薄手のカーテンに濾されて柔らかい光となった朝の陽射しが頬を照らし、瞼の向こうから染み込む…………染み込む……――
「……染み込む光? って、詩の才能ないな、あたし」
慣れなければ返って背中が痛くなりそうなくらい柔らかいベッドの中で伸びをしながら寝惚けた意識を覚醒させると、朔耶はふわわと欠伸をして起き上がった。
ここはカンタクルの大宿の一室だ。昨日の夕刻過ぎに到着した一行は、フレグンス国内に入った事を王都に知らせるべく街の駐在騎士団に伝書を飛ばして貰い、案内された宿に入った。
「今日はいよいよ王都に入る日か~」
レイスの話では、ここから王都までは割と距離が近く、昼過ぎか夕方前には王都入り出来るだろうとの事だった。ここまでの約一週間近い旅路に感慨を覚える。
「あたし一人だったら、ここまで辿り着くのにどのくらい掛かってた事やら……」
着替えを済ませ、朝食をとりに部屋を出る。朔耶は部屋に持って来て貰うよりも広い食堂で皆と一緒に食べる方を好んでいた。
「おはよう御座います、サクヤ様」
「おはよフレイ」
部屋を出ると直ぐ控えていたフレイが現れて挨拶を交わす。何処に控えていたのかは謎で、何時の間にかふいっと現れる事が多い。食堂に着くと護衛隊の面々が既に食事をとっていた。フレイは侍女たちとテーブルに着き、朔耶は護衛隊の着くテーブルに向かった。
「みんなオハヨ~」
各々と挨拶を交わし、端っこの二人の隣に座る。
「おう」
「おはようございますサクヤ、良く眠れましたか?」
彼等との旅も、今日を無事に越えればもう終わりなのかと思うと、少し寂しい気分になる朔耶だった。
「今更だけど、王都ってどんな所?」
何時も通りに朝食を終えて直ぐ出発した一行は、フレグンスまでの広い街道を順調に進んでいた。これまでの街道と比べると道の状態も良く、行き交う馬車や徒歩の人々の姿も多く見受けられた。
「そうですねぇ、大きい割りに落ち着いた古い街という感じですか」
「活気が無いってこと?」
「ふふ……サクヤは容赦ありませんねぇ、まあ確かに活気が無いと言えばそうとも言えますね」
「やっぱり戦争が近いからなのかなぁ」
道中ちょくちょく耳にしていた帝国グラントゥルモスの侵攻が近いという話。朔耶が此方の世界に喚ばれてレティレスティアと出会った時、彼女を捕らえようとしていた変態コスプレ集団(当時の朔耶視点)もその帝国の手の者だった。
「それもありますが、停滞感や閉塞感……とでも言いましょうか、長い歴史を持つ故に古い仕来りに縛られて変化が無い。支配階級の在り方や政治体制も今の王の提言で徐々に変わってはいますが、全体的にみれば今までと殆ど変わりありませんからね……と、サクヤにこんな話をしても仕方ありませんでしたね」
「む? それってあたしに政治の話しても分からないって意味? 良く分かってるじゃん」
家の問題がある為、まだ少しレイスとは線を引いた接し方をしている朔耶は、それでも以前よりは打ち解けたように感じていた。
レイスが政治的な話をする時、フレイが何処と無く緊張する様子にも気が付いてたが、事情は大体察しているのでそこは見ぬ振りで流している。
「王都に着いたら、どうしようかなぁ……」
「レティレスティア様との謁見が済んだら、僕の家に招待しますよ」
「引っ張り込む、の間違いじゃないのぉ?」
「いやぁ、手厳しいですね」
ちらっとフレイが二人に視線を向けたが、特に何を言うでも無くお茶の準備をしに隣室へ向かった。何時もならそろそろ昼食の休憩に入る頃だ。
「サクヤの為に工房を用意しましょう、専門の技師にも心当たりがありますし」
「そこまでしてくれるのは嬉しいけどさ、あたしの道具を独り占めしてるとか他の人に言われたりしない?」
「……成る程、確かにそれは有り得ますね」
失念していたと苦笑するレイスに、朔耶は更なる忠告の言葉を浴びせてレイスの表情から微笑を奪った。
「そういう所から足引っ張られたりするモノなんじゃないの? 隙と弱みは見せない方がいいと思うなぁ」
レイスには朔耶の事に関しては他人に知られると致命的な程に不味い事がある。
朔耶の捜索に関する勅令内容の隠蔽など、レティレスティアの耳に入れば家の復興どころの話ではないし、アマガの村からエバンスまでの一連のトラブルなど本来は起こり得なかった事なのだ。
辺境騎士団を始めとし、エバンスの統治者代表からも責任追及の声は上がるだろう。復興と巻き返し、対立貴族への雪辱に目を奪われすぎて足元が疎かになっていた、という訳ではない。
朔耶の、自らを利用しようとする謀を知っても尚自然体で接してくる度量の広さに安心してしまっていたのだろうと、レイスは自身を分析する。要は油断と甘えだ。朔耶の寛容さはドーソンを連れ帰って来た夜に思い知らされている。
「貴女と接していると、牙が抜けそうになる……なのに爪を隠しておけと忠告をくれる」
「レイス? また目が危ない感じになってるよ?」
「大丈夫ですよ、今はフレイが傍にいます」
「……『今は』って所に身の危険を感じるわ」
お茶の準備を整えて戻って来たフレイは、自分の名前が出た事に話の流れを掴めずキョトンとしていた。
珍しく散らかっていないテーブルの上にティーカップを並べていく。何時もなら削った石やら工具やらが散乱しているのだが、今日は昼の休憩を挟まずに一気に王都まで進む予定なので、朔耶も石弄りは控えていた。
『久しぶりにこの車室の中で動く定位置の騎士が見られた』とか先程までのレイスとの突っ込んだ会話と全く関係の無い事を思いながらお茶を楽しむ朔耶であった。あるいみ、寛容さの正体でもある。
「あれが、王都……」
昼を過ぎて暫らく、朔耶が退屈で眠くなって来た頃、一行は遂に王都フレグンスに到着した。
なだらかに広がる小高い丘に造られた王都は、一番高い所に見える王城、王宮区画を中心に巨大な五重の城壁が波紋のように囲う城塞都市だ。一番外側の城壁の周りにも行商の露店が張り付いていて、殆ど小屋のような造りの店もちらほら見える辺り、今も少しずつ街の規模を広げているようだ。
各区画は街の中をぐるっと回り込むように大門が一箇所ずつ設けられ、最初の区画から街の中を半周すると一つ上の区画に入れる門がある、という造りになっていた。ちなみに王城は門に対して横向きに建っている。
「ふわ~、流石に大きいね……」
門の前には騎乗した王国騎士団の出迎えが十騎程、整列して待っていた。エバンスの時程ではないものの、やはりこういうのに慣れない朔耶は俄かに緊張してしまう。
前後を二騎ずつの四騎、左右に三騎ずつの六騎という陣形で王国騎士団の騎馬隊に護られた一行は、城下街にあたる一般住民区画の街並みを城壁に沿って進み、丁度裏側に位置する門を抜けて一般開放区画に入った。
この区画には各種学校や高名な職人の工房などが集まっている。ドーソンはここで馬車から降りる事を申し出た。
「世話になったね、ここまで乗せて貰った事、感謝するよ」
「どうあってもそのスタイルは貫くのね……」
髪を掻き揚げ、胸を張りつつ腰に手をあてて、斜めに構えながら口の端だけ上げて見せるドーソンに脱力気味に応える朔耶、その仕草を何処で覚えたかは聞かないでおく。道中色々あったが、変わらないドーソンの口調や身振りに朔耶は笑って見送った。
ドーソンと別れた一行は、再び城壁に添って街の中を半周し、反対側にある門を抜けて貴族街の区画に入った。ここには中流から上流階級とされる一般的な貴族の身分に属する人々が住んでいる。
『商人国家キト』や『知の都ティルファ』と違ってフレグンスでは身分の区別が厳格な為、この区画には例え金持ちの豪商であっても高名な技師であっても、貴族の身分に無いものが居を構える事は許されない。
「閑静な高級住宅街って感じだね~、住宅って言うには屋敷クラスばっかりだけど……レイスの家もここにあるの?」
「いえ、僕の家はもう一つ上の区画にあります、一応フレグンス有数の大貴族の家ですからね……とは言っても、いつこの区画に落とされても不思議はない状態ですけどね」
「難儀だね~」
人事のように、実際人事なのだが軽く流す朔耶に、レイスは苦笑で応えるしかなかった。何せその落ち目のアクレイア家を再びフレグンスの大貴族魔術士筆頭の栄光へ帰り咲かせる鍵となる人物だ。
朔耶の道具はレイスの父、ルィバンスを不義なる手段で退けて宮廷魔術士長となったコースティン家の、不正を暴く手掛かりを掴めるかもしれないのだ。
「レイスさま……」
その雰囲気から何かを感じ取ったのか、フレイが諌めるようにレイスをじっと見詰めると、レイスは『分かっている』とでも言うようにふっと軽く微笑んで見せた。安心したように笑みを返すフレイ。
「ふ~た~りで~見つ~め合う~」
「さ、サクヤ様?」
「まぁ~ったくこの二人は、イチャ付くなら見てない所でやってもらえますぅ~?」
「……急にやさぐれないで下さいよ」
しっかり朔耶にからかわれる二人であった。
貴族街の区画を半周し、次の区画に入る門を潜ると、いきなり物々しい雰囲気を醸し出す無骨な壁が正面に見えた。
壁としか表現のしようが無いそれは、何やらトゲトゲしたモノが表面に幾つも突き出ていて、細い覗き窓から見える向こう側の光の具合からかなりの厚みを感じさせる。
「強化防壁ですよ、有事の際にはこれで門を塞ぐ事になります」
「壁を壊されたり乗り越えられたら意味無くない?」
「門を潜る時にお分かりかと思いましたが、ここの城壁の厚みは相当なモノですからね。破壊は勿論乗り越えるのも容易ではありませんよ」
自信と誇りを言外に感じさせながら苦笑気味に語るレイスに、朔耶はぽつりと呟くように言った。
「そういうモノ程破る手立てが見つかった時は脆いんだけどね」
上流階級の中でも門閥貴族達しか住む事の許されない、通常はフレグンスの騎士であっても容易に立ち入る事の出来ないこの区画には、何れも歴史を感じさせる古い大きな屋敷が点々と建っているのが見える。
増改築で新しい壁や屋根を持った屋敷も見える。どの家も大きな敷地を持っている為、閑静度合いが一つ下の区画とはまるで違う。見ようによっては閑散としているようにも感じられる。それだけ、この区画に住める人間が少ないという事でもあった。
「僕の家はあの青い屋根の屋敷ですよ、もう大分古くなってるのでそろそろ修繕しないと不味いんですけどね」
レイスの指し示す方向に朔耶が視線を向けると、城壁に近い場所に石造りで褪せた色合いの屋根を持つ大きな屋敷が建っていた。他の屋敷同様、高い塀で囲まれているので殆ど屋根しか見えないが、なるほどかなり痛んでいる様子だった。
「修繕より建て替えた方が良くない?」
「それは出来ないんですよ」
「なんで? あ、伝統ある屋敷だから駄目とか?」
「いえ、もっと切実で現実的な理由です……建て替える為の費用が無いんですよ」
アクレイア家の初代が建てた屋敷には伝統もあり、レイスも生まれ育った屋敷には愛着もあるが、没落してからは使用人の数も減らして尚厳しい財政事情が続いていて、修繕どころか維持の為の手入れすら事欠く状態なのだという。
「せ、切実過ぎる……」
「没落するという事は、そういう事なんですよ」
思わず『苦労してるんだねぇ』と哀れみの眼を向ける朔耶に、『その眼はやめて下さい』と本気で落ち込み掛けたレイスだった。
そんな超高級住宅街(朔耶談)を抜けて最後の門、城門を抜けると城の横壁が左右に延びていた。ここにも強化防壁が幾つか置いてあったが、今日の為に少し奥に除けてあるそうだ。
普段は城の壁にズラッと並べてあって、中々壮観だがかなりの威圧感があるらしい。城は正面と裏側のどちらからでも入城出来る造りになっている。
正面に回った朔耶達一行は整列した王国騎士団と、この王宮区画にある上流階級専用の精霊神殿に勤める聖騎士団、それに城のテラスに繋がる向い合わせの階段の所に整列している近衛騎士団達に迎えられた。
テラスにはレティレスティアが、今や遅しとそわそわしている姿が見える。護衛隊馬車と侍女たちの馬車が前後左右の騎馬隊と共にまず離れた場所に停まり、朔耶の乗る大型馬車がテラスの見える正面に停車した。
「さ、着きましたよ」
「ううう……緊張するんだけど」
「大丈夫です、私がお傍に控えていますから」
何時の間にか侍女服から魔術士の服装に着替えていたフレイがサクヤの手を握る。フレイは首元から足首付近まで流した幅のある布を腰の辺りで縛ったノースリーブのワンピース風な格好だった。
執事のような服装をした案内人が馬車の前に歩み寄り、徐に扉を開けると脇に控えて礼を取った。
レイスが朔耶の手を取ってエスコートすると、その後ろにフレイが続く。朔耶は馬車を降りる時、車室の扉脇に最後まで立ち続けた定位置の騎士にお礼を言った。
「ここまでありがとね、ゲーリンさん」
名前を呼ばれて目を丸くした定位置の騎士、ゲーリン・クロッス(23・独身)は感激に打ち震えながら最後の敬礼をした。彼がこの任務を全うした瞬間だった。
レイスにエスコートされながら馬車を降りた朔耶はまず、整列する王国騎士団と遠巻きに見ている貴族の集団から様々な意の篭った視線が集中するのを感じた。
訝しむモノ、好奇のモノ、値踏みるモノ、品定めのようなモノ……何れにしても探りを入れるような視線が多く、好意的な印象はあまり感じられない。
『うわ~……コレ、あたし一人で来ても絶対レティに会わせて貰えなかったかもしんない……』
レティレスティアの勅令が出されていた時点でそんな事は無いのだが、庶民である朔耶にとってはこの場に居る事が酷く場違いな気分にさせられる雰囲気だった。
そんな視線の中を両脇に並ぶ騎士団の迫力に圧倒されながらテラスに繋がる向い合わせの階段の近くまで来た時、上からレティレスティアの声が響く。
「サクヤ!」
見上げると、テラスの縁を掴んで身を乗り出すようにしたレティレスティアが喜びともどかしさを混ぜ合わせたような何とも言えない表情で見詰めている。
朔耶にとって明るい日の下でレティレスティアを見るのはこれが初めてとなるが、ふわっとした金髪に人形のような均衡のとれた端整な顔立ちはやはり綺麗だった。そして森では気が付かなかったが、その瞳は金色をしていた。
「やほ」
朔耶はニコッと微笑んで取り合えず片手をふりふり軽く挨拶をしてみる。周りの人々は『やほ』とは何だろう? と疑問を浮かべていた。あの少女の国の民族的な挨拶だろうか? などなど。
身分に厳格なこの国において多くの騎士、貴族達が見守る中で、王族に対してこれほどフランクな挨拶をしたのは朔耶が初めてであろう。しかし『やほ』の意味を図りかねている彼等は更に驚くべき光景を目にする事になった。
感極まったレティレスティアは仕来りに添った挨拶の段取りなど待っていられなくなり、階段を駆け下りて朔耶の傍まで走った。面食らったのは近衛騎士団である。
こういう場での挨拶には暗黙の決まった段取りがあり、まずテラス越しに王族が声を掛け、謁見者はそれに深く礼をして応える。
次に謁見者は王族に対して今日お顔を拝見出来た喜びと感謝の口上を述べる。
それを受けた王族が謁見者に労いの言葉を掛ける。
労いの言葉を賜った謁見者はそれを勿体無くも有難く受け取り、王族と国の繁栄を謳う。
殆どの謁見はここで終わりだが、特に親しみを見せる場合、王族が謁見者を呼び寄せる。
傍に寄る事を許された謁見者は喜びと感謝の言葉を述べてから階段を上り、王族の傍らに膝を付き忠誠を示す。
王族が謁見者に手を許す。
謁見者は許された手に接吻を落とし、王族に手を引かれて立ち上がる。ここでようやく普通の会話というか、本題に入る事が出来るのだ。
「サクヤ!」
それら全てをすっ飛ばしたレティレスティアは朔耶の傍まで駆け寄ると、飛び付くように抱き締めた。
王女の突然の行動に慌てて後を追ってきた近衛騎士団と、いきなり王女が下りて来た為、どうすればいいのかと困惑していた王国騎士団、それに周囲の貴族達の全員が固まった。
その中にレイスやフレイ、離れた場所で見守っていた護衛隊、侍女たちの面々も含まれている。レティレスティア姫と懇意らしいとは聞いていたが、これは完全に予想外だったのだ。
『あの娘は一体何者なんだ?』
朔耶とレティレスティアを除く、全員の心の声だった。
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