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本編
――閑話




「君、何処から来たの?」

 平民の服を着た見窄らしい男の子が尋ねた。声を掛けられた女の子は零れそうだった涙を隠して精一杯の虚勢を張りながら答える。

「クルストスの街よ、家は王都にお屋敷があるけどね」
「クルストスだって? 随分遠くから来たんだね、まさか一人で?」

 そうよ、と答えようとして詰まる女の子。確かにここへは一人で来た。いや、連れて来られた。正確にはここに着いてしまったのだ。
 ちょっとした好奇心だった。御者の目を盗んで馬車を抜け出し、近くに停めてあったボロっちい平民の幌馬車に隠れた。質の悪そうな布やボサボサの大きなロープが積まれ、奥には藁束が積んであった。その藁に隠れていたのだが、なんだかとても温かくて、気が付くと眠ってしまっていた。
 目を覚ますと馬車は動いていて何処かを走っていた。街の建物は何処にも見えず、でこぼこの道がずっと遠くまで続いていた。こっそり馬車の御車台を覗き込むと、とても人相の悪い男が手綱を引いていた。怖くなって藁の中で丸くなった。やがて馬車が止まり、御車台の男が桶を持って馬車を離れたので、その隙に馬車を飛び降り、逃げ出した。
 何処をどう走ったのか、疲れに立ち止まって辺りを見渡すと、木と草と乾いた土に転がる石ころ以外何も無い場所に居た。街がどっちにあるのかも分からない。もう、帰れないと思うと哀しくて泣き出しそうになった時、男の子に声を掛けられたのだ。

「貴方、地元の子?」
「うん、この先を下った所にある川沿いの村に住んでるんだ」
「街はどっち?」
「ん? 向こうだよ」

 男の子の指した方角は鬱蒼とした森が広がっていた。女の子は男の子に礼を言って歩き出す。

「何処行くの?」
「街に決まってるでしょ」
「え、ここから? 歩いて? 馬車は?」
「馬車は……そ、そう! さきに帰らせたのよ、だから歩いて帰るの」

 男の子は驚いた。こんな場所から女の子が一人で歩いて街まで行くなんて無茶だと。

「だって仕方ないじゃない! もう馬車は来ないんだもの」
「……もしかして、置いていかれたの?」
「!っ し、失礼な事いわないでっ!」
「ご、ごめんよ」

 『まったくこれだから平民の子は……』と、女の子はぶつぶつ言いながら森に向かって歩き出す。男の子は暫らく女の子の歩き去る姿を見送っていたが、ふと空を見上げて太陽の位置を確認すると、女の子の後を追って走り出した。
 森の中は薄暗く、奇妙な動物の鳴き声が彼方此方から響き渡り、背丈程もある草が時折揺れたり、木々の隙間を何かの影が横切ったりする。

「こ、怖くなんか無いわっ イザとなったら王子様とかお父様みたいな立派な騎士が助けてくれるんですもの!」

 女の子は物語に出て来るお姫様の役を演じているのだと自分を鼓舞しながら、薄暗い森の中を進んでいく。その時、頭上から聞こえるシューーっという音に顔を上げると、緑色に紫の斑模様、黄色と黒のラインも鮮やかな一匹の大蛇が、木の枝から女の子を見下ろして威嚇音を立てていた。

「ひっ!」

 爬虫類の冷たい眼に囚われ、身体を硬直させる女の子。蛇はその鎌首を持ち上げると、細長い身体をバネのように縮めて女の子の白く細い首筋に狙いを付ける。そうして自慢の毒牙を穿たんと飛び掛ろうとした瞬間、バシッと音がして枝の上から弾き飛ばされた。硬直したままの女の子の手が掴まれる。

「こっちだ! アイツは結構しつこいから、急いで離れるんだ! 毒があるから咬まれたらしんじゃうぞ!」
「あ、貴方……っ」

 男の子に手を引かれて森の中を駆け抜ける。 歪に曲がった不気味な木の根を迂回し、カーテンのように下がる蔦を小枝で打ち払いながら進んで行く。
 森を抜け、巨石の隙間を潜り、急な斜面を登り、今まで外での遊びといえば屋敷の庭か広くてもお城の庭園でしか遊んだ事の無い女の子にとって、それは大冒険だった。やがて風鳴りのする洞窟を抜けると、遠くにクルストスの街並みが見え始めた。夕日に照らされる街は王都の上流区の街並みよりも綺麗に思えた。
 街に到着すると、女の子の覚えている建物の概観を頼りに、男の子が心当たりの場所を探して案内する。そしてようやく、女の子の泊まっている宿を見つける事が出来た。宿の前には女の子の父親の部下の騎士と、馬車の御者、それに道中の護衛に雇われた魔術士が立っていた。女の子の姿を見つけると、騎士と御者は驚いたような顔をして慌てて駆けて来る。そして――

「――風は集い荒れ狂う渦となりて――」
「えっ!」

 魔術士が放った風の塊が男の子を吹き飛ばした。男の子が転がった所に、走ってきた御者が馬用の鞭で打ちつけようとする。

「この汚いガキめ! 御嬢様になにしてやがった!」
「やめなさい!! 何するのっ!!」

 女の子は慌てて男の子に覆い被さるようにして庇う。

「へ? 御嬢様、そんなガキに触れては服が汚れちまいやすぜ」
「黙りなさいっ この子は道に迷った私をここまで送ってくれたのよ」

 キッと睨んで御者を狼狽させると、男の子を助け起こす。幸い怪我はしてないらしく、服が破れた程度で済んでいた。
 女の子は魔術士に向き直ると、子供ながらに大貴族のオーラを感じさせる堂々とした風格を漂わせて言い放った。

「貴方、この子に謝って」
「はあ? 何を言ってるのです?」

 しかし魔術士は子供の戯言を嘲るように鼻で笑って見せた。

「貴方、この子を傷付けたじゃない! 謝って!」
「お嬢様、貴方の軽率な行いがこの事態を招いたのですよ、私は自分の義務を果たしたまで。 さて、コレで私の仕事は終わりですな……御機嫌よう皆さん」

 報酬も貰い終えていた魔術士はそう言ってさっさと立ち去ってしまった。激晃した女の子が掴みかかろうとしたが、御付きの騎士に宥められた。

「御嬢様、あの者の言う事も正論です」


――ふざけないで!

「!っ」

 夢の中の自分の叫び声で目が覚めると、朝の日差しが薄手のカーテンに濾されて柔らかくベッドを撫でている。息を吐いて夢の余韻を感じるように眼を閉じる。森を抜けた所で名乗りあった、あの日の冒険の始まり。

『君の名前は?』
『……エルディネイア・クルツトフ・ブラフニ―ルよ』

『長くてむずかしいなぁ……"エル"って呼んでいいかい?』
『と、特別に許してあげるわ』

『はは、ありがとう』
『貴方の名前は?』

『僕は――――』

 そこまで思い出した所で、エルディネイアはベッドから起き上がった。もう随分昔の、子供の頃の夢。戦乱の時代も終わり、世界に平和が訪れようとしていた頃。
 エルディネイアの父ランバルトがサムズの地方での反乱を鎮める為に派遣されていた時期、王女の遊び相手として宛がわれていたエルディネイアはその王女と掴み合い引っ張り合いの大喧嘩をしてしまい、遊び相手を外された。
 屋敷に残った使用人や稽古事の教師達ではエルディネイアの気性の激しさや我侭を御し得ないとした留守役のお付の騎士がランバルトに泣き付き、それならこっちに連れて来いという事でサムズのクルストスに行く事になった。そこで出会った辺境の街の果ての、小さな村に住む男の子。

 クルストスに滞在した数日の間にエルディネイアがその男の子ともう一度会うことは出来なかったが、父ランバルトに頼んで彼を王都の学校に通えるよう手配して貰った。
 王都に戻ればまた会えると思った。しかし、エルディネイアは王都で彼と会う事は無かった。後になって分かった事だが、当時エルディネイアが通っていた王都の学校は貴族学校で、男の子が通っていたのは平民学校。
 エルディネイアは学校が終わると馬車で家まで送られ、その後は家で稽古事か上流区の散歩。会える筈も無かったのだ。


「今日も晴れそうね」

 窓から空を見上げて独り呟くと、エルディネイアは机の上に置いてあった『サクヤ式魔力石ライター』を指で弾く。
 三日前のコースティン家での晩餐会でランバルト公がサクヤという王女の客人、今は『王室特別査察官』という役職に就いている異国の少女に貰ったモノだ。
 昨日、ランバルト公は『正式な証』として王室とブラフニール家の紋章入りライターを改めて賜り、『仮証』となるこのライターは娘に譲られた。


 侍女達がやって来て朝のお茶を嗜んだ後、王都大学院の制服に着替えたエルディネイアは、サクヤ式ライターを懐に仕舞って部屋を出た。







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