない普通の、黒塗りの刃を持ったナイフだった。
「期限までに捜索の手は尽くす、信頼出来る者にネイアの足取りを追わせよ」
「畏まりました」
執事は礼をして部屋を後にし、ランバルト公は黒いナイフを一瞥して懐に仕舞うと、侍女を呼んで城に向う準備を始めた。
「それで、サクヤは何と?」
「サクヤ様は城で何か変わった事はないか調べて欲しいと」
「ふむ……悪意に黒いナイフ、待ち受ける破滅と罠か……」
「サクヤ様には、予知の才もあるのでしょうか?」
レイスは城に向う馬車の中でフレイの話を聞きながら考えていた。サクヤの勘の鋭さは確かに予知の類の域だと言えたが、恐らくは人の悪意にかなり鋭敏な感覚を持っているのかもしれないと。
「いや……悪意に限らずか、大きな流れを感じ取る慧眼の持ち主……」
「レイスさま?」
フレイの問いには応えず、レイスは防壁に囲まれた城を見上げて眼を細めた。つい数日前、大型馬車の中で言った朔耶の言葉が思い出される。『そういうモノ程破る手立てが見つかった時は脆いんだけどね』
『それは、何も防壁や城壁に限ったモノではないという事か……』
魔術によって常勝を誇ったアクレイア家が魔術によって敗北し、没落へ至らしめられた事実。
証拠は掴め無くとも確信しているコースティン家の不正。派閥という身内を切り崩されての衰退と考えるならば、由緒正しきアクレイア家に強固な団結有りと侮った事が隙に付け入られる原因だった。
内側からの崩壊はどんな強国であっても集団であっても、確実に破滅に向う滅びの序曲だ。
「待ち受ける破滅、罠、か……」
レイスは何時もの微笑の下に隠した表情を引き締めると、フレイを伴って馬車を降りた。
「何かあったんですか?」
朔耶は中央塔の階段付近で困ったような表情で話し込む学院の職員らしき数人に話し掛けた。
彼等は最初、学院生でもなく模擬戦の一般見学者にしては目立つ格好をした朔耶に怪訝な顔を向けたが、王室特別査察官の印を見せると態度が豹変した。が、想定していた事なので朔耶は気に留めず話を促した。
「いやあ大した事じゃありませんよ、へぇ。仕事を頼んだ生徒が途中で居なくなっちゃったもんで、困ったなぁって話していた所でして、へぇ」
「つい先日に田舎から出てきたらしい青年でしてね、中々働き者で仕事も手を抜くような事は無かったんですが……やっぱり流石にこの仕事はキツかったのかなぁ」
「ただねぇ、確かに倉庫に居た筈なんだけど、忽然と居なくなっちまったんだよねぇ」
勘に、というよりも思い当たるキーワードが有りまくった朔耶はその生徒の名前を尋ねて見ると――
「へぇ、ドーソンっていう子なんですわ」
「またドーソンかっ!」
「え、あの、……彼は何か査察官様に不敬でも?」
「ううん、ちょっと言ってみただけ。 知り合いだから安心して」
ドーソンが作業をしていたという倉庫に案内して貰った朔耶は、天井近くまで積まれた穀物の袋や、魔力石の入った袋らしきモノを見て回る。結構広い地下倉庫は壁に呪文が刻まれていて、倉庫内の温度を一定に保っているそうだ。
何時もここで搬入の作業を終えた後、入り口で待っている職員と一緒に学院食堂で昼食を摂るのが日課になっていたのだが、何時までも経っても上がって来ないドーソンを呼びに職員が倉庫に下りてみると、何時の間にか居なくなってしまっていたとの事。
「ドーソンが作業してたのは?」
「へぇ、あそこの袋でさぁ、ちゃんと積み上げられてるみたいでして、へぇ」
朔耶はその周囲を見渡し、しゃがんで床を眺めると、床に這わすようにフラッシュライトを点灯する。案内の職員が驚いて感嘆の声を上げたが、気にせず朔耶は零れた粉や埃が積もった床を注意深く観察した。
強烈なライトを当てられ浮かんで来たのは複数の足跡やモノを引き摺った跡などだ。ここで作業をした人達のモノらしく、足跡の上に埃が積もり、さらに別の足跡がその上に付くなどの多重化した痕跡が見受けられた。
ちょっと掃除した方がいいんじゃないかと思いつつも、比較的新しい足跡を追ってみると、壁の隅辺りで不自然に痕跡の途切れている箇所があった。その周辺を照らした瞬間――
「!っ」
「ひぇ!?」
ゴトッと音がして壁が開き、床の一部が横に動いて開いた壁の向こうに吸い込まれていった。
そして入れ替わるように別の床が滑り出して来ると、開いていた壁は元通りになった。滑り出して来た床には不自然に途切れていた痕跡とぴったり一致する足跡が残されていた。
「な、なんですかこれは! こんな仕掛けが倉庫にあったなんて!」
「……職員さん、この倉庫、暫らく立ち入り禁止にして貰えます? それから腕の立つ護衛を二人ほど貸して下さい、あとランプと水と携帯食も出来れば用意して下さい」
「え、は、はいっ 直ぐに手配します」
慌てて倉庫から飛び出して行く職員を見送りながら、朔耶はレティレスティアに再び交感で繋ぐ。
――サクヤ、何かありましたか?――
『なんか学院の倉庫に仕掛けがあったよ、隠し通路みたいなのが。あと、生徒二人が行方不明、片方は行方不明なのかどうか分かんないけど、ルディなんだけどね』
――ネイアさんが?――
『うん、朝から急に居なくなったって話。もう片方はあたしの知り合いで、こっちは多分見つけた仕掛けが関係してると思うけど』
――先程の、サクヤが感じた良くない事に関係する事ですか?――
『どうだろうね、まだ分かんないけど何か引っかかる感じはしてるんだわ』
革鎧と尺の長い棒で軽く武装した護衛役の職員がやって来て挨拶を向けて来たので朔耶は頷いて応えた。彼等を呼んで来た先程の職員から魔術式のランプと水筒や携帯食の入った袋を受け取り、仕掛けのある壁の近くに移動する。
――サクヤが引っかかりを感じるのなら、恐らく関連している事だと思いますわ――
『かもね、今からちょっとこの仕掛けの先を探索してこようと思って、一応報告入れとくよ』
――無理はなさらないで下さいね? 危険があるようでしたら、やはり近衛を送りましょうか?――
『んーそうだね、但し内密にこっそりね。二人かそこらで、学院に来ても変に思われない感じで』
――分かりました、では臨時講師という名目で送りましょう――
『うん、宜しくねー』
交感を解き、ランプを灯して護衛の二人を振り返る。
「え~、初めまして 王室特別査察官の朔耶です。お二人にはこれから、この壁の仕掛けの向こう側の探索に付いて来て貰います。目的は倉庫から居なくなった生徒の捜索、単なる迷子探しで終わればそれに越した事はありませんが、何らかの事件に巻き込まれている可能性もあるので十分注意して下さい。では、護衛の方 宜しくお願いします」
丁寧な挨拶と目的の詳細を告げられ、王室直属の官僚に頭を下げられての護衛依頼に、護衛役の二人は思わず恐縮して同じ様に頭を下げる。
「んじゃ、行ってみようー」
一転して軽い調子になった朔耶に目を白黒させられつつ、護衛役の二人は指定された場所に立った。
朔耶も二人の間に密着するように立つと、三人固まった状態でフラッシュライトを点灯して壁の一部を照らす。ゴトッと音がして仕掛けが作動した。
転ばないように踏ん張りながら開いた壁の中に運ばれて行くと、古ぼけた感じの細長い通路に出た。ゴトンゴトンと壁が閉じて倉庫と繋がった穴は跡形もなく閉じる。
「これは……随分と古いようですな」
「何かの抜け道、でしょうか……」
「後で学院関係者に詳しい話でも聞いてみましょ。多分、元々あった古い建物の上に学院を建てたとかそんな所じゃないかな」
あり得る事だと頷く二人の護衛と共に、ランプを片手に通路を進む。通路は倉庫の壁から出て右側は少し行くと行き止まりになっていた。出てきた時も左側を正面に見て出てきたので、進む方向は此方であっているのだろう。
「ていうか、一本道なんだよね」
「僅かに円を描く角度が付いていますな、巨大な円形の通路なのかもしれません」
「勾配は感じられませんので、何処かに地上と繋がる階段か縦穴があるかと思われます」
ふむふむと、中々為になる情報を上げてくれる二人の護衛の話に耳を傾けながら狭い通路の前後を守られて進む朔耶は、倉庫の時と同じく通路の足跡に注意を払っていた。ここにも複数の比較的新しい足跡が残っている。
「……みた感じ三人なんだよね。一人はドーソンとして、後二人分の足跡、どっちも男物よね~これ」
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