職務の都合上、夜の部に入ってから到着する務めに忙しい貴族達も居るようで、これから帰途に付く人達と入れ替わりに会場入りした貴族達が、親しい相手から色々と情報を聞き出している光景が会場の彼方此方に見られた。
レティレスティアは今日のような晩餐では中心的役割にいるので、夜の部に参加する招待された貴族達のうち、少なくとも門閥家の者が全員揃うまでは会場に留まる事になる。朔耶も自分だけ先に帰るのは気が進まないという事で残っていた。
「さっきの交渉は見事だったな」
少し疲れた朔耶がベランダで一息ついている所に、アンバッスも慣れない空気から逃れてやって来た。レイスが来た時点で退場するつもりだったアンバッスだが、先程の朔耶と貴公子達のやり取りやその後の会場の空気に思う所があり、居残っている。
ベランダの出入り口には朔耶の様子を窺っている貴公子達がさり気無く集まっており、抜け駆けで朔耶に近付く者に対する無言の牽制を仕掛けていたのだが、アンバッスは何処吹く風で彼等の正面を歩いて突破して来たのだ。
それでもまだ恨みがましい視線を向けている者が何人か居たので、アンバッスは懐から朔耶の銘入りライターを取り出して火を付け、徐に振り返って反応を見ると全員の視線がライターに釘付け、それからアンバッスを見上げ、そして引き攣った愛想笑いを浮かべた。
『ふん……』と鼻の奥で溜め息を付いてライターを懐に仕舞い、ベランダの手すりに凭れるようにして朔耶の隣に立つ。ベランダから星を見上げている朔耶は何処かボンヤリした雰囲気でアンバッスの言葉に軽く肩を揺らして応えた。何と無く、朔耶が甘えてきた夜の事を思い出したアンバッスは持ってきたワイングラスの中身を少し含む。
「しかし、レイスは随分恥を掻かされたようだったが」
門閥家の名誉も気にしてやれよ?という意味も言外に滲ませて軽い調子でアンバッスが言うと、朔耶は見上げていた夜空から視線を下ろしてコースティン家の庭園を見下ろし、呟いた。
「あたしは庶民で、素人よ」
「そんな博識な庶民がいるか」
沢山の馬車が並ぶ庭園を見下ろしながら、何時かのようなやり取りを苦笑雑じりで交わす。
「富も名声も欲しい、栄光を取り戻したいし、プライドも名誉も守りたい、でも泥は被りたくありません。 ……甘えんなってね」
「ふ……厳しいな、サクヤは」
「別に、あたしは足掻こうとする人を見て それを見苦しいとは思わないだけだよ」
「ふん……なるほどな」
装飾の少ないシンプルなドレスを身に纏い、屋敷のベランダから憂いを帯びた表情で外を眺める朔耶の姿をこうして見ると、その容姿も相まって深窓の令嬢にも見えなくも無い。アンバッスはそんな風に思った。だからだろうか、普段の彼なら絶対口にしないであろう女性を称えるような言葉を口にした。
「そのドレス、中々似合っているな。結構見違えたぞ」
「おそっ! そう言う事はもっと最初の方に言ってよぉ! もう慣れちゃったから全っ然っドキドキしないじゃない!」
先程の一幕以降、朔耶はこのベランダで一息付きに出るまでにイケメン貴公子達から散々称える言葉を浴びていたのだ。もうお腹一杯で胸焼け状態になっていた。
折角ムードを演出したのに素気無く踏み潰す朔耶に、アンバッスは盛大な顰めっ面を披露し、『あ~やっぱりアンバッスさんはそうでなくちゃ』と笑顔を贈られて顰め面で苦笑するという複雑な心境を見事に表現してみせた。
「アンバッスさんはきっとフラグブレイカーなんだね」
「なんだそれは?」
意味を説明され、思い当たる節があるのか今度は苦い顰め面を披露するアンバッス・クルト(46歳独身)なのであった。
「ランバルト・クルツトフ・ブラフニ―ル様、並びに、エルディネイア・クルツトフ・ブラフニ―ル様、ご入場!」
新たに会場に現れたのはどっしりとした存在感に威厳と貫禄を湛えた初老の紳士と、まだあどけなさが残るも少しキツイ感じのする顔立ちの麗しき令嬢。彼等が入場すると談笑を切り上げて慌しく駆け寄ったフエルト卿が恭しく挨拶をして迎えた。他の門閥貴族達も態々挨拶に向かっている事から、かなりの身分に立つ人物である事が窺える。
――公爵家の方が来られたようですわ、もう少ししたら城に帰りましょう?――
『うん、あたしも流石にそろそろ疲れて来たよ』
レティレスティアとの交感による会話にもすっかり慣れた朔耶は『携帯より便利じゃん』と、この能力を気に入っていた。誰かと繋がっているという感覚が、常に心の奥で感じている寂しさを紛らわせてくれている。
――あ、それからサクヤ……彼女には気をつけて下さいね――
『ん? 彼女って、さっき入って来た人? なんか危ない人?』
――いえ、心根は良い方なんですが……なんと言いいましょうか、とても気位の高い方なので――
『あ~何と無く伝わって来た。うん大丈夫、分かったよ』
朔耶はレティレスティアから伝わってくる途惑うような困ったような、そんな『彼女に対する印象』を感じ取り『所謂タカピ~お嬢様』ね、と理解した。
「ここに居ましたか、サクヤ」
「サクヤ様、お疲れではありませんか?」
レイスとフレイが連れ立ってやって来ると、アンバッスと一緒にいる朔耶を労った。朔耶の工房を支援する約束を取り付けた中流貴族の貴公子達との交渉を終えた二人も、そろそろ帰宅の途に付くらしい。『じゃあ俺も帰るか』とアンバッスは欠伸をしながら会場内に戻っていく。
「あたしも、もう少ししたらレティと帰るよ。 交渉、どうだった?」
「上手く行きましたよ、無茶な要求さえ出さなければ彼等は中立を保つ事になるでしょう」
「サクヤ様は交渉術にも精通してらっしゃるのですね」
尊敬の眼差しを向けてくるフレイに、朔耶は偶々勘に引っかかる部分があったからやってみただけだと言って手を振った。
「ああ……そこでまた謙遜なさるサクヤ様の奥ゆかしさ……」
「お~い、フレイ~~」
何処かに旅立っているフレイを呼び戻しながら『フレイも疲れてるみたいだねー』と彼女の赤毛を筆にして頬をこちょこちょやっている朔耶に、レイスは苦笑を返すしかなかった。
「幾ら公爵家の令嬢でも、口にして良い事と悪い事がありますぞ!」
「あら、公爵家かどうかなんて関係ありませんわ。私は事実を述べたまでのこと」
ベランダで談笑していた朔耶達は会場から響いてきた男女の言い争う声に何事かと目をやると、先程の公爵家令嬢が若い貴公子の一人と口論になっていた。周りでは二人を宥めようとする者と只の野次馬になっている者達が、言い争う二人を中心に輪を作っている。
『うわ~……さっそく問題起こしてるよ、あのお嬢様』
「エルディネイア様ですね……あの方は魔術士を目の敵にしているので、魔術士の家系の者とよく諍いを起こすのですよ」
「もしかして、レイスも?」
「ええ、僕もフレイも何度か絡まれましたよ、最初は驚きましたが慣れれば挨拶のようなモノだと気になりませんが」
「私は未だに慣れません……」
レイスは涼しい顔をして余裕の態度を見せているが、フレイはこそこそっとレイスの陰に隠れようとしている。二人はまだ王都にいた頃にレイスの父ルィバンスに連れられて門閥家の晩餐会にもよく同席していたのだが、そういった席でエルディネイアと顔を合わせると必ずといって良いほど絡まれていた。
曰く、魔術など精霊術を冒涜する邪術だ。
曰く、相手の呼吸を感じる事もなく卑怯な術で打ち倒そうとする魔術士は傭兵風情にも劣る。
曰く、魔術の戦いは潔さや勇ましさという高貴の欠片も無い陰湿な殺し合い。
などなど――
「よっぽど嫌いなんだねー、何か嫌な事でもあったのかな」
「どうなんでしょうねぇ、彼女の父君ランバルト公はかつてカイゼル王と共に周辺国の武装勢力を討伐して治めたフレグンスの双璧と並び称されていた武人の方で、彼女はそんなお父君を随分と尊敬してらっしゃるようでして、ただ令嬢は一人娘なので……」
ブラフニール家の家督もランバルト公の騎士としての象徴も継ぐことが出来ず、婚約者として挙がる相手は何故か尽く魔術士の家系の者である事に反撥しているのでは、とレイスは自分の分析を話した。そこにフレイも自身の聞いた話を付け加える。
「私の聞いた話では、大学院の模擬戦などで魔術士に正面から挑んでは敗れるというのを繰り返して……その都度、魔術士に対する対抗心を強めていらしゃるとか」
「……それって、どっちも八つ当たりの類じゃないの?」
何せ相手は公爵家令嬢、絡まれる方はあまり強く出る事が出来ないし、エルディネイアは直接相手や相手の家を批判している訳ではないので、彼女の家に対しての抗議も出来ない。本人に至っては『事実を口にする事の何がいけないのかしら?』と終始この調子なので、皆エルディネイアの魔術士嫌いにはホトホト手を焼いているのだった。
口論はエルディネイアの気が済んだのか、絡まれた貴公子が宥められたのか、どうやら収束に向かっているらしく二人を中心に広がっていた人の輪もばらけ始めている。
レイスとフレイは今の内にとっとと退散しようと、人々の流れに紛れて会場の出口に向かった。朔耶もレティレスティアが出口付近に移動を始めたので一緒に向う。
――お待たせしましたサクヤ、そろそろ城に戻りましょう――
『そだね、早く帰ってお風呂入りたいよ』
「あら? そこにいらっしゃるのはアクレイア家のレイス様ではありませんの?」
ビクリッとレイスの陰に隠れていたフレイが肩を震わせて硬直する。声を掛けられたレイスは無視する訳には行かないので振り向いて声の主に挨拶を送った。
「お久しぶりです。エルディネイア様」
「本当、暫らく王都では見なかったけれど元気そうね」
無難な挨拶が交わされたにも拘らず、周囲の人々はアクレイア家の子息に同情的な視線を向けた。『次のターゲットは彼か』と。そして大方の予想通り、エルディネイアはフレグンスの魔術士の家系では筆頭とも言えるアクレイア家の子息に絡み始める。
「剣を使わない騎士なんて詐欺のようなお話を良く聞いていましたわ。辺境の片田舎での任務では随分とご活躍のようですわね」
「いやあ、意外と平和な街でしたよ」
慣れたと言うだけあってレイスは表情一つ変えず流して見せる。さり気なくフレイを庇うような位置取りに立ってエルディネイアの矛先が向かないよう、視界から隠している辺りに余裕が見て取れた。エルディネイアもまた、レイス相手には一筋縄で行かない事を分かっており、先程入手した情報を痛烈なカードとして早々に切ってみせた。
「聞きましてよ? 屋敷の修繕に目処が御立ちになったとか」
うわぁ……という空気が辺りに広がった。あの話を聞いていた他の貴族達は、失笑を向ける事は出来てもそれを話題にして話す事までは流石に憚られる。ましてや本人相手にあからさまにその話を向けるなど言語道断。
門閥家の名誉に関わる問題なだけに、喧嘩を売ってるも同然なのだ。
「ええ、良い建築技師の紹介を受けまして」
しかしレイスも既に開き直っているのか、周囲が予想していたような動揺も怒りも見せず、淡々と受け流していく。それが気に入らなかったのか、エルディネイアにしては珍しく相手を直接貶めるような言葉を口にした。
「それは何よりでしたわね、ようやくあの見窄らしい屋敷がまともになると聞いて私もホッと致しましたわ、上流区の景観を著しく損ねていましたもの。でも御無理は為さらないで、いっそ貴族街に手頃な御邸でも御買いになられてはいかが?」
朔耶はエルディネイアの言い様を聞いて『すっげぇ毒舌だぁ』と噴出しそうになっていた。レイスにとっては笑い事では無いのだが、金髪縦巻ロールで目元がつり気味な為かキツそうな印象を持つ顔立ちの御嬢様キャラとしては余りにもハマリ過ぎていて笑ってしまいそうになる。
肩を微妙にぷるぷるさせている朔耶に気付いたフレイが、そっと朔耶の手を握る。フレイのその瞳からは『大丈夫ですサクヤ様っ レイスさまは、大丈夫ですから……!』と訴えているのが読み取れて申し訳無い気持ちに駆られながらも、更なる笑いの種に堪えて思わず俯く。
『ごめん、フレイ……違うんだよ……あたし怒ってるんじゃなくて噴出しそうなんだよっ!』
そんな笑いの衝動と内面で闘っていた朔耶は更に続いたエルディネイアの――
「まあ、魔術を為さる方は何彼につけて後手に回る方が多いですからね、貴方も騎士になったのでしたら『騎弓剣盾』の精神に則った行動が出来るよう期待したい所ですわ」
――久しく聞いていなかった四文字熟語のような響きを持つ言葉に反応して顔を上げる。
「ききゅうけんじゅん?」
うっかり声に出してしまった朔耶の呟きは、思い掛けず大きく響いてレイスと対峙するエルディネイアや周囲で輪になって成り行きを見守っていた人達の耳に届いた。
「あら? 其方の方はどなたかしら?」
エルディネイアの翠色の瞳が朔耶の黒い瞳を捉える。エルディネイアの朔耶に向ける目は、少なくとも見ず知らずの相手を見る目ではない。
門閥家は勿論、中流貴族達でも殆どの者が王女に勅令を発令させてまで探し出すに至らせた朔耶の事は知っている。王家に最も近い一族でもある公爵家の者が知らない筈はないのだ。
これは相手に先に名乗らせる事で、自らの立場と存在を誇示しようする公爵家令嬢からの『私を敬いなさい』というサインのようなモノだ。朔耶に直接問い掛けていない所にも身分の差を明確に示そうとする態度が見て取れる。
周囲の貴族達はエルディネイア嬢が朔耶に眼を向けた事に恐々としていたが、この対応についてはある種当然の接し方として納得出来るモノだったので朔耶にまで絡むつもりは無い様だと胸を撫で下ろした。
門閥家や中流以下の貴族達にとって、王女と懇意の客人である朔耶は王家に取り入る為の恰好の存在と言えるが、公爵家は元より王家に対する発言権を持っているので太鼓持ちになる必要もない。ましてや朔耶は貴族の身分に無く、更には魔術士と称される相手だ。魔術士嫌いのエルディネイアが公爵家の威光に朔耶を傅かせようとするのは当然の帰結といえようという。
「ねえねえ、『ききゅうけんじゅん』って何?」
しかしエルディネイアから『傅けサイン』を送られている当の本人である朔耶は、自分が話し掛けられた訳では無いのをいい事にまるっきり緊張感の無い調子でレイスの陰に隠れているフレイに言葉の意味を尋ねていた。
途端、ギリッという音を幻聴しそうなエルディネイアの鋭い視線が朔耶を射抜く。安堵の息を吐いたばかりの周囲の貴族達はそのまま今度は緊張に息を呑む。今日はやたらと強制深呼吸の多い晩餐会だった。
「あ、あの……『騎弓剣盾』とは賢者の言葉でいう所の……」
「戦の心得を表した言葉ですわ」
しどろもどろになりつつも朔耶の問いに答えようするフレイの回答に被せるように、エルディネイアが言い放った。幾分声のトーンが低い辺りに不機嫌さが表れている。
「ほうほう、それってどんな意味なの?」
あっけらかんと返してくる朔耶に、エルディネイアは面食らって目を丸くした。幾ら王女と懇意にあるからといって、貴族でも無い身分にある者が公爵家令嬢である自分に対して何の物怖じもしていない。単なる度が付くほどの世間知らずや愚か者の類とも思えない。先程耳にした話では中流貴族の貴公子達のみならず、門閥ジャバール家の子息をも手玉に取る賢しい娘だと聞いていた。
ならば、その賢しさでこの私を相手取るつもりかと、エルディネイアはふつふつとした闘志を滾らせる。しかし、あからさまにそれを表に出す訳にはいかない。格の違いを見せ付ける為には此方はあくまでも優雅に気品を忘れず、余裕を持って対処して見せなくてはならない。
エルディネイアはまず何処から攻めるべきかと、朔耶のウィークポイントを探すべく問いに応じて対話を続ける事にした。相手の事を正確に知るには直接話すのが一番なのだ。
「騎弓剣盾とは、騎馬のように速く駆け、弓のように静かに射抜き、剣のように果敢に攻め、盾のように味方を守る、騎士の精神を謳った賢者の言葉の教えですわ。魔術士には真似の出来ない教えですわね」
「なるほど~、確かにそれっぽいね。でも戦の心得とはちょっと違う気がするなぁ」
「……どういう意味かしら?」
「騎士の精神ってのは分かるけど、戦の心得っていうにはちょっと狭いかな」
最後のワンポイント牽制をあっさり躱して、あまつさえエルディネイア嬢の賢者の言葉の用法にケチまで付ける朔耶に、周囲で成り行きを見守る貴族達は内心ハラハラしていたが、同時に朔耶が何を言い出すのかにも興味があった。特にフエルト卿の派閥に属する家は少なからず魔術士を輩出している家系でもある為、フエルト卿が主催する晩餐会では比較的魔術士も多くなる。彼等にとっては普段から嫌味と難癖ばかりつけて来るブラフニール家令嬢に一矢を報いてくれるならばという期待もあった。
「ついでに言うと、譬えが武器の類ばっかりで精霊の国って呼ばれてるフレグンスにはしっくり来ない気がする」
国に相応しく無いとはまた大きく出たものだと、異国の少女と公爵家令嬢を囲む貴族達の輪からは少し離れた場所で余興を楽しむように眺めていた門閥家のエライさん達がほくそ笑み、同じ様にして離れた場所から愛娘と王女の客人の動向を目を細めて眺めていたランバルト公に視線を向ける。
ランバルト公は娘エルディネイアのような魔術士嫌いという訳ではなく、寧ろフレグンス国内で魔術を盛んにしようとする勢力の急進派でもある。娘の婚約相手に魔術士の家系ばかり選ぶのも、魔術士の血を迎えたい思惑もあっての事だ。困った事に娘は騎士に憧れてか女だてらに剣を振るおうとする。大学院の学生の身にある内はまだいいが、家に戻って婿を取る頃には慎ましく在って欲しいモノだと思っていた。
『しかしあの娘……、近衛のイーリスに膝を付かせる程の技を放つ 少々毛色の違った魔術士と見ていたが……はたしてネイアを何処まで言い包める事が出来ようか』
ランバルト公は先日の王の間で行われた迎えの儀にも出席していて、そこで『一発殴って赦す』という異国の少女の漢気溢れる裁断を好意的に捉えていた。愛娘にも似た勇ましい気概に、あの娘ならばネイアとも良い友人になれるのではという期待感が湧いたのだ。
この晩餐の席での邂逅は吉と出るか凶と出るか、そんな事を思いながら愛娘が睨みつけるように対峙する黒髪に黒い瞳を持つ異国の少女を見守った。
「相応しくないと仰いましたわね、でしたら貴女が相応しいと思う賢者の言葉を是非、御聞かせ願いたいですわ」
エルディネイアは朔耶の切り返しには内心驚いていた。今までは反論される事はあっても遠慮がちに『貴女の世評に関わりますよ』というような、風評を気にさせての自重を促すモノばかりで、ここまで明確に自分の意見として物言いを付けて来た相手は居ない。
それ程までに賢者の言葉の語録知識に自信があるのだろうかと、エルディネイアは少し警戒した。しかし――
「うーん、そう言われても……あたしこの国の賢者の言葉とかって知らないし」
思いっきり肩透かしを食らってエルディネイアのみならず、周囲で輪になっている貴族達もがっくりと肩を落とした。失望混じりの溜め息も聞こえる。同時に、貴族の身分にない者がそうそう賢者の言葉を嗜んでいる筈もないかと納得気味に頷いている者もいた。
だが、朔耶が次に続けた言葉には大いに反応を見せる者が多かった。
「実際の戦争を知りもしない人が戦の心得を語るのも、戦場に出て戦う人に失礼だしね」
それはつまり、騎士でもない者が騎士の精神を語る事への諌言でもあり、魔術士でもない者が魔術士を嘲る事の愚かしさを指摘してると捉えられた。さっとエルディネイアの頬に朱が差す。
実に根本的で単純明快な指摘であるが故に正論過ぎて今まで誰も口にしなかった事だ。似たような内容であれば今までの口論で度々諌める程度に言われた事もあるエルディネイアだが、何れも遠回しに暈しながらの指摘だった為、幾らでも反撃のしようがあったのだ。
こうもキッパリ、はっきり『失礼だ』と言われたのは彼女にとって初めての事だった。
「し、質問の答えになっていませんわね。私の示した賢者の言葉が相応しく無いとおっしゃったのに賢者の言葉を知らない貴女も失礼に中るのではなくて?」
何とか反論の言葉を紡いだエルディネイアだったが、その言葉にはかなりの動揺が感じ取れた。だが一応言わんとする意味は伝わる。自分の示した賢者の言葉を否定するならそれに代わる言葉を示すべきだという反論。しかし朔耶は賢者の言葉を知らないと言う。
これは引き分けに終わりそうだなと、場を収める為に周囲の貴族達が双方のフォローに動こうとした時、朔耶がエルディネイアの問い掛けに応えた。
「あたしの国のそういう言葉なら知ってるけど、聞く?」
「貴女の国の言葉……?」
怪訝そうに反芻したエルディネイアは、朔耶がかなりの遠方にある異国から来たらしいという事を思い出し、少なくともオルドリア大陸では万国共通の賢者の言葉も、他大陸の国までは伝わっていないのかもしれないと認識した。
「聞かせて頂けるかしら」
「ん、『風林火山』って言うんだけどね……」
――疾きこと風の如し――
――静かなること林の如し――
――攻めること火の如し――
――動かざること山の如し――
巫女の祝詞のような響きを持った言葉が、晩餐会場に紡がれて行く。
「風のように疾く動き、林のように静かに佇み、火のように激しく攻め、山のように動じない――若干違う所もあるけど概ねこんな感じかな」
朔耶の国の賢者の言葉を聞いた貴族達は一様にその言葉の完成度の高さに感嘆の唸りを上げた。一句一句に情景が浮び、自然物を譬えに使っているので精霊の国と謳われるフレグンスにも相応しい。戦に限らず、あらゆる方面の心得に使えるほど応用範囲が広く規模も違う。正に賢者の言葉だった。
「中々素晴らしい言葉をお持ちのようだ」
「!っ お、お父様」
朔耶の言葉を認めざるを得ない所まで追い込まれたエルディネイアは、何時の間にか背後に立っていた父に驚きの声を上げた。これには周囲の貴族達も遠巻きに眺めていた門閥家のエライさん達も驚いていた。
ランバルト公は今までエルディネイアが何処の誰と口論を始めても遠くから見守るばかりで、特に諌めるでもなければ口論相手に睨みを利かせるでもでもなく、寧ろエルディネイアに積極的に反論する者が居れば好意的とも感じる眼差しを向けている事が殆どだった。流石に掴み合いにまで発展しそうになれば割って入る事もあったが、理性的な会話が成り立っている最中に自ら干渉する事は無かったのだ。
娘の旗色悪しと見て首を突っ込むような無粋をする人物では無い事を誰もが知っていたので、この段階で声を掛けて来る事の意図を誰もが図りかねていた。朔耶とランバルト公に皆の注目が集まる。
「娘が失礼をしたね、血気盛んな気性故に中々手を焼かされているが、これでも根は素直な子なのだよ。ここは一つ、儂に免じて赦してやってくれんかね」
その言葉に絶句したエルディネイアは眼を見開いて父を見上げた。周囲の貴族達にも驚きと動揺が広がっていく。『ランバルト公爵が侘びを入れた!』と、そして公爵家当主がそんな行動に出た事で、門閥家を含む貴族達の間であらゆる憶測が瞬く間に飛び交い始めた。
王家に近しい、特にカイゼル王とは親友の関係にあるランバルト公の事だ、一般(この場合貴族間)には出回っていない朔耶に関する重要な極秘事項が有り、それを知っているが故の行動では? と。朔耶に関しては特に異例尽くめで事が進んでいただけに、やはり ただ王女が御執心の客人というだけの存在では無いのではないか。
そしてそれらの憶測はつい数刻前の『信頼の証』配布の事にも波及して、朔耶は『王家直属の特命官』で我々は彼女を通して篩いに掛けられているのではないかという所にまで至った辺りで、朔耶がランバルト公に答えた。
「うん? 赦すとか赦さないとかの話じゃないと思いますけど? 別に喧嘩してた訳じゃないですしね」
「ふむ、そうかね」
飄々と話す朔耶と穏かな笑みのランバルト公。二人のやり取りに複雑な表情を浮かべて沈黙しているエルディネイア嬢。会場中の人々が見守る中、朔耶を迎えに来たレティレスティアの登場でこの舞台はお開きとなった。
「これはこれはレティレスティア様、挨拶にも行けませんで申し訳ありませんな」
「いいえ、ランバルト公爵もお忙しいようですわ」
王女と公爵の軽い挨拶が交わされ、エルディネイアも王女への礼を取る。
「時にサクヤ殿、先程のライターという道具だが……もし余っているならば一つ譲って貰えないだろうか?」
「いいですよ」
ざわり、とざわめきが広がる。お開きになった筈の舞台上で最後にとんでも無い展開が待っていた。公爵自ら『信頼の証』を所望し、それを了承されたという事に、またしても憶測が飛び交い始める。
何よりも、王家に近しい公爵家であるランバルト公が『証』を与えられていなかったという事実が、最近の王都に漂う帝国の間者洗い出しという物々しい雰囲気と深刻さを思い起こさせ、フレグンスの貴族内部に帝国と通じる勢力が在るらしいという貴族間で真しやかに囁かれている噂の信憑性を高める事となった。
焦ったのは他の門閥家のエライさん達だ。何せ自分達も『証』を与えられていないのだから、これは早急に王室へ問い合わせなくてはと従者を呼んでごにょごにょと耳打ちする姿が会場内の彼方此方で展開された。
「ではサクヤ、城に帰りましょうか」
「そだね、それじゃあまたね、ランバルトさんに……エル?」
「わ、私の愛称はルディかネイアですわ! それに、その愛称は……いえ、何でもありませんわ」
会って間もない相手からいきなり『エル』などという愛称で呼ばれて狼狽したエルディネイアは、しかし愛称で呼ばれる事自体には拒絶感は感じさせなかった。なので朔耶はエルディネイアもレティレスティアと同じく愛称で呼ぶ事に決めた。
親睦を深める為にというよりも『名前長いと舌噛みそうだし』というのが本音だ。
「んじゃ『ルディ』で、またね~ルディ」
「……そっちは婚約者が使う愛称なのですけど……まあ、いいですわ。また何処かでお会いする事があれば、賢者の言葉についてお話しましょう」
貰ったライターをふむふむと手の中で玩ぶランバルト公と、朔耶の飄々ぶりに毒気を抜かれて棘を潜めたエルディネイアに別れの挨拶をして出口に向おうとした朔耶は、慌てたように小走りで近付いて来たフエルト卿からも挨拶を向けられた。
「レティレスティア様もサクヤ様も御帰りですか、今宵は楽しんで頂けましたかな?」
「良い晩餐会でしたわ、フエルト伯爵」
「料理美味しかったですよー」
社交辞令と本音の二重奏で答えるレティレスティアと朔耶。フエルト卿は『それはよかった』と揉み手ばりの微笑みで返しつつ、遠慮がちに言葉を続けた。
「それであの~、大変恐縮ながら……宜しければ私にも是非、あの道具を頂ければと……」
「あ、ごめん。ランバルトさんにあげたのが最後だったの、今日はもう残ってないんだわ」
ざわり……。やはりまたざわめきが起きた。『フエルト卿は王家から信頼されていないと言う事なのか……』『いや、本当に偶々証が手元に無いだけかもしれないし』『しかしアクレイア家の子息は持っていた……派閥の脱退を考えるべきか』
「ごめんね~」
「あ、いえ……そ、それでは仕方ありませんな、ははは。では、また次の機会にでも……」
両手を合わせて済まなそうにしている朔耶に、フエルト卿は引き攣った笑みを返しながら汗を拭う。朔耶達の後に続くように出口に向かったレイスは、そんなフエルト卿に一瞥を向けて会場を後にした。
朔耶達が退場した会場では、『証』についての話題で持ちきりになり、今日、朔耶の工房関係でアクレイア家への支援を約束して『証』を貰った中流貴族達は、心の底から安堵していたりするのだった。
レイス達とも屋敷の玄関前で別れた朔耶とレティレスティアは、城に帰る馬車の中で今日の晩餐での事を話し合っていた。
「ふう~、やれやれだったね」
「お疲れ様サクヤ、彼女を相手にあそこまで堂々と話せるなんて、驚きました」
「そう? 結構面白い子だと思うけどなぁルディって。それにレティと繋がってたから、私一人じゃないって思うと凄く心強かったよ」
「あ……サクヤ……」
ぽぉっと上気した表情で潤んだ瞳を向けてくるレティレスティアに、とりあえず席一つ分距離を取る朔耶。
『そこで頬を染める所がレティがレティたる天然の証なんだよなぁ……』
屋敷の玄関口でレイス達と別れた時もフレイが似たような症状を見せていたのを思い出し、何か自分が間違った方向に向かっているような気がしてならない朔耶だった。
「所でサクヤ、その道具はまだ残っているようでしたのに、どうしてフエルト伯爵にはあげなかったのですか?」
「うん……ちょっと思う所があってね」
袋の中から余ったライターを持ち出してごそごそしていた朔耶にレティレスティアが尋ねた。朔耶はまだ数個のライターをあの場では所持していたのだ。
「ねえ、レティ……今日の晩餐会に来てた人達はさぁ、あたしのライターに凄く注目してたのに気付いた?」
「ええ、皆さんとても興味が御有りのようでしたわね」
「なんかさあ、すっごい誤解されてる感じが伝わって来たのよ。ライターを渡す事が何か大事な意味になるみたいな」
「え? そうだったのですか? 皆さんとても羨ましそうにしている様には見えましたが……」
最初に工房の支援を約束してくれた貴公子達にあげた時は、普通に喜んでくれていたようだったのに、中の機構を説明していくにつれて段々と真剣な顔付きになって行き、他にも持っている人が居るという話になった時は随分と緊張した様子になった。
魔力石を使った道具がこの世界では珍しいという事は朔耶もアマガの村での生活と王都までの旅路で分かってはいたが、どうもそれとはまた違う驚きを彼等の様子からは感じた。
「なんかね、信頼の証がどうのこうのって聞えたから、こういう道具を渡すのって何か深い意味でもあるのかな~って思ってね」
ランバルト公に渡した時の周囲の反応で更にその確信を深め、流石にこれ以上軽々しくぽんぽん渡すのは不味いかもしれないと思い、その後のフエルト卿の所望には渡す事を自重したのだ。
レイスの敵になる人とはいえ、折角欲しがっているのにあげられなくて悪い事したなぁと朔耶はちょっぴり気に病むのだった。
城に戻った朔耶とレティレスティアは地下の洞窟風湯浴み場で汗を流し、朔耶がレティレスティアに湯に浸かる心地良さを懇々と教えている所に、少し急いだ様子でアルサレナが入ってきた。
「二人とも、湯浴みが済み次第、王の間に上がって来なさい」
それだけ言うとまた急いだ様子で湯浴み場を出て行った。朔耶とレティレスティアは二人して『なんだろう?』と顔を見合わせ、とりあえず行ってみようと湯浴み場を後にした。
王の間に上がると、カイゼル王とアルサレナ王妃、それに宰相の三人が待っていて、他の者は室内の護衛も含めて人払いがされていた。何処かピリっとした空気に朔耶もレティレスティアも緊張感が込み上げてくる。
「おお、来たか」
「父様、母様も如何なさいました?」
まずは掛けなさいとソファーに座るよう言われ、レティレスティアと並んで腰掛ける朔耶。それを見届けてアルサレナは徐に頷き、カイゼルが口を開いた。
「うむ、実は先程の事なのだが……各門閥家の従者が妙な問い合わせをして来てな」
王から説明を聞くにつれ、冷や汗を流しながら顔を引き攣らせる朔耶。レティレスティアも同じ様に蒼い顔をしていた。
――親愛なるカイゼル国王様におかれましてはサクヤ殿を通じての『信頼の証』を我○○家にも賜れますれば……――
そんな感じで『信頼の証』を家にも是非与えてくれとの要請が来ていると聞き、詳しい説明を求められたので朔耶は順を追って話した。
「わっはっはっ」
「笑い事ではありません」
朔耶の話を聞いて思わず笑い出すカイゼル王を困ったように叱責するアルサレナ王妃。結構重大な問題の筈なのだが、王は終始機嫌が良さそうだった。
「良いではないか、どうせまだそれ程出回っていないのであろう? いっそ特別な装飾でも施したその道具を『信頼の証』……くっくっくっ として、本当に信頼出来る相手に配ってみてはどうか?」
「まじめに考えて下さい」
「何を言う、私は何時でも真面目に考えているぞ?」
「笑いながら言っても説得力ありません。 せめて威厳の欠片くらいは見せて下さい」
国王と王妃による夫婦漫才という非常にレアなモノをライブで見られて朔耶もようやく気持ちが落ち着いてきた。そうして王の提案した『特別な装飾』という部分に着目し、以前レイスと話した相手の家の紋章などを彫り込んで渡す事を考えてそれを話してみる。
「サクヤ……貴女まで」
「おお、良い考えだなそれは! よし、各家の紋章を記した記帳の閲覧を許可しよう」
「……はあ、もう好きになさって下さい」
一応、渡す相手は一端王室に報告を入れ、王、王妃、宰相、それに何故か朔耶も交えて吟味してから渡すか否かを決めようという事になり、正式な『信頼の証』は王家の紋章と相手の家の紋章をそれぞれ裏と表に彫り込んだモノとし、朔耶の銘が入っただけのモノは『仮証』として扱う事にしようという方向で話が纏まった。
連絡を入れる方法は朔耶がレティレスティアに交感で伝え、レティレスティアが口頭でアルサレナに伝える。そしてアルサレナから王と宰相に伝えられ、時間の調整をした後、協議の時間をレティレスティアを通じて朔耶に伝える。朔耶の到着を待って協議を始め、吟味した後決定するという仕組みだ。
朔耶を選定に加えるのは朔耶の中の精霊によって相手の情報をある程度正確に把握出来るらしいという事に、ジャバール家の子息との逸話を聞いて思い至ったアルサレナの提案だった。
「サクヤならば、相手が王国に仇なす者かどうかを見抜く事が出来るでしょう」
こうして、王家直属『信頼の証』選定官に任命された朔耶には、後日相応しい身分を与えられる事が約束されてこの日の説明会は解散となった。
「これって出世?」
ワタワタしている間にバタバタ決まった自分の役職らしき立場に、湧かない実感を求めるように呟く朔耶だった。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。