前編① 桃色ポニーテール
――あの夏がもう一度来ればいい。そしたら違う願い事をするのに。俺さ、やっぱ君と一緒がいいよ。
青い空。入道雲。眩しい陽射し。
セミの声。朝顔。ラジオ体操。
最高気温更新。
冷麺はじめました。
そして、野球中継。
「――ピッチャー振りかぶります。投げた! っとここで一塁ランナー盗塁だ! ピッチャー慌てて二塁へと送球! 間に合うか?! どうだ! 走者スライディング! セーフ! 盗塁成功ー!!」
スカートから伸びる、しなやかな白い足。
耳のイヤホンからもれる、小さなラジオの音。
風になびく、まだ少し見慣れないピンク色の髪。
8月、夏休み終盤の登校日。決めセリフを叫びながら一人の少女が学校の門に滑り込んできた。同時に学校のチャイムがなる。
「こっちも滑り込みセ~フ、です」
少女のスライディングで巻き上げられた砂埃が、彼女のスカートにフワリとまとわりつく。少女はそれをパン、と手ではたくと。
「おはようござります、トオル様!」
と、長い桃色の髪を揺らしながら俺の背中めがけてタックルしてきた。
「ぐへっ」
もろな激突に思わず変な声が出る。
「おい、あいつ女の子といちゃついてやがるぜ」
校舎へと向かう強面の男子生徒が羨ましげにこちらを見る。
君たちの目にはそう見えますか。ああ、さいですか。
女子にはまともにモテたことのない俺が、野郎どもから羨望の眼差しを向けられるようになった、ことの始まりはわずか一週間前である。
ここは山森第一高等学校。県内でも指折りの、公立の学校にして甲子園を狙える野球部を持つと謳われる高校である。
そして俺、伊賀トオルはその野球部に所属する二年生。ナインを務めており、ポジションは捕手。小学校の少年野球時代からバッテリーを組んできた親友であり、この野球部のエース投手、土方コウや他の部員達と共に球宴、甲子園出場を目指している。
コウは中学時代から、数多の名門私立にうちに来ないかと誘いをかけられていた。しかしそれらの誘いを全て断り、俺とともにこの学校に進学した。
その理由について彼は、親元を離れたくなかったからだと口にしていたが、おそらくどこにも声を掛けられなかった俺に気を使ったが為だろう。
そんな俺に、コウは言った。トオルがミットを構えてくれなきゃ投げる気なんてしないんだよ、と。
そして俺達は地元で通える範囲にして、公立ながらも健闘していると評判の野球部を持つ、この高校へ入学したのである。それと同時に、俺は誓った。必ずやコウを甲子園のマウンドに立たせてやると。
そして俺たちはとうとう2年生となったこの春、実力でナインの座を勝ち取った。しかし夏の地区大会では決勝まで進むも惜しくも敗退。3年生は引退して新体制になり、俺達もいよいよ来年最後である春夏のチャンスに向けて準備を整えている頃であった。
そんなある日。俺は夕方のグラウンドで一人バットを振るっていた。この日は盆休みで、どの部活も休み。職員室に教師がが数人いるだけだ。そしてグラウンドには俺ただ1人。もうかれこれ、100回はスイングしただろうか。
俺がなぜこんなにもスイング練習に力を入れているのか。別に華の4番バッターに抜擢されたいわけじゃない。その理由は新生ナインの危惧すべき事情にあった。
当然、ナインの中には4番バッターを担う打者はいる。獅子尾カンタという体格のいい同級生だ。
やつは確かにバットに球を当てるのは上手い。上手いのだが……一度もホームランを打ったことのないのだ。しかも、練習嫌いときた。
しかし父親がこの近辺の偉いさんらしく、いばってばかりの男である。
――投球マシンから時速120キロの球がはじき出される。しかし球は俺の横を風とともに通り過ぎ、ばふっと情けない音を立てて後ろのネットにぶつかった。
「くそおっ! なんで打てねーんだよ! 」
俺の手はもう潰れたマメだらけ。俺の手から解き放たれた金属バットが、悲しげに音を上げて地面に転がる。
俺はグラウンドに向かい、己の守備位置であるキャッチャーズボックスに立った。目を閉じれば、俺のミットめがけて真っ直ぐに白い球を投げてくる、親友コウの凛々しい顔が浮かぶ。
「甲子園、行きたいなあ……なあ、コウ」
ーーだけどうちのチームには強打者がいないよね。
脳裏でコウの声が響く。
「そうなんだよなあ。皆まあまあ打つけど、蛍光学院に勝つには打者がいねえとなあ」
蛍光学院とはトオル達が住む都道府県にある、甲子園常連で、さらには優勝経験もある有名私立高である。そして、ここにさえ勝つ実力さえあれば、甲子園出場は夢ではないとも語られる。しかし、蛍光学院野球部には、将来はプロ入り確実と言われるホームランをポカスカ打つような強打者がいる。
ヒットや内野安打なら守りで何とか得点を防ぐ余地はある。だけど、ホームランは手も足もでないし、コウ一人にかかるプレッシャーが大きすぎる。
ーー誰かホームラン狙える打者が必要だよね。
頭には再びコウの声。
「ああ、それ俺がやってやりたいよ」
ーーでもトオルに無理されちゃ困るんだよな。
……。
「……頼むから誰か熱いホームラン打ってくれよ!!」
俺は怒りに任せてグラウンドの土を蹴り上げていた。バッターボックスに引かれた白線が欠ける。そのとき。
まばゆい光線が俺の視界を覆った。あまりの激しい光に俺は片手で目を覆い、後ずさりする。
なんだ? なにが起きたんだ? バッターボックスがお怒りか?
やがて発光が収まり、俺はそっと目を開いた。するとそこにはーー。
そこには、1人の少女が佇んでいた。俺は暑さと練習のしすぎによる幻覚かと思い、目をこする。しかし――どうやら、本当にそこにいるようだ。
俺と同じ位の年齢かな? いつの間に来たんだろう。この辺で見かけない子だな。髪はピンク色で、腰に届きそうな位の長いポニーテール。それになんだかファッションもどこで買ったのか聞きたくなる程の奇抜さだ。コスプレが趣味なのかな。
「あのーー。」
俺が話しかけようとした、そのとき。
「私を召喚したのは貴方でござりますか?」
少女は静かに口を開いた。なに言ってんだこの子。
「えーっと。君だあれ?」
「魔法陣より召喚されました、焔 シュリと申します」
はあ。はるばる遠い所からこのような田舎へようこそ。貝の佃煮が名物ですが、お若い方のお口に合うかどうか。っていやいや、おかしいぞ。なんだ召喚って。
近くでコスプレイベントとかあるのかな。その延長のノリですか? だけどここは学校です。
「ここは学校関係者以外は立ち入り禁止だよ」
俺はやんわりとこの場から出るように諭すが、しかし。
「熱い焔を打てと言ったのは、貴方ですよね?」
「……」
なんだ、この噛み合わない会話。もしやここがコスプレのイベント会場? なわけあるまい。
「あの、練習するから出て行ってくれるかな、バットやボールが当たったら危ないし」
イラついているのはこっちなのに、その少女はずいと一歩踏み出し、俺の目を真っ直ぐに見据えて強い口調で繰り返した。
「熱い焔を打てと言ったのは、あ・な・た!!ですよね!? イガ トオル様」
なんで俺の名前知ってるんだ。なにか変なアンケートとか書いたっけ? 怪しいサイトに登録したっけ?
俺は不信感に後ずさりするも、その少女はじりじりと距離を詰めてくる。
「貴方ですよね? 責任とってくださいね」
「……!?」
もはや言葉が出てこない。少女は俺を掴まえようと手を伸ばす。
「ち、違いますうう~~!!」
俺は、そのとき出来る精一杯の行動をとった。手を振り払い、怪しげなコスプレイヤー少女から全力で逃げ出すことだけを考え、一目散に学校を後にしたのである。
そして俺は無事に人生のホームベースたる我が家へ帰還した。
「はあ。なんだったんだあれ」
俺は風呂へと入り、家族と夕食を取る。そして自室に戻ると、その日の出来事の疲れーーいや、あれは忘れよう。俺はその日の練習疲れによってヘトヘトになった体をベットに横たわらせ、深い眠りへとついたのであった。
目を覚ませば、さらなる衝撃が俺を待ち受けていようとは思いもせずに。