第1章
――きのう、フランソワーズ・サガンの「悲しみよ、こんにちは」を読んだ。
衝撃的だった。こんなに完璧な完全犯罪小説は読んだことがないと思ったし、何より、書いたのが当時十八歳の少女だったということに驚かされた。
わたし……砂上マリは、今十六歳の高校二年生だった。
学校で、同じクラスに親しい友達が出来ず、どことなく不登校気味になっている、悲しみの多い不幸な少女。
なーんていうのは流石に少し大袈裟だとしても、わたしはサガンのこの本がもし――「悲しみよ、さようなら」というものだったら、おそらく手にとって読んでみようとは思わなかったに違いない。
悲しみ……悲しみってそもそもなんだろう。わたしにパッと思いつくのは、小学生の時、大好きだったおばあちゃんが死んだ時のこと。
小さい頃は、死というのはおしなべてみな<悲しいもの>、あるいは<悲しい>と思わねばならぬものだった気がする。
でも、それからさらに時が経ち――精神がさらに成長してくると、世界、というか人生には、様々な形状をした色々な悲しみのあることがわかってくる。また、死=必ずしも悲しい、とは言えないということも……。
わたしは時々、どんな時でも、自分が<悲しんでいる>振りや<楽しんでいる>振りしか出来なくなってる気がして、自分のことが少しだけ恐ろしくなる。
もちろん、わたしがこんなふうに感じてしまうことには原因があって、自分の思考といったものを分析して思うに、まずは第一に学校生活がうまくいっていないせいがあるだろう。
わたしは物心ついた時から高校二年生になるまで、四回ほど転校を経験した。その度に、親しい友人と別れねばならない深い悲しみがあり、また転校した先の学校で、果たして友達が出来るだろうかという不安があった。
でも、その不安は四度とも、見事杞憂に終わった。何故、というのはわたしにもわからないのだけれど、わたしには人を惹きつける力があり、それほど深く意識しないうちに、友達という存在はどこでもすぐに出来たのだ。
にも関わらず……義務教育が終わり、通っても通わなくても、それは本人の自由意志といったような、高校生になって初めて、<何故か友達ができない>という苦しみを味わうことになった。
わたしはこれまで、何度となく繰り返し自問してきた――(これまでわたしは一体、どんなふうに友達を作ってきたんだっけ?)と。でも何度思い出そうとしてみても、その方法が思いだせなかった。
そして、最近わたしを打ちのめした、深い悲しみのふたつ目……それが、ママの浮気だった。しかも、わたしがもし不登校になって学校をサボりはじめていなかったら、ママの浮気及び浮気的行為に対し、わたしは気づかないままでいたに違いない。
学校に親しく話すことの出来る友達がいないと、胃を締めつけるような不安と緊張感から、自然人はその原因となる建物から足が遠のいてしまうものだろう。
ゆえにわたしも、学校へ行く振りをしながら街中をブラブラとし――それでも時間が潰せないとなると、しぶしぶ家へ戻ってくるしかなかった。
そしてその時わたしの頭の中は、たくさんの嘘で塗り固められていたといっていい。「具合が悪くなって早引けした」とか「今日は六時間授業だったのが、何故か四時間授業で終わった」だのという話……。
わたしは心の中を罪悪感でいっぱいにしながら家へ戻ったというのに、そこで偶然目にしたものは、ママが見知らぬ若い男の車に乗って走り去るという、そんな姿だった。
もちろんこれだけでは、決定的な浮気の証拠とはいえないと、多くの人が言うに違いない。けれど、これは決してわたしの早とちりなんかじゃなかった。というよりむしろ、もし本当にそうだったとしたら、どんなに良かったことだろう。
よくよくママの行動を考えてみると、随分前からおかしかったということに、わたしはその時気づいた。パートの仕事へ行くにしては、随分念入りな化粧であるとか、毎晩手や足の爪にマニキュアを塗っているといったようなことに……。
翌日から、わたしは小さな探偵へと早変わりした。学校へ行く振りだけして家の近くまで戻って来、そっと物陰から自分の家の様子を見守るのだ。
その結果、ひとつのことがわかった。ママは燃えるゴミを捨てる火曜日と金曜日に愛人と会い、また土曜や日曜の夜には――本当は仕事などしていなかったということが。
最初、そのことがわかった時、わたしの身内に走った感情は激しい怒りだった。東京に単身赴任しているパパが可哀想、とも思った。少なくともパパは遠く離れていても、絶対にママやわたしを裏切ってはいない。そのことがわたしにはよくわかっている……ママの浮気がわかってから、わたしは突然パパの顔が見たくなり、東京へ行ったけれど、住んでいる部屋の散らかり具合や、寝室に貼られた裸の女性のポスターなどから(パパはわたしがそれを見つけるなり、罰が悪そうに剥がしていた)、パパは絶対に自分を裏切っていないことがはっきりわかった。
「一体どうしたんだい、急に」と、パパがいつもののんびりした調子で聞いたので、わたしはただ素直に「パパの顔が見たくなっただけ」と答えた。
そして、特上のお寿司をパパにご馳走してもらってから――わたしは夜の海をじっと凝視しながら、自分の住む海岸町まで戻ってきたのだった。
わたしのパパは誰もが名前を知っているような、製薬会社で研究員をしている。そこは仕事の都合上なのかなんなのか、給料もいいかわり、やたら転勤の多い会社らしく、パパは研究所の所長に昇進した時、流石にもう転勤はないだろうと信じ、自分の故郷でもある海辺の町に一軒家を購入していた。
ところが、そのローンを支払いはじめて二年もしないうちに、またも転勤を命じられ、「長くても三~四年だよ」と苦笑いしながら、再び東京へとひとり旅立っていった。
人が良くて生真面目で、娘には優しく、ほとんど怒ったことのないパパ。ママが浮気して裏切ってることも知らず、毎日一生懸命働く可哀想なパパ……わたしはそう思いながら、何度もベッドの上で涙に暮れた。
でもそれは、どこか本当の<悲しみ>ではなかった。半分は確かにパパのために悲しんではいるのだけれど、残りの半分はどこか自己憐憫に満ちた、偽善的な感じのする涙だった。
わたしは、ママのことも好きだった。というより、自分の母親のことを好きじゃない子供なんて、そう多くはいないに違いない。
けれど、今は違う。やたら不必要なコスメ商品を通販で買い揃え、若作りをしているママは、もうわたしのママなんかじゃなかった。
そしてわたしは――本当の<悲しみ>を避けるために、今日もまた悲しんでいる振り、悲しんでいるつもり、そんな悲しみの演技をしながら、憂鬱に一日を過ごすのだ。